「地域おこし協力隊」は”肩書き”でなく”制度”のこと

ここ最近になってからか、地域おこし協力隊で働いている人と会ったとき、「地域おこし協力隊」以外の肩書きが記された名刺を受け取ることが増えた気がする。そう、地域おこし協力隊は”肩書き”だと思われがちだけど、あくまで活用すべき”制度”でしかないわけだ。

とはいえ、地域おこし協力隊としての肩書きを名乗ったままに活動を続けている人、地域はまだまだ多い。その肩書きがゆえに、何をやっている人なのかがわかりにくく、外の人だけでなく、自分が活動する地域住民にすら理解されていないケースがあったりもする。

「移住コンシェルジュ」「ライター」「作家」「シェフ」と伝えられるかどうかは大きく、伝わってないために、なんでもかんでも地域のことをやってくれる”何でも屋”と勘違いされた話もたまに聞く。

制度を肩書きとして名乗り続けることは、より自分の存在を曖昧にしてしまう。それは「フリーランス」も少し似ているかもな、と自身の経験に重ねると余計に感じることで、「フリーランスです」と伝えても、何をする人/できる人なのかは中々わかりにくいものなのだ。

あと、そもそも「地域おこし協力隊」のネーミングに触れると、「地域おこします」とどストレートな宣言をしてる様子は、「童貞を捨てたいからセックスしたいです」と声高らかに口にしているような気恥ずかしさをぼくは感じてしまう。

それは、地域おこし協力隊に限らない話で、「まちづくり」「移住」も、それ自体を目的とし「まちづくりをしよう」「移住しよう」と唱え続けているうちは、よいまちづくりも、よい移住のかたちも生み出せないのではないか。とFacebookのタイムラインを眺めながら思ったので、すかさずメモメモ。

“知らない”仕事につくことはできない→“知ってる”仕事だけでぼくらは生きていくのか

田舎でも、都会でも、よく耳にするなぁ、SNSでもよく議論されてるなぁ、と思ったので、それについて。

「仕事がない」と口にする人は多いけど、実際はそんことなくて、「知っているもののなかで選びすぎている」か、そもそも「“ある”ことを知らない」かのどちらかのケースは多そう。前者はもう個人レベルでどうにかしてよ、と思うばかりだけど、後者はその情報が入ってくる環境(メディアとの付き合い方、まわりにいる大人、そういった情報を得る場所など含めて)自体が問題なこともある。仕事の選択肢という話でいれば、実は、「ない仕事をつくる」という発想というか選択も本当はあるわけだ。

日本でも近代化にともなって、畑を追い出された、あるいは、出ざるを得なかった農民が、街に繰り出していったあのときは、別にいまのような「やったるで起業」みたいな仰々しいものでもなく、今風にいうと「小商い」というかんじに捉えたのか、自分の仕事をつくっていって、(サラリーマンだけじゃなくて)自営業の人も増えていった。その過程のなかで商店街も発展したときがあったんだろうな。

本題が逸れてしまったけど、「ない仕事をつくる」よりかは「“ある”ことを知る」ほうが大多数向きだろうから、まずは“ある”の届く範囲を広げられるようにしていけるといいのかもね。もしかしたら「“あることを知る」を体験すれば、「ない仕事をつくる」という方向に、段階的に進むかもしれない。知らないことを知ることは、おそらく自分の暮らしや仕事の価値観を大きく覆しちゃうこともあるわけで、そういう機会はもうちょい増えたほうがいいと個人的には思っている。

2016年、ますます「移住」という言葉のファッション化が進んでいくはずだけど、自分の暮らしやはたらき方を考え、その実践をしていくなかで、「移住」という選択肢がでてくるわけで、あくまでそれは“ひとつの選択肢”でしかない。にも関わらず、それ自体が目的になってしまう、あるいは、それを達成すれば苦から逃れられる、というような妄信的救済となっている事実も少なからずある。実際には、そんなことないのに。

東京にもローカルはたくさんあるし、近郊でも田舎暮らしっぽいはそれなりにできる。コミュニティを求めて、都会を出ようとしてるなら、実は探してみれば、居心地のよいコミュニティの一個や二個は見つかるはずだ。「移住したい、って言ってるけど、本当にそれって移住しないとだめなの?そこじゃできないの?」といやらしい問掛けは大事にしていきたいな。

そこらへんについて思い老けたときに、「抜け道をつくるメディア」とか「想像税を、払う東京」とか「地域おこし協力隊になって、自分探しをしようとする若者の風潮について」「田舎者はどこでもいるぞ」「移住イベントは、だいたい二パターンに分かれる」とか、をまとめた。

バーテンダーが自分のオリジナルカクテルをつくりたい、ってときは、まずは世界中にあるカクテルについて知らないといけない。いろいろと知って、吟味してみて、悩んでみて、それから自分らしい一杯が生まれる。井の中の蛙のように、狭い見聞のなかだけで広げられるものには限界がある。その中で自分がハマるものがあればいいけど、ハマれないものがでてきたときは、多少しんどくなる。そのとき、“知らない”から“知ってる”への変化をつくれる人は、得するよな、といつもいつもぼくは思う。

多様性を認められた社会といいつつも、その多様性をのぞけていない人の生き方と、好奇心をもってのぞけている人の生き方は、どこか違ってみるのだけど、おそらく、それは知ってるがゆえの“ゆとり”にあるのかもしれない。今ある自分の“知ってる”から、ちょっと抜け出してみる勇気、ただそれだけの違い。

眼を貸してくれる人

南国気質は根本的には、苦手だ。島は、よいことばかりではない。沖縄で、離島で育ってしまったがために感じる、あの島にあるドロドロとしたもの。

出身”だからこそ”見えるものと言えばそうなんだけど、出身“のせいで”見えていないものもたくさんある。東京を経てUターンしたばかりはわりとクリアに見えたものも、1年以上もいるとピントがずれ、少しずつボケていく。慣れの怖さだ。それが怖くて、定期的に沖縄の外に出て、遠くの山をじっとみて視力回復をのぞむようなことをしているのだけど、やはり限界はあるようだ。

過去は変えることができない。「〇〇出身」というのは、だれもが持てる過去の遺産であって、辿りに辿れば、個性の源とも言える。その個性一つでは成し得ないものはあって、いくつかの個性が重なるからこそつくれるものがある。地域において言えるのは、地元、Uターン、Iターンという属性があって、その3つの立場の(個性を持った)人たちが結集して生まれるものに、新たな価値がある。

もう一度言うと、ぼくはUターンという立場だからこそ、見えるものがあるが、見えないもの、見えなくなってきたものがある。そこを補完してくれるように、時折、Iターンの人の声をもらうと、ハッとすることがある。耳に入ってくるこの声をもっと増やしていければと思う。

その眼を貸してもらえると、ありがたいのだ。

いつまでもそこに居(れ)るとは思うなよ

始まりがあれば、終わりがある。よく聞く言葉だ。新しい一歩のために、物事をどうやって始めるのか。それは多くの人の関心事らしく、「〜の始め方」という切口の議論を、最近ではよく耳にするようになった。

ただ、その「始め方」は「終わり方」に対する意識が若干薄いのではないかとも感じる。始まりがあるなら、その先の終わりのことも一緒に考えてみるのはどうだろう。それをどうやって終わらせるかということを。

それは、「人が流動的な存在で、いつまでも同じ場所にはいられない」からこそだ。自分がずっとそこに居続けると思い込むのも危ういし、他人がずっとそこに居続けると思い込むのも、いささか横暴なのかもしれない。

人は変化し続け、ステップを踏んで、新しい場所へと進もうとする。そのときに、同じ場所にいられなくなる理由ができる。

あるひとつのことを、一緒に始めたとしても、終わるときは一緒ではないかもしれない。人の人生は摩訶不思議で、予定調和に全てが動いているわけじゃない。だから、始め方を考えると同時に、終わり方も考えていく。では、なにがよい終わり方なのだろうか。

終わり方は、各々が持つシチュエーションによって勿論異なるだろう。だが、終わり方には「捨てる」と「離れる」というふたつの終わり方があるように思える。捨てると、もう二度と戻れないが、離れるのは、また戻ってくることができる。

つまり、今までその場所で築いてきた関係性をぶち切って、その場を去っていくのが「捨てる」終わり方。反対に、関係性を継続して、やり取りは続きながら、なにかの際に立ち寄れたり、あるいは戻ってこれる可能性を残して、その場を去るのが「離れる」終わり方。

例えば、これを「移住」の話で考えてみる。とある地域に移住してはみたものの、文化が違うためか、地域の人とうまくコミュニケーション取れず、自分からもアプローチせず、馴染めず、2〜3年でそこを後にするAタイプ。もう一人は、移住後、地域の人とのやり取りに苦労しながらも、少しずつ馴染み、お互いに信頼できる関係性を築けたが、実家や仕事(キャリア)の都合でどうしてもその地域を出ざる得なくて、そこを後にするBタイプ。

すぐに察してもらえるだろうが、Aタイプの人は「捨てた」人、Bタイプの人は「離れた」人である。Bの人は、おそらく定期的に、その地域に遊びに行ったりして、宿泊もさせてもらえるだろう。ある意味、「さようなら」ー「さようなら」でなはく、「いってきます」ー「いってらっしゃい」と地域の人とお互いに言えるような関係性がある。

移住の話に限らずに、子はいつまでも親の元にはいられないし、チームだったけど個人としてやりたくなることもあれば、いつまでも部下は同じ上司の元にいるわけでなく、教師は次へと進もうとする生徒を留まらせることはできない。

すべて始まりは一緒だろうが、いつしかは(物理的な)終わりが確実にくる。だからこそ、再三言わせてもらうが、「どのように終わるのか」そして欲をいえば「どのように離れるのか」までを頭の片隅に置きつつ、物事を始めていけるといい。

話は飛んでしまうかもしれないが、自分が、あるいは、その人が、離れたとしても成り立つ「関係性」と「仕組み」をつくれる人こそ、よいリーダーなのだとも思う。いつまでも自分がそこに居れると、他人がそこに居てくれると甘んじるのはダメだ。人は絶え間なく変化し続ける。その変化を見抜けず、認めず、見送ることのできない人は、上に立つのはきっと向いてない。

こんな居場所が理想的だ ー その場所に足を踏み入れたからこそ、あらゆる挑戦でき、得るものがあり、次へとステップを進められる、登竜門的な存在としてそこから飛び立てるような、そんな人が“離れる”ことを好しとした場所。

みんな、行きたい場所があるなら、見つけたなら、そこへ行けばいい。人が行きたい方向を邪魔するほど、そんな野暮ったいことはない。それはしたくない。

温もりのある「離れる」をデザインできるよう、もっともっと経験を積まなきゃだなぁ。

移住イベントは、だいたい二パターンに分かれる

ぼくの夏休みは終わらない。プライベートの自由研究としての『バケモノの子』を前に挙げたけど、ちゃんとした、いや、ちゃんとしたって言うのも変だけども、ライフワーク的な自由研究を挙げるなら「移住」や「商店街」というテーマがある。

「移住」だけについて触れると、土地から土地へ動くってエネルギーむっちゃいることだから、その人が移り住む理由が気になっちゃう。というのと、ぼく自身が同じところに留まれずにあちこち行きたくなるタイプなので、どうやったら自分が根ざせる場所が見つかるのか?という自己対話も含めて、公私ともに還元できるレベルで掘り下げていければと思っている。

振り返ると、「京都移住計画」のメンバーと知り合ったのが、そもそも「移住」という言葉を真面目に考えるきっかけだったなぁ。そこからプロジェクトに関わらせてもらったり、彼らが発信する情報を拾っては、自分なりに掘り下げ、他の地域に行ったときには移住にまつわる話を聞いてみたり、沖縄において移住における取り組みをはじめたり、いろいろな方法で「移住ってなんだろう?」と向きあってきた。

そう、そうやって考えてみると、移住イベントをやるときには、ふたつの段階(場)を意識しなきゃいけない気がしてきたぞ。

ひとつは、「そもそも移住ってなんだろう?」を考える場をつくること。ぶっちゃけると、「移住」ってとても大きくて重い言葉だと思ってしまう。そういうことに興味ない人からすれば、超無縁のような単語に聴こえるに違いない。だけど、移住について考えることは「自分の暮らし/働き方を考えること」だから、実はほとんどの人が参加できる理由がある。とぼくは思う。

ある意味、就活を考える学生だって移住イベントに参加することで、移住しなかったとしても、生き方のヒントを得るかもしれない。その場に参加する人たちのさまざまストーリーを共有してもらえば、それだけでもいい勉強になるだろうし。ということで、「移住」ってのを切口を変えてみて、その敷居を下げるような「そもそも移住ってなに?」を考える場づくりがまずひとつ。

で、ふたつめは、その次の段階とも言えて、それぞれが自分たちなりの「移住」をかみ砕いた上で、次のステップとして、移住する地域の選択肢を広げたり閉じたりするための場づくり。それは「全国各地のどっか」という幅広い選択肢から選びたい人もいるかもしれないし、「この県にする」と決めていて、そこからさらに地域を定めようとしている人だっている。

またそこに付随するように、どんな暮らしができるのか、どんな仕事があるのか、という疑問を掘り下げられるシカケも必要だ。それがより具体的になっていると、求人や住まいがありまっせ、マッチング情報を用意しておくことになったりね。もちろん、この段階でも「移住ってなに?」についての考えを揺さぶられつつではあるけど、実際に移住するための選択肢と、それを絞っていくための(相手に合わせた)基準を共有できる場の質があがればあがるほど、移住のアクションには繋がりやすい。

実は「移住した後に〇〇をしたい」というところを汲み取ると、「ただ移住したい」というのと「移住して地域を盛上げたい」というのは層が明らかに違うので、これらの属性の人たちをまとめちゃうとダメで、そこはセグメントして、移住イベントは打たないといけない。移住して地域を盛上げたい、と考えている人なんかは「地域仕掛け人市」とかが合ってるのかもね。

と、長々と書いてきたけど、再度まとめると、潜在的ニーズを掬う「移住ってなに?」と顕在的ニーズを拾う「どこに/どうやって移住できるの?」という二種類の移住イベントがあるといいのかも。その中で、参加者が自分たちでも考え、具体的なアクションに繋がるシカケをつくっていく。(あくまでこれは“移住検討者向け”の話であって、“移住受入者向け”だと各地域プレーヤーが集まってケーススタディできる「移住フェス」みたいなパターンもある)

最近の移住イベントを眺めていると、「どこに/どうやって?」の部分ばかりが協調され過ぎていて、そもそも論の大事なベースがないがしろにされているケースも見てとれる。地方創世ブームでお金も動きやすいからって、そういう雑な取り組みはホント止めてほしい。ゆっても、移住って大きな決断だからさ(そこに骨を埋めるとかそんな気負わなくても全然いいと思うけど)。

だからこそ、ちゃんと選ぶための前置きはしっかりと丁寧につくっていくこと。それは移住に携わる人なら大切にしてほしい意識だよなぁ。まあ、こうやってずけずけと書きながら、自分自身にもプレッシャーがずんずんのしかかってるくる感じが、M気質だな、と自分を再確認中でございます。

ぼくが「試住」をはじめたわけ

明日まで、宮古島(沖縄)にいます。というのを今更書いておこうかと思う。9月4日からの約3週間を宮古島に滞在している。初めての宮古島だ。なんでここに来たのか?というと、観光のかの字もなくて、ただいつもの仕事を場所を変えてやるため、もっというと、宮古島でくらす感覚を知りたかったのがある。

以前にも触れたように「地域」「移住」なんてのは、ぼくの領域にある言葉で、そのふたつが重なるところに「試住」という単語がある。英訳したトライアルステイのほうが意味は通りやすいかな。移住のお試し期間としての「試住」を自分の体験として積み重ねることを、最近「〇〇試住計画」というプロジェクトとして取り組み始めた。

ということで、宮古島に今いるわけなんですよ。ただ「なぜ試住をやるのか?」という話に触れてなかったので、(ひとつの理由として)7月にしばらくお世話になった長崎の話をまとめておこう。

27歳になった次の日から、長崎の平戸島ってところにいたんだけど、それはぼくの生まれがここって聞いてたこともあり、ルーツ巡りで足を運んでいた。そしたら何の縁なのか、たまたま漁師のおっちゃんに拾ってもらって、そのご家族にお世話になることに。

で、その一緒に過ごした時間というか、生活っぷりってのが、個人的には印象的だったんですよ。朝3時くらいから仕事して、違ったタイプの漁で2回くらい海に出て、お昼頃には切り上げる。午後は、ちょっと昼寝してから、事務関連の仕事したり、休んだり、遊んだりっていうあんばい。夕食は、5時半くらいには食べてしまう。

だから、夜はむちゃくちゃ長い。都内にいると、まあ18時くらいってまだまだこれからって時間で、街は明るくて、なんか落ち着かないけど、平戸島ではほんとしーんと静かで、ゆるやかな気持ちになる。(付き合いで飲んだり、結局その後、個人的に仕事はあるんだけど)。こういう1日のあり方が違う、ってのは頭の中だけにあるよりは、ちゃんと体験してみたほうがいい。どっちが絶対いいということはないけれど、自分にフィットするくらしの循環を考えることができるから。

「試住」と「定住」の間に「移住」があって、新しく移り住み、そこに根を張ってくらしをつくるにもやっぱり段階は必要だ。ということで、「試住」はもっとできたらいいし、ぼく自身、実際に試住してみて、その地域のレポートができればと思う。それによって、ぼく自身が移住するというよりは、その地域に移住するのがマッチしそうな人をつなげていきたい。自分のできることとして。

ひとつの場所にいても、ちょっとするとどっかに行きたくなる性格(地域の行き来の公私ともにバランスをとるタイプ)との相性も良さげで、移住という概念に関われるとも思うので。そうやってつなげることのできる地域を広げていきたい。実は、長崎の前後で、熊本-宇城と、岐阜-奥飛騨にも行ってきた。

来年3月までには、後2、3ヶ所お邪魔させてもらえればと思うので、そのための情報発信の体制も整えなくちゃなぁ。もっと地域毎の特色も(それによって、地域への入り方も変わってくるので)勉強しなくちゃだし。なので、試住とかトライアルステイ関連の情報があったら、教えてもらえるとうれしいな。もちろん、地域から直接声をかけてもらえるが一番ありがたいのだけど(欲張り)。

南城 × しごと × トライアルステイ

今朝のこと、家からバス停に向かっていると、目の前を先行くおばあちゃん。小さくまるっとした後ろ姿が、ほのほのとした雰囲気があった。杖をついてて、ゆっくりゆっくりと歩いてるので、当たりまえだけど、すたすたと歩くぼくが途中で抜いてしまう。追い抜いたあたりで、おばあちゃんの顔を見る。そしたら、目が合い、にっこりとした表情で「おはようございます」と声かけてくれた。ぼくも「おはようございます」とできるかぎりの、だけど不自然かもしれない笑顔で返す。

これって、ちょうど昨日まとめてみた「あいさつ」の話だよなぁ、と思って、こうやって作業場所についてからメモしている。知らないおばあちゃんだし、言っても、それほど近所なわけでもなく、今後会うのかわからないよね、っていう関係性であったとしても、こんな感じで「おはようございます」の一言がある地域というか、コミュニティに住めているのは、正直うれしいことです。

というのが、ひとつあっての今。ついでに、一昨日足を運んだ南城市のメモをしておこうかな。「なんじょう地域デザインセンター」で活動する秋本さんと、「沖縄移住ライフハック」のご夫婦と一緒にお茶をしてきた。南城という場所で「コミュニティスペース、コワーキングスペースづくりができないもんかなぁ?」と話に出たのがあって、それについて。個人的に「移住」に関する話も聞きたかったもあったかな。

南城は、沖縄本島の南部にあって、那覇よりもずっと下、自然に恵まれていて、ゆったりとした地域だ。「斎場御嶽」とか世界遺産もあったりするけど、あまり観光に特化してるわけでないので、というか、「そもそも観光系のプレーヤーがいない」という話を聞いてて驚いた。交通網も、バスなども通ってなくて、裏技的に乗り合いバスが南城市内なら300円で乗れるというのがあるくらいで、車がないとしんどい場所。

となると、観光客も南城市でゆっくりして〜というのは考えにくいわけかぁ。「浜辺の茶屋」のような絶景のロケーションにあるカフェも多くて、ちょっと立ち寄るくらいはできても、そこで1泊するって選択肢はやりにくて(数と価格の宿泊先問題で)レンタカーを借りた人なら、たいてい那覇に戻って、そこで夜を過ごすことになるのは分かりやすい。

夜の話をすると、やっぱり遅くまでやってるお店は少なく、特に、地元の高校生や大学生などの若者が集まるようなスペースがないとのこと。クリエーターンのような作業場所が欲しい人からしても、やっぱり電源あってWi-Fiあって、みたいな場所は皆無みたい。個人的には、観光という視点ではなく、ゆったりとした環境のなかで仕事できる場所としての開拓&提案ができないかなぁと想いを馳せた。

千葉の「KANAYA BASE」とか福岡の「SALT」のような、海辺あるいは海が見える場所で、作業をする。それによって、生産性が上がればいいだろうし、どこでも仕事ができるようなタイプの人にとっては、いつもとは違う場所で作業ができるのは、結構いい気分転換にもなるし、新しいアイデアが生まれるきっかけにもなりやすい。

関西、関東、九州あたりのクリエーターが一定期間、南城に滞在しながら、ゆったりしつつも仕事もするという環境づくりの可能性を感じた。だけども、そこで作業場所だけじゃなくて、同時に宿泊施設をどうするかという問題も出てくるよなぁ。それは、ワークスペースと宿泊スペースが併設タイプなのか、あるいは、提携できすスペースを見つけるのか。やっぱり問題はある。

とはいえね、なんとなくではあるけど、それをやれる土壌はあるんじゃないかと具体的な話は聞けたので、なんだかよい南城でのひと時でしたよ。カフェの名前は忘れちゃったけど、ちょっと高台にあって、海を見下ろせるお店があったんだよね。あの景色は、沖縄でもなかなか見れない気がしてて、内湾と山と雲がふぁーっと広がる海は、南城らしさなのかなと思った。

ぼくの個人テーマに「移住」があって、そのなかでも「試住」というトライアルステイがあるんだけど、仕事という入口で、きっかけで、移住ということを考えるフィールドが増えたらおもろいよな。あくまで大切なのは「くらし」なんだけど、その一部としての仕事を切りとって、自分のあり方を考えるかどうかはさー。ちょっと長くなったけど、メモはここらへんで終了。

あ、南城市はよく「♡」を使っているけどこれなんなの? と思っていたんだけど、南城市のかたちがハートに近いとのことらしい。やっと腹オチしました。ただ「♡」の記号が苦手である。これを多用する女性とか超苦手なんだよなあ…トラウマが……ね。