Okinawaだけは別の国と考えたほうがいいんじゃないか仮説

Tokyoだけは別の国と考えたほうがいいんじゃないか仮説という記事を読んで、タイトルからビビビと来たものがあったので、このタイトルで書いてみようかと思う。ただ内容に関しては、数値などのデータを用意した丁寧なものではなく、どちらかと言えば“雑感”に近いだろう。先に謝っておきたい、あしからず。

沖縄出身のぼくがUターンしてきてはや数ヶ月、というのは以前書いたが、さらにぼくの沖縄観というのを掘り下げていきたいので、今タイピングを進めている。先に、ズバリ言わせて思うと「沖縄は日本である」という概念を沖縄の人は捨てたほうがいいのではないか、と感じている。

その経緯を話そう。沖縄の若者と話をする機会がよくある。沖縄の若者は外へ出たがらないという点にも以前触れたが、やはりそうなのだ。ただ、例外はあって「県外には出ないけど海外には出る」という選択肢を考える若者は多い。国内を見ずに、すぐに「世界へ」「グローバルに」という言葉を掲げたがる。

アメリカがすぐ側にあることは大きな影響なのかもしれない。しかし、それは違うのではないかとぼくは思うのだ。それは半径5m内の自分の身の回りの社会に目を向けることに価値を感じるからである。身近な問題に気が付けないのであれば、世界に出たところで果たしてどうなのだろうか。

と、ここで指摘した問題は「沖縄の人は(特に若者は)県外には出ようとしないが、海外には行きたがる」ということ。このひとつの事実をひっくり返してみると、「日本という場所を、沖縄という立場でしかしらない人が多い」のが沖縄なわけである。

沖縄以外の46都道府県のことも、多くはマスメディアや学校で学んだ範囲、あるいはWebから流れてくる情報でしか知らない。そして、そもそも沖縄の人は“学ばない”性質を持っている。それは「ほぼ日本を知らないにに等しい」とぼくは考える。そこに知りうる日本はあくまで、超×1000くらいの、ごく一部でしかないから。沖縄だけで日本を語ろうなんてできるわけがない。

そして、海で囲まれた島国の中の島国である沖縄は、やはり日本の一般的なそれとは違いが大きすぎる。言語体系にはじまり、食文化、さらには身近にある教育や労働における問題。もっと突き詰めていくと、つらい戦争を体験した歴史、そして今も戦争を終わらせない基地の存在は他県にはない唯一のものだろう。

この構造の中から生まれた沖縄のくらし、そこから見える「日本」というのは、やはり特殊なものであって、違うものだろう。この中で唯一見える日本のほとんどはテレビやラジオと言った、偏りのあるもの。これで日本を知った気になってはいけない。絶対に。

そこで、ぼくは考えた。日本を知らない状態で、そんなに世界に出たいというのであれば、もう沖縄を日本と考えない方がいいのではないかということ。タイトルにもあるように「Okinawaを別の国と考えたほうがいいんじゃないか」という仮説を持ち、ぼくは沖縄の人に提案したい。日本という国にぜひ、はばたいてくれ。と思うわけだ。

 

そうすることで起きること、起きてほしいことを最後に書いておく。ぼくは沖縄の大きな問題の一つとして挙げたいのは、沖縄にある動きがまったくオープンになっていないことだと思う。それはインターネットの普及とリテラシーの問題もあるだろうし、沖縄という土地をよりよくしていこうと考え、沖縄と県外を行き来する人が極端に少ないからだと思う。

だから、情報が県外へ流れない。例えば、基地問題も沖縄の人だけの問題であって、日本にとっては関係性が薄いように見える理由はそれだろう。全国的なメディアも一部報道をするが、そこに届くまでに情報は水で割ったように薄くなっている。飲んでも味がしないほどに。

こうやって、沖縄に根深くある基地問題を日本国民にとっては関係のないようにして、国(政治家)の問題をひた隠しにしている。というのが、ぼくの見解だ。基地に限らず、他に存在する深い問題や課題は県内から溢れだすことなく、ただただ県内で迷子かのようにうろちょろしているのが実際だろう。

こういった問題について、本当は日本人の多くが参加して考えたほうがいいのに、そうさせないため、情報が流れない流さない、目には見えない仕組みが沖縄にはあるのだろう。問題の解決には、たくさんの人が参加した方がいいに決まっている。だからこそ、問題をオープンにして、共有していくべきだろう。

沖縄の人が、日本へ留学やら出張することの意味は大きい。人と情報はセットである。そうやって、沖縄の抱えるなにかをオープンにしながら、少しでも前へと歩んでいくための策を考えなければいけない。沖縄の人だけでは、解決はできない。解決できないようになっている問題が山積みだから。

沖縄を日本だと思ってはいけない。「Okinawa」と考えてみよう。すると、日本という海外から得られるもの、そして共有すべきものが見えてくるだろうから。誤解がないように付け加えると、あくまで精神的な話をここではしている。決して沖縄独立論をうたっているわけではない。独立できたほうがいいのだろうけど、独立できる状態ではないのは一目瞭然だから。

沖縄でなにか動きをつくりたいなら、まずは日本に目を向けないとね。