雪もチョコも溶けるさ

朝からずっと「白い恋人達」を聴いている。ホワイトバレンタインだ。

 

雪雪雪、朝起きたら雪。

島と名のつく場所に来てまで、まともに雪など見る訳がないと思い込んでたから、驚き半分、喜び半分、寒さで飛び上がる。

ぱらつくレベルを超えて、ひっきりなしに落ち続ける雪なので、少しずつ積もり始めている。

 

「雪化粧」という単語がFacebookにもTwitterにも飛び交う。

Yahoo急上昇キーワードになったりしないのかな、とへんなところが気になる。

 

こんな中でも外にでる用事があって、ロードバイクに乗って出かける。

海沿い。手がかじかんでかじかんで仕様がない、感覚がしびれてくる。

雪国でくらす人たちはすげぇな、とこういう時になって初めて気付く。

 

細いタイヤなので転ばぬようにゆっくりと進みながら、だけど寒いので早く温まりたいと急ぐ気持ちが運転を荒げて、転ばぬようにと温まりたいとの想いが絶妙なバランスで自転車のタイヤの回転を支えている。いや、ほんとは1回こけた。

その途中、反対方向から高校生なのか中学生なのかわからないが、とりあえず少年が向かってきた。

僕よりもしゃかりきで自転車を立ちこぎ、学校までを急いでいた。

こんな天気のなか頑張るなぁと思いながら、通り過ぎる。

通り過ぎたあとに、気付いたことがある。

今日はバレンタイン。

あの少年のしゃかりきは、遅刻しそうだ、とか、雪降ってるなこんちくしょー、でもなく、

“今日チョコ貰えるかもしれないから何があっても学校までたどり着かなきゃ。机とロッカー、くつ箱みなきゃ”

との熱い想いがそうさせていたのかもしない、そう思えた。

きっとそうだ。

 

ただ少年、そう慌てなくてもいい。

空虚にも動じない心をまず持っておく、それから臨む。

求める場所に、欲しい物がなくてもいいように、心を整えておく。

禅のように静め。

毎年のようにせかせか、どきどき、ばかりして構えていると、

心のない義理チョコに甘えるような大人になってしまうぞ。

淡い期待ほど持ってしまうと最後には寒さしか残らない、

これは25歳生きた先輩からの言葉として受け取ってくれ、同じ道を通り過ぎた少年。

 

大丈夫だ、降り積もった雪は浅い。きっとその想いも学校に着く頃には、雪とともに溶けて、消え去ってるだろう。

 

ホワイトバレンタインだ。

だいたいの人はもらえないだろうから、

ただの雪の日だと考えて、雪だるまクラッシャーごっこでもしたろうか。

 

 

またポエム書いてんのかよ、と思った方はこちらをどうぞ。

> http://gihyo.jp/lifestyle/serial/01/shimoda/0120

主夫?ヒモ?どっちの旦那でショー

それは主夫なのか、ヒモなのか。

 

例えば、旦那は働いてはないけど家事をばっちりとこなし、コミュニケーションも円滑に取れてて、そのおかげで奥さんがバリバリと働ける稼げるって状況があるとします。

この場合、この男性は主夫なのか、それともヒモなのか。

多くの人は、これを主夫とは言わず、ヒモと言う人が多いのではないでしょうか。

これが女性であれば、”主婦”とすんなり言うけど、男性であるからうーん…という具合に。

 

主婦はすんなりOKというのは、

男性が女性を養う、という昔ながらの考えだとすれば、

男性側のこきたない”優越感”、

女性側のこきたない”傲慢さ”

の表れなのだろうか。

 

やっぱりどっかでジェンダーというのは関係しており、

“主夫になりきれないヒモ”と呼ばれる男性を多産している気がする。

 

ただ先ほどの例に、一つ条件を加えてみる。

例えば、旦那は働いてはないけど家事をばっちりとこなし、子育ても楽しんでおり、コミュニケーションも円滑に取れてて、そのおかげで奥さんがバリバリと働ける稼げるって状況があるとします。

“子育ても楽しんでおり”

育児という役割がプラスされている。

それであれば、ヒモではなく主夫と言われやすいと思うんです。なぜか。

(もちろんぜんぶ雑感であって、感覚値でものを言ってるので、違うのであれば違うとツッコミください)

 

そう考えると、一般的には、

家事だけやっているのは主夫ではなく、

家事+育児までできないと主夫とは言い難いのかな、

なんてことが、急に頭をよぎったわけです。

 

パートーナー同士、

お互い好きなことをできて、

カバーし合えてて、満足してるなら、

それでいいだけの話であって、

呼び方はそこまで気にしなくてもいいんだろうけど。

それでも、まだ偏見って野郎はすこし残ってるな。

 

どっちが優れてるとか、劣ってるとか、

こうするのが当たり前とか、慣習だとか、

そういうのはもう止めにしたい。

互いに違うはずの個性と個性がパズルみたくうまく合致して、

その二人がいいかんじなら、とやかく言わなくてもいいのにね。

 

とりあえず、

次、ぼくが女性に告白するとしたら、

主夫を前提にお付き合いください」

と言ってやろうと思っている。

批判は一切認めない。

だって、打たれ弱いんですもん。

 

またポエム書いてんのかよ、と思った方はこちらをどうぞ。

> http://gihyo.jp/lifestyle/serial/01/shimoda/0120

好きです……のぶつけどころ

前回に引き続き、漫画『ブラックジャックによろしく』で考えたこと。

精神科編「10巻」での話。社会復帰に向けて、一歩一歩前進していく総合失調症患者の小沢くん。そのエネルギー源ともなっているがおなじ病で入院する早川さん。彼女に恋に落ち、少しずつコミュニケーションをとり、心を開いてもらう。二人が恋仲ほどに関係を築いてからこんなやり取りをする。

 

小沢:「好きです・・・・・・」

 

早川:「どうしたんですか・・・・・・?急に・・・・・」

 

小沢:「好きな人がいない人は・・・・・・誰にも好きですと言えません・・・・・・僕は好きですと言える人がいるので・・・・・・とても幸せです・・・・・・」

 

この場面、ページをめくる手が止まった。

それは、物語の中での小沢くんの歩みを見てきてるからグッときたから、というのもある。

だけどそれ以上に、自分に奥深く刺さるものがあった。

当たり前のことを言っていると思う。「好きです」は好きな人がいて、はじめて言えること。

過去を振り返って、それすらまともにできていない自分に目がけてコトバが刺さったのかもしれない。

本人の前で面と向かって「好きです」と言えるかどうかは別にして、

まずは好きな人がいる、それだけでも嬉しいこと。

小さいことかもしれないけど、

そんな感情を自分の中に見つけること、そんな人に出会うこと。

自分が「この人が好きだ」と肯定できること。

そして、好きです…….をぶつける(とこまでいけたらいい)

 

丁寧にくらしていく、

ヒントはそこにあるのかもしれない。

ブラックジャックによろしく、弱さによろしく

遅ればせながら、やっと『ブラックジャックによろしく』を全巻(全13巻)読み終わった。

手塚治虫の『ブラックジャック』は昔から好きで読んでいたのもあり、ずっと気になっていた漫画がこの作品。

Kindleを結構前に手に入れて、全部無料で手に入ったので、一晩で一気に読んだ。

医療の現場、生きること、命のあり方、考えながら読み進めることができたが、特に気になったところは9巻〜13巻までの精神科編。

総合失調症になった小沢くんの社会復帰に向けて前に進んでいく。その中で起きる、同じ病気にかかる女の子との恋愛、家族とのぎこちないやり取り、そして精神異常者(実際はそうではなかったが)の凶悪犯罪。

総合失調症では、自分がわからなくなる、自分の存在を見失う、自分と他の存在の区別がつきにくくなるらしい(細かい病状は専門家に聞いたり、調べてみてくれ)

個人的に学生時代から、心理学をかじっていたこともあり(ユングとは同じ誕生日であることに運命を感じてたり)、ここのストーリー展開が心掛かりだった。

読み進めながら、何度も頭をかすった単語が「肯定する」

病気にかかっていることをまず自分で「肯定する」ことから、回復は始まるという。

ああ、そうだよな、よくよく考えると、病気にかかわらず、自分と向き合うときに大事なのは、まずは「肯定する」ことから始まるんだよな、と気付かされる。

ネガティブでもいいし、弱い部分があってもいい、まずはそれを肯定する、もしくは認める。そうしないと先には進めない。絶対に。

肯定できて初めて地に足がつく状態だとすれば、肯定せずにある地点を目指して向かおうと歩き出しても、走り出しても地面を自分の足で、指先で掴むことさえ出来ず、空をふわふわと浮いてるだけなのかもしれない。

だから、前に進みたいのなら、背伸びはせず、というか宙に浮かばずに、まずは自分の受け入れたくない全てを受け入れて、肯定し、そこから着実に地を進んでいけばいいじゃないか。

そんな考えが、ブラックジャックによろしくの物語と一緒に連動しながら、僕の頭の中に訴えかけてきた。

ここからは少し話が変わる気がするけど、

喜怒哀楽、どの感情も悪いもんはないし、その感情の特徴を知ること、そして自分が今抱いてる感情をまず肯定すること。それから感情をうまーく扱えるようになる。

一般的にネガティブとか、それってダメだよね、と思われてることも、まずは肯定しちゃえばいい。そこからどう変わっていくのか。怒るのもダメじゃないし、哀しいと感じるのがダメなことでもない。

僕はネガティブなら、ずっとネガティブでいいと思っている。むしろネガティブである強みを見つけたらいいんだ、なんて。ダメなとこがなんかいいよね、と周りが認めてくれるように、そんな性質を強化すればいいと。

例えば、芸人が某番組で「人見知り芸人」とか「気にしすぎ芸人」とかやってるけど、あんな感じに。自分の弱いと感じるところ、あざ笑われていると思うことをこっちから笑ってやれるくらいに育ててあげる。

オセロの白黒じゃないけど、自分の気持ち、そして見方、考え方を変えれば、黒は白になる。

それもまずは「肯定する」ことから始まる。

解釈を間違えて欲しくないけど、

自分に”病”とおもう部分があれば、まずは目を逸らさずに見つめてみる。

怖いんだけど、ものすごく怖いんだけど、見てみぬ振りはしない。そのままでいいよ、とまずは認める、肯定する。

目には見にくいかもしれないけど、そこから変わる。そしたら、きっと良い方向に進んでいくんじゃないか。

『ブラックジャックによろしく』を読んでたら、そんなことを考えた。

「肯定する」ってのが、えらく気になった。なんか万能薬に思えた。

もしも自分の”病”が弱さだと感じているのなら、そうじゃないよ。

弱さともうまく付き合っていこう、育てていこう、いくらでもどうとでもなる。

だから、弱さによろしく、と言ってあげようか。

だれと、くらしをつくるか

去年の1月に東京を離れて以来、居候人として何ヶ所か滞在しながらに感じたのは、素敵な夫婦/カップルに結構出会ったなぁ、ということ。ほんと思ってた以上にたくさんの方/組に出会った(基本的に、夫婦/カップルにいちゃもんつけるタイプなので。苦笑)

パートナーと、場合によっては子どもも含め、一緒にくらしを楽しもうと、絶妙なバランスを保ちながら、互いにカバーしながら、刺激し合いながら、連れ添っている。幾度もそんな組の姿を眺めてると、いいなぁとよだれが出るような想い。そのおかげで、家族のあり方をすんごい考えるようになったことに気付く。

「どこで何をして暮すか?」が去年1月にわりと自分の頭の中にあったことだけど、今は「だれと、どこで何をして暮すか?」「何を二人でつくっていくのか?」と考えられるようになった。お互いできることも、性格も、趣味思考も違うなか、どのように接点をみつけ、共にくらしをつくっていけるのか。なんだかワクワクする。まだ妄想段階だけど。。

そうやって考えると、”家族”を中心とした暮らし方、そこに引っ張られた働き方を選び、仕事をする。やっぱり、それがいいや。家族と過ごすことに重きを置きながら仕事をしている人は、その思いやりがいろんなとこに波及してる気もする。

何を一番大事にしてるのか、そこを”家族”だと言える、そんな大人にも、男にもなりたい。そう思う。冗談は抜きで。

小豆島おぼえがき5

 

1月も去り、振り返ってみると「時間が流れるのは早いなぁ」と思いつつ、1日1日はゆっくりと流れていく、そんな不思議な感覚で小豆島生活を過ごしています。

ここにきて2ヶ月ほどが過ぎました。小豆島で生活してみて、改めて「これは変化だ」と気付くのは”生活コストが下がったこと”です。

 

◉生活コストが減った(*条件は少しだけ特殊)

具体的な数字の部分は置いておきますが、「生活コストはかなり減ったな」と感じています。その理由をいくつか挙げてみます。

まず特殊なことからお伝えします。僕はポンハウス居候の身なので、家賃は特にありません(ここ一年程ずっと居候/家なし生活しているのでほぼ掛かってません)

また食料に関してですが、主食のお米と素麺やうどんなどの麺類もお米に関しては、ポンさんの実家で作られたお米でして、これがまた美味しいんですっ。

…という条件下で僕は暮らしています。そのため、個人的に島で掛かる生活費は、スーパーやコンビ二で使う[食費]だったり、ボールペン買ったりの[雑費]、たまに行くオリーブ温泉の[レジャー費]くらいです。後はポケットWiFiなどの[通信費]です。

家計簿アプリ「ZAIM( http://zaim.net/ )」でチェックしてるんですけど、よくよく見てみると食費もなんだかアイスやチョコのお菓子部類のほうが高かったり。。胸張って自炊!とまでは言えないレベルで自炊して、ほとんど家でご飯を食べています。

外食代がかかるのは、たまに島にあるカフェで、コーヒー代を払うくらいです。後はこの前たまたま行ったファミレス/ジョイフルくらいです(沖縄もジョイフルはあります!笑)ほほほぼ、僕の島で掛かっているお金は[食費]です。

 

◉島はお金を使わない

お気づきの方も多いかと思いますが…そうなんです、単純に島だとお金を使う場所が少ないです。

遊ぶ場所が少ないとも言いますか。以前過去記事(http://8788.blog.jp/archives/shodoshimaolive )でも触れましたが、島は車社会でお酒を飲みに行ったり、ほとんど外食もしないですし。

反対に、この2ヶ月の間に東京など外に出る機会もありましたが、島の中での生活と比べてしまうと「めちゃくちゃお金使うよなぁ」と感じます。

島内で使う1週間分が、島外では1日分だったり。こうやって考えると面白いもんです。自分が何にお金を消費しているのかに気付きがある小豆島生活です。

おそらく僕ほど特殊でなくても、移住者の話を聞く限りでは、家賃にしろ、食費にしろ、都会と比べれば全体的な生活コストは下がります。田舎暮らしのメリット部分と言えるでしょう。

残りの小豆島生活も1ヶ月を切っております。今回の話も含めて、何を僕自身が島の外に持ち運べるのか、こんつめて考えてみたいと思います。

“旅”のモヤモヤ、違和感など。

 

ずっと前からそうだけど、

「旅」

という言葉の使いどころが未だに分かってない。

だから、苦手な単語だ。

 

そういえば、こんなの過去に書いてました。

> 旅好きの人間は、逞しいかキモいかの二種類: http://8788.blog.jp/archives/29911183.html

 

去年から転々と移動をしてるけど(実際には転々というほど移動はしてない)、

あくまで家なし/居候生活をあちこちでやってるだけで、

短期的に生活地点を変えて、引越しを繰り返してるイメージ。

そうそう生活なんだ。

そのなかで、仕事だってしてる。

ただ観光をしてるわけではない。

 

土地に根ざすのは、正直できる滞在時間ではないけど、

1mmくらいは根っこを入れられたかな?くらいのレベルで。

暮らしてみないと見えないものが多いから。

観光だけじゃ見えないもの、

気付けない、築けない関係性があるから。

ビュッと行って帰るような土地巡りはあまりしたくない。

 

だから自分の今の動き方を「旅」とは思ってもいない。

旅するように暮らす、

暮らすように旅する、

って感じでもない。

 

「ノマド」という単語でもなく、

あれは米田智彦さんのように、

ノマドトーキョーのような活動をしていて、

最初にそう言われ始めた人の言葉だとも思う。

 

今は自分の動き方を、

「家なき男子」

の言葉で済ましてるけど、

まだ少しむずむずする感覚がある。

 

手探りだけど、

まだまだやりながら見つけないといけないんだなぁ。

そう、やりながら、ってとこが大事なんだなきっと。

 

「旅」は苦手です。

その言葉を使いこなすのも、その行為自体も。

みそ汁のケンカ予防

ほら、お味噌汁とか、他には野菜炒めとかそうだと思うんだけど。

 

関東・沖縄で育った人は、たいてい濃い味が好きなわけです。

ぼくもそれに漏れずして、

生まれ育った環境から、おふくろの味が染みた舌だと、濃いめの味付けを求めてしまう。

 

だから、

薄めの味が好きな女性と生活をし始めたとして、

ご飯作ってもらえたときに……

ここで一言だけ付け加えると、

いつも作ってもらうという、女性は家事/料理みたいな価値観ではなく、

たまたま、もしくは、順番で奥さんの番で、

ご飯作ってもらえたときに……

あ、なんか薄いなぁ、と舌が反応してしまって、

美味しくないわけじゃないけど、むしろこれはこれで美味しいのだけど、

なんかもう一つ、白米を平らげるのにもの足りないなぁと感じてしまい、

調味料たくさん足してしまいそうで、相手になんか申し訳ない…

これが続くのもお互いにしんどいだろうなぁ…

とすこし想像しただけで、

結婚相手はグッと絞られるな、

と勝手気ままに考えている。

 

「食」「舌」の感覚が合う相手は、結構大事だとおもう。

たかが味噌汁、されど味噌汁、味噌汁はバカにできない。

どうですか、そこの旦那?

小豆島おぼえがき4

小豆島も、ポカポカとした陽気が少しずつ現れてきました。海も陽をうけて、キラキラとした表情をしていることが最近は多いです。桜の季節、小豆島はどんな風景が広がっているのか今から楽しみです。

 

◉信号のある島、ない島
僕が島内を移動するときは、自転車(ロードバイク)を使っています。といっても、島の人は車移動が一般的で、学生やたまにおじちゃんが自転車を使うくらいでしょうか。

小豆島は人口約30000人、と数字をあげれば想像つくかもしれませんが、そこそこ大きい島です。それだけの人が住むので、それだけの面積は必要です。

ちなみに、左隣にある豊島(てしま)は900人超、僕の故郷である沖縄・伊平屋島(いへやじま)は1300人程の島でした。つまり小豆島は離島の中でも、かなり広いほうです。

人口とは別の基準をあげるとすると、「信号」があります。さきほど、自転車で島内を移動すると言いましたが、小豆島はあちこちに信号を見かけます。これはうろ覚えですが、豊島では信号はほとんど無かったと思います。伊平屋島は、島に信号が一つだけです。

 

◉伊平屋島の信号の役割
ちなみに、伊平屋島にある一つしかない信号の使いどころについて触れておきます。ボタン式になっているので、基本は使われることなく、車もスイスイと進みます(そもそも車が並ぶなんてこともほぼありません…)

ではどこで使われるかというと、年一回に一度だけ、小学生の交通安全指導として「横断歩道の渡り方」をやるわけです。常識的マナーを知らずに、島の外に出るわけもいかないので、こうやって信号を使ってシュミレーションをします。こうやって、年一度だけ稼働する信号が、伊平屋島の信号です。

あって無いようなもの、と言われればおしまいです(笑)

 

◉”街”がある島か?

と、「信号」の存在と島の規模感はちょっと関係あるなぁと思いました。車が何台も連なって赤信号を待っているのをみると、「あ、街っぽいな」と感じます。小豆島は離島なんですけど、”街がある離島”です。比べて、豊島や伊平屋島に街の要素はありません。

よくよく考えてみれば、小豆島はコンビ二(セブンイレブン)があちらこちらにありますし、「100均」や「ファッションのしまむら」も、民宿ではなく「ホテル」が多く存在します。街を構成するお店も多いです。

ただ、だからといって「都会か?」と言われれば、そうでもなく、すぐ近くには海も山もあって、”ちょうどいい”と島民はいいます。必要なものはだいたい島で揃うし、自然だってある。なければ直ぐに高松市内に船でいけてしまう。確かに移住するにはいい島の規模感だと思います。

“街がある離島”に比べて、豊島や伊平屋島のように”街がない離島”もあり、こっちのほうが一般的な島のイメージに合うかもしれません。どっちが良いか悪いかは決してないと思いますが、「島によって”かなり”雰囲気は違う」ということは知ってもらえたらと思います。

特に小豆島は、いい意味でイメージを覆されるようなものが多いので、一度足を運んでみてほしいです。で、一緒に隣の豊島も寄ってもらえると違いも味わえるのではないかと。

かるく触れておくと、小豆島にある街は、”産業の街”です。島にある各街で、一次産業、二次産業、三次産業とすべてを網羅しています。こんな島少ないのではないでしょうか。産業の街であり、産業の島である小豆島、ここらへんはまた他の機会に触れたいと思います。