人生は、増やすよりも、減らす(なんつってね)

のっけから偏屈かもしれないけど、タイトルに使っている「人生」って言葉を多用するのは好きではない。なんかね、きれいな言葉って照れくさくて、なかなか使えないし、きれいごとばっか言ってる人もちょっと苦手だから。

そんな前置きから、人生(照)について書きすすめる。「人生は、増やすよりも、減らす」。そんな一文が、今日散歩をしてたら浮かんできたから、それについて考えてみようかと。

 

歳を重ねて、つまりは簡単に、老いていくと、人間はどこに向かっていくんだろうか。ぼくは、欲が減って、いや“減って”というか、自分の好みの欲がより明確になって、無駄な欲が削がれて、シンプルになっていくのだと思っている。

だから、自分の「欲」という装備をどんどん減らしていて、身軽になっていくんじゃないだろうか。生身にどんどん近づく。増やすよりも減らす、広がるよりも狭めていく。

 

減らす、狭めていく、というとマイナスの印象を受けるかもしれないけど、これはどちらかというと、自分の「個」を極めるための鍛錬みたいなもの。あくまで上向きだ。

削いで削いで、そこに残ったものに、その人の経験や哲学が現れてくるだろうし、それこそ“個性”と言えるのではないか。

 

そんな“人生のなかでの増減”を考えてて、パッと思い浮かんだんのが、企画会議について。案をブレストしはじめると、アイデアはどんどん広がる。だけど、結局は、ひとつに絞っていかないといけないわけだ。

パアッと広がっていくんだけど、ギュッと狭めていくかんじは、その歳を重ねるときの姿勢にとても近い気がした。

若いときは、どんどん知識も経験を吸収して、可能性を広げていく。だけど老いるにつれ、そのうち領域や専門性を絞って、選んで、自分と向きあっていく。

 

そうそう、歳をとっても、視野を広げること、知識や経験を増やすことも大事だと思うよ。だけど「〜さんと言えば、アレ」と言われるような「アレ」をつくり出すためには、やっぱり狭めるし、より尖らせておきたいかな。

 

だから、水がドバァっと溢れるようにずっと流しているだけではダメで、ちょっと水路をつくってあげたり、蛇口をつくったりして、水をコントロールできるようにしてあげたい。

自分が「ここだ!」と思うところ(畑)に、恵みの水が流れるように、調整することが大切なんじゃないだろうか。どこへかしこも水を流すのではなく、選択と集中で、道をあえて減らす。ある路は断つ。

 

器用な人は、何本もその水路を確保できるし、ちゃんとたわわな実がなっていく。ただ意外と、優先順位などは気を付けて、見極めている人なんだろうね。

そして、時期によっては、増やす時期、減らす時期と、「今(の自分のフェーズで)は何をすべきか?」という問いに対する勘も良いんだろうな。

 

まあどっちにしろ、やっぱり歳を取れば取るほどに、増やす行為よりも、減らす行為のほうが増えるはずだ(ちょっとややこしいけど)。

 

抽象的な表現になってしまったけど、もっかい確認。「人生は、増やすよりも、減らす」。これは、間違ってるという人もいるかもしれないけど、ぼく自身にはとても大事なこと。

「情報」というものだけで見てみても、今は情報過多な社会だし、意志を持ってなくても勝手に、自分のなかになにかが入り込んで増えていくし、広がっていく。それを、より意識的に、減らすのだ、狭めるのだ。

 

ぼく自身は、まだ20代だから大きなスパンでみると、まだまだ増やす時期なんだろうな。だけど、小さなスパンでみれば、折々で、減らす時期もちゃんとあるはずだ。

その時期を見極めながら、より自分にフィットしたものを選べるように、欲をコントロールできるようになれたらいいな。

 

無駄のない、シュッとした、自分の姿を見つけたい(だけど、体型的にはボテッと、ポチャッとしてしまうのだろうか。こわいなあ)