くらしvsしごと

 

“くらし”と”しごと”は重なっている方がいい。

 

オンオフのスイッチのように、

生活と仕事の間に境界線を引くよりも、

その二つが混ざり合っていたら、

省エネに物事が進むのではないかと思えるから。

 

 

くらしとしごとの融合も、

二種類分かれるんだなぁ、と最近分かってきた。

 

くらし寄りなのか、

しごと寄りなのか。

 

スイッチのオンオフを許されないのであれば、

ぼくはくらし寄りが良くて、

プライベートで過ごすように、

だらりとしているほうが自分らしいし、

素が出ている気もする。

 

しごと寄りで、

誰に対しても出来る人を演じるべく、

シャキシャキしてるのがデフォルトなのは、

好まれるのかもしれないけど、俺にはできない。

無理。

 

気楽で楽しい方がいいし、

そっちのほうがクリエティブに1日を過ごせると思う。

ふにゃんふにゃんで、遊び心があって、

何よりも楽しい、おもしろいほうがいい。

“くらし”をそのまま”しごと”に変えていく、

仕組みをつくり、力を手に入れたいもんです。

 

 

クリスマス、暇な人だけが読む記事

 

12月は師走。

年始に向けてなのか、

ほんと時間が過ぎるのが早い。

 

気付けば、今日はクリスマスイブだった。

いつの間にか…そんな感覚を覚えたのは初めて。

 

小豆島にいながら、

海にも行かず、

山にも行かず、

屋根の下、篭って、パソコンに向かって、

タイピング、タイピング、タイピング…の繰り返し。

 

毎年毎年へんな下心を抱きながら迎えていたクリスマス、

結局何もなく毎年過ぎていくんだけど。

振り返ると、今年は上の空みたいだ。

それはそれで、もの凄く残念なんだけど。

 

頭の中で、

追われてることが多かったのか、

追っていることが多かったのか、

できれば後者のほうがいい。

 

 

来年のいまを考えてみた。

どうしていたいのか。

 

誰といたいとか、

そんなことじゃない。

 

来年はバーカウンターの”中”でクリスマスを過ごせたらと思う。

1人の人も、2人でくるカップルも、一つの空間で愉しめる場を共有できたらと。

 

クリスマスなんて浮かれた日には、

会いたい人がすごく絞られる。

そんななかで、自分がバーにいて、

バーテンダーに会いたい、

と訪れてくれる人が多くあったらどんなにいいことか。

 

来年のいま、バーにいることと、

今年のいま、パソコンに向かって文字を打ち込むこと、

実はリンクしている。

 

書き続けるから、会いたいと思ってもらえる存在になれる。

公私ともに、の考えで。

書くことが最大の攻撃である、

と最近ずっと自分に言い聞かせてる。

だから、いま全力でパソコンに向かわないと、来年のいまは不完全燃焼。

 

やるだけやろうか。

いいクリスマスにするため、

今年よりも来年をみてみようと思う。

だからタイプしまくる日が、今年のクリスマスイヴ。

 

 

と、

現状を肯定するための、

最高に強がりな文章を書きました。

 

これを読んでいる、

クリスマス、暇で暇でしかたない人、

淡い期待は100%なんも実現しないから、

なんかしましょう、

ブログを書きましょう、

来年のためになんか磨きましょう。

 

意気込む、

選ぶ、

動く、

形にする。

 

これが巧くまわれば、

来年の今頃イケイケだ。

 

ということで、

 

ハッピーメリークリスマス。

おかえりなさい、いってらっしゃい。

 

人と場所、そして人と人、の話。

昔に比べれば、日本はつながり/関係性がぜい弱な社会だ。

一つの場所に人がじっとずっと留まるのは、そのぜい弱さが一因だと思う。

 

他人行儀のように、相手をさらりと躱しながらコミュニケーションが淡々と行われている。

だから人と人が結びつかない。

 

つながりがあれば、人は訪れる。

ある場所に行くには、理由が必要不可欠で、

その多くの理由は、物よりも事よりも、きっと「人」だろうから。

一度強くつながったら、また戻っても来れる。

 

あの人がいる、安心感

あの人に会いたい、期待感

二つの感情が、人を運ぶエネルギーになる。

 

「さようなら」

とスパッと一区切りするんじゃなくて、

「いってらっしゃい」

「おかえりなさい」

と言ってもらえる場所がいろんな処にできたら、

日本はめちゃくちゃ楽しくなるだろうな。

 

そう考えたら、メイド喫茶のあのシステムはすごいな。。

「すげー交換」がしたい

 

すげー交換。

すげーと思っている人にすげーと思ってもらえる。

これです。これなのです。

 

よく年代の近いの人とご飯を食べに行くことがあったり、お茶をしたりする。

生活なのか仕事なのか、何かしらにモヤモヤしている人もその中にはいる。

 

たいていモヤモヤ毒に侵されている人は、

「あの人すごいんですよ」「この人すげーから」「その人もすごいよね」

と他人への尊敬ばかりを口にする傾向があるように思える。

 

すごい人と自分を比べて、足りないものやギャップがモヤモヤ原因なのかもしれない。

 

ただ僕は言いたい。

“ならお前もすごくなれよ。”

“すげーと思っている人にすげーと思ってもらえるようにがんばれよ”

と。

 

「すげー、すげー」と人を賞賛する気持ちはわかるし、

すごいなと思える人をそうやって認められる感覚もめちゃくちゃ大事だと思う。

ただ指咥えて、そんな人を眺めていたり、

傍にいるから繋がっているから安心してたりでは意味がない。

自分から何か動き始めないと。

 

すげーと思っている人に自分が負けないものは何だろう?

どうやったらすげーと思ってもらえるレベルまで達するのか?

どうやったらすげー人と一緒におもしろいことができるのか?

ポジティブに動き始めることは幾らでもできる。

というか、動き始めないとわからない事、気付かない事だらけで、

待ちの姿勢で何かがやってくるのは、貴族くらいだ。

 

片想いのあの子に「いいな」と思っていても、

何もしなければあの子にも「いいな」と思ってもらえない。

そんなことにちょっと似ているかもしれないけど、

少し違う気もするからここは読まなかったことに。。

 

僕自身はユニット組んで活動してて、

相方に対して「すげぇな」と思える気持ちはもちろんあるし、

だから一緒にやりたいとも思えた。

だけど、相方の”すごい”に甘えたくないし、

自分も何かしらで「すげー」と思ってもらえるように気は張っているつもり。

どう思われてるかはいい緊張感もありつつ、そりゃちょっと怖かったりもする。

 

互いにすげーと思える関係があって、初めてバランスがとれて、

互いを補い合ったり、モチベーションに繋がってくる。

 

だから常に僕は、

「すげー交換」がしたい、

すげーと思える人にすげーと言わせてみたい。

そんな関係性を築き、スキルを磨きたい。

そもそも相手に見せつけられる”形あるもの”をつくりたい。

凡庸なことばかりしか言わないけど、そうやって高め合えるのっていい。

 

誰かに対して「すげー、すげー」という言葉が口ぐせになってる人、

自分だってすげーんだぜ、

とちょっとくらいは歯向かってみるのもいいんじゃないすかね。

 

僕も、もっと、もがきます。

今年の色、来年の色。

 

毎年「今年の漢字」が話題になる。

そんな時期がもうやってきた。

去年は「金」、一昨年は「絆」、

その年の世相をよく表わしたいみたい。

 

僕も毎年暮れになると「今年の漢字」と「来年の漢字」を考える。

ただ今回はそれをさて置いて、「今年の色」「来年の色」の話を。

ここ2,3年くらいから、「漢字」と一緒に「色」も考えるようにしている。

 

今年の色も、来年の色も、

簡単に言えば1年を通じた”テーマカラー”のお話。

 

■ 今年の色

今年の色は(何色)だったと経験から振り返るってよりは、

去年の暮れに決めた色が実際どう1年に関係してきたかを考えるわけです。

僕の場合、今年の色は「青」と決めてました。

なるべく青交じりの服装にしたり、小物にも青っぽさを意識したつもりです。

 

振り返ってみると、

転勤で大阪に住んでいた兄貴から譲り受けたロードバイクが「青」だったり、

京都で関わることのできた職人さんが”トトブルー”という「青」基調の作品を得意としていたり、

「青」々とした海のある場所での暮らし(実際に訪れることにもなった)と自分の自然観も分かってきたり、

と「青」にまつわるものをを深める事ができたこと、

そして関われた「青」と今後の活動への影響はとても大きいとも感じます。

 

– 静寂/神秘/宇宙

– 理想/自立

– 冷たさ/憂鬱

 

調べてみたところ、青から連想できるものだそう。

食と暮らしを介して自然への神秘に気付かされ、

メディアの理想や、フリーで働くことの難しさを痛感し、

自分の冷淡や憂鬱も抱えながらに過ごしてきた1年だった、

と振り返ってみた感想です。

 

青らしさを少しは外だけじゃなくて、内にもまとうことができたのしょうか。

 

「今年の色」に関するものが自分に引寄せられてきたような感覚、

意識したからそう感じるだけかもしれないけど、

それでも”カラーバス効果”みたいに考えてみるのもいいのかもしれない。

 

■来年の色

さて、来年の色はどうしようか。

「青」を深めるもの面白うだけど、

微妙に「藍」だったり、「桃」といった色で攻めてみるのもありか。

まだ年越しまでは時間あるので、ゆっくりじっくり考えてみよう。

 

ここまで読んでくれた方へ、

今年の色、

来年の色、

いかがでしょうか?

 

自分がミジンコのように感じる美しさ

 

自分の力ではどうしようもないものに出会っているだろうか。

頭の中で「!」「?」の連続で、テンパってしまうような出会いってやつに。

 

突拍子な発言だけど、

どうしようもないものに出会う。

そんな経験をすると、人を強くなる。逞しくなる。

日々、自分の思い通りになることばかりだと人は浮かれる。弱くなる。

第一おもしろみがない。つまらない。

 

昔に比べると、現代は自分でたいていのコトを満たせるようになってきた。

寒いと思えば、こたつもあるし、エアコンもある。

火をおこしたいと思えば、ライターもチャッカマンもある。

甘いものが欲しいと思えば、100円そこらでチョコレートも買える。

そもそもお腹が空けば、すぐに何かしらで満たせる。

欲しい物がいとも簡単に手に入るようになっているし、

昔の人がかんじていた「欲しいものがすぐに手に入らない」不足が遠のいている。

五感を満たすものを意図的にコントロールできてしまっている。

 

言い方を変えると、

現代は、

不足が足りない、

と僕は思っている。

 

満たされすぎている、

特に都市は。

それは離島出身の僕としては田舎との違いとしても主張できること。

“それがなくてもどうにかなる”ってものが溢れているし、

それがある事が常識になっている。基本的な感覚が違うから、感じる有り難みだってもちろん違う。

 

不足感があるから、追いこまれるから、人は知恵をしぼり、火事場のバカ力を使えるものだ。

自分の力の限界を超えた、不足に溢れる経験こそが、人間らしい暮らしだとも思えるわけだ。

何もなかった昔、何も無かったなりに生活してたはずだけど、その中にも満たされるものはあったに違いない。

それは人間らしい何かを感じていたからなんだろうなぁと。

 

自然はどうにも敵わない。

それを知っているかどうかだけでも、暮らしの価値観は変わる。

台風のせいで、スーパーの品の並びが悪くなってもきっとビクともしないハートになるから。

むしろ農家や漁師への配慮まで届くかもしれない。

 

自然以外にどうにもこうにもできないもの、

これらはきっと万国、そしてどの時代でも共通しているかも。

恋愛や仕事、

どうかしたくてもどうにもならないものは多い。

好きな人と必ず結ばれるわけじゃないし、

好きな仕事に必ずしも就けるわけでもなければ、

好きな仕事でもうまくいかないときだって大いにある。

どうしようもないものに囲まれた時、脱皮のチャンスなんだろう。

ここで馬鹿力を出し、人皮むけるかで強さに段と違いが生まれるに違いない。

 

どうにもないものに触れてこなかった人、どんな形であれ挫折を経験してない人は、少し心配だ、

弱いから、脆いから、どこで壊れてしまうか気が気でならない。

 

どうしようもないものを目の前に、体験したい。

自分が何もできない、そうだミジンコの気持ちになれるくらい、

弱々しい、力のない存在だって感じる機会はきっと必要。

ミジンコと認められるから、できることもある。

相手のルールに則り、自分を委ねていく。

いつの間にか、相手と自分が融合しているかもしれない。

 

新しいものを生み出す人は、そんな感覚を持つ人だと思う。

自分がミジンコだと知っている人。

そんな人に、美しさを感じずにはいられない。