我先に、じゃなくてもいいもの。

東京のわりと都心部にいて、

電車に乗ったり降りたりしているとよく感じる事。

「我先に、降りよう」

「我先に、乗ろう」

と他に乗ったり降りたりする人のことを考えない人たち。

自分のことばっか。

こういうのはヤダな、って。

 

我先にいけば、何か得するものがあるからこそ、みんなそうすんのかな。

たださ、先駆けれたらいいことって、一過性のものでさ、

それが過ぎ去ったら、また新しい何かに向かってさ、

「我先に」と競争をし始めるんだろうな、とちょっと寂しい気持ちになる。

疲れる。しんどい。

 

我先にいかなくても、

ずっと変わらずにいいものを、

自分の中でころころと転がしながら、

大きく育てていけたら、つくっていけたらいいなと。

誰かと共有できたら気持ちいいな。

 

我先にいかなくていいもの、

我先に、じゃなくてもいいもの、

って何だろうな。

 

それは、どこにあるんだろうな。

接点になる(知人⇆自分⇆土地)

顔が見えるかたちで身近にいるかどうか、

は大きな問題だ。と思う。

 

例えばのはなし、

沖縄人が身近にいれば、沖縄との接点が増えて、沖縄に考えることがちょっとは増える。

それが友人なのか、恋人なのか、同僚なのかはそれぞれだけど。

 

ぼくは去年の12月から今年の2月までの3ヶ月、小豆島滞在(居候)をした。

小豆島で活動している人に出会って、この島との接点ができた。

小豆島の人がほんと急に身近になった。

 

興味が湧いた。

そのおかげで、小豆島ではどんなくらしがあって、小豆島はどんな場所で、どういった課題があって、みたいなことを考える機会が増えた。

もっと知りたくなって「居候させてもらってもいいですか?」と聞いた。了承もらった。

住み始めると、どれだけ知らない土地に対しての想像力が欠けていたのかと気付かされた。

こんなにいい場所があるんだ、都会には無いものがたくさん散らばっていた。

日本の地方の多様性を知らなかったな、って恥ずかしくもなった。

知らないのはもったいないな、と思った。

 

ぐだぐだ書いてるけど言いたいことは、

その土地との接点って、「人」だなってこと。

小豆島の人に会えなかったら、もしかしたらぼくはずーーっと接点がなく足を運ぶことがなかったかもしれない。

雑誌やwebなどメディアの情報で知っていたとしても、そこを訪れるにはどうしてもエネルギーが弱すぎる。

“顔が見えるかたちで身近にいる” ことの意味はこれ。

 

知り合いに「アクアポニックス」という魚と作物を一緒に育てる農業にかかわる人がいる。

その人がアクアポニックスとの接点をつくってくれたし、内容も知れば知るほどおもしろかった。

土地でなくても、何かとの接点となりつなげてくれる人が身近にいるといい。

話を少し逸れたけど。

 

 

身近にいる、

それがきっかけとなって、

一緒にその土地をおもうことができれば、

いわゆる「地域参加」にもなる。

 

新しい接点のはなし。

南西で生まれ育ったぼくにとって、ずっと縁が遠かったのが東北。

東北を考えるきっかけとなる人が身近にいなかった。

 

ただ最近できた。

はじめてのぼくと東北との接点。それが『TOHOK(とーほく)』。運営スタッフの方が顔がみえるかたちで身近になった。

TOHOKは「東北のくらしの中で生まれた、ずっと使えるいいものを大切な人への贈りものに」というギフトサイト。

 

ECサイトではあるけど、東北のくらしを一緒に考えるひとつのコミュニティでもある、

とぼくは勝手ながらに思っている。

 

TOHOK運営スタッフとの接点は、東北に対する気持ちを高めてくれるから。

まだ現地に足を運べてないけど、必ず行きたいと掻き立てられる。

タイミングが合えば、一緒に金魚のふんのように付いてってやろうと企てている。。

 

東北との接点をもらったばかりのぼくが、接点をどれだけ広げられるかはわからない。

けど、巡り巡ってほしい。知らないだけで、いいものは。その土地を何かの選択肢として増やしてほしい。

 

自分の地元である伊平屋島についても、

ぼくが多くの人との接点になれればなぁと改めて思う。

関係性が人と土地をつなげていく、そういうのが好きだ。

 

 

25年9ヶ月を生きてきて。しごとづくりとはたらき方。

 

 

沖縄のへき地、離島でカクテルとメディアで海外と戦えるとなれば、カッコいいことができそうだぞ、

なんてことを考えている。

 

独、仏、米、英らへん。

世界的に見ればちっちゃなちっちゃな離島から情報を放って、

海外から人や物、情報が集まってくるイメージ。引き寄せるイメージ。

 

遠くまで届けることのできるwebの存在は大きい。

けど、簡単に「届ける」と言ってみたものの、

どこの誰に、何を、どうやって届けるかを絞るのは難しいこと。

しかも、届いたとしても伝わらなければ、人は動かない。

だから、届け方をまずちゃんと知らなければいけないし、頭だけでなく体でも覚えなきゃ。

 

webを通して伝えたいものは、結局はリアルな活動にこそある。

どれだけ心揺さぶるようなものがその場で提供できるか。コンテンツが大事。

それがwebに乗っかるだけの話。目に見えるもの、掴めるものからまずちゃんと整える。

 

-Bar Tram & Trench

-Liqour.com

-Green Valley

-Guesthouse Nui.

-Restaurant Awa

-Iceman

-some writers and editors

etc.

 

いろいろとモデルを調べながら、参考にしながら、応用しながら、

自分のできること、興味や好きずきとかけ合わせながら、準備を進めていく。

準備ははやければはやいほどいい。だって、問題点もすぐ見つかるから。

 

誰かに話すことでもらえる反応を真摯に受け止めて、

解決法を見つけたり、なんらかの協力を得られる可能性も。

 

プロトタイプをつくる、実験を繰り返す、そうやって自分の求めるものをつくる。

それが自分の性分にも合ってる気がする。

最初からガチガチに固めて動くよりは。

 

 

いろいろとやりたいことを整理してみたら、

結局は数年以内には起業するという形をとることになりそう。

自分の中では、まさかまさかの事だけど。

 

そうなったらやりたいこと。

 

離島なんだけど、外から移住してでもやりたいカッコいい雇用を生むことをしたい。

だからといって、一緒にしごとをする人は、全員が全員、別に島にいなくてもいいと思っている。

島に携わるしごとがしたかったとしても、その人がくらしたい場所は島じゃないかもしれないし。

 

会社をつくるとして、ちゃんと考えてみたら、はたらき方を整えられたらいいよな、と思う。

何を会社でするか、じゃなくて、はたらき方から考える。

 

どこにいても一緒にはたらける、

各々が違う場所にいるからこそ、しごとに色を出せる、

ちゃんとそれで利益も出せる、

何より自分たちのくらしを形にできるように。

 

大事なのはくらしの部分。

くらしの一部として、しごとがある。

ここは絶対に曲げたくないこと。

 

すでに一緒にしごとをしたいなぁ、と思う人がいる。

けど、どこでくらしたい、こんなくらしがしたい。はきっと違う考えだろう。

だからチームの一人一人のくらしに沿えるはたらき方を。

くらしに多様性を認めるなら、はたらき方にも多様性をね、と。

 

後はね、コレコレがやりたいからこんな人を集めるとかじゃなくて、

「この人としごとをしたい!」が最初にあって、

自分ができること、その人ができること、会社としてやるべきこと、をうまくかけ算してしごとを生み出したい。

大事なのは、個性を消さないようにする、かけ算。

お酒を混ぜ合わせるカクテルにとても似てると思う。

 

できないことを無理やりに自分はやりたくないし、だから他人にもやらせたくもない。

むやみやたらと、できないこと立ち向かうのは効率が悪いと思うし、

何より精神的に削られるコストが大きい。人を消費したくない。

 

お互いにできることで、できないことを補ってけばいい。

相手が好きなことと自分の好きなことをかけ算して、

ふたりが好きなこと、他の人にも好きになってもらえるようなモノをつくれたらいい。

 

 

僕個人でいうと、自分が好きな人と誰とでもしごとができるような、はたらき方を目指してる。

レゴブロックのようなはたらき方。どんな人とでも作品になれるように。

その人の色や形を個性としてうまく引き出せるように、自分の存在も殺さないように。

 

理想ばかりを言うように聞こえると思う、けど、ちゃんと、かたちにしたい。

25年9ヶ月を生きてきて、考えたことをここにまとめておく。

 

10年後くらいに読み返したとき、どうなっているんだろうか。

わくわくどきどきひやひや。

知ったかぶるな。

ああ、知らないことだらけだ。

外国語系大学で、日本語をやっていたのがそもそもの入口。
日本ってこうだよね、と100%言い切る人が苦手だ。

その日本ってどこの話なんだ、とクエスチョンマーク。

ぼくは日本ってどんな場所なのか、ちっともわかってないし、
日本って漠然としてて、東京と京都、沖縄、北海道は違うし、

同じ東京でも奥多摩みたいな山に囲まれたいなかっぽい場所もあれば、
渋谷みたいな大都会でごっちゃごちゃしたとこもある。
駅毎に文化もあって、なおさら未知、未知、未知。

渋谷も何度も行ったことはもちろんあるけど、
街にあるものを全然知らない。

沖縄も全然知らない、
地元の伊平屋島だって何があるのか、
まだまだ知らないことだらけ。

どんな人がいて、
どんな産業や仕事があって、
どんな暮らしがあるのか。

自分の知ってる世界観だけで物事を考えると、
なんだか恐いし、広がりがない。

だから、教えてくださいと、一緒に考えてくださいと、
そうやって力になってくれる人が側にいるのは助かる。

知ったつもりになりたくない、
知れることが少なくなるから。

日本にあるくらし方やはたらき方、
日本人の多様性と可能性をもっと深めたい。

だから、海外よりも国内にまずは目を向ける。
その延長線上にあるのが、海外だ、と関係性を見いだすことから。

ああ、知らないことだらけ。
たぶん死ぬまで、頭はふにゃふにゃなまま年を重ねる。がルール。