「気分」をデザインできる大人になれたらいいのに

びっくりするほどに、気分が、テンションが、上がらない。なので、手をつけなくては、と思っていることになかなか手をつけられなくて、困っている。そうやって困りはじめると、へんに緊張感が出てきちゃって、尚さらに、手が止まってしまう。悪循環だ。

そのときの自分を記録しておく、という意味で、去年もこういうテイストの文章を書いていたと思うのが、さらに顕著になってきていて、どんどん弱体化しているような気さえする。

そのなかでも気力を持ってやれるのが、リアルな場でのやり取りだったりするので(実際、適材適所的に、そのほうが力を発揮できるのもあるので)、ある種、そもそも進もうとしていた道に向けて、身体が反応しはじめているだけなのかもしれない。

すべてが手をつけられないわけじゃなく、できるものとできないものが明確化されてきているあたりが、自分で言うのもなんだけど、おもしろい(それでメール等々返信できていない人も多くて申し訳ない気持ちは重々あるんですが)。

以前、Squareブログで、久遠チョコレート記事の編集で関わらせてもらったので、取材同行するなか、マネジメントに関する話が興味深かった。

「刻む・溶かすなど、チョコレート作りの作業行程を細分化したとき、一般的にそれぞれの作業に集中できる時間はほんの数十分程度。でも彼らは数時間ずっと集中できるので、私たちではとても敵いません。一人ひとりの仕事力と個性をどこでどう生かしていくか。それを考えた全体のデザインが大切です」(吉野さん)http://www.square-blog.jp/stores/new-standard-chocolate-kyoto-by-quon

 

この文脈でいうと、沖縄もわりと「福祉✕デザイン」の動きがちょっと盛んな気がするんだけど、とある作業所のマネジメントをしている人の話を聞いてみると、精神的障がいを持っている人と一緒に仕事をしなくていけないとき、シフトの組み方にコツがいるという。

当日の体調が大きく作用することもあり、組んだシフト通りに、スタッフが来てくれないことはしばしばなので、その人数調整などをうまくできるように組むそうだ。そういう見た目の話ではない、働き方も含めた”広義のデザイン”が、より多様な人たちを、口だけなく、ビジネス/社会的に寛容するためには必要なのだろう。

そう言えば、フラクタルモブのメンバーと一緒に展示をしたことがあった。一回そのメンバーのMTGに参加させてもらったことがあったが、参加するよ、前日までは言っていたけど、やはり当日になって来ないということはある。6人でのMTGが3人になることはザラで、そういうちょっとしたアクシデントも気にならなくなってきたという代表の話は印象的だった。むしろ、その「何が起こるかわかなんないのがおもしろいよね」という姿勢には感服した。

ついでに言えば、フラクタルモブの場合、健常者と障がい者が一緒になって、一つのテーマで作品をつくって展示をやるのだけど、〆切の作り方も大変だと教えてくれた。描くつもりだったけど、描けなかったも完全に許容してしまう。だけど、障がいを持っていることは一つの特性であり、やはり彼らの感性でしか描けない作品はあると、ぼく自身が作品を見て激しく感じたし、それは本当に、その人のやれること可視化するための環境整備が足りてないだけだなぁと反省した。

どれだけ世の中に対して、配慮がなかったのか、と気づけたからこそ、許容できる範囲が少しは広がったんじゃないだろうか。

さて、冒頭の気分あがらない問題はおそらく周期的なことなので、(環境づくりも含めて)今できるかぎりのエネルギーで今できることをやればいいから、後半の部分とは違った話だけど、また、自分ではなく他人の「気分」をどう扱うかはもうちょい繊細になっていきたいということだ。

気分屋は、気分屋の気持ちがわかるぶん、どうやって相手の気分をつくるのかに気を遣えるはずだ。「広告は、気分をつくる」と言った人がいたけど、ああ、ほんとそれな、すげえな、とあらためて思った。身近にいる人の気分をヨイショできるようにならたらいいし、そのカラクリを自分の気分にもあてがえるように器用になりたいっす。