小豆島おぼえがき3

以前「寒い…」という感覚について触れましたが、今日自転車をのんびりと漕ぎながら海沿いを移動をしていると、もうもう外はポカポカ陽気で向かってくる浜風も心地よく、あぁ春に少しは近づいてるのだと四季の移り変わりを感じました。

春よ早く来い、と南国沖縄出身のぼくは願うばかりです。笑

 

◉「ぜいたく」とは?

先日、ふとした瞬間に「今のぜいたくって何?」と島の移住者に聞かれドキッとしました。

”はて、何だろう?”とちょっと固まってから「美味しいカクテルが飲めることか、ゆっくりじっくりとブログ記事でも書けることですかね」と僕は答えました。

その時はそう答えたものの、なんだか煮え切らないものもあって、また数人に「ぜいたくとは?」という話を振ってみて、また考え直しました。

すると「自分の五感を解放できる」と「自分のペースでゆっくりと考える時間をもつ」の二つの答えに改めて行着きました。

コトバ自体は、最初に答えた”カクテルやらブログやら”と違うのですが、自分にとって本質は同じだなと感じてます。

「ゆっくりと考えること」は「五感をフルに使うこと」とほぼイコールで、その時間をうまく過ごせる行為が「バーでお酒を飲む」だったり「記事を書く」だったりします。

自分の心地よさのためには、”手耳鼻口目頭をうまく使ってあげる”それだけなんだと発見です。

 

◉島にいるだけで「ぜいたく」だった

振り返ると、実は小豆島で生活を始めてからは、都会で過ごしていた時よりも五感も尖ってきてると気付きます。そのせいか、毎日わりとリッチな気分で過ごせてます。今日自転車で移動したあの時間すらぜいたくだよな、と思えるのです。

だから最初の「今のぜいたくって何?」には「島にいる」それだけの返答でもいいのかもしれません。

”島にこれがあったらいいよね”、はやはり田舎なので欲張ればとことん出てきます。でもそれはベターなだけであって、自分のくらしにとってコアな部分ではないです。無いからこそ、足りないからこそ、埋もれている何かに気付けるのかもしれません。

「今のぜいたくって何?」

シンプルだし、あまり考えることもない質問にこそ、自分の繊細な感情が隠されている気がします。その自分なりの答えを探す作業が、自分の心地いいくらし方やはたらき方を見直す大事な時間なんだなぁ、と思えます。

もっともっと気付けることが増えていく、そんな島くらしも後1ヶ月程なので、五感には丁寧に過ごしていきます。

他人に興味が無い。

「他人に興味あるの?」

と、ちょっと哀しいんだけど、よく聞かれることがある。

 

めちゃくちゃよく言えばポーカーフェイスだけど、

たいてい表情も動きにくいタイプのぼくは、人に興味ないように思われることが多い。

むしろ、近づきがたい、場合によっちゃめんどくさいと。

 

で、最初の質問だけど、

「他人に興味あるの?」

答えは「無いよ」

だけどこれだけだと誤解が生じるので、付け加えておく。

“基本的に”他人に興味は無い、だけど興味ある人はめっちゃいる。

なんというか、興味持てる人って多くはないですよね。

誰にでも対して、「興味ありますよ!」なんて口が裂けても言えない。

 

知らず知らずに自分のアンテナを張りながら、みんな生活をしてる。

自分のアンテナに反応すれば、興味を持てるし、

反応しなければ興味なんて持つわけがない。

 

そんで、興味を持てる人、持てない人には明らかに違いがある。

興味を持てるひとは、何かをしようと企んでる、実際に何かをしている人。

形があるにしろ、まだ形になってないにしろ、もどかしくても想いを伝えられる人。発信する人。それを楽しんでる人。

そんな人にはこっちもワクワクするから、興味湧きまくり。

興味を持てないひとは、誰かが企ててくれるんじゃないかと、何かを待ち続けている人。

ただ黙々と形ができるのを待ってたり、できるできない関係なく、何も挑戦しない人。発信しない人。楽しもうとしない人。

そんな人になんでこっちから、興味持てそうな要素を探ろうとがんばらんといけないのか?と思ってしまう。

 

興味を持てない人でも、

何かの瞬間、何かの発信がきっかけで、

興味を持てる人に一転することはある。

 

ぼくは他人に興味が無い。

けど、興味を持ってしまう人は、その”興味が無い”領域をお構いなしに超えて、

いつの間にかズカズカとやってくる。こっちの気も知らずに。

もちろん、こちらから”興味もてる部分を探す”努力は必要、という考えも分かる。

けども、全員にそんなことできないし、

興味が無いことに対して「ひどーい」と言うのならば、

「お前は誰にでも興味が持てるのか?」と詰めたくもなる。

(もちろんプライベートの話で、仕事になると話は別だけど)

 

逆の立場だと、

自分だって”興味を持ってもらえない”のが基本スタンスで、

だからこそ興味を持ってもらえるように、楽しい人、おもろい人、と感じてもらえる人でありたい、

と程よい緊張感を保ちながら、毎日過ごしているつもり。

自分が興味を抱いている人に、興味を持ってもらえるように、

自然と自分磨きするようになるし、

何でも、見せ方、やり方に頭を嫌でも使うようにもなる。

ちょっと恋愛で気になった人に対するアプローチの仕方に似てるかもね。

 

だから、ぼくは、

他人に興味ないし、

他人も自分に興味はない、

という地点からスタートして、

興味持てるか、

興味持ってもらえるか、

のゴールが決してみえない関係性にあくせくする。

 

それでいいや、

と卑屈なぼくは思ってしまうのだ。

 

そんな僕を、おもしろいとか、いいね、楽しいよ、とか言ってくれる人は、

変わり者だとも感じるのだけど、めちゃくちゃありがとうございます。

小豆島おぼえがき2

 

こんばんは。冷え込みが一段とましてきたせいか、外に出るとこたつやストーブの温もりが非常に恋しく感じます。「寒い」と感じれるからこそ「暖かい」と実感できる、めちゃくちゃ当たり前のことなんですけど、最近よくそう感じます。

便利なものが溢れていて、冬は暖がとられ、夏は涼が整いすぎている都会では、その感覚も薄いのかと思います。ポンハウスは昔ながらの日本家屋でして、その整備がある意味ズボラと言えます(笑)

その代わりに「寒いっ!」「暖かいっ!」を敏感に感じながら”当たり前”の感覚を楽しめてると思っています。また、寒いとか暖かいという口から出る言葉を、その場の人で共有できることも、共有できる人がいること自体も、ありがたいことだと思えるのです。

 

◉能登で感じた「囲炉裏(いろり)」の威力
実は先日、石川県/能登のほうに足を運んでいたのですが、似たようなことを感じました。能登半島、中心部にほどよく近いところに位置する[茅葺庵/三井の里(http://colocal.jp/odekake/24862.html )]を訪れて、お昼を食べたときのことです。

茅葺きの家というのも、この地域では今はあまり残っておらず、かなり古い建物でした。そうです、案の定、寒いです。。囲炉裏がある部屋に通されて、ご飯を食べました。

部屋の中心に暖をとれる囲炉裏が設置され、パチパチと音を立てて部屋を暖めていました。手をかざしながら「あったまるわぁ」と思わず口から言葉がポロリとこぼれちゃうくらい、その場は寒かったです。外は雪が積もってました。ご飯はまた体が温まるもので、天にも昇るくらいの気持ちで美味しく頂きました。

そうやってご飯を食べながら、考えたんです。昔は、こういう家では共有が生まれやすかったんだろうなぁと。囲炉裏のある部屋は「ご飯を食べる」「暖をとる」の2つの機能があったと思います。だから寒い時期、お腹が減ったり、寒くなれば、自然と家の者が集まる場所があったわけで、”食”と”暖”をきっかけに会話が生まれていたのだろうと想像できます。

「家の造りが人の関係性を変える」そんな僕なりの答えに行着きました。都会ではそんな場所も少なくなってきているのでは?と疑問も浮かびました。実際はどうなんでしょうかね。ただ会話の生まれる場があるのはいいことだ、と思います。

ちなみにですが、囲炉裏は火の当たる正面はぬくいのですが、火の届かない背中はヒンヤリと寒いです。大袈裟に言えば、体の前と後で”生と死”を同時に感じるのです。。暖かいから寒く感じられるし、寒いから暖かいと感じられる、それは一つの極限状態を体感できる機会とも言えるのではないでしょうか(笑)

そんなことを感じた能登訪問でした。

 

◉「海を越える」というフィルタリング
また先日、小豆島のティーチングツアーに参加しました。この企画では、島の外から学生/社会人が訪れ、島の中学生に勉強を教えます。それだけで終わらず、参加者は勉強を教えた見返りとして、地域おこし協力隊員でもある代表/ポンさんが小豆島は日をまたいで案内するというもの。醤油や佃煮など、島の特産をつくる生産者と結びつけてくれます。これはかなり貴重な体験です。

僕は12月も顔を出させてもらったので2回目の参加。今回は関西圏から3名の学生が参加していました。話を聞いたり、一緒に中学生に教えたり、島を回るなかで「ほんと感度高いし、エネルギー溢れる子たちが小豆島にくるよなぁ〜」と改めて感じました。

「地域活性」や「教育」に興味ある人がこぞって参加すると聞きましたが、なんというか胸に抱えている熱の凄まじいこと… 。実はこのツアー渡航費/宿代は無料なので、いやらしいことを言えば、ただ小豆島に行きたいって軽い気持ちだけでも参加できちゃう訳です。

それでも「島を訪れる人訪れる人、一人一人が本当にいい子たちだ」「熱心に子どもと接してくれる」とポン氏も仰るので、この事実はすごいです。

フェリーに乗って小豆島にくる、ただそれだけの様に見えますが、海を越えるには何かしらの決意が必要で、それが一つのフィルタリングになっているのかなぁと思います。

 

◉さいごに
海を越えるといのは、移住者となれば、もっともっと大きな決断になるんでしょうね。去年だけでも120人が小豆島に移り住み、各々の暮らしをつくっているそうです。

やはり、小豆島には魅力があるのです。僕にもその魅力が少しずつ見えてきましたが、まだまだありそうです。残り滞在期間も貪欲に探したいです。

 

小豆島おぼえがき

 

気が付けば、1月も2週間が過ぎ、あっという間に、冬から春へと時間が駆け抜けていく気します。

以前( http://nurariworks.com/archives/893 )も書きましたが、島の夜は長くほんとに考えることも多いです。そのため、長いスパンでみるとあっという間なんですが、一日一日の短いスパンで考えると、長くとても濃いです。矛盾しているような日々を送っているわけです。。

 

◉人と会話

おそらくその”濃さ”には他にも原因があって、その一つは、*ポンハウスを起点に島でお会いできる方にあるのだと思います。島でくらす人は勿論ですが、小豆島に何かを見いだし島の外からも駆けつける多くの人も含んでいます。

こちらからは一方的に知っているけど、島の外ではなかなかお会いできないような方々が、小豆島では会える…というも何か不思議な感覚に包まれてしまいます。

脱線しかけた話は戻しますと、人と会うことで得られる濃さは「聞く」「話す」のやりとりでの会話にこそあると感じます。その感覚は小豆島を訪れる前にもあったものですが、訪れてから一層その感覚が強くなりました。”会話”が結局は人を形作っているのかなぁと。

会話が持つ「聞く」「話す」ポテンシャルは次のように感じます。聞く:自分にはない新鮮な考え方を、面と向かって、”リアリティ”持ちながらに知ることができる。話す:自分が普段思っていることを、相手との間/空気のなかで、自分の言葉で伝え、表現を磨ける。

そんなインプットとアウトプットを日々繰り返すことが、人と人の間でなら自然にできます。しかも、かなり感度が高い方たちがポンハウスには集まることもあり、なんだか情報の行交うスピードも早く、頭のなかにある自分の考えが破壊と再生が何度も止めどなく繰り替えし、時間が進んでいます。それがぼくの中の”濃さ”であり、それを手助けてくださる人と会話は、ありがたい限りです。

 

◉大人の数とコミュニティ

そういえば先日、小豆島地域おこし協力隊の向井さんとポンハウスにてお話をする機会がありました。まず驚いたのは、同世代/88年生まれだということ。発言の仕方や、その内容に、同じ年でもこんなにも違うのだなぁ、と汗..汗…な訳です。

会話の中で、先日行われたイベント「たこをつくろう(http://mukai-shodoshima.tumblr.com/post/72646339723)」の話題が。凧あげをするために、沢山の子どもが集まったそう。その流れで、”子どもがどれだけ多くの大人と関われるかで育ち方が変わる”という話に。親と学校の先生くらいしか、大人が回りにいない子どもは今増えています。だからこそ”自分を受け入れてくれる大人がいる”、もしくは”こんな大人もいるんだ”、と直接的に大人から教えが有る無いにかかわらず、多くの大人と関われる場が自分の住む地域にあることは大事だなぁと感じます。

子どもを育てるのを、”家族や先生だけ”と一辺倒にするのでなく、地域の大人が一緒に育てていく。変なおっちゃんとの絡みも結構d大事な気はするのです。子どもは小さくても”大人”でもあって、付き合いを制限されてしまうと、自分なりに判断する力が育ちにくくなるとも思いますし。

ということで、子どもに関われる大人の数は大事で、またそれを可能にする場としてのコミュニティを、どうのように地域に作りだせるのか(もしくは編集できるか)を考える良い機会でした。
小豆島ではそんなコミュニティが自然とできている、と同時に感じることもできました。

ちなみに、東京/小竹向原にある「まちの保育園(http://machihoiku.jp/kotake )」はそのコミュニティ例としては素敵だなぁと、昔から主夫志望のぼくは感じています。カフェ併設の保育園なので、地元の人が集まりながら、子どもを見守ることができる場となっています。

 

◉変化を生まれる場づくりを

向井さんとの会話の中で、ぼくは頭の中をかき回してもらって、自分の考えに変化を感じることができました。その会話が小豆島滞在の”濃さ”に繋がっているのです。ただそもそもを考えると、ポンハウスという場が、会話を生む空間となっていることに気付きます。

4月から東京に戻るのですが、会話が生まれ、変化のきっかけとなる場づくりをぼく自身も挑戦していきたいと強く想います。それもこれも、やはり島にこれたからの生まれた想いです。他に何を小豆島から外に持ち出せるか、残り滞在の課題でもあります。楽しみです。

 

*ポンハウス・・・小豆島でぼくが居候させてもらっている古民家/ポンカフェとして今春に併設オープン予定

おいらと結婚してくれ

 

俺のかわいいかわいいお姫さん

おいらと結婚してくれ

 

アーティスト「踊ろうマチルダ」の『マリッジイエロー』にこんな歌詞がある。

ジャンジャンとギターの心地よい音と、少し強きなんだけど、基本べた惚れな男性の気持ちが、

この曲には詰っている気がする。

 

僕は2年程前から、

「30歳あたりで主夫になり、子育てをする」

と公言し始めました。

 

それはパートナーである嫁さんがやりたいことをできる状態をつくれるように、

お互いができることを活かせるように、

というのが理由の一つ。

子育てが僕がやりたいことならバランスとれるだろうし。

 

また母親の体内から生まれてくる子どもは、

どうしても母親を好いてしまう気がする。

その勝ち目が少ない感じが悔しいので、

じっくりと子どもと過ごせる時間を持ちたい、

そして、あわよくば好かれたい(笑)というのが二つ目の理由。

 

最後に思うのは、

子どもが親元を離れるのを20歳までと仮定するなら、

たった20年しかない。

めまぐるしく変わっていく子の姿を、

子育てに関われず、仕事で忙殺されたり、嫁さんに任せっきりにして、

自分の目で確かめる事ができないのはつらい。

ちゃんとうんちで汚れたお尻を拭いてあげたいし、

いつの間にか自分でトイレできるようになったら成長を感じたいし、

お漏らししたら笑いながら叱ってあげたいとも思う。

そんな父親としてかかわれる期間限定のライフイベントにちゃんと参加したい。

これが3つ目の理由。

 

どんな仕事をしていたとしても、

父親であることを第一にしたい。

二児の父であり、ovaqe inc.の代表。

と名のる「ovaqe」の松倉さんは、

ぼくの理想に近いかもしれない。

http://subarumatsukura.com/

 

そうそう、二年前から公言してきて、

今どうなってるかと言うと、少しずつではあるけど、

「30歳で主夫」の準備が進んでいるようには感じる。

 

ある”暮らし方”をしたいと思ったら、

まずはそれに合う”働き方”を探す必要がある。

僕の場合は、子育てしながら、できる仕事。

つまり時間に捉われないで、取りかかれること。

また僕自身が離島で育った経験から、

子どもは少し田舎で、自然がある場所でしたい。

そうなってくると、場所にも捉われない必要がある。

言い換えれば、持ち運びができる仕事だ。

またそこに自分の興味が乗っからないと意味が無い。

楽しいそうに仕事をすることこそ、最大の子孝行だろうから。

 

だから僕は、

「頭と喉、パソコンとペン」でできる仕事づくりを進めている。

まだまだ駆け出しのぺーぺーではあるけど、

可能性が見え始めたし、後はやるだけだ、とも思える段階だ。

 

そう、暮らし方があり、

そこに働き方が引っ張られ、

どんな仕事をするかを選べる

 

嬉しいことに、

この価値観、および2年前に立てた仮説が、着実に形になってきている。

だから30歳に向けて、年を重ねるのが楽しくてしょうがない。

 

ただ、ただ…

肝心の嫁候補がいない。

体制はできても、相手がいないと無意味。

 

だから、1月は決意しやすい時期というの便乗して、

「嫁候補と出会う」

を2014年の目標の一つにしたい。

といっても縁だろうから、

本質的には目標もこうもないか。

 

自分の好きなことをとことんやっていれば、

発信していれば、そんな相手を引き寄せられると手探りしながら。

 

嫁候補に会えるかな。

それとも、もう出会ってるのかな。

ドキドキするやい。

 

明けました。

 

新年明けまして、

やろうと思えばやることはあるはずなのに、

だらだらとしてしまい、

怠け心を初っぱな感じながら、

FacebookやTwitterをずっと監視してました。

 

タイムラインを眺めると、

新年挨拶の投稿もそろそろ落ち着いてきたので、

ぼくも挨拶をしとこう、

なんて文字をちゃっちゃか並べるわけです。

 

ただ、今年の抱負やら去年の反省は、

ほぼほぼ記事にしちゃいました。

2013年の漢字「離」

2014年の漢字「再」

>一字に一年を込める、日本人はいいな。: http://8788.blog.jp/archives/kanji20132014

 

だから、ことさら書くこともないんですよね。

んー、ということでポエムでも書いておきます。笑

 

 

「楽しい、おもしろい、笑える」

と書いてあるシャツをきた女性のお尻を追っかけながら、

「とりあえず実験、体験」

で誰かに振る舞えるような塩加減が絶妙な小ネタをにぎにぎとこさえながら、

バック走と後ろ歩きで、

ユルユルと、

たまにハキハキと、

新たな1年を過ごす。

 

これは、

何か難しく考えてしまうときに、

もっかい見直すべきものとして、

掲げておきます。

 

ゆるく、なんとか、がんばるので、

ふつつか者で、

いなか者、

気まぐれだし、

基本的に逃げ腰のぼくを、

今年もよろしくお願いします。