嫌いにならない距離感

「やりたいこと」よりは「やりたくないこと」を大切にしている。

そんな感じで、ポジティブよりはネガティブな気持ちをもとに、行動することが多い。ポジティブ感情が湧きにくいがゆえのネガティブ感情を活かさざるえない生存戦略なのではないかと思う。

人付き合いで言えば、あんまり人にゾッコンになることはないので、どちらかといえば、「相手を嫌いにならないようにどう付き合うか」ということをよく考える。

「この距離感で、これ以上踏み込んでしまうと、ちょっと嫌いになっちゃうかも」

それは、仕事、友人関係、恋人関係もすべて同じで、関わり方を探りながら、相手と付き合っていくのだ。

毎日会っていたら見たくなかったものが目について辛くなる人もいるし、仕事などの公的な関わりがなければいい関係性を保てる人もいるし、年に1回くらい飲むとちょうどいい人もいて、実はギリギリな距離感・境界線のなかで関係性を保てている人は意外と多かったりする。

「友達としては大丈夫だけど、恋愛関係になると破たんする」「親友だけど、一緒に仕事をすると不仲になる」「一度セックスという境界線を越えると、もう興ざめてしまう」みたいな人間関係があるのもそれに似たようなもんだ。少し話は大きくなるかもだけど、不倫とか浮気、セフレみたいなもんも、この距離感の取り方の問題じゃないか。

そして、話のジャンルを変えると、移住するか二拠点にするか年に数回通えればいい、という地域との関わり方にも通じることだとも思う。

好きにはなることはおそらくないけど、できるだけ、嫌いにもなりたくない。だからこそ、内心ハラハラしながらも、距離感を測りながら、メールのやり取りだけにするのか、はたまた会うのか、会うならお茶か飯か飲みなのか、一緒になんかしらプロジェクトやるのか、などのコミュニケーションに日々試行錯誤しながら、なんとか生きているのだなぁ。

(まあ、とはいえ、嫌いになるという感情自体は悪いもんではないと思うし、そこから構築できる⦅一度そこに至らないと築けない⦆新たな関係性もあるわけだし。あ、こんなこと言ったら、元も子もないか。笑)

めんどくさい、は、めんどくさくない。

「生きてるのもめんどくせえ」

漫画『鋼の錬金術師』のなかに登場する、スロウスという怠惰のホムンクルスが、死に際にそんな言葉を残していた。なんか刺さった。

 

生きていくのは、めんどくさい。なんでかっていうと、生きていると、必要以上に、だれかに期待されたり、自分が自分自身に期待しちゃって、がんばろうと意気込んでしまうからで、とはいえ、現実の理想の間にある裏切りはもちろんあるわけで、結果、自分という人間に嫌気が差すことのほうが多いから。

生きる意味なんてないし、だけども、死ぬ理由もないから、どうにか生きながらえていく。もちろん、生きたい、とも、死にたい、とも全く思ってなくて、どんなに足掻いても、死ぬときには死ぬのだから、その時は、そうなる運命だったとスッと受けいれてしまうような体質であり、どうせ生きていくなら、少しでもおもしろがるしかない、ベターな道を探していこう、というノリなのだろう。

ぼく自身もおそらくそういう人間なんだけど、ベターにするためのツールはなんとなく見つかっていて、日々を面白がる術も(生存戦略的に)それなりに身に付けられてはいる気がするーー路面店のカフェで通り過ぎるかわいい女のコを眺めていたり、妖怪について想像してみたり、YouTubeで漫才・コントさえ観ていれば、日々がよくなるわけだから、まあ、ちょろい人間とも言える。とは、会いたくなったときに声をかければ会ってくれる友人がいて、たまに行けば「おかえり」と言ってもらえる場所があるのは、素直にありがたいことだ。だから、下手なことで死ぬことも絶対にないだろう。

 

根暗で人見知りで、ネガティブ発想でしか物事を考えられない”闇”のほうの人間でも、隙間に差し込む光を見つけて、どうにかやってはいけている。

その一方で、自己救済の手立て(ツール、居場所、技術)みたいなものを見つけられてないまま苦しんでいる人もたくさんいる。こうやって文字に起こしながらあらためて思うのは、「なにかしらの拠り所が見つかっている自分はまだ”まし”なほうだ」ということ。

そういう意味では、たとえ同じ闇を抱えているなかであっても、上・中・下でいう「闇の上」あるいは「闇の中」くらいに自分は位置できているのかもしれない。だけど、”ベター”のための手立てを見つけられていない「闇の下」あるいは「闇オブ闇」みたいな人は、どうすれば暗闇しかないその場所から離れられるのか。彼・彼女らはどんなことがきっかけに、自分が暮らしていく環境をどうやって整え、より居心地よくしていけるのか。

闇を捨てろと言いたいわけではない。暗い話が煙たがれるのはわかるけど、反対に、明るすぎる話もまぶしくて聞いちゃいられない。光は闇があるからその明るさが増すわけで、光だけでつくられた世界なんてないし、闇の存在を認めていない人間ほど信用ならない。

だから、つまみをヒネるように、自分にしっくりくる明暗をうまく調整できるかたちをつくる。一切の光を遮断するのでなく、ほんの一閃の光でいいから差し込ませる。闇と光をうまく調合するため(地域や暮らしの)オルタナティブが見つかるといいのではないかと思う。

 

「生きてるのもめんどくせえ」

冒頭のフレーズに戻ると、何をしてても「めんどくさい」のなら、すでに目の前にあるものを面白がるとか、今は届かないけど手を伸ばせば掴めそうなものを探してみるとか、「めんどくさい”から”」ではなく「めんどくさい”からこそ”」という感覚で、闇の部分を活かしながら、物事の捉え方や身のこなし方を変えていけるといいのかもしれない。めんどくささは、意外といい、わりといい。

牛歩の歩みでもいいから、よりよい方向に、昨日よりは”ベター”なかんじで。