確信より勇気を

なにか行動を起こしてみようと思うとき、「確信」と「勇気」のどちらが大切だろうか。すでに動き回っている人、これから動こうとする人を、遠目・近目で見たり、実際にその想いの変遷について話を聞いてみると、ぼくなりの答えがでた。勇気、だ。

その「勇気」とは、こわいと思ってても、しっかりと足を踏み入れる(まずはスタートしてみる)勇気。また、自分の知識・経験・技術的に、できるかできないかわからないけど、試してみる勇気。もしかしたら、それは、自分でもできるかもしれない、という可能性への時間とエネルギーの投資とも言える。

反対に、これは100%できる、という想定内・案パイの「確信」だけで動こうとしている人は、どこか動きが鈍い。あれができたらこれをする、というような順序ばかりを気にしてて、その100%の確信がくるのを待っている間に時間だけが過ぎていくことは少なくない。一歩踏み出せとは言わないから、半歩でも踏み出して、背伸びしてみる勇気がこういった類の人には必要なのではないか。

そもそもの話、人間がなにか物事をやれるかどうかは「慣れ」の部分に起因していることが多い、とぼくは思っている。それにも関わらず、手を出してみたこともなく、その感覚も分からない状態で、他人からもらった理論だけで確信に迫ろうとするもんだから、たちが悪いの。精神論のように聞こえるかもしれないけど、「やってみないとわからないことばかりだから、まずはやってみろ」という一言は的を得ているはずなのだ。

例えば、よくいるタイプで「ライターになりたい」という人が「何も書いていない」という状態だったらどうだろうか。作文用紙でも、ブログであっても、SNSでも、なにかしら書く鍛錬をしている、そうして、他人に見せられるかたちがある人とない人では、段階に雲泥の差があることは明白だ。童貞のセックス論ほど、聞き耳を持たない(いや、視点を変えて、ほじくりはじめると、これはこれはおもしろいのだけど)。

ぼくのまわりにも「ライティングをやってみたい」と口にする輩が何人もいた。その言葉を放ったほとんどが、一年以上経ったいまになっても、何もやっていない。理由を聞くと「もうちょい人に見せられるようになるまでこそこそとやるんだ」とか「他のことが忙しくて」とか、「そうか、ここは無心を心得よう」と感じる返答ばかり。

そして、そうではない、ごく一部の人たちが、なにかしらをなにかしらの媒体で書きはじめた。その一人は、自分でブログをはじめて、自分の文章の気持ち悪さに気付いて、おえつしそうになりながらも、定期的に、少しずつ少しずつ更新していた。そのなかで、Webの性質もあって、わりと反応のもらえる記事を書くことがあったようだ。

そこで、はじめて、自分のつくったものに対しての、他人の反応・声を肌感覚で得ることができた。ここで大事なことは、“肌感覚”で掴めたことであり、やっている人にしかわからいことをやり続けることで、自分の手でつかみ取ったことである。童貞を卒業したからこそ、少し、あか抜けたというか、一皮むけたというか、表情がひとつ変わったというか、そんなところだ。

その彼を見ていて、ぼくが思ったのは、最初にものべたように、これは確信でなく、彼の「やってみる」という勇気の勝利であるな、ということ。自分にできるかできないか分からないけど、やってみることで「なにができるのかできないのか/なにが得意で、なにが苦手か/輪郭のある課題や感想」がごっそりと出てきたようだ。

そんな偉そうにいえる立場ではないけど(これから彼がライバルになるかもしれないし)、素直に彼を賞賛したい、やるじゃん、と思った。そして、同じように「やろうと思ってるのに、なかなかはじめられない人」は、確信を待つのではなく、ただすでにあるはずだけど隠れている勇気を振りしぼってみるといいのではないかとも思った。

半年後、一年後くらいに、その勇気が、いま自分の周辺にある物・事・場所、あるいは、すぐ近くにいる人に対する目線を変えてくれるかもしれない。

 

“知らない”仕事につくことはできない→“知ってる”仕事だけでぼくらは生きていくのか

田舎でも、都会でも、よく耳にするなぁ、SNSでもよく議論されてるなぁ、と思ったので、それについて。

「仕事がない」と口にする人は多いけど、実際はそんことなくて、「知っているもののなかで選びすぎている」か、そもそも「“ある”ことを知らない」かのどちらかのケースは多そう。前者はもう個人レベルでどうにかしてよ、と思うばかりだけど、後者はその情報が入ってくる環境(メディアとの付き合い方、まわりにいる大人、そういった情報を得る場所など含めて)自体が問題なこともある。仕事の選択肢という話でいれば、実は、「ない仕事をつくる」という発想というか選択も本当はあるわけだ。

日本でも近代化にともなって、畑を追い出された、あるいは、出ざるを得なかった農民が、街に繰り出していったあのときは、別にいまのような「やったるで起業」みたいな仰々しいものでもなく、今風にいうと「小商い」というかんじに捉えたのか、自分の仕事をつくっていって、(サラリーマンだけじゃなくて)自営業の人も増えていった。その過程のなかで商店街も発展したときがあったんだろうな。

本題が逸れてしまったけど、「ない仕事をつくる」よりかは「“ある”ことを知る」ほうが大多数向きだろうから、まずは“ある”の届く範囲を広げられるようにしていけるといいのかもね。もしかしたら「“あることを知る」を体験すれば、「ない仕事をつくる」という方向に、段階的に進むかもしれない。知らないことを知ることは、おそらく自分の暮らしや仕事の価値観を大きく覆しちゃうこともあるわけで、そういう機会はもうちょい増えたほうがいいと個人的には思っている。

2016年、ますます「移住」という言葉のファッション化が進んでいくはずだけど、自分の暮らしやはたらき方を考え、その実践をしていくなかで、「移住」という選択肢がでてくるわけで、あくまでそれは“ひとつの選択肢”でしかない。にも関わらず、それ自体が目的になってしまう、あるいは、それを達成すれば苦から逃れられる、というような妄信的救済となっている事実も少なからずある。実際には、そんなことないのに。

東京にもローカルはたくさんあるし、近郊でも田舎暮らしっぽいはそれなりにできる。コミュニティを求めて、都会を出ようとしてるなら、実は探してみれば、居心地のよいコミュニティの一個や二個は見つかるはずだ。「移住したい、って言ってるけど、本当にそれって移住しないとだめなの?そこじゃできないの?」といやらしい問掛けは大事にしていきたいな。

そこらへんについて思い老けたときに、「抜け道をつくるメディア」とか「想像税を、払う東京」とか「地域おこし協力隊になって、自分探しをしようとする若者の風潮について」「田舎者はどこでもいるぞ」「移住イベントは、だいたい二パターンに分かれる」とか、をまとめた。

バーテンダーが自分のオリジナルカクテルをつくりたい、ってときは、まずは世界中にあるカクテルについて知らないといけない。いろいろと知って、吟味してみて、悩んでみて、それから自分らしい一杯が生まれる。井の中の蛙のように、狭い見聞のなかだけで広げられるものには限界がある。その中で自分がハマるものがあればいいけど、ハマれないものがでてきたときは、多少しんどくなる。そのとき、“知らない”から“知ってる”への変化をつくれる人は、得するよな、といつもいつもぼくは思う。

多様性を認められた社会といいつつも、その多様性をのぞけていない人の生き方と、好奇心をもってのぞけている人の生き方は、どこか違ってみるのだけど、おそらく、それは知ってるがゆえの“ゆとり”にあるのかもしれない。今ある自分の“知ってる”から、ちょっと抜け出してみる勇気、ただそれだけの違い。

re:set 2016

年の瀬は、甦りを感じる。今年はどないだったか、来年はどうしたもんだ、とあっちこっちに頭の中で動きまわってると、その途中に、ふと、ぼうーっと朧げに浮かび上がってくる光景がある。「大学のときに部活が一緒だったあいつ、今どうしてんだろう、というか、そういうやつと出会ってたんだな」とか「むかし日帰りのバイトで一緒だったあの人、仕事帰りにいろいろとよくしてくれたけど、なんだか印象薄かったな」とか。

それは、なんの脈絡もないままに、突然ふっと思考に入り込んでくる。断言はしちゃいけないけど、おそらくこの先の自分と彼らの人生で重なる部分はないだろう、と思うような人ばかりがぼくの脳みそに訪れては、しれっと出ていく。そんな「あの時、あの場所で、あれをしたこと、あの人に会ったことが、今の自分をつくっている」からはほど遠いような人々の甦りがよくあるみたいです。

その話とはちょっと違うけど、12月になると、心がそわそわしてしまう。年末になると、忘年会をする、という文化をつくった日本人は発明家だなぁと。なかなか普段だと会えないような人とも、この時期になると不思議と引き寄せられる。それと同時に、本当に会いたい人がだれなのか?とか考えたりできて、想いの深さをこのときに図ることもできる。

はて、なぜ忘年会なのか?と考えた。漢文のように読み進めてみれば、「年を忘れるための会」となる。ただ実際には、その「年を忘られないための会」だそうだ。なんだか、ややこしいぞ。だったら「年を覚えるための会」で覚年会とか、「年を思い出すための会」の思年会とかでもいいんじゃないか。

さらに偏屈を言わせてもらうと、忘れないことが大事なのだろうか? 最近よく思うのは、「忘れる」ことが大事なのではないかということ。過去をそのままにだらだらと引きずって、新しい年に向かっていくのは女々しさを感じてしまうからだ。良かったことも良くなかったことも思い出して、少しだけ次につながるエッセンスを見つけて、軽量化できるといい。本当に必要なことは、きっと、ごく一部でしかない。だから、どちらかというと、その年を振り返ってみると、「忘れる」ことのほうが大部分じゃないかと思える。

いや、振り返りはその都度その都度しているだろうから、本当はすべてを忘れるほうがいいのかもしれない。ぼくが幼いときからずっと憧れている野球選手、イチローは打席に立つだびに気持ちを「リセット」するのだそうだ。前の打席でヒットが出ようが、三振だろうが、良いイメージも悪いイメージも関係なしに、新鮮な気持ちで打席に立ち、ピッチャーと対峙していく。2015年がひとつの打席だったとしたら、ちゃんとリセットして2016年をはじめていく。れがいいな。だから、ぼくは忘年会を「その年を忘れるための会」として、今後付き合っていきたい。

そうやって、うだうだ考えながら、12月の間わりかしごねていたら、いつの間にか年も明けてしまった。温泉からあがって、テレビを付けてみて、ほわ〜っといろいろ考えていたら、いつの間にか寝落ちしていた。カウントダウンすることもなく、起きたら2016年というナイフを突きつけられたような気分。ちょっとした恐怖からはじまったけど、よし、がんばるぞ。

今年の一字としては、「居」を念頭におきたい。実は、「離」という字にしようと最初思ったのだけど、やめた。今年の4月からまた東京のほうに拠点を移すつもりだ。それは去年くらいからずっと計画していたこと。そのために、この1年間ほどを沖縄(那覇)で拠点を構え、場づくりに関わらせてもらった。離れるということは、捨てるということではない。近くにいた彼女と少し離れ、遠距離恋愛になるようなもので、東京にいるからこその沖縄との関係性を築いていきたいし、そこにいるからこそできることを進めていこうと思っている。

沖縄を離れるよりも、東京に「居」るに重きをおく。どこかに居るということは、どこから離れることの裏返しでもあるので、同じことと言えば同じこと。「いつもどこにいるの、いま?」と聞かれることが多いので、「いつも、ここにいる」という安心感をつくっていければと思っている。東京という場所に(なぜ東京なのか、という点については、今度あらためて書かなきゃだな)。

それともう一つ、「居」には意味があって、京都移住計画の考え方に「衣・食・住」ならぬ「居・職・住」というのがある。「居」はコミュニティであり、だれかにとっての居場所をつくることでもある。そういった場づくりと、その場までにつなぐための情報発信がされるメディアづくりを腰を据えてやっていきたい、という気持ちは去年よりもさらにつよく、ちゃんと形にし、より大きく育てていける年にしたい。

さて、抱負的なものを述べたけれども、「別に意気込まなくてもちゃんとやっとけよな」というツッコミ心を自分に対して持ちながら、座右の銘でもある「まじめに、なまける」を大切に、ふらふら〜っとしてるようには見えるかもしれないが、着実に前に前に、去年よりかは大きな一歩二歩を踏めるように進みたい。あ、あと、毎年のように一字だけでなく、一色も決めるのだけど、それは「水」色にしようかと。調べたところ、「変化」や「変革」「流れ」を表わすのだそう。補色は、赤。なんとなく、しっくりもくる。暮らしのなかで、ちょいちょい水色を意識して取り入れよう。Twitter率あがるかな?

ということで、みなさま、2016年もよろしくお願いします(はやく初詣に行きたい、浅草寺あたりにでも)。

眼を貸してくれる人

南国気質は根本的には、苦手だ。島は、よいことばかりではない。沖縄で、離島で育ってしまったがために感じる、あの島にあるドロドロとしたもの。

出身”だからこそ”見えるものと言えばそうなんだけど、出身“のせいで”見えていないものもたくさんある。東京を経てUターンしたばかりはわりとクリアに見えたものも、1年以上もいるとピントがずれ、少しずつボケていく。慣れの怖さだ。それが怖くて、定期的に沖縄の外に出て、遠くの山をじっとみて視力回復をのぞむようなことをしているのだけど、やはり限界はあるようだ。

過去は変えることができない。「〇〇出身」というのは、だれもが持てる過去の遺産であって、辿りに辿れば、個性の源とも言える。その個性一つでは成し得ないものはあって、いくつかの個性が重なるからこそつくれるものがある。地域において言えるのは、地元、Uターン、Iターンという属性があって、その3つの立場の(個性を持った)人たちが結集して生まれるものに、新たな価値がある。

もう一度言うと、ぼくはUターンという立場だからこそ、見えるものがあるが、見えないもの、見えなくなってきたものがある。そこを補完してくれるように、時折、Iターンの人の声をもらうと、ハッとすることがある。耳に入ってくるこの声をもっと増やしていければと思う。

その眼を貸してもらえると、ありがたいのだ。

「すべてが興味ないわたし」と「すべてが興味あるわたし」

腹が減ったら飯をくう。そりゃ当たりまえかもしれんけどさ。仕事と仕事の合間を縫って、食べものを求めて、街中をさまよう。いつもいつも、いろいろと動きまわってはみるものの、結局口にするのは、カツキッチンのポーク玉子おにぎりか、田舎そばのソーキそば、あるいは、赤とんぼのタコライス、もう最悪の場合は、ドンキで買い込んだ大量のカップラーメンである。

そう、基本的に、そういうご飯のことで何を食べようかと悩んでるのがもったいないし、なんかその時間無駄だよなーと思ってしまう自分がいる。ざっくばらんに言えば、腹を満たせば何でもいいのだ、そのくらいぼくは食に興味がない、と一度思うのだ……が、全くそうでもないらしい。

一応は、元々飲食業界にいたわけで、それなりに美味しいものがあるということは舌が覚えてくれてるし、美味しいものを見つけたときには、それを誰かと共有したくなる気持ちがあったりする。じゃあ、「興味がない」と思える自分はなんなのか? それは、自分事か他人事かの違いでしかない、と気付く。

自分ひとりで食べるものであれば、何でもいいわけで、気にすることなく、とにかく腹に詰められればいい。つまりは、死ななきゃいい、という価値観でご飯を食べる。しかし、誰かと食べるということを意識し始めると、自分の五感が一気に奮い立って、一緒に食べる人に合いそうなものはなんだったか、と自分の脳の片隅にある記憶を必死で辿ろうとする。それなりに知識的なものも勉強する。美味しいものを食べたときも、こういう味、〇〇さん好きかもな、と一瞬考えるような繊細さもそれなりにあるわけだ。

その「自分事として考えると全く興味を持てないことが、他人事として考えると一変してすさまじく興味を持てるようになる」現象、実は「食」に限ったことではない。自分がいま仕事として掘り下げている「地域」「移住」「テクノロジー」なども、そのおもしろさ・可能性にひれ伏してはいるけども、個人的には言うほど興味はないみたいだ。それらについて情報を欲している人がいると思うから、その人たちに向けて情報を集め、自分なりに編集し、共有するための準備をしていく。

興味のない自分のための自分と、興味のある他人のための自分、言葉としてはややこしいが、そういう二つの人格を持てている。少し飛躍する話にはなるが、相手に「やりたいことはなんですか?」と聞かれたとき、ぼくはいつも答えにつまる。それは自分事の領域だけで考えると、ほとんどやりたいことがないからだ。物事に対する関心というのがないままに27年間を生きてきた。むしろ「やりたくないことはなんですか?」と聞かれたほうが、死ぬほど答えられる。

だけど、唯一ポジティブに答えられることがあるとすれば、「やりたいことがある人のやりたいを応援する」「やりたいことがない人のやりたいを見つける」ってことは、あながち嘘ではないだろう。自分の動きよりも、人の動きのほうが気になるのだ。その人の動きがつくられていく様子を見れることが嬉しいのだ。

かつてバーテンダーとしてカウンターの中にいたときも、自分が話すよりも、お客さんが話をしてくたほうがいいし、知らないお客さん同士をつなげてその二人で話が盛り上がってくれたほうが、断然うれしかった。そもそも、そういうタイプの人間なのだ。自分については、わりと何でもいい。

自分には必要のない情報でも、どこかでだれかにとっての必要な情報になる、それが彼ら彼女らの新たな変化の起爆剤になりえるかも、と思うと、どんなことにも興味は持ててしまう。どこかに「自分用」スイッチと、「他人用」スイッチがある。プライベートでは、他人用スイッチは押したくもないから、基本的には全ての情報を遮断したくなるし、もう情報を入れすらしたくないから、人に会いたくないってことも多い。

一匹のマグロは、解体師によって、見事にさまざまに部位にさばかれていく。それは、だれがなにを調理したいのか、というひとつのゴールに向けて、丁寧に切り分けられているのだろう。同様に、ひとつの領域/情報の塊に出くわしたとき、自分は調理する気はひとつもないけど、こういう人にはこれ、ああいう人にはあれ、というような振り分けができる。きっとそれがあって、自分はいろんな情報を頭にストックする癖がついてる、それをしかるべきに引き出せるように揃えることができているのだと思う。

「すべてに興味ないわたし」と「すべてに興味あるわたし」の違いについて、ずっと自分で自分に理解できていなかったが、こうやって書き留めてみることで、だいぶ整理できたかもしれない。とりあえずは、自分についてはそう解釈ができたので、お節介かもしれながい、ついでに他人に対して思うことも記しておこう。

自分には無関心・無価値でも、立場や視点を変えてみれば、今目の前にある情報が、ある人にとってはお宝になるよね。それと、「編集」という作為は、そこらへんを常に悶悶と考えながらやっているものではないのか、っていうことを。そんなこんなを思いつつ、この記事は一体だれに響くのかしら(ハマる人なんているのか?)、と思い悩むのです。

いつまでもそこに居(れ)るとは思うなよ

始まりがあれば、終わりがある。よく聞く言葉だ。新しい一歩のために、物事をどうやって始めるのか。それは多くの人の関心事らしく、「〜の始め方」という切口の議論を、最近ではよく耳にするようになった。

ただ、その「始め方」は「終わり方」に対する意識が若干薄いのではないかとも感じる。始まりがあるなら、その先の終わりのことも一緒に考えてみるのはどうだろう。それをどうやって終わらせるかということを。

それは、「人が流動的な存在で、いつまでも同じ場所にはいられない」からこそだ。自分がずっとそこに居続けると思い込むのも危ういし、他人がずっとそこに居続けると思い込むのも、いささか横暴なのかもしれない。

人は変化し続け、ステップを踏んで、新しい場所へと進もうとする。そのときに、同じ場所にいられなくなる理由ができる。

あるひとつのことを、一緒に始めたとしても、終わるときは一緒ではないかもしれない。人の人生は摩訶不思議で、予定調和に全てが動いているわけじゃない。だから、始め方を考えると同時に、終わり方も考えていく。では、なにがよい終わり方なのだろうか。

終わり方は、各々が持つシチュエーションによって勿論異なるだろう。だが、終わり方には「捨てる」と「離れる」というふたつの終わり方があるように思える。捨てると、もう二度と戻れないが、離れるのは、また戻ってくることができる。

つまり、今までその場所で築いてきた関係性をぶち切って、その場を去っていくのが「捨てる」終わり方。反対に、関係性を継続して、やり取りは続きながら、なにかの際に立ち寄れたり、あるいは戻ってこれる可能性を残して、その場を去るのが「離れる」終わり方。

例えば、これを「移住」の話で考えてみる。とある地域に移住してはみたものの、文化が違うためか、地域の人とうまくコミュニケーション取れず、自分からもアプローチせず、馴染めず、2〜3年でそこを後にするAタイプ。もう一人は、移住後、地域の人とのやり取りに苦労しながらも、少しずつ馴染み、お互いに信頼できる関係性を築けたが、実家や仕事(キャリア)の都合でどうしてもその地域を出ざる得なくて、そこを後にするBタイプ。

すぐに察してもらえるだろうが、Aタイプの人は「捨てた」人、Bタイプの人は「離れた」人である。Bの人は、おそらく定期的に、その地域に遊びに行ったりして、宿泊もさせてもらえるだろう。ある意味、「さようなら」ー「さようなら」でなはく、「いってきます」ー「いってらっしゃい」と地域の人とお互いに言えるような関係性がある。

移住の話に限らずに、子はいつまでも親の元にはいられないし、チームだったけど個人としてやりたくなることもあれば、いつまでも部下は同じ上司の元にいるわけでなく、教師は次へと進もうとする生徒を留まらせることはできない。

すべて始まりは一緒だろうが、いつしかは(物理的な)終わりが確実にくる。だからこそ、再三言わせてもらうが、「どのように終わるのか」そして欲をいえば「どのように離れるのか」までを頭の片隅に置きつつ、物事を始めていけるといい。

話は飛んでしまうかもしれないが、自分が、あるいは、その人が、離れたとしても成り立つ「関係性」と「仕組み」をつくれる人こそ、よいリーダーなのだとも思う。いつまでも自分がそこに居れると、他人がそこに居てくれると甘んじるのはダメだ。人は絶え間なく変化し続ける。その変化を見抜けず、認めず、見送ることのできない人は、上に立つのはきっと向いてない。

こんな居場所が理想的だ ー その場所に足を踏み入れたからこそ、あらゆる挑戦でき、得るものがあり、次へとステップを進められる、登竜門的な存在としてそこから飛び立てるような、そんな人が“離れる”ことを好しとした場所。

みんな、行きたい場所があるなら、見つけたなら、そこへ行けばいい。人が行きたい方向を邪魔するほど、そんな野暮ったいことはない。それはしたくない。

温もりのある「離れる」をデザインできるよう、もっともっと経験を積まなきゃだなぁ。

売れる(任される)準備ができているか

好きな劇作家として、小林賢太郎がいる。彼の著書『僕がコントや演劇のために考えていること』を読んでみると、「つくり方をつくる」など舞台に関わることのない人にも参考になるフレーズが散りばめられている。その中でもわりと気になったフレーズが次のもの。

売れる準備ができているか

芸人として売れたときに、いまだかつて挑戦したことのないような新しいチャンスが増える。その段になってから挑戦するのではなく、売れる前から準備をしていれば、慌てることもない。だからこそ、売れる準備を意識したうえ日頃を過ごしている人は強いのだ。

下積みは、売れるための蓄積だけでなく、売れたあとまでの貯金をつくっておくためにあるものだと言えるかもしれない。

とはいえ、ぼくらは芸人ではないので、「売れる」という感覚はなかなか親しみを持ちにくい。そこで少し言葉を変換してみて、「売れる」を「任される」として考えると、一般化できるのではないかと思う。

「任される」はいろんな受け取り方ができる。今までやれなかった仕事を任される、先輩として後輩の指導を任される、子守りを任される、あるい、会社を任される、など、(信頼ありきで)人から人へと任すようなやり取りは日常茶飯事でないだろうか。

ここで小林賢太郎の「売れる準備」をぼくなりに転用してみると、「なにかを任されてから、そのやり方を考える」のではなく、「それを任されることを見据えたうえで、イメージトレーニングしておくこと、今まさにそれをやっている人のやり方を観察すること・盗むこと」をやっておけるとよいことになる。

センスの塊でないかぎりは、時間がかかる。例えば、会社の中で(役職として)上司になったとしても、いきなり上司になりきれるわけでない。立場が変わることによって、どのように振る舞うかどうかは変わる。言ってみれば、最初は上司見習いから始めるわけだ。そうなったときに、その見習い期間を早めるためにも、部下時代からしっかりとよい上司の振る舞いを観察しておくことはよい準備なのだろう。

つねに“当事者意識”を持って、「あの立場・状況になったら自分ならこうする」というケーススタディができている人は、今でなく未来を見ている。実は、スタートを切る前の準備で、ある程度の結果は見えちゃうのかもなぁ。目先のことばかりに捕われてしまうのではなく、ちょっと先を見据えて、虎視眈々と、せっせと準備をしていくこと、それこそ必要なんじゃあないか。

バーテンダー時代に「準備8割」と師匠にこっぴどく言われていたことが脳内に響きわたる、今日この頃です。

田舎者はどこでもいるぞ

ぼくは田舎生まれの田舎育ちなので、やっぱり田舎者なのかな? とふと考えたことがある。大学進学に合わせて沖縄から上京し、いわゆる大都会、東京砂漠に迷い混んだわけだけど、言うほどには田舎者ではなかったかもしれない。

ずっと田舎にいたもんだから、当時、本を読んだりテレビを観てたりしてると、「うわー、ほんと狭いところにいるんだな、おれ」と心のつぶやきが漏れそう日々だったのを覚えている。もっと上がいるし、もっと知らないことがあるんだ、と18そこいらの鼻っタレのぼくはそう信じてやまなかった。足掻いて足掻いて上京ができたタイプだ。

あの時は、ちょっとした東京信者だったかもしれない。あそこに行けば、すべてがある、と思い込んでたし、田舎はダサいとそっちに向かって嫌な顔をしながら暮らしていた。しかし、それは間違ってたんだよな、間違ってた。

東京に住んでみて、大学、アルバイト、社会人と人に揉まれてみて、見えてきたこと、いや、学生を始めたてのときにすぐ察してしまったけど、田舎者は東京にもたくさんいるってこと。それは地方出身者が多いとかそういうことではなく、東京生まれ東京育ちであっても同じで。

東京生まれが本当は田舎者だって

BEGINが歌う曲に『防波堤で見た景色』ってのがあって、その歌詞ではそう書かれている。確かにそうだよな、とついつい頷いてしまう。そして、いつ聴いてもしっとりいい曲だ。

じゃあ、なんで「東京のような都会にも田舎者がいるか」って話だけど、東京しか知らないのに、東京が一番と思っていたり、東京だけで日本を語ろうとしたり、国内よりもすぐに海外に目を向けようとしたり、「井の中の蛙」臭がすごい人は、田舎者なんだ。

つまり、「うわー、ほんと狭いところにいるんだな、おれ/わたし」と思える気持ちがあるかどうか。無知の知じゃないけども、知らないということをちゃんと知っている人。ぼくはそこらへん臆病なところがあるから、そういう意味で、自分は田舎者ではないかもしれない、と事実的に感じたわけで。

ってなると、田舎者はどこにでもいるわけで、田舎にも都会にも、一定数いる。未知のものをなかなか受け入れられない、そっちへ踏み出す勇気も謙虚さもない人ね。何か革新的なことをする人ってのは、きっと田舎者から脱皮している人だろう。

逆に言えば、田舎にも田舎者じゃない人はたくさんいるわけだけど、そこに当てはまる、田舎者の反対の言葉が「都会っ子」とは到底思えないし、なんかちょうどいい言葉が見つからないのは困ったな。これ考えるの宿題にしよ。そういえば「舎人ライナー」って言葉の安心感パない。

整理するの助として生きるのだ

パソコンの待受画面を眺めると、フォルダがぐっちゃぐっちゃになってたりする – イエス。Dropboxの写真が分類されることなく取り貯められている – イエス。ボイスレコーダーの中にある音源が日付で保存されたままになっている – イエス。こりゃあかんわ。

ということで、もろもろのデータを整理してみました。よく言われることかもしれないけど、「物を整理できていないのは、頭の整理もできていない」というやつにギクリときたのもあって。えっと、3年以上も前だったかに読んだ佐藤可士和さんの『超整理術』の内容が痛烈にぼくをつついてきた気がしたので。

じゃ、どうやって整理するかという話だけど、絶対にこれだ!っていうルールは無い。自分が使いやすいように、分かりやすいように整えるべし、だろう。となると、ぼくの場合、パソコンの中のデータというのは、基本は「書く」ためにあるので、記事を作成するためにちゃんと分類しておく必要がある。

書く媒体毎にフォルダを分けたり、取材毎の音源、写真とをしっかりと表記しておく。たくさん写真撮ったとしても、使うのは数枚のはずなので、厳選したものをそこだけ色分けするとか、フォルダ名にテキストを打ち込んでおくとか、いろんな工夫はできる。

そういう作業を後からまとめてやろうとすると、すんごい大変だし、大事なポイントを忘れていたりで抜かしちゃったりと、苦労するのは自分でしかないからなぁ。とほほ。情報(データ)がたくさんあり過ぎると、選び上げるのにエネルギーがいる。削ぐのって、ほんと大変だもんね。無駄な情報に労力を奪われるのはカッチョ悪いしな。

Gmailなんかも毎回フォルダ内はメール0件にするのを心がけてるのも、そういう後から見直したときの疲れを避けたいってのが一番かも。

整理するときに大切にしたいのは、「つかまえた情報を鮮度を落とさずなるべく早い段階で、すぐ使えるように最低限の下調理(編集)しておくこと」であって、それ以外の「どっかで使うかも…」というのは、結局は使われることのない腐った情報と化してしまうのかもなぁ。まあ、豆腐とかクサヤとかそういう類になるまで、寝かせるものもあるとは思うけどもさ。いつ死ぬかわからんでな。

かつてのお侍さんは、死と隣合わせで毎日を過ごしめたんだろうなーと思いを馳せつつも、現代においては、“整理するの助”として大往生しようではないか。

移住イベントは、だいたい二パターンに分かれる

ぼくの夏休みは終わらない。プライベートの自由研究としての『バケモノの子』を前に挙げたけど、ちゃんとした、いや、ちゃんとしたって言うのも変だけども、ライフワーク的な自由研究を挙げるなら「移住」や「商店街」というテーマがある。

「移住」だけについて触れると、土地から土地へ動くってエネルギーむっちゃいることだから、その人が移り住む理由が気になっちゃう。というのと、ぼく自身が同じところに留まれずにあちこち行きたくなるタイプなので、どうやったら自分が根ざせる場所が見つかるのか?という自己対話も含めて、公私ともに還元できるレベルで掘り下げていければと思っている。

振り返ると、「京都移住計画」のメンバーと知り合ったのが、そもそも「移住」という言葉を真面目に考えるきっかけだったなぁ。そこからプロジェクトに関わらせてもらったり、彼らが発信する情報を拾っては、自分なりに掘り下げ、他の地域に行ったときには移住にまつわる話を聞いてみたり、沖縄において移住における取り組みをはじめたり、いろいろな方法で「移住ってなんだろう?」と向きあってきた。

そう、そうやって考えてみると、移住イベントをやるときには、ふたつの段階(場)を意識しなきゃいけない気がしてきたぞ。

ひとつは、「そもそも移住ってなんだろう?」を考える場をつくること。ぶっちゃけると、「移住」ってとても大きくて重い言葉だと思ってしまう。そういうことに興味ない人からすれば、超無縁のような単語に聴こえるに違いない。だけど、移住について考えることは「自分の暮らし/働き方を考えること」だから、実はほとんどの人が参加できる理由がある。とぼくは思う。

ある意味、就活を考える学生だって移住イベントに参加することで、移住しなかったとしても、生き方のヒントを得るかもしれない。その場に参加する人たちのさまざまストーリーを共有してもらえば、それだけでもいい勉強になるだろうし。ということで、「移住」ってのを切口を変えてみて、その敷居を下げるような「そもそも移住ってなに?」を考える場づくりがまずひとつ。

で、ふたつめは、その次の段階とも言えて、それぞれが自分たちなりの「移住」をかみ砕いた上で、次のステップとして、移住する地域の選択肢を広げたり閉じたりするための場づくり。それは「全国各地のどっか」という幅広い選択肢から選びたい人もいるかもしれないし、「この県にする」と決めていて、そこからさらに地域を定めようとしている人だっている。

またそこに付随するように、どんな暮らしができるのか、どんな仕事があるのか、という疑問を掘り下げられるシカケも必要だ。それがより具体的になっていると、求人や住まいがありまっせ、マッチング情報を用意しておくことになったりね。もちろん、この段階でも「移住ってなに?」についての考えを揺さぶられつつではあるけど、実際に移住するための選択肢と、それを絞っていくための(相手に合わせた)基準を共有できる場の質があがればあがるほど、移住のアクションには繋がりやすい。

実は「移住した後に〇〇をしたい」というところを汲み取ると、「ただ移住したい」というのと「移住して地域を盛上げたい」というのは層が明らかに違うので、これらの属性の人たちをまとめちゃうとダメで、そこはセグメントして、移住イベントは打たないといけない。移住して地域を盛上げたい、と考えている人なんかは「地域仕掛け人市」とかが合ってるのかもね。

と、長々と書いてきたけど、再度まとめると、潜在的ニーズを掬う「移住ってなに?」と顕在的ニーズを拾う「どこに/どうやって移住できるの?」という二種類の移住イベントがあるといいのかも。その中で、参加者が自分たちでも考え、具体的なアクションに繋がるシカケをつくっていく。(あくまでこれは“移住検討者向け”の話であって、“移住受入者向け”だと各地域プレーヤーが集まってケーススタディできる「移住フェス」みたいなパターンもある)

最近の移住イベントを眺めていると、「どこに/どうやって?」の部分ばかりが協調され過ぎていて、そもそも論の大事なベースがないがしろにされているケースも見てとれる。地方創世ブームでお金も動きやすいからって、そういう雑な取り組みはホント止めてほしい。ゆっても、移住って大きな決断だからさ(そこに骨を埋めるとかそんな気負わなくても全然いいと思うけど)。

だからこそ、ちゃんと選ぶための前置きはしっかりと丁寧につくっていくこと。それは移住に携わる人なら大切にしてほしい意識だよなぁ。まあ、こうやってずけずけと書きながら、自分自身にもプレッシャーがずんずんのしかかってるくる感じが、M気質だな、と自分を再確認中でございます。

いとうせいこうの肯定する脳みそ

意見が食い違うときのコミュニケーションって難しい。初対面の人と話すときには、必ず意識することがある。それは、否定型の人間なのか、はたまた肯定型の人間なのか、という話をする相手の性質だ。そのどちらかによって、伝え方は変えてかなくちゃと思うので、その判断は慎重にしていきたい。

何を言おうが、自分の意見と違っているとすぐに否定にかかるがいて、そういう人は別に死ぬほど嫌ではないけど、聞く耳をあまり持っていないのはもったいない、とつくづく思う。何か言う度に「でもさ」と反射的Butをバシッと振りかざしてきて、自分の意見の優れている点を主張しようとする。これってバランスよくないんだよなぁ。

反対に、肯定型の人ってのは、例え自分の意見と食い違っていたとしても、まずは相手の話を呑み込むように聞き耳を立ててくれる。その上で違っている点を伝えたいなら、「うんうん、そうだよね。たださ・・・」とYesで受け止めてからのButなので、ちゃんと認めるところは認めつつ、違いを話してくれるので、会話の気持ち良さが全然違ってくる。

否定型の人は、その「一度受け止める」ためのYesを持合わせてなくて、自分の意見以外は間違ってる、という概念に囚われているから大変だよな、と思うし、そういう人と話をするときこそ、肯定の姿勢で相手の価値観に耳を傾けて、言葉を選んで、話を進めていけたらいいなぁ、とも思う。別に相手をやり込めたいとかではなく、「自分と相手でなにが違っていて、そう考えるようになった理由はなんだろう?」を知るために。

肯定型の人間ってのは、どんなことがあっても物事をおもしろがれる人だよなぁーと、人としての強さを感じる。目の前に現れる予期せぬ出来事をいったん受け止めてみることで、その対象との距離感を探りつつ、自分なりの楽しみ方を考えていく。ここで思い浮かんでくるのが「いとうせいこう」という人物像だ。

以前『ボクらの時代』という対談式のテレビ番組に、バカリズム、いとうせいこう、小林賢太郎という珍しいメンバーで出演した回があった。そのときに、趣味の話からの流れで、バカリズムがいとうせいこうの人柄をこう語っていた。

せいこうさんは、肯定する脳みそなんですよ

それを笑いも交えつつ語るエピソードとして、いとうせいこうが「野犬の霊」に憑かれたときの話が出ていた。そのせいで体調も悪くなっていって、普通であれば、憑かれたら祓ってみる、という手段をとるのだろうけど、いとうせいこうは「(霊を)飼う」という決断をした。悪霊との共生をしようと試みて、今では忠犬まで飼いならしたけど、体調はよくなったわけではない、というオチ付きの話。

受入れて、おもしろがる、の究極はここにあるよなぁ、とクスクス笑いながら、ぼくは番組を観ていた。単純にそっちのほうが、世の中が楽しくなるだろうし、否定するものがあったとしても、肯定と否定、ふたつの視点で物事を見れるわけだから、得だよね、とも思う。

すぐに否定したくなる人は、とりあえずまずは相手の言うことを聞いてみて、ツッコミポイントを見つけつつも、うんうんと飲み込み、それから自分が思うことをどう伝えるかを考えてみる。Butの前のYesを呼び込む、ほんの数秒を我慢できたら、世界はちょっとは開けて(拓けて)くるじゃないかってね。

もっとおもしろがろうよ、楽しもうよ、だって自分のところに本当に来てほしいものってなかなか来てくれないから。むしろ呼び込まなくちゃ。

“有る”時代に生まれてきた子どもたち

ぼくが育った場所は、沖縄の端っこにある離島だった。島には集落が5つあって、人口は1300人ほど、ほとんどが高齢者で、それでも当時の同級生は20人はいた。島の面積の半分以上が山と畑で、そのまわりは透明度の高く、青のグラデーションをこれでもかってくらいに見せてつけてくる海、海、海。そんな場所で、ぼくが島から出るまでに触ったパソコンは、中学校の情報かなんかの授業くらいなもんだった。

高校は那覇だった。進学校と呼ばれるようなところだったけど、ただやはりここでも情報うんぬんの授業でパソコンは触れる程度で、その頃は、ほとんどの近い学生がケータイは持っていたけど、ガラケーだった。家にパソコンがあって、当たり前のようにネットに繋げるような家庭環境になかったぼくがインターネットというのを日常的に使える段になるまでは、まだ時間がかかった。

大学から上京した。いや、その前にあった大学受験の話をしておこうかな。英文読解のテーマが「Wikipedia」だったのを覚えている。よくパソコンをいじっているような学生からすれば(同じく受験していたぼくの友達はそうだった)、身近な内容だったのだろうけど、ぼくからすればトンチンカンな言葉が並んでいて、イメージなど到底できない内容であって、目に見えないようなヒエラルキーを大学受験で感じた経験だったのをよく覚えている。

そのこともあってか、まんまと不合格となったぼくは、懲りずに後期もその大学を受け、どうにか入学できることになった。あれは意地だったな。ほんとに。話を戻すと、入学後は、大学図書館に行き、興味持ったものをひたすらパソコンを使って調べるというのが毎日のように続いた。こんな便利なものがあったのか、と乾ききったスポンジがぎゅいぎゅいと水を吸うかのように、調べまくった。本なんててんで読まずに……。

スマホが出てきたのは、ぼくが大学3回生くらいのときだったか。いやちょうどiPhoneがどこのキャリアから出るんだ?という時期が過ぎたばかりで、それがSoftBankになったもんだからdocomoユーザーのぼくはえらくガッカリして、だけどちょっと待っていたら「Xperia」が出るぞとなって、国内初のiPhone以外のスマホにぼくはすぐに飛びついた。今考えると、びっくりするほどモッサリとした画面で、タッチ反応も遅かったけど、当時からすれば、あれはほとんど神器だった。

いつでもどこでもインターネットを持ち運べる、調べたいことを調べられる。元々、超田舎で育った、超アナログだったぼくが、その環境を得るというのは、まさに人類の進化の過程をたどるかのようで、やっと現代人らしくなれた瞬間ではなかったか、と大袈裟かもしれないけど、そう思うのだ。ちょっと前に遡ると、ずっと紙の辞書を使って英単語調べていたのが、電子辞書を使いはじめ、驚愕したような体験があったけど、それのもっともっと上を行くような衝撃、とでも言っておこうか。

こんだけ自分の過去を並べてみて、何が言いたいのかというと、ぼくは27年という短い人生の中で、インターネット環境が“無い”ときから“有る”時代を体感してきた。ぼくの上の世代もきっとそうだろうし、それがぼくのようなあまり裕福でない家だったり、田舎出身だとすれば余計だろうな、とも思う。だからこそ、その“有る”ありがたみは沁みるように感じてる。

だけど、デジタルネイティブという言葉あるように、生まれてきて自我が芽生えてきた頃には、既に“有る”環境に放り投げられた子どもは、“無い”ことを知らないし、それを知るための機会すら得にくいだろう。彼らにとっては、不足があって得たツールではなく、それが不足もないままに当然のようにあるツールなのだ。その構造によって奪われている想像力はどれだけあるだろう?

今の子どもたちも成長し、いずれは、アナログ時代を知っているぼくら以上の世代とも一緒に仕事をすることになるだろう。そのときに、“無かった”世代への想像力が働きにくいのはもったいない。「分からないなら、調べればいいじゃん」という今風の発想とは別に、「まずは自分で体験してみろ」という非効率にも聴こえるが実は的を得ているような発想を、妙に賢くなってしまった頭では、すぐに、素直には受け取れないだろうから。

「便利に時代に生まれたよね」とある人は言うかもしれないけど、もしかしたら、今の子どもたちは、昔の子どもたちよりもずっと不幸なのかもしれない。それは文明利器に頼りすぎて、思考力や生命力が低下してきた人間の最たるは現代人だろうし、その最たるは時代が過ぎていくとともに更新され続けるに違いない。現代人は、原始人よりも、ずっとずっと弱い生き物だよな、とふと感じてしまう瞬間すらある。

“無い”時代を経験してきたぼくらが、“有る“時代に生まれてきた子どもたちにできることは、きっと“不足”を与える機会をつくること。押しつけるかたちでなく、一緒に楽しむようなかたちで。“無い”なら無いなりにできるやり方を考える、その過程と実践を楽しむことはできるはずだ。チャッカマンを忘れたキャンプでも、きっと生き残る術も楽しむ術も残っている。

不足が足りない今だからこそ、不足への意識を持って、大人は責任を持って子どもと接していかなければとならない。そして、ぼくが思うのは、インターネットとは違ったぼくの知らない不足を、上の世代から聞き、体験できることは体験し、次の世代へと繋げていくこと。“足りない”概念こそ、人を逞しくするものだと信じて。

東西のファシリテーションの違い(水上学舎を終えてみて)

いま、ぼくは「商店街」に熱狂していて、これをテーマにしたメディアづくりと場づくりを進めている。場づくりでいうと、那覇・牧志公設市場のある商店街のなかで、「水上家」というスペースを運営している。なぜこの名前なのかというと、ガープ川の上に建った「水上店舗」に入っていて、家のようにだれでも来れて、県内外のどんな人もくつろげる場所にしたいとの想いからだった。

そんな場所で、定期的に「水上学舎」というイベントをやっている。商店街のなかに学び舎を、子どもから大人まで、学び続けたい人、新しく始めたいなにかを持つ人が集まる場所をつくりたいとはじめた取り組み。カフェやしまくとぅば、エネルギーに写真をテーマに、これまでに9授業を行ってきた。

最近やったばかりの授業が「ファシグラ(ファシリテーション・グラフィック)」をテーマにしたもの。京都からはるばるハルくんに来てもらって、ファシグラの実演、座学、実践を3時間に込めて「情報整理」のコツを参加者のみんなで共有しましょう、という趣旨のもと今回は進めてみた。その会の前後も含めて感じたことを取りまとめておくことにする。

 

ハルくんと一緒に打合せをしていたときに、思わず聞いてしまったのは「どの地域がファシグラ盛り上がってるの?」という質問。関東と関西はやはりその地域に当てはまるのだけど、驚いたのが「新潟」という単語も聞こえたこと。学校教育のなかにファシグラを取り入れていれようとしてるのってのは楽しそうだな、と単純に思った。

少しツッコんで、元々違和感に思っていたことをハル君に再び訊ねてみる。「関東と関西のファシリテーションの色って違う気がするんだけど、どう思う?」ぼくは、ざっくりと言葉を選ばずに言えば、強者に重きをおいたファシリテーションをするのが東、弱者に重きをおいたファシリテーションをするのが西、という印象を持っていた。そのあたりについての確認の意味を込めての質問だった。

これまた簡単に省略させてもらうけども、ハルくんは「西、というか京都のほうが、掬い上げるような場づくりをする傾向がある」と答えてくれた。感度が高くて何かを自ら進んでやっていくタイプは積極的に場に参加してくれるからいいのだけど、そうでない、ある種、すぐにそういったギラギラタイプについていけないような人が居心地よく、そして、参加しやすい場をつくっていくのが京都式なんだ、とぼくの頭では納得したし、勝手に確信を得た気持ちになった。

だから余計に、ぼくみたいな弱者、ポンコツのような人間は、京都の場に参加すると心地よいのだと思うし、そういった体験があるからこそ、動きたいけど動けていない人たちへよく目がいくみたい。バーテンダーとしてカウンターを立っていたとき、飲み慣れて楽しそうに過ごしている人よりも、初めてかのように、ぽつんと一人でそわそわとグラスを手にとる人のほうが気になっていたのはそれだった。きっとそうだ。

沖縄における場づくり、そして、ファシリテーションのあり方は、きっと京都から学びを得たほうがいい気がするし、相性がよいとぼくは思う。なぜなら、いろいろな理由で抑圧され、自己肯定感の少ない人が多いように感じるから、(ぼくも含めて)その人たちを掬い上げる、というか、(言葉はおかしいけども)一緒に掬い上がっていくような場が必要だからだ。

 

まあ、そんなことを事前に感じながら、開催したファシグラの授業だったんだけど、うれしかったことは、「ファシグラ」という言葉を知らずに場に参加してくれた人が大半であったこと。未知との遭遇ではないけど、未知ってこわいものにも関わらず、思い切ってこの場に参加してくれた人たちには、本当にありがたいなぁ、と思ったし、運営側としては驚くばかりだった。

ハルくんが授業を進めていくと、これまた勉強になったのが、その会の進め方だ。アイスブレイクから、参加者が手を動かしてアウトプットするときのテーマの設定の仕方、話題の振り方が絶妙だなぁ、とただただ進行に関心させられた。沖縄全体的に言うと、偉い人が一方的に話して、インプットだけで終える形になりがちだから、インプットとアウトプットが交差し、ゲストと参加者が双方向にやり取りできる安心・安全の場づくりはさすがだったなぁ、と。

ファシグラの技術的な話をしてくれたときに、「ペンの持ち方」から教えてくれたんだけど、そこからこだわるのか!とその説明が入らないと気付きにくいけど実は大切なことが、ハルくんの口からポンポンと出てきてなるほどの連続で楽しかった。

会の最後に、参加者みんなから感想をもったんだけど、「字に個性が滲み出るかんじがいいですよね」と言ってくれた人がいて、その“お手製”感そのものが、場をあたたかくするなぁ、と共感させてもらったよ。

 

人と人、人ともの、人と場所、いろんな繋がりがあるけど、その関係性を整理して、ちゃんと可視化することによって、その場の議論をよりよい方向に持っていくためのファシグラ。

ライターとしても情報整理の仕方は似ているなぁ、とも思ったのと、どっかのイベントレポートを書くときに、ファシグラもやりつつ、その場で描きあげた成果物を使って記事を書くような“ファシグラ的ライター”がいてもいいのかもしれない、これは重宝されるぞ、と一瞬思ったので、少しずつファシグラについて学び、実践する場をつくっていこうと熱く思った。水上学舎のファシグラ部ができる予感……。

(や、このエントリ、実は1000字以内でまとめようと思ったのに、その倍以上も書いてしまい、本当にファシグラから情報整理のコツを学んだのかおまえは、というツッコミがありそうなのだけど、そこはソッと伏せておいてください、ね)

 

熱狂するものはあるか?

1988年生まれは、ゆとり世代と言われてて、諸先輩方は「考えてることが、よくわからない」と感じる人も多いかもしれない。そんな年に生まれたぼくでもさらに「よくわからない」があって、それは、今のU–25の世代に対してだ。大きく括っちゃえば、平成生まれにあたる彼ら。現役学生さんとよく話をさせてもらう機会があるんだけど、彼らのなかに「熱狂」を感じることが少ない。それは大きな疑問なのだ。

熱狂するのはなんでもいい。スポーツでも音楽でもマンガでも、バイトでもフィギュア集めでも、DIYでも山登りでも、ファッションでも寺巡りでも、研究でもインターンでも、描くことでも書くことでも、だれかと飲むことであっても、YouTubeを徘徊しまくっていたって、ブログであってもいいし、〇〇の追っかけ(ファン)だとか、もはやAV観賞でもいいし、単純に彼氏彼女にお熱すぎてもいい。

そういう一辺倒になれる対象がある下の世代と会う機会がなかなかないな、というのが言いたいことで、言い方をちょっと変えると、“中途半端”な人が多いよなーさえ感じてしまう。彼らと「これ好きなんです」「これ興味あるんですよ」という話になったときに、話を掘り下げてきこうとすると、スコップがすぐにカキンと底をついてしまう。

おそらく、その「好き」とか「興味」がもはやファッション的な感覚なのかもしれない。そう言っておくとウケがよい、という世間体を気にする視点が根底にある。だから、それに対して造詣を深めようともしないし、しようとしても結局は、周りへの承認欲求がはじまりというか。そして、だれかが教えてくれる、という条件がなければ、学ぶ姿勢も薄い、そんな気がしてならない。

だれの目も気にせずに、だれに言われなくても、反応もらえようがもらえまいが、勝手にやっていくし、どんどんどんどん掘り下げていけるもの。それが「熱狂」とぼくは思っている。そういった、オタク気質がない。だれのためでもなく、自分のために没頭できるようなものを持つ、「我」がほとばしってくるような人が減ってきたのだろうか。

TV番組『アウトデラックス』を見ていると、ああ、こういう人が熱狂のある人だよな、と笑いながら感じるんだけど、そんな人が身近な世代に少ない事実には、ちょっと寂しくなったりもする。アウトデラックスに出演する人たちは、とびきりの偏愛を持っている。もう熱狂というか「狂気」とも言えるほどに。それがいいのだ。

最近の2ヶ月間、「アパートメント」というウェブマガジンで、加藤志異さんの書くコラムのレビューを担当させてもらった。彼は「妖怪になるのが夢」というぶっとんだ発想を持っているのだけど、その「妖怪」への熱狂ぶりがとてつもなくおもしろい。ぼくも妖怪が好きということはあるのだけど、それをさっ引いても、おもしろい。もう、くだらない、と通り越してしまったような、突抜け感がある。

 

もう一度、ずけずけと言っておく。どんな熱狂を持ったっていいのだ。他の人の関心と重なるような熱狂でなくてもいい。そんなことを気にしてるようじゃ、そもそも自分に嘘をついている。熱狂する「対象」ではなくて、熱狂している「その姿そのもの」が人を奮いたたせ、あ、おもしろいな、と思わせてくれるし、感動が生まれるエネルギーはそこに眠っている。

ー 熱狂するものはあるか?

どんなものでもいい。おそろしいほどに狂気を感じるような人たちに触れてみたい、話してみたい、一緒にやってみたい、そんな気持ちで、平成生まれの、これからの新しい世代の子たちが熱を帯びまくる雰囲気が日常に醸されれば、世の中はもっとおもしろくなる。ついつい、そう思ってしまうし、そうあることを願ってもしまう。

狂え、尖れ、貫け、の時代だ。

かわいい子が多い都道府県はどこなのか

タイトルからして、アホなことを書くような気がしてしまうのだけど、真面目に考えてみたいことなんですよ、これ。「秋田美人」はよく耳にするわりかし響きのよい四字熟語で、たしか佐々木希は秋田出身だったから、それそうやな、と反射的には頷いてしまう。

けども、あくまで話をしたいのは、そういったかわいい子がどれだけいるのか、その人口比率的なものがとても気になるのだ。統計的なものを調べるつもりもないし(そもそもそんなの調べられるのか?って感じだし)、自分自身の数少ない現地体験と、憶測を持って話を進めてみることにしよう。そうしよう。

秋田は行ったことないからわからないけど、これまで会ってきた秋田出身の女性は、みんなかわいかったという印象がある(もしかしたら、忘れてるだけかもしれなけど)。ただなんとなく、この県が一番だとは思ってないので、他の都道府県の可能性を探ってみたい。

昔からそうだし、最近の移住の流れを追っていてもよく聞くのが、福岡はかわいい子が多い、という話。これは実際に博多・天神に足を運んでみると、確かにそうかも、と思ってしまう。ただそこについては、若干のからくりがあるようで、やっぱり、九州全域のかわいい子たちが身近なところで目指す都会が福岡だからだそうだ。

いや、東京も都会ではあるんだけど、その何人中何人みたいな%で考えると、東京よりも福岡に軍配はあがる気はする。横浜や名古屋、大阪、京都もそうかもしれないけど、都会的な場所は「あくまでかわいい子が集まりやすい」という前提があるのを見逃しちゃいけないということか。

つまり、単純に、福岡の人にかわいい子が多い、という話ではなく、福岡にはかわいい子が集まっている、というほうが正しい気がする。そうなると、「九州のどこからかわいい子はやってくるのか?」という源流を辿らなければならない。

熊本に行ってみた。上通・下通のような賑わいのある、地元の人から「街」と呼ばれるような場所にいくと、かわいいのレベルに驚かされたのを覚えている。そうか、鮭はここで生まれるのか、と思ったほどだ。夜のお店なんかは熊本は全国的にも人気なのだと他の意見も聞いた。ただここで天邪鬼なぼくは、ほんとにそうか?、と猜疑心を抱いてしまった。

たしかに、目の前を歩く女性たちを眺めると、かわいい子ばかり。自分の目が嘘をつくわけがない。ただ気になったことは、熊本人にとって遊びに繰りだす場所がその「街」だけだとしたら、集中度が高いだけで、県全体でみたときの様子が分からないのではないか、ということ。そういった「かわいい子が集まりやすい場所が、都道府県内に何ヶ所あるか」という視点を持つと、東京なんてたくさんあり過ぎて、判定が難しいぞ、とほとほと困り果てる。

ちょっと路頭に迷い始めたので、現時点でのまとめをすると、いろいろと割愛するけど、長崎と岐阜がかわいい子が多いのではないかと思う。長崎は佐世保に行ったときに、岐阜は飛騨高山に行ったときに、そう感じた。佐世保も飛騨高山エリアもそれほどの都心部とは言えない場所、かつ、いうほど「街」感がないにも関わらずに、その印象があったので、そうなのかもなぁ、と。

もちろん地元の人にとっての「街」の感覚は違うだろうから、間違ってるよ、というのであればむしろ教えてもらいたいくらいで、長崎と岐阜という話も、あくまで“暫定”でしかないとも思っている。「かわいい」の定義によって個人差がズレるから、世間一般的に「かわいい子が多い都道府県」を決めるのもぶっちゃけ難しいだろうし、自分なりのNo.1を探すのはこりゃ苦労するなぁ。

まだまだ足を踏み入れていない都道府県はあるので、そういった観点での楽しみにしつつ、巡れるだけ巡って、仮説を検証していこう。そうしよう。とはいえ、かわいい、というのが重要なのではなく、そんな固執してもどうせ廃れてしまうようなものよりも、変わらずに魅了を磨き続けられるものを、女性のなかにも、地域のなかにも見つけられたいいなとは思うんです(必死に守りに入ろうとして、恥ずかしいことをいってしまってるな、と感じてはいるんです)。

ぼくが「試住」をはじめたわけ

明日まで、宮古島(沖縄)にいます。というのを今更書いておこうかと思う。9月4日からの約3週間を宮古島に滞在している。初めての宮古島だ。なんでここに来たのか?というと、観光のかの字もなくて、ただいつもの仕事を場所を変えてやるため、もっというと、宮古島でくらす感覚を知りたかったのがある。

以前にも触れたように「地域」「移住」なんてのは、ぼくの領域にある言葉で、そのふたつが重なるところに「試住」という単語がある。英訳したトライアルステイのほうが意味は通りやすいかな。移住のお試し期間としての「試住」を自分の体験として積み重ねることを、最近「〇〇試住計画」というプロジェクトとして取り組み始めた。

ということで、宮古島に今いるわけなんですよ。ただ「なぜ試住をやるのか?」という話に触れてなかったので、(ひとつの理由として)7月にしばらくお世話になった長崎の話をまとめておこう。

27歳になった次の日から、長崎の平戸島ってところにいたんだけど、それはぼくの生まれがここって聞いてたこともあり、ルーツ巡りで足を運んでいた。そしたら何の縁なのか、たまたま漁師のおっちゃんに拾ってもらって、そのご家族にお世話になることに。

で、その一緒に過ごした時間というか、生活っぷりってのが、個人的には印象的だったんですよ。朝3時くらいから仕事して、違ったタイプの漁で2回くらい海に出て、お昼頃には切り上げる。午後は、ちょっと昼寝してから、事務関連の仕事したり、休んだり、遊んだりっていうあんばい。夕食は、5時半くらいには食べてしまう。

だから、夜はむちゃくちゃ長い。都内にいると、まあ18時くらいってまだまだこれからって時間で、街は明るくて、なんか落ち着かないけど、平戸島ではほんとしーんと静かで、ゆるやかな気持ちになる。(付き合いで飲んだり、結局その後、個人的に仕事はあるんだけど)。こういう1日のあり方が違う、ってのは頭の中だけにあるよりは、ちゃんと体験してみたほうがいい。どっちが絶対いいということはないけれど、自分にフィットするくらしの循環を考えることができるから。

「試住」と「定住」の間に「移住」があって、新しく移り住み、そこに根を張ってくらしをつくるにもやっぱり段階は必要だ。ということで、「試住」はもっとできたらいいし、ぼく自身、実際に試住してみて、その地域のレポートができればと思う。それによって、ぼく自身が移住するというよりは、その地域に移住するのがマッチしそうな人をつなげていきたい。自分のできることとして。

ひとつの場所にいても、ちょっとするとどっかに行きたくなる性格(地域の行き来の公私ともにバランスをとるタイプ)との相性も良さげで、移住という概念に関われるとも思うので。そうやってつなげることのできる地域を広げていきたい。実は、長崎の前後で、熊本-宇城と、岐阜-奥飛騨にも行ってきた。

来年3月までには、後2、3ヶ所お邪魔させてもらえればと思うので、そのための情報発信の体制も整えなくちゃなぁ。もっと地域毎の特色も(それによって、地域への入り方も変わってくるので)勉強しなくちゃだし。なので、試住とかトライアルステイ関連の情報があったら、教えてもらえるとうれしいな。もちろん、地域から直接声をかけてもらえるが一番ありがたいのだけど(欲張り)。

もの書きが『バケモノの子』から学べること

7月11日に公開された映画『バケモノの子』を、その3日後の7月14日に観た。その日であったことには、たいした意味はない。九州滞在中で、仕事が一段落して、移動までの時間を埋めたいなぁと思っていたら、映画館が近くにあったので、前々から気になっていた作品を観ることにした。 劇場での観賞中にもグッときたし、その後もしばらくまとわりつくような言葉があったので、それについてメモしておく。

なりきる。なったつもりで

そんな、やさしい女性の声が作品中に響いた。バケモノの熊鉄の弟子になった九太が、強くなる方法がわからずに苦心しているときに得たこの言葉。ぼくは文章を書く仕事をさせてもらっているのだけど、そこに通じるような考え方だなと、釣り針に掛かった魚のように、その言葉に強く引っ張られた。

 

「なるきる。なったつもりで」を、ぼくは、「真似することから学ぶことが始まる」という意味で捉えることにしたんだけど、もの書きにとって、この行為はとても大切なこと。文章がうまくなりたいなら、やはり文章がうまい人の真似をするとよい。じゃあ実際に何をするかというと、「書き写し」をやってみる。一字一句真似てみて、その文章を手書きかタイピングで白紙を埋めていくのだ。

小説やエッセイなどでは、作者ごとの表現方法を見つけられるし、そこで自分の書き癖も見えてくる。メディアの記事であれば、文章構成なども意味のかたまりを持って、分析することもできるから、やってみて損はない。

「なぜ書き写すのか?」という理由を考えるよりも前にまずは、やってみる。そして、やりながら、なぜこんな文章になっているのか、作者の気持ちと技術を追いながら、自分で意味を見いだすことがここでは重要かもしれない。

 

本や記事を読んでて偶然にも気になったフレーズを見つけたとき、思いがけず時間ができたとき、というサイクルではあるけど、ぼくは書写をするように心がけているのは、やっぱりそれも、先輩のもの書きがそうしていることを知ったからだった。

とはいえ、バーテンダー時代を振り返ってみると、業界的にはやはり職人気質の人たちが集まるところだったので、「見て盗め」という学び方を学べた経験を、文章に活かせばという発想とも言える。

バーテンダー見習いは、師匠が動きやすくなるように、カクテル作りをアシストする。お酒のオーダーが入った瞬間から、師匠が何をしようとしているのか、そのためには、どんなボトルやグラスが必要で、どのタイミングで氷を用意をすればいいのか、などを憶測しながら、見習いは手早く準備していく。

そのとき、ちょっとやそっとじゃ捌ききれないほどの注文が入る状況がある。となると、師匠になりきり、なったつもりで動かないと、どんぴしゃのタイミングを生むのは難しく、師匠とのシンクロも起こりえない。見習いはそういう経験を糧にしながら、師匠に近づいていく。

 

また、ぼくはお笑いが狂おしいほどに好きなのだけど、芸人も人によっては、他の芸人のネタを書起こしてみて、どこで笑いが起きるポイントなのかを研究する人もいるという。どんなジャンルであっても、「なりきる。なったつもりで」論は有効なんだろう。

当事者として、もの書きに必要な考え方だなぁーというのがひとつと、なにか学び始めたいことがある人は、同じ手法をとってみればいい。と思う。逆に言えば、「誰も教えてくれないから学べない」というのは多少の甘えがあって、なりたい像があるなら、まずは真似てみろ。とも思う。

 

そんなことを考えた『バケモノの子』だった。作品を通して感じたことはそれだけに留まらず、いろいろと彷彿とさせてくれる印象的な作品だった。実は、映画を観た後には文庫本も読んでみたけど、これがまた映像とテキストの違いを感じておもしろかったのだ。

ぼくの「なりきる」対象でもあるオバケの松倉さんが「同じ映画を3回くらい観るといい」と言っていたが、今まさにそれを実験している最中でもあり、ある意味、夏休みの自由研究として、細田守のものづくりを学ぶつもりでいる。残り2回、とりあえず後1回は劇場に足を運ぼう。よければ、みなさんもぜひ。

 

「前置き」をすっとばす大人にだけはなりたくない

街を歩いていると、ひっきりなしに見える広告の看板。東京・新宿で働いていたときなんかは、広告だらけで、あの光景はいつ振り返ってみても、あの異常なまでの量には笑えてくる。さらに広告のキャッチコピーを見ていると、短く伝える、って大事だよぁーと思い知らさせる。

ただその「短く伝える」とは反対に、「長く伝える」という話に触れてみようかと思う。伝えたいことから逸れている内容をだらだらと時間をかけるのは、最初から除外して、ちゃんと伝えたいから、長く伝えるという行為について、さらには、話を長くできちゃう「前置き」について整理してみたい。

 

話の前置きが長くなっちゃう人っているんですよね(それぼくなんですけど汗)。本題に入る前の話、落語で言えら「枕」に当たるようなところ。本題じゃないんだから、そんなの早よ済ませよ、と思う人は結構いるかもしれない。でも、これこそ力を入れて大切にしたいこと。

例えばだけど、「いいデザインってなんだろうね?」という話になったとき、本題としては「いい」デザインについて話を進めたいのだけど、その前提として「デザインとは?」という共有意識がその場の全員にないと、議論は進みにくい。

もっと言うと、「そもそも、なぜ、いいデザインについて話をする必要があるのか?」という場の発生理由について押さえなければいけない。その文脈をしっかりと把握してもらうことで、その場のルールを理解してもらって、説明もないまま闇雲に「それ違うよ」という否定的な言葉を減らすことができる。

日差しを浴びさせ、とことん乾燥させて、スポンジをカラっからにしてみて、水の吸水率をグッと上げるためのプロセスが、この「前置き」にはあると思っていて、ここを怠っていると、小さなストレスに敏感な人は、当然のように不快になってしまう。そういった人たちの反応を見逃さずに、さらに敏感でありたい。

 

話をちょっと飛躍させると、「人についての前置き」も可能な限りは丁寧に行っていきたい。人についての前置きというは、目の前にいる人がどんな人物なのかを知るための情報のこと。どんな場所で生まれ育ち、どんな環境で学び、どんな人と付き合ってきて、どんな仕事をしてきて、どんな性格なのか、という前提に敬意と注意を払いたい。

その人の行動や発言というのは、必ずといっていいほどに、過去の経験に引きずられている。だからこそ、その人のその場の姿・言動だけでなはく、背景を掴んでおきたい。その彼/彼女の真の意図まで辿りつくには、その人の「前置き」部分を大切にしたいよね、というのと、それによって、いい時間が過ごしやすくなるよなーと。

 

ここまで話した「前置き」のショートVer.として、「クッション言葉」があるとも感じている。例えば、相手が知らなさそうな記事を紹介したいときに、「これ読んでみてくださいね」という言うよりも、「もしかしたらもう知ってるかもしれませんが、これ読んでみてくださいね」と言えるほうが、言葉自体に丸みがでるし、すでに知っていた場合の予防線にもなり、相手への思慮深さを読み取れる。

サービス業に従事している人とか、よい編集者というのは、しゃべるにしろ、文字にするにしろ、このクッション言葉の使い方が巧いよなー、といつもやり取りのなかで思い知らされるのよね。本題はわかった上で、その前後の脈絡にまで目が届く人は、相手のための言葉の装飾が鮮やかで、一緒になにかをやっていても心地よく、ワッと明るい気分で取り組むことができる。

 

ということで、短く伝えることも大事だけど、あえて長く伝えることも大事なのだ。その「前置き」をおたがいに確認できるような関係性とか場があると、それは本当にすてきなことだと思う。伝えたい相手がいたときの、相手(複数の可能性もある)への想像力はちゃんと持っていたいね。どんなときも。

このように、ぼくが間置きが長くなったときの言い訳をまとめておきました。

 

バランスのいい人がいい

世間の騒がしさを見ていたり、地域の動きについて観察をしていると、なんだか寂しい気持ちになるときがある。それは、偏った意見ばかりが主張されてて、たがいに衝突を繰り返してばっかりで、バランスのいい人ってほんと少ないよな、という現状に出くわすからだ。

バランスがいい、とはどういうことか。例えば、ある問題についてAとBという意見(考え方、領域)があるとしよう。そのとき、Aだけとか、Bだけのような一つの意見に縛られて、その主張しかしない人は、バランスがいいとは思いにくい。Aの考え方は〇〇の理由で分かるし、Bの考え方も△△の理由も分かる、というように、どちらにも歩み寄れて、“視点を切り替えるスイッチを持っている”人が、バランスのいい人。

だからこそ、AとBの真ん中になって、調和させるかのように、つなぐ役目を買えるのもこういった類の人になる。大事なことは、ただ真ん中にいれば良いわけでなくて、いったんAにも限りなくグググと寄れて、同じようにBにもいけること。その上で、真ん中がどこなんだろう?と探りながら、2つの間の架け橋になれること。AとBを越境でき、共通項を抱えることのできる“間的存在”になれる人こそ、バランスのいい人。

少しだけ、地域おこし的な話をすると、その地域を賑わせていくためには、やっぱり人の力が必要で、バランスのいい人材が求められる。根本的には、都会(A)と田舎(B)の感覚を持ち合わせているバランス性はあるに越したことはない。

また、地域の情報発信だったり、新たなことに挑戦するときには、あくまで地域にあるアナログな素材が大切とはいえ、Webなどのテクノロジーを道具として使いこなせることは、ますます求められる。その上で、地域づくり(A)とテクノロジー(B)に対する見識を両方持っていると、バランスのよさを感じる。地元の人はその部分が欠けてることが多いからこそ、テクノロジーを伝播するための架け橋になれる。

ちょっと他の領域にも触れておくと、「農業(A)とIT(B)」とか、編集における「紙(A)とウェブ(B)」とか、基地問題における「県内(A)と県外(B)の声」など、さまざまな場面において、越境できる人の存在は求められているように思える。そして、これから、どんどんその存在価値は高まっていくと、ぼくは思う。

今まで橋渡しされることなく、混ざり合うことのなかったふたつが、おたがいの領域を行き来できるようになる。これって、とてつもないクリエイティブだ。驚くアイデアがひょっこり顔を出す瞬間はこれ。そうやって新しい価値を生まれるには、そういった“間”に入って、つなげるバランスのいい人が必要不可欠だろうな。

だから、(みんながみんなバランスがいい必要はなくて、尖った人もいてしかりだとは思うけども)、世代、職業、国、地域、地位、性、に囚われることなく、その間を行き来できるバランスのいい人をもっと増やせる教育的な仕組みって必要なんじゃないかな。そもそも、それをつくれる人は、超絶にバランスいい人ではなかろうか。

まあ、なんでこんなことを書き留めたかと言うと、バランスのいい人っていいなぁ、とぼくは思うし、そういう人が好きだし、そういう人と一緒にものづくりをしていきたい、という単純な気持ちだけだったんだけど、自分なりの「バランスのいい」を文字化できて一先ずOKということにしておこう。一生、バランス主義でゆきたいところです。

だれにとっての「新しい」なのか?

時代の流れのなかで、「地方創世」と大きな言葉が持ち上げられ、一極集中型の東京からの解放されたいと願う人が増えてきたように思う。都会で仕事に消費され、忙殺され、自分の思いのままのくらしが実現できていない人たちは、ライフスタイルや働き方をより見つめるようになった。その中でよく耳にするようになったのは「新しい働き方」。

「TokyoWorkDesignWeek」というイベントが近年出てきたのもその流れあってだろうし、「働き方」に関する書籍も頻繁に目にするようになった。が、そういう話題になったときに、疑問に思うことがぼくにはある。よく「新しい働き方」という言葉を口にする人が増えたのだけど、それって、一体だれにとっての「新しい」なのだろうか?

まず「今までなかったのだから、新しいから、良いやり方に違いない」という先入観がきてしまっていて、その言葉に感化されまくっている人たちを見たときに、少しばかり胸焼けがしちゃう。そしてこれが肝心なことだけど、「新しい働き方」とされるものは、実は昔からあるじゃん、というものもあったりする。

例えば、副業ではなく「複業」として考える「パラレルキャリア」という概念も、とうの昔から「百姓」という人たちが形にしてきたこと。農家のイメージがあるかもしれないけど、彼らは農業だけでなく、家をつくったり、物を売ったり、と現代で言うさまざまな職業を同時にこなしていたそうだ。百の性を持つから、百姓なわけで、パラレルキャリアの根っことも言えるのでないだろうか。

というのもあって、系譜を辿れば「新しい」とされるものが新しくはなかった、と考えると、言葉に対して疑り深くなってしまう。もちろん、リネームされることで認知が広がることは大事だし、それによって選択肢が増えることはいいことに違いないだろうけど。

つくづく思うのは、「そのやり方/考え方が自分にとって新しいかどうか、そして、自分が進もうとする道のために必要なものか」を意識しながら、「新しい」と名の付いたものを咀嚼するクセがないと、その言葉にいちいち反応して、むやみやたらに踊らされ続けるのじゃないかということ。心の隙につけいってくる人もわんさかいるわけだしね。

世の中にとって新しいことなのか、自分にとって新しいことなのか、混同しないように、注意して観察してみる。「新しい」と表現される言葉に出会ったら、一歩引いてみて、ちょっと疑ってみて、自分と言葉の関係性を探るくらいがいいのかよいのかもしれない。どうでもいいことですが、今、ぼくが欲しいのは作業専門の「新しい」パソコンで、ChromeBookを検討中でございます。

地域おこし協力隊になって、自分探しをしようとする若者の風潮について

ブームというか、ファッション性というのはこわいもんだ。そのレベルまで認知が上がると、“消費されるもの”になってしまうから。「地域おこし」もその領域にすでに入ってしまったように思えてしかたない。軽々しくその言葉が用いられ、すぐに手が届く存在ように扱われている気がする。

現在は京都を拠点に置きつつ(そのうち福岡になるそう)、日本各地を遊牧するように働く、「メガネと、」のタカハシタカシさんがSNSで次のような投稿をしていた。

(前略)その地域おこし協力隊という枠が特に若者の自分探しに使われているということ。直感でその地域に何かを受け取りソコに働き掛ける事は良いことだけど、本当にその直感が正しいのか何度も通って判断してから動いて欲しい。

自分の出来ることを試したいなんていうのも、それが上手く展開出来れば立派なものだけど、体力が無くなった地域で何かを起こそうなんて大抵は上手くいかないことが多いわけで。

本当にその地域のために何かをしたいのであれば、綿密に何が出来るかを調べてから行って欲しい。何処かの地域の成功事例を持ち込んでうまくいくんだったら、経済が良くなったり人口増えてるんだろうけど残念ながら自然動態を除いて社会動態だけでも増になってる所は殆どない。

ビジョンが漠然だったり実現性が危うい風呂敷を広げられる程、その場から去れない人々にとっては迷惑だったりする。

ハッとしたのは、「地域おこし協力隊という枠が特に若者の自分探しに使われている」というフレーズ。この点には、ぼくにも思い当たる出来事があった。

以前、地域系の動きについて書いていたぼくのブログ記事を見つけて、連絡のやり取りをし、会った若者がいた。その男性は大学卒業したての社会人1年目で、当時まだ5月頃だったから、入社して1ヶ月ちょっとで勤めている会社での業務に違和感があったそうだ。だから、すでに辞めることを考えていて、地域おこし協力隊としての参加を希望しているとのこと。

彼と話をしていると、「自分ができることは、今勤めている場所にはないけど、地域おこし先にはきっとある」というような、仕事に対するモヤモヤを地域おこしという大義名分にすり替えている気がしてしまった。自分の価値と可能性を試したいだけなら、「地域」に限らなくてもできるのに。それは、さっきタカハシさんが上げていた「自分探し」という単語にピシャリと重なって腹オチした。

 

話をその彼に戻すと、ムムムッと感じることがあった。よーく話を聞いていると、彼にとって縁もゆかりもなさそうな地域(県)に行こうとしていて、しかも一度も行ったことない地域に行こうとしている。「地域の素材をある程度わかった上で言ったほうがいい」「応募する前に、まずは足を運んで、そこの人に会ったほうがいい」などを話をして、確かにそうですね、という反応をもらえたのは幸いだった。

自分が実際に足を運んだこともない地域に、仕事があるからといって、勢いだけで飛び込むのはいかがなものか。ぼくはいつもそれを思う。そこにいる人の顔がある程度見えるようになること、そして、自分自身が関心興味を持てる地域資源があって、その活用方法も何もないままに、いきなり地域おこし協力隊として参加すると、大変だよきっと。

仕事の面だけではなく、くらしの面をどれだけ想像できるかというも大事。地域おこし協力隊でいくような場所は、たいていが狭いので、ある意味、その地域の人みんなが家族のような関係性だったりする。相性はそれなりにあるだろうから、その人たちと一緒にくらしていけるのか、何を大切にくらしているのか、を事前に知ることは下調べが必要だろう。

 

いつも通りにだらだらと書いてしまったけど、ぼくがここで主張したいのはやっぱり、「自分探しのためだけに地域おこし協力隊を使わないで」ということ。自分探ししたいだけなら、ふらふらしている旅人のほうがまだましだよ。短期でいる、長期でいる、浅く、深く、の違いは大きい。自分がそこで何を得たいのか、という受け取る側のことだけを考えちゃあいけない。自分が何を提供できるのか、をしっかりと考えたほうがいい。

その意味では、地域おこし協力隊員になる前に、すでに「自分ができること」とか「自分の価値」について考えることはできる。田舎で高齢者ばかりだから、都会の若者の自分が行けばどうにかなる、という安直な気持ちでいるのは、田舎と田舎と人をナメているのと同じだ。

地域に魅力を感じて、どうしてもそこへ行きたいのなら、ギブ&テイク(むしろギブ強めで)の精神で地域に入りこむことを考えれたらいいよなぁ。自分が欲しいもの、試したいものがある、ということだけで地域に一方的に寄りかかるだけでなくて。

「人という字は、人と人が支え合ってできている」という某ドラマの言葉があったけど、「地域という場所も、人と人が支え合ってできている」のだとぼくは思う。地域おこし協力隊を入れるような地域であれば、土着の人と外からきた人がうまく支え合い、共有し合い、協力し合わないと、やっぱりいい形はつくりにくいんじゃないかな、って。

 

まあ、とにもかくも、気になる地域があったら、まずは行ってみること。バイトだって、求人だけみて応募して受かったところは、働きはじめると相性良くないことも多いでしょ。働く場所の雰囲気をお客さんとして行ってみて、接客受けてみて、ここだ!と思ったほうがいい仕事できると思うんだ。

その「行ってみる」だけでなく、「居てみる」ことができるとおもしろくなると思っていて、そのための「試住」なんだろう。今ここに力を入れたいと思っているのも移住する前に、移住検討者にとても受け入れる地域側にとっても、お試し期間はあったほうが優しい。

だから、ぼく自身も定期的な試住に取り組みはじめた。役割としては、ぼくはずっと住み続けて根を張るという“土”ではなく、土の人たちが大切にしていることを遠くまで運ぶ“風”なんだろう。その地域で見つけたものを、都会やそれ以外の地域につないだりができればと思う。

逆にたためるステキな風呂敷だったら、幾らでも協力したい。

一番最初の投稿の文末にタカハシさんが書いていたけど、それはぼくもそう思う。ぼくは地域おこし協力隊員になることは絶対にないけど、それとは変わった関わり方で、日本各地の地域とのお付き合いができたらうれしい。というのを、今回のまとめにしておこう。

ちなみに、自分探しは、ブログでも十分にできると思うんだよなぁ。そんな遠くにいかなくてもさ。もうひとつちなみに、地域おこし協力隊についての相談をしてきた彼は、その後、何度か検討中の地域に足を運んで、魅力をみつけたらしく、今年から来年には仕事を辞めて、移住するそう。彼のこれからにとっても、地域にとっても、よい巡り合わせであることを願う。

試行錯誤してる?

生まれながらにしてインターネットの恩恵を受けられる時代だ。教科書の問題にあるような、(形式的な)不明点はググってしまえば、たいてい解を求めることができる。そうなってくると、その解を調べるための力と、調べあげた解を用いて自分はなにをするのか、ということに焦点が当たり易くなったのではないか。

そういった時代背景のなか、ネットで調べられることがあまりにも増えてしまったから、それが“世界のすべて”だと思い込んでしまう人がいる。デジタルネイティブと言われる若者はその類だろう。自分が実際に体験したことでないのに、体験したかのように信じ込む。その純粋すぎるがゆえの信仰は、ある種、インタネーット教ともGoogle教とも呼べるかもしれない。

それは、自分の身体で感じたこと、頭の中で捻り出したことよりも、先人が体験し体系化してきたことのみに重きをおき、その枠組みからは一歩を出ようともせずに、自分という存在を放棄していることと同じだ。かつて、幼少時代、世の中のすべてが真新しく、自分の手触りだけを信じてやまず、「なんで?」の連続だったあの頃を忘却しちゃってる。

「なんでだろう?」「こういうことなのかなぁ?」「試してみよう」「やっぱそうだった/違うや」「もっかいやってみるか」というような自分の奥底から湧き出てくる疑問を「仮説→実験→検証」という流れにごくごく自然に変えていた頃の自分がいなくなっている。

自分で考えるというのは、うんと悩むし、答えがすぐに見つからずいらいらするし、失敗もいっぱいいるし、当然だけど、お腹も減る。大変なことだから、逆に言っちゃえば、考えることをやめたら、すっごく楽になるんだよね。だけど、その楽は“苦の種”であって、考えることを止めるということは、これまでの体系化された知識とルールのしもべになることを意味する。本当の意味で、どっちのほうが苦しいんだろう?

自分の頭で考え、手足をしっかりと動かして、五感で記憶していく。その体験を糧に、先人の知恵(解)を手法として用いて、自分だけの、自分だけしかできない、新たな答え探しをしていく。そりゃ、きついよ。あーでもない、こーでもない、と日々分からないことだらけだから。手探りだから。だけど、そうやって試行錯誤しながら、出会えたものは、きっと自分のこれからをパッと照らしてくれる。

頭の中で汗をかき、実際にもあくせく動き回って汗をかく。仮説、実験、検証を繰り返す。試行錯誤している人を目の当たりにすると、なんだかうれしくなるし、ぼくはそういう人が好きみたいだ。きっと同じ方向、同じような灯りを目指しているのだな、と思えるし、自分がそこから逸れかけているときに、ハッとさせられることもあるから。

試行錯誤していないなんて、もうつまんないよ。このブログは、殴り書いたようにタイピングした文章は、その自分のもがいた証そのもの。1年後、3年後、5年後、10年後、どんなタイミングになるか分からないけどさ、振り返ってみて、「おうおう、ちゃんと苦しんでるな、よくやった」と自分で自分で思わず褒めれるかんじになれたらいいな。実験しよう。

恩をだだをこねて返す

チョンと立ち止ってみて、自分の足跡を一歩一歩たどってみる。そうやったときに、恩をひとつも感じずに歩んできた人なんているのか?

これまでの27年間を振り返ってみると、「あのときに、あの人の、あの言葉、あのやり取りがなかったら」と思うようなシーンは何個もあって、パァ〜っと目の前に浮かび上がってくる人たち一人ひとりにどんな恩返しができるのだろうと考えるときがある。もちろん、たまにだけど。強烈に燃え上がるようなかたちで。

親をはじめとして、先生、友人、先輩、上司、など恩を感じざるえない人はたくさんいて、どうやって自分はその人たちに恩返しできるのかと頭を抱えてしまう。頭を抱えている暇があれば、手を動かして仕事して、それなりに出世しろ、という話はあるかもしれないけど、それはちょっと待った、でそのままこの話題を進めていきたい。

仕事で返す、一緒にいる時間で返す、場合によっては、お金で返す、いろんな形の恩返しがある。例えば、親にフォーカスしてみて、どうやって親孝行をするのか、というのは20代後半で真剣に考えはじめる人は多いと思う。

一応ぼくもその一人で、4人兄弟のうち、すぐ近くにいながらすでに孫の顔をみせている姉、側におらずとも海外で活躍しはじめている兄、男兄弟でいち早く婚約して落ち着きはじめた弟、などを見ていると、そんな風にぼくは親孝行できないや、とちょっとした孝行コンプレックスを感じていたときがあった。

結局迷いに迷ったあげく、自分が思ったことは、十人十色ではないけど、兄弟にもそれぞれ親孝行の仕方は違うんじゃないかってこと。ぼくはぼくなりの恩返しができればと思えるようになったし、それができるように自分も動きはじめた。

残り数十年で一緒にいれる時間はごくごく限られているし、会う回数にしてみたら、ほんと少ない。だから、母と会話する時間、一緒に散歩する時間を増やせすことは大事なことは、痛いほどに分かっている。ただ、うちの母はよく「やりたいことをやりなさい」と口にする。それを小さな頃からずっと耳にしていることに気付くと、ぼくは「やりたいことをかたちにすること」こそが自分なりの親孝行だと思った。当たり前なんだけどさ、それがむつかしいわけよ。

フリーランスとして仕事をさせてもらってから、自分が今やっていることって、やろうと進めていることって、ぶっちゃけ説明しにくい。会社員のように簡単に説明できるものじゃないから。だからこそ、それをちゃんと“目に見える”かたちにすることが必要なわけで、分かりやすいのは、なんかしらのメディアに載っかるとか、賞をもらうとか、その仕事で人並み以上に稼ぐ、とかいろんな要素があるとは思う。

それ以上には、おそらくだけど、やっぱり、自分が生き生きと過ごしている姿を見せ続けれること(他人に迷惑をかけないかたちで)だろう。それは、親だけの話だけじゃなくて、(一方的にでも)自分に深く関わってもらった人たちに対するご恩は、自分のこれからのくらしを通して、その姿が目に耳に届くように、じたばたと、もがき続けることでしかしか返せないのかもしれない。死ぬまで、ずっと抱え続けるもの。

ここまでを読み返すと「で、お前さ、なにが言いたいの?」 と、自分でも思わずつっこんでしまう。てことで、ふらりとばらついた考えを整理してみると「恩をちゃんと感じている、ちゃんと恩返しがしたい」ということを、ただただ書きたかったみたいだ。記録したかったみたい。自分で自分の気持ちを確認するためにも。

とにかく返そうとは思ってはいるのだけど、性格が天邪鬼で、いやもう天邪鬼の化身なんじゃないかと思うくらいの、まっすぐなものでさえふにゃっと曲がった形に見えてしまう、他人がもっとも面倒と思うタイプの人間だろうし、なかなかに不器用なもんだから、返すまでに時間がかかる。困ったもんだ。自分でもそう思う。

一度もらったご恩は、しばらくぼくの腹の中にしまわせてもらって(ドラえもんの四次元ポケットのようなところにしまっておきます)、時間をかけて、駄駄をこねるように、ちょっとそっとわがままも言わせてもらいつつも、じっくりとどこかで返していければと思うております。そういう人間ではありますが、今後ともよろしくお願いいたします。

ブログを悪用してしまった感あるな……。

 

自己本位からはじまるブログが読みたい

なにも書くことが思い浮かばない。ってくらい、ぼーっとしてしまっているので、久しぶりに「ブログ」について考えてみようかな。なんのためにぼくはブログを更新し続けるのか、そしてそれは将来的に何に繋がっていくのか、について。

基本的には、ブログというのは“自分のため”にあるものだと認識している。自分の頭の中にある情報と、心の中にある感情を整理するため。そうやって、自分の今や過去をまとめておくことで、未来の自分に対する“手紙”を残しておける。10年後、20年後と考えてみると、今読めば、しょーもない文章も、宝もののように価値が生まれ、感慨深いものになるだろう。

ちなみに、「書く」ことは「しゃべる」ことと同じアウトプットではあるけれど、「書く=考える」で「しゃべる=動きながら考える」という感覚がある。しゃべるのは、口のほうが早く動くので、後から自分で自分にハッとすることが多い。書くほうがじっくりと言葉を選べる分、ピシャリと頭と心にはまる言葉が見つかるまで考えることができる。

そうやってできた一本の記事は、自分の引き出しにストックでき、しゃべるときのネタにもなる。話の引き合いに出してみて、自分の考えや想いをブラッシュアップもできる。それをまた書いてみてもいい。つまり、しゃべるために書く、書くためにしゃべる、という循環がそれで生まれてくる。ぼくの場合は、しゃべりたいから書く、という意識が強いかもしれない。〇〇についてしゃべれる人を体現するために、ウェブに履歴書的ななにかを蓄積している感覚に近い。

さっき、ブログは“自分のため”にあると書いたけど、それが“他人のため”になるときがある。自分のために書いていたり、限りなくごく一部の人に向けた“手紙”は、全くの赤の他人を巻き込むときがある。ぼくたちは、他人の見て「自分を見ているような気がする」という気持ちになれる。投影するのよね。逆に、初っ端から他人を意識して書かかれているものは、ブログというよりは「メディア」の性質を帯びているかもしれない。

“自分のため”にというある種、“自己本位”なところから始まる文章のほうが持つエネルギーは大きい。とぼくは思う。そこからはじまじって、公共性を身に纏い、他人を巻き込んでいく記事にこそ魅力がある。いきなり他人を意識してはじまったブログは、なぜか続きにくいし、途中で飽きてしまうことが多い。ぼく自身何度もブログを辞めては始めを繰り返してきたけど、結局は、自分のために更新できていなかったことが原因だったなぁ。

先日書いた「嫌い」の話にも通ずるかもしれないけど、自分を貫いて、するりと他人のいる場所までとどき、受け入れてもらえたほうがいい。その練習としても、ブログっていいもんだなぁ、と思う。だから、だらだらと5年近くもブログをぼくは続けているのだろう。ウェブの中にあるブログから生まれた、リアルなご縁が年々増えてきたし、今後もっと広がりが出てくる気もする。

まとまりはないけど、誰かのためじゃなくて、自分のためにブログをはじめたほうがいいよ、って話にしておこう。自分を掘り下げれば下げるほど、きっと他人との接点が見えてくるし、リアルな場でつながり始めるから。あと、昔の自分に、未来の自分が励まされることもあるから。まあそれは続けた人だけにわかるご褒美だろうし、とにかく続けなさい。と、ちょっぴり喝を自分に入れておきます。

嫌われたくない、という言うやつがとことん嫌い

自分の思っていることをうまく言えない人がいる。日本人のほとんどがそうで、思っていること感じていることを素直に言葉にできる人というのは、実際にはごく少数なのだなぁーと、たった27年しか生きていないけど、ぼくはそう感じる。大人になればなるほどに、社会の空気をついつい読めるようになってしまうせいか、自分をギュゥっと奥に奥にしまいこんでしまうようだ。

思ってるいることを言葉にできないのはなんでだろう? そういう発言をする場がそもそも少ないせいなのか。家庭環境、教育環境みたいなことを言いはじめたら切りがない気もするので、もっと内的な話に触れてみたい。おそらく、そういう部類の人は単純に「否定されたくない」「嫌われたくない」という気持ちが人一倍強いのではないのかなぁ、とぼくは思う。

「嫌われたくない」という気持ちはだれの心にもあるだろう。だけども、「“だれにも”嫌われたくない」という感覚を持っていると、気配を探りながら、自分の本心をねじ曲げてまで、嘘をつくように相手に合わせてしまう。「〇〇いいよね〜」という始まりの会話があったとき、「うん、いいよね」と返すことを優先する。本当は「〇〇なんてクソだ」と思っていたとしても。

そういう嫌われたくないがための過度な“同調意識”というのは、自分を苦しめちゃうし、それが派生したかたちが“いじめ”なんて問題にも繋がるんじゃないかなぁ。たださ、「嫌われない人はいない」という事実をまず受け止めたほういいよ。「だれにも嫌われない」方法みたいな幻想を捨て去らなきゃ。結局、何かに対して「好き」と言おうが「嫌い」と言おうが、そこに対する賛否は必ず分かれるから、敵はできるし嫌われるよ。そりゃあね。というか、だれにも嫌われないようにしている人こそ、ぼくは嫌いだ。そして、それは、ぼくだけじゃないはずだ。

どうせ、何を言おうが、嫌われてしまうのだったら、人に合わせて取り繕っているよりは、自分の思っていることを言葉にできたほうがよくない? そっちのほうが単純にスッキリするよね。敵ができるかもしれないけど、その分、味方だってできるし。しょうもない嘘のつながりがたくさんあるよりも、本音でつながった味方がひとりでもいれば十分だ。

自分にとっての“本物”を引き寄せるためには、嘘をつき続けていちゃダメ。嫌われたくない、というネガティブな面をみるよりも、ポジティブな面をみたほうがいい。メディアの考え方に「情報発信するところに、情報は集まってくる」というのがあるけど、これはホントだと思う。残りうん十年と生きるなかで、言いたいことも言えないなんてまじでポイズンでしょ。よい流れを呼びこむのは、自分自身の言葉しかない。(自分が)動けば(他人も)動く。だからもっと、想いのままに動けたらいいのね。