「地域おこし協力隊」は”肩書き”でなく”制度”のこと

ここ最近になってからか、地域おこし協力隊で働いている人と会ったとき、「地域おこし協力隊」以外の肩書きが記された名刺を受け取ることが増えた気がする。そう、地域おこし協力隊は”肩書き”だと思われがちだけど、あくまで活用すべき”制度”でしかないわけだ。

とはいえ、地域おこし協力隊としての肩書きを名乗ったままに活動を続けている人、地域はまだまだ多い。その肩書きがゆえに、何をやっている人なのかがわかりにくく、外の人だけでなく、自分が活動する地域住民にすら理解されていないケースがあったりもする。

「移住コンシェルジュ」「ライター」「作家」「シェフ」と伝えられるかどうかは大きく、伝わってないために、なんでもかんでも地域のことをやってくれる”何でも屋”と勘違いされた話もたまに聞く。

制度を肩書きとして名乗り続けることは、より自分の存在を曖昧にしてしまう。それは「フリーランス」も少し似ているかもな、と自身の経験に重ねると余計に感じることで、「フリーランスです」と伝えても、何をする人/できる人なのかは中々わかりにくいものなのだ。

あと、そもそも「地域おこし協力隊」のネーミングに触れると、「地域おこします」とどストレートな宣言をしてる様子は、「童貞を捨てたいからセックスしたいです」と声高らかに口にしているような気恥ずかしさをぼくは感じてしまう。

それは、地域おこし協力隊に限らない話で、「まちづくり」「移住」も、それ自体を目的とし「まちづくりをしよう」「移住しよう」と唱え続けているうちは、よいまちづくりも、よい移住のかたちも生み出せないのではないか。とFacebookのタイムラインを眺めながら思ったので、すかさずメモメモ。

ソーシャル系の人は見落としがちだけど、東京にも地域はあるし、東京に依存しないことが地域で生きることではない、と思う。

「地域で生きる、ということは、東京に依存しない、利用すらしない、ということとほぼ同義」というような発言を目にして、違和感があったので、記述しておく。

そもそものところ、「いやいや、東京にも地域はあるので、東京でも地域で生きる、ということは余裕でできるでしょ」というのが、ぼくの言いたいことである。

「地域」の定義が違うからこその視点のズレなのかもしれないけども、やはり「対東京」「脱東京」の悪としての構造を扱うような表現には、ほとほと疲れてしまう。東京崇拝はそれはそれでこわいけど、それ以外の地方崇拝みたいなもんもそれはそれで気持ちわるさを感じてしまう。もうそれは、場所と人の相性とバランスでしかない。

都会も田舎も、どちらであっても地域(ローカルなるもの)はあるわけで、そこに住む人たちがシビックプライドをみたいもんを持ちつつも、他地域とそこで暮らす人に対しての敬意を持てないのは、ちょっと残念な気がする。それは、やややもすれば「もったいない」の発想にもつながってくる。互いにできないことは、依存し合えばいい。それぞれの個性、良さ、持ち味を肯定せずに、どの場所が絶対的にいいとかわるいって話はバカげているし、子どもじみている。

極論、雑に言ってしまえば、地域なんてどこでもいいわけで「どこがいいか?」という問いをだれかに投げるのでなく、「どこがはまりそうか?」という問いに置き換えて自分に投げかけることでしか、自分が暮らしやすい働きやすい地域なんて見つかりっこない。で、他人が口にした言葉やネットの情報はヒントになるとはいえ、それが自分にとっての答えになることはないので、自分で足を運べ、自分の足で稼げ。

なにが哀しいかっていうと、さまざまな地域に関わっていて、影響力のあるような人がそのような考えで、各地へ足を踏み入れてるんだな、ということ。いいことを言っているように見えるが、浅はかで、地方も東京のどちらに対しても、消費的な目線しかないように見える。それだから「ソーシャルソーシャルしている人たちは…」と言われてしまうんだろうなぁ。

眼を貸してくれる人

南国気質は根本的には、苦手だ。島は、よいことばかりではない。沖縄で、離島で育ってしまったがために感じる、あの島にあるドロドロとしたもの。

出身”だからこそ”見えるものと言えばそうなんだけど、出身“のせいで”見えていないものもたくさんある。東京を経てUターンしたばかりはわりとクリアに見えたものも、1年以上もいるとピントがずれ、少しずつボケていく。慣れの怖さだ。それが怖くて、定期的に沖縄の外に出て、遠くの山をじっとみて視力回復をのぞむようなことをしているのだけど、やはり限界はあるようだ。

過去は変えることができない。「〇〇出身」というのは、だれもが持てる過去の遺産であって、辿りに辿れば、個性の源とも言える。その個性一つでは成し得ないものはあって、いくつかの個性が重なるからこそつくれるものがある。地域において言えるのは、地元、Uターン、Iターンという属性があって、その3つの立場の(個性を持った)人たちが結集して生まれるものに、新たな価値がある。

もう一度言うと、ぼくはUターンという立場だからこそ、見えるものがあるが、見えないもの、見えなくなってきたものがある。そこを補完してくれるように、時折、Iターンの人の声をもらうと、ハッとすることがある。耳に入ってくるこの声をもっと増やしていければと思う。

その眼を貸してもらえると、ありがたいのだ。

田舎者はどこでもいるぞ

ぼくは田舎生まれの田舎育ちなので、やっぱり田舎者なのかな? とふと考えたことがある。大学進学に合わせて沖縄から上京し、いわゆる大都会、東京砂漠に迷い混んだわけだけど、言うほどには田舎者ではなかったかもしれない。

ずっと田舎にいたもんだから、当時、本を読んだりテレビを観てたりしてると、「うわー、ほんと狭いところにいるんだな、おれ」と心のつぶやきが漏れそう日々だったのを覚えている。もっと上がいるし、もっと知らないことがあるんだ、と18そこいらの鼻っタレのぼくはそう信じてやまなかった。足掻いて足掻いて上京ができたタイプだ。

あの時は、ちょっとした東京信者だったかもしれない。あそこに行けば、すべてがある、と思い込んでたし、田舎はダサいとそっちに向かって嫌な顔をしながら暮らしていた。しかし、それは間違ってたんだよな、間違ってた。

東京に住んでみて、大学、アルバイト、社会人と人に揉まれてみて、見えてきたこと、いや、学生を始めたてのときにすぐ察してしまったけど、田舎者は東京にもたくさんいるってこと。それは地方出身者が多いとかそういうことではなく、東京生まれ東京育ちであっても同じで。

東京生まれが本当は田舎者だって

BEGINが歌う曲に『防波堤で見た景色』ってのがあって、その歌詞ではそう書かれている。確かにそうだよな、とついつい頷いてしまう。そして、いつ聴いてもしっとりいい曲だ。

じゃあ、なんで「東京のような都会にも田舎者がいるか」って話だけど、東京しか知らないのに、東京が一番と思っていたり、東京だけで日本を語ろうとしたり、国内よりもすぐに海外に目を向けようとしたり、「井の中の蛙」臭がすごい人は、田舎者なんだ。

つまり、「うわー、ほんと狭いところにいるんだな、おれ/わたし」と思える気持ちがあるかどうか。無知の知じゃないけども、知らないということをちゃんと知っている人。ぼくはそこらへん臆病なところがあるから、そういう意味で、自分は田舎者ではないかもしれない、と事実的に感じたわけで。

ってなると、田舎者はどこにでもいるわけで、田舎にも都会にも、一定数いる。未知のものをなかなか受け入れられない、そっちへ踏み出す勇気も謙虚さもない人ね。何か革新的なことをする人ってのは、きっと田舎者から脱皮している人だろう。

逆に言えば、田舎にも田舎者じゃない人はたくさんいるわけだけど、そこに当てはまる、田舎者の反対の言葉が「都会っ子」とは到底思えないし、なんかちょうどいい言葉が見つからないのは困ったな。これ考えるの宿題にしよ。そういえば「舎人ライナー」って言葉の安心感パない。

移住イベントは、だいたい二パターンに分かれる

ぼくの夏休みは終わらない。プライベートの自由研究としての『バケモノの子』を前に挙げたけど、ちゃんとした、いや、ちゃんとしたって言うのも変だけども、ライフワーク的な自由研究を挙げるなら「移住」や「商店街」というテーマがある。

「移住」だけについて触れると、土地から土地へ動くってエネルギーむっちゃいることだから、その人が移り住む理由が気になっちゃう。というのと、ぼく自身が同じところに留まれずにあちこち行きたくなるタイプなので、どうやったら自分が根ざせる場所が見つかるのか?という自己対話も含めて、公私ともに還元できるレベルで掘り下げていければと思っている。

振り返ると、「京都移住計画」のメンバーと知り合ったのが、そもそも「移住」という言葉を真面目に考えるきっかけだったなぁ。そこからプロジェクトに関わらせてもらったり、彼らが発信する情報を拾っては、自分なりに掘り下げ、他の地域に行ったときには移住にまつわる話を聞いてみたり、沖縄において移住における取り組みをはじめたり、いろいろな方法で「移住ってなんだろう?」と向きあってきた。

そう、そうやって考えてみると、移住イベントをやるときには、ふたつの段階(場)を意識しなきゃいけない気がしてきたぞ。

ひとつは、「そもそも移住ってなんだろう?」を考える場をつくること。ぶっちゃけると、「移住」ってとても大きくて重い言葉だと思ってしまう。そういうことに興味ない人からすれば、超無縁のような単語に聴こえるに違いない。だけど、移住について考えることは「自分の暮らし/働き方を考えること」だから、実はほとんどの人が参加できる理由がある。とぼくは思う。

ある意味、就活を考える学生だって移住イベントに参加することで、移住しなかったとしても、生き方のヒントを得るかもしれない。その場に参加する人たちのさまざまストーリーを共有してもらえば、それだけでもいい勉強になるだろうし。ということで、「移住」ってのを切口を変えてみて、その敷居を下げるような「そもそも移住ってなに?」を考える場づくりがまずひとつ。

で、ふたつめは、その次の段階とも言えて、それぞれが自分たちなりの「移住」をかみ砕いた上で、次のステップとして、移住する地域の選択肢を広げたり閉じたりするための場づくり。それは「全国各地のどっか」という幅広い選択肢から選びたい人もいるかもしれないし、「この県にする」と決めていて、そこからさらに地域を定めようとしている人だっている。

またそこに付随するように、どんな暮らしができるのか、どんな仕事があるのか、という疑問を掘り下げられるシカケも必要だ。それがより具体的になっていると、求人や住まいがありまっせ、マッチング情報を用意しておくことになったりね。もちろん、この段階でも「移住ってなに?」についての考えを揺さぶられつつではあるけど、実際に移住するための選択肢と、それを絞っていくための(相手に合わせた)基準を共有できる場の質があがればあがるほど、移住のアクションには繋がりやすい。

実は「移住した後に〇〇をしたい」というところを汲み取ると、「ただ移住したい」というのと「移住して地域を盛上げたい」というのは層が明らかに違うので、これらの属性の人たちをまとめちゃうとダメで、そこはセグメントして、移住イベントは打たないといけない。移住して地域を盛上げたい、と考えている人なんかは「地域仕掛け人市」とかが合ってるのかもね。

と、長々と書いてきたけど、再度まとめると、潜在的ニーズを掬う「移住ってなに?」と顕在的ニーズを拾う「どこに/どうやって移住できるの?」という二種類の移住イベントがあるといいのかも。その中で、参加者が自分たちでも考え、具体的なアクションに繋がるシカケをつくっていく。(あくまでこれは“移住検討者向け”の話であって、“移住受入者向け”だと各地域プレーヤーが集まってケーススタディできる「移住フェス」みたいなパターンもある)

最近の移住イベントを眺めていると、「どこに/どうやって?」の部分ばかりが協調され過ぎていて、そもそも論の大事なベースがないがしろにされているケースも見てとれる。地方創世ブームでお金も動きやすいからって、そういう雑な取り組みはホント止めてほしい。ゆっても、移住って大きな決断だからさ(そこに骨を埋めるとかそんな気負わなくても全然いいと思うけど)。

だからこそ、ちゃんと選ぶための前置きはしっかりと丁寧につくっていくこと。それは移住に携わる人なら大切にしてほしい意識だよなぁ。まあ、こうやってずけずけと書きながら、自分自身にもプレッシャーがずんずんのしかかってるくる感じが、M気質だな、と自分を再確認中でございます。

ぼくが「試住」をはじめたわけ

明日まで、宮古島(沖縄)にいます。というのを今更書いておこうかと思う。9月4日からの約3週間を宮古島に滞在している。初めての宮古島だ。なんでここに来たのか?というと、観光のかの字もなくて、ただいつもの仕事を場所を変えてやるため、もっというと、宮古島でくらす感覚を知りたかったのがある。

以前にも触れたように「地域」「移住」なんてのは、ぼくの領域にある言葉で、そのふたつが重なるところに「試住」という単語がある。英訳したトライアルステイのほうが意味は通りやすいかな。移住のお試し期間としての「試住」を自分の体験として積み重ねることを、最近「〇〇試住計画」というプロジェクトとして取り組み始めた。

ということで、宮古島に今いるわけなんですよ。ただ「なぜ試住をやるのか?」という話に触れてなかったので、(ひとつの理由として)7月にしばらくお世話になった長崎の話をまとめておこう。

27歳になった次の日から、長崎の平戸島ってところにいたんだけど、それはぼくの生まれがここって聞いてたこともあり、ルーツ巡りで足を運んでいた。そしたら何の縁なのか、たまたま漁師のおっちゃんに拾ってもらって、そのご家族にお世話になることに。

で、その一緒に過ごした時間というか、生活っぷりってのが、個人的には印象的だったんですよ。朝3時くらいから仕事して、違ったタイプの漁で2回くらい海に出て、お昼頃には切り上げる。午後は、ちょっと昼寝してから、事務関連の仕事したり、休んだり、遊んだりっていうあんばい。夕食は、5時半くらいには食べてしまう。

だから、夜はむちゃくちゃ長い。都内にいると、まあ18時くらいってまだまだこれからって時間で、街は明るくて、なんか落ち着かないけど、平戸島ではほんとしーんと静かで、ゆるやかな気持ちになる。(付き合いで飲んだり、結局その後、個人的に仕事はあるんだけど)。こういう1日のあり方が違う、ってのは頭の中だけにあるよりは、ちゃんと体験してみたほうがいい。どっちが絶対いいということはないけれど、自分にフィットするくらしの循環を考えることができるから。

「試住」と「定住」の間に「移住」があって、新しく移り住み、そこに根を張ってくらしをつくるにもやっぱり段階は必要だ。ということで、「試住」はもっとできたらいいし、ぼく自身、実際に試住してみて、その地域のレポートができればと思う。それによって、ぼく自身が移住するというよりは、その地域に移住するのがマッチしそうな人をつなげていきたい。自分のできることとして。

ひとつの場所にいても、ちょっとするとどっかに行きたくなる性格(地域の行き来の公私ともにバランスをとるタイプ)との相性も良さげで、移住という概念に関われるとも思うので。そうやってつなげることのできる地域を広げていきたい。実は、長崎の前後で、熊本-宇城と、岐阜-奥飛騨にも行ってきた。

来年3月までには、後2、3ヶ所お邪魔させてもらえればと思うので、そのための情報発信の体制も整えなくちゃなぁ。もっと地域毎の特色も(それによって、地域への入り方も変わってくるので)勉強しなくちゃだし。なので、試住とかトライアルステイ関連の情報があったら、教えてもらえるとうれしいな。もちろん、地域から直接声をかけてもらえるが一番ありがたいのだけど(欲張り)。

バランスのいい人がいい

世間の騒がしさを見ていたり、地域の動きについて観察をしていると、なんだか寂しい気持ちになるときがある。それは、偏った意見ばかりが主張されてて、たがいに衝突を繰り返してばっかりで、バランスのいい人ってほんと少ないよな、という現状に出くわすからだ。

バランスがいい、とはどういうことか。例えば、ある問題についてAとBという意見(考え方、領域)があるとしよう。そのとき、Aだけとか、Bだけのような一つの意見に縛られて、その主張しかしない人は、バランスがいいとは思いにくい。Aの考え方は〇〇の理由で分かるし、Bの考え方も△△の理由も分かる、というように、どちらにも歩み寄れて、“視点を切り替えるスイッチを持っている”人が、バランスのいい人。

だからこそ、AとBの真ん中になって、調和させるかのように、つなぐ役目を買えるのもこういった類の人になる。大事なことは、ただ真ん中にいれば良いわけでなくて、いったんAにも限りなくグググと寄れて、同じようにBにもいけること。その上で、真ん中がどこなんだろう?と探りながら、2つの間の架け橋になれること。AとBを越境でき、共通項を抱えることのできる“間的存在”になれる人こそ、バランスのいい人。

少しだけ、地域おこし的な話をすると、その地域を賑わせていくためには、やっぱり人の力が必要で、バランスのいい人材が求められる。根本的には、都会(A)と田舎(B)の感覚を持ち合わせているバランス性はあるに越したことはない。

また、地域の情報発信だったり、新たなことに挑戦するときには、あくまで地域にあるアナログな素材が大切とはいえ、Webなどのテクノロジーを道具として使いこなせることは、ますます求められる。その上で、地域づくり(A)とテクノロジー(B)に対する見識を両方持っていると、バランスのよさを感じる。地元の人はその部分が欠けてることが多いからこそ、テクノロジーを伝播するための架け橋になれる。

ちょっと他の領域にも触れておくと、「農業(A)とIT(B)」とか、編集における「紙(A)とウェブ(B)」とか、基地問題における「県内(A)と県外(B)の声」など、さまざまな場面において、越境できる人の存在は求められているように思える。そして、これから、どんどんその存在価値は高まっていくと、ぼくは思う。

今まで橋渡しされることなく、混ざり合うことのなかったふたつが、おたがいの領域を行き来できるようになる。これって、とてつもないクリエイティブだ。驚くアイデアがひょっこり顔を出す瞬間はこれ。そうやって新しい価値を生まれるには、そういった“間”に入って、つなげるバランスのいい人が必要不可欠だろうな。

だから、(みんながみんなバランスがいい必要はなくて、尖った人もいてしかりだとは思うけども)、世代、職業、国、地域、地位、性、に囚われることなく、その間を行き来できるバランスのいい人をもっと増やせる教育的な仕組みって必要なんじゃないかな。そもそも、それをつくれる人は、超絶にバランスいい人ではなかろうか。

まあ、なんでこんなことを書き留めたかと言うと、バランスのいい人っていいなぁ、とぼくは思うし、そういう人が好きだし、そういう人と一緒にものづくりをしていきたい、という単純な気持ちだけだったんだけど、自分なりの「バランスのいい」を文字化できて一先ずOKということにしておこう。一生、バランス主義でゆきたいところです。

地域おこし協力隊になって、自分探しをしようとする若者の風潮について

ブームというか、ファッション性というのはこわいもんだ。そのレベルまで認知が上がると、“消費されるもの”になってしまうから。「地域おこし」もその領域にすでに入ってしまったように思えてしかたない。軽々しくその言葉が用いられ、すぐに手が届く存在ように扱われている気がする。

現在は京都を拠点に置きつつ(そのうち福岡になるそう)、日本各地を遊牧するように働く、「メガネと、」のタカハシタカシさんがSNSで次のような投稿をしていた。

(前略)その地域おこし協力隊という枠が特に若者の自分探しに使われているということ。直感でその地域に何かを受け取りソコに働き掛ける事は良いことだけど、本当にその直感が正しいのか何度も通って判断してから動いて欲しい。

自分の出来ることを試したいなんていうのも、それが上手く展開出来れば立派なものだけど、体力が無くなった地域で何かを起こそうなんて大抵は上手くいかないことが多いわけで。

本当にその地域のために何かをしたいのであれば、綿密に何が出来るかを調べてから行って欲しい。何処かの地域の成功事例を持ち込んでうまくいくんだったら、経済が良くなったり人口増えてるんだろうけど残念ながら自然動態を除いて社会動態だけでも増になってる所は殆どない。

ビジョンが漠然だったり実現性が危うい風呂敷を広げられる程、その場から去れない人々にとっては迷惑だったりする。

ハッとしたのは、「地域おこし協力隊という枠が特に若者の自分探しに使われている」というフレーズ。この点には、ぼくにも思い当たる出来事があった。

以前、地域系の動きについて書いていたぼくのブログ記事を見つけて、連絡のやり取りをし、会った若者がいた。その男性は大学卒業したての社会人1年目で、当時まだ5月頃だったから、入社して1ヶ月ちょっとで勤めている会社での業務に違和感があったそうだ。だから、すでに辞めることを考えていて、地域おこし協力隊としての参加を希望しているとのこと。

彼と話をしていると、「自分ができることは、今勤めている場所にはないけど、地域おこし先にはきっとある」というような、仕事に対するモヤモヤを地域おこしという大義名分にすり替えている気がしてしまった。自分の価値と可能性を試したいだけなら、「地域」に限らなくてもできるのに。それは、さっきタカハシさんが上げていた「自分探し」という単語にピシャリと重なって腹オチした。

 

話をその彼に戻すと、ムムムッと感じることがあった。よーく話を聞いていると、彼にとって縁もゆかりもなさそうな地域(県)に行こうとしていて、しかも一度も行ったことない地域に行こうとしている。「地域の素材をある程度わかった上で言ったほうがいい」「応募する前に、まずは足を運んで、そこの人に会ったほうがいい」などを話をして、確かにそうですね、という反応をもらえたのは幸いだった。

自分が実際に足を運んだこともない地域に、仕事があるからといって、勢いだけで飛び込むのはいかがなものか。ぼくはいつもそれを思う。そこにいる人の顔がある程度見えるようになること、そして、自分自身が関心興味を持てる地域資源があって、その活用方法も何もないままに、いきなり地域おこし協力隊として参加すると、大変だよきっと。

仕事の面だけではなく、くらしの面をどれだけ想像できるかというも大事。地域おこし協力隊でいくような場所は、たいていが狭いので、ある意味、その地域の人みんなが家族のような関係性だったりする。相性はそれなりにあるだろうから、その人たちと一緒にくらしていけるのか、何を大切にくらしているのか、を事前に知ることは下調べが必要だろう。

 

いつも通りにだらだらと書いてしまったけど、ぼくがここで主張したいのはやっぱり、「自分探しのためだけに地域おこし協力隊を使わないで」ということ。自分探ししたいだけなら、ふらふらしている旅人のほうがまだましだよ。短期でいる、長期でいる、浅く、深く、の違いは大きい。自分がそこで何を得たいのか、という受け取る側のことだけを考えちゃあいけない。自分が何を提供できるのか、をしっかりと考えたほうがいい。

その意味では、地域おこし協力隊員になる前に、すでに「自分ができること」とか「自分の価値」について考えることはできる。田舎で高齢者ばかりだから、都会の若者の自分が行けばどうにかなる、という安直な気持ちでいるのは、田舎と田舎と人をナメているのと同じだ。

地域に魅力を感じて、どうしてもそこへ行きたいのなら、ギブ&テイク(むしろギブ強めで)の精神で地域に入りこむことを考えれたらいいよなぁ。自分が欲しいもの、試したいものがある、ということだけで地域に一方的に寄りかかるだけでなくて。

「人という字は、人と人が支え合ってできている」という某ドラマの言葉があったけど、「地域という場所も、人と人が支え合ってできている」のだとぼくは思う。地域おこし協力隊を入れるような地域であれば、土着の人と外からきた人がうまく支え合い、共有し合い、協力し合わないと、やっぱりいい形はつくりにくいんじゃないかな、って。

 

まあ、とにもかくも、気になる地域があったら、まずは行ってみること。バイトだって、求人だけみて応募して受かったところは、働きはじめると相性良くないことも多いでしょ。働く場所の雰囲気をお客さんとして行ってみて、接客受けてみて、ここだ!と思ったほうがいい仕事できると思うんだ。

その「行ってみる」だけでなく、「居てみる」ことができるとおもしろくなると思っていて、そのための「試住」なんだろう。今ここに力を入れたいと思っているのも移住する前に、移住検討者にとても受け入れる地域側にとっても、お試し期間はあったほうが優しい。

だから、ぼく自身も定期的な試住に取り組みはじめた。役割としては、ぼくはずっと住み続けて根を張るという“土”ではなく、土の人たちが大切にしていることを遠くまで運ぶ“風”なんだろう。その地域で見つけたものを、都会やそれ以外の地域につないだりができればと思う。

逆にたためるステキな風呂敷だったら、幾らでも協力したい。

一番最初の投稿の文末にタカハシさんが書いていたけど、それはぼくもそう思う。ぼくは地域おこし協力隊員になることは絶対にないけど、それとは変わった関わり方で、日本各地の地域とのお付き合いができたらうれしい。というのを、今回のまとめにしておこう。

ちなみに、自分探しは、ブログでも十分にできると思うんだよなぁ。そんな遠くにいかなくてもさ。もうひとつちなみに、地域おこし協力隊についての相談をしてきた彼は、その後、何度か検討中の地域に足を運んで、魅力をみつけたらしく、今年から来年には仕事を辞めて、移住するそう。彼のこれからにとっても、地域にとっても、よい巡り合わせであることを願う。

優れている都会も、劣っている田舎もない。どちらも暮らしの選択肢のひとつで、あとは相性でしかないでしょ。

地方創生という言葉が出てきたこと、そして、東京に一極集中する世の中の仕組みに、心身ともに消費されるくらしに疑問を持ちはじめ、地方に目を向けはじめた人たちは多い。

ここに「地方移住に失敗した人たちが語る、田舎暮らしの“影の部分”」という記事がある。約半年前に読んだ記事が、最近またシェアされていたので読み直してみた。感想をあらためて、まとめておこうと思う。ちゃんと素直に。

個人的な立場を伝えておくと、東京のような都会も、へき地にあるような田舎も、ぼくは好きだし、どちらも行き来したいと思っている。元々が沖縄の離島(伊平屋島)出身で、大学から上京し、今も東京という場所に関わりたいと思っている身なので、都会も地方もどっちも良さを感じている。

もちろん、どちらに対しても、ここはちょっとな、、という嫌いな要素はある(ここでは触れないけど)。つまり、どっちが優れているとか劣っているという話ではなく、どの地域が自分にフィットするのかという相性でしかないと思っている。自分がくらしはたらく地域の選択肢が、都会なのか、地方なのか、という話でしかないだろう。

その上で、「田舎」を擁護する気はないけど、先ほどの記事にあった失敗(影の部分)というのは、それが全部「田舎」のせいじゃないだろうし、それは全体ではなく一部のような気もする。特に、地域おこし協力隊に関しては、うまく取り入れてる地域とそうでない地域の差はまだまだ大きい。その制度のメリットでメリットを理解せずに、制度を取り入れてしまっている地域は、哀しいけど存在する。にも関わらず、メディアに露出するのは成功事例ばかりで、イメージと現実の差に苦しんでいる人は少なくない。

それと、記事内にある「噂がすぐ広まってしまう」というのは、地域が狭いんだからもうしょうがないんじゃなかなぁ。その地域に入ったときに、ちゃんとコミュニケーションとらないと、へんな噂が生まれるのは必然的。ここでいう“ちゃんと”コミュニケーションするというのは、その地域に元からいる人たちが、何を大事にしてくらしを営んでいるのかという、文化を受け入れたうえで話を聞き、提案するということ。

この記事に限らない話で、移住してブーブーと不平を言う人たちを見ていると、激しく感じることがある。「風景がきれいだから移住する」という考え方は、単なる“面食い”でしかなくて、自ら罠に陥ろうとしてるだけのように思えてくる。ちなみにだけど、沖縄移住なんてそのパターンが多いんじゃないかな。

その風景を守ってきた、つくってきたのはだれか。自然を敬う気持ちは大切だけど、そこではなく、人に目を向けなければよい移住なんてできるわけがない。そもそも、ある程度のリサーチをしていなかったり、一度も行ったことない場所に(仕事や住まいの)条件が整ってるからと飛びつくような行為は、好ましいとは言えない。

幻想なんてどこにもないよ。そこに人がいる限り、その地域の人という現実と向きあってみて、それから居心地のよさを探ってみるとかさ。その規模や色にもよるだろうけど、地域とは大きな家族のようなもの。その一員になるということは、自分の好き勝手だけはできないだろうし、そこで自分がなにをできるか(提供できるのか)という感覚がないとちょっと厳しいかも。大きい話でなくて、地域行事に参加する、というのも一つの役割だったりする。

都会の喧騒と人とのしがらみから離れて、田舎で「静かにくらしたい」という発言をよく聞くけど、ほんと、ヘドが出そうだよ。田舎での忙しさに対する想像力が乏しすぎるし、その乏しさをカバーするための下調べ、訪問が少なすぎる。どこに行っても、人との関わりは必ずあるのだ。むしろ、人と関わらなくてもいい生活を望むなら、関係性を希薄にしやすい特色のある都会に身を置いたほうがいいのではないか。

地域とは、人のこと。移住者を受け入れる体制の変化も必要だけど、地域に入らせてもらう移住検討者も変化が求められる。どっちのせいとか決めつけずに、たがいに歩み寄る姿勢を忘れてしまったら、“よい移住”は決してつくられていかないだろう。

マスでもウェブでも、メディアが移住の“良い面だけ”あるいは“悪い面だけ”を声にしてしまう傾向がある気がしている。最初に触れたように、自分が自分らしくくらせる場所の選択肢のひとつとして都会も田舎もあるのだから、人間の長所短所のように、両面を知ることができたうえで「それでもここに行きたい」「ここでくらしたい」というような積極的な決断ができるような情報発信ができる媒体がでてくると、地域にとっても移住検討者にとっても、いいのになぁー。

と、思いました。

ちなみに、移住関連の他エントリはこちら:地方在住者が抜けがちな「対東京」の感覚 ーー 都会で調理技術をもった人たちは、地方で「食材」と「料理人」を探している

田舎にあって、都会にないもの

この前、自分の領域について考えてみたけど、その中の「地域」と「くらし」というテーマで、その2つになんとなく重なるのが「田舎と都会」。ざっくりとではあるけど、田舎は「生産」する場所、都会は「消費」する場所だ、という大きなイメージを持っている。1次産業から3次産業までの流れを意識してみるとそれがよくわかる。

とはいえ、別に田舎でも消費的にくらすことはできるし、都会でもより生産的にくらすことはできる。気持ちの持ち様とか、そのためのツールと関係性をどうやって築いていけるのかが大きいんだろう。だから、「田舎もしくは、都会が絶対的にいい」とかは無いんだよね。それは、ほんとに。自分という人間とその地域との相性でしかないと思う。そこらへんはここで書いた。

「そもそもなんで、いま、そこにいるの?」「何がいいとこ?わるいとこ?」「仕事があるから?」「地元だから?」みたいなことは考えられたらいいよね。惰性でその地域でいるんじゃなくて、積極的にその地域にいられたら、なんか動きもグググッと変わってくるだろうしさ。

と、ウダウダ書いてみたのだけど、今回はタイトルを先につけてみたのを思い出した。「田舎にあって、都会にないもの」。それについて言うと、かなりシンプルなことで「あいさつ」なんじゃないかなーと思う。あいさつなんてのは、気持ちひとつでどこでもだれでもできるもの。

だけど、都会だと、通りすぎる人みんなにはしてられないし、面と向かっても、「おはようございます」とか「こんにちは」とかが瞬時には出てきにくい。心ではつぶやけても、急に、口だけが金縛りに合うような変な空気が都会にはあるような気がする。あと、社交辞令的なあいさつが多いよなぁ。

それに比べると、田舎は、そもそも人が少なくて、町を歩いていると見かける人もあまりいない。という条件は基本的に違うなかではあるけど、たまたま会った人にさりげなくあいさつをする人は、都会に比べたら多い(だろうな)。赤の他人であっても、あいさつの姿勢は変わらないし、ある意味、区別的あいさつをする人は少ないようにも思える。

たかがあいさつ、されどあいさつで、その一言があるだけで、その場所にいる「気持ちよさ」って全然違う。一日まともに口をきかずに過ごすなんて人もいるような社会があるなかで、その一言って大きい。言葉のぬくもりってすごいよね。一言から関係性が生まれることだって大いにあるし。街並としてはパッとしない地域であっても、この一言に触れられるだけで、そこを好きになっちゃう可能性だってある。「また来ようかなぁ」って思うくらいに。

あいさつの存在によってある、密な関係性というか、カジュアルコミュニケーションというか、そういったものは田舎の魅力なんじゃないか。田舎暮らしすると「自然がきれいだ」とか「静かに過ごせるわ」とか「ご飯がおいしいよ」とかいろいろあるんだけど、そういったものをPRしがちなんだけど、意外と「あいさつが気持ちいい」というのはもっと出せるといいかもね。

最近の1週間でも、昨日の1日でも振り返ってみてほしい。家を出てから帰るまでに、どんな人とどんなあいさつをしたのか。最近、地元のいへや島に戻ったときに感じたのだけど、島の小中学生の「おはようございます」が気持ちよかったんだ。いいところで育ったなぁと思いつつも、それが今の自分はできてるのかなぁと考えると、ちょっぴり恥ずかしくもなった。

市長さん、コピペはだめだよ

学生時代にwikipediaの使い方については、さんざん言われたのを覚えている。あたり前なんだけど、論文でwikiコピペとかやっちゃだめだよと。こっからだろうか、コピペへの警戒心が生まれたのは。最近のバイラルメディアに対する違和感も、きっとここからだと思う。選んで並び替えて価値を付け加えるキュレーションはいいけど、ただのコピペはどうなの、っていう感覚だ。

ところで、ぼくは地方都市にむなしさを感じることがよくある。それは、東京にあるような建物、仕事、文化などのスタイルを猿まねしているだけの場所をみつけてしまうとき。コピーペーストされたような町づくりがされているとウワァァとなる。しかもクオリティの低いコピペをみかけたら余計に。

大手会社の支社なども、地方都市にあることが多い。東京に合わせて歯車が動いていくせかせか感は、なんだろうなぁと思ってしまう。地方都市のような中途半端な都会でそだった子どもは、中途半端にいなかのくらしや自然の雰囲気も知らずに大人になっていく。なんだかそれはもの寂しい。地方のよさってなんだろう。

沖縄でいえば那覇が地方都市にあたるけど、この場にいると、前述したことをつくづくと感じる。特に「新都心」と呼ばれるエリア。もともと米軍基地があったんだけど、撤去後に、高い建物が建ち並ぶ淡々とした場所となった。生活するぶんには便利だけど、違和感だらけ。ちなみに、おばぁに話を聞くと、このエリアは戦時にたくさんの死者が埋められたとのことで、おばぁおじぃ世代はあまり行きたがらないらしい。

地方にいる人からすれば、大都会への憧れがあるのはわかる気がする。それは自分が上京した理由に重なる部分もあるから。だけど、そこじゃない気がする。地方でやるべきことは、お土地柄と共存しながら、昔ながらのもの、独特のものをうまく生かした町づくりじゃないかなあ。

だから、コピペはだめだよ。市長なのか、自治体なのか、どこが主体なのかはわからないけど、都市計画を担う人はさ、どっかをまねるだけで、土地との相性を考えないままに、新しいものをつくろうとするのはやめてほしい。どこでもできること、どこでもつくれるものを、敢えてそこでつくる意味を考え直してほしいよな。まったく。まずはよいキュレーターでいておくれよ。

 

「さて困ったもんだ」を探しに地方にいく。

去年1年間ほど、地方をいろいろと訪ねてみて良かったこと。

それは、現地で“困っていること”を身を以て知れたこと。

 

みんな困っている。

あれが足りない、これが足りない、と。

どこもかしこも変えたいものがあるし、よくなろうと動きがある。

それは都市部も地方も同じだ。

 

ただ動きを加速させるための”人”がいない、

というのは大きいんじゃないかな。

 

東京は人が多いから、

ある程度のスキルを持ち合わせたひとも多くて、

そういう人が興味でわっと集まっちゃえばプロジェクトはすぐ動くし、

東京はメディアにおける影響力も多いから、広がり方にも差が出やすい。

少しだけ権威的、予定調和的なとこもあるけどさ。

 

京都でとある伝統産業の職人さん、マチづくりをする人とそれぞれ話を聞かせてもらった。

共通しているのは、自分たちのつくっているもの、やっていることを発信するひとが少ないということ。

誰かのくらしの一部をつくるような、良いものをつくっているのに。

「何かつくっているのに、それを広く知ってもらう機会はつくれない」、と困っている。

このとき、地方にはまだまだ発信するひと不足だと思った。

地方ではライターだったり、ブロガーでもあっても、価値はあがるよなぁ。

 

地元の沖縄でも困っていることがあった。

京都とおなじ、発信するひとが少ない、というのは一つ。

あとは、ずっと沖縄にいるからその魅力に気付けない、土地活かしがあまりできていない感じ。

「その土地にあるものを掘りおこして、編集して伝える人がいない」、と困っている。

一度沖縄を離れてみるからこそ見える沖縄だったり、

もともと沖縄の外にいるからこそ見える沖縄のよさを見つけれるひとは、

一つ役割を担えるかもしれない。

 

そうやって、困ってることが地方にあったから、

あ、これなら自分でも手伝えるかも、とか、

自分でもやれそうだな、とかいうものを見つけられる。

場所が変わるだけで、肯定できるものがひょいと現れるし、

自分がやれそうなことの技を磨こうと気持ちも上がる。

 

だから、何かじぶんにできるものが少ない、とか、自信がないとか、思ってる人は、

地方にちゃんと足を運んで、困っている人のはなしを聞きに行く。それがいいんじゃないか。

そこに何が足りないのか、を知って、

よければ一緒にうーんと悩んでみて、

どんなに些細なことでも自分が埋められることを知る。

で、東京に戻るか、そこに居続けるか、新しい土地に出向いてみるか、決めればいい。

きっとね。

 

とりあえず、東京だけが素晴らしいわけじゃないから。

おなじ自分でも、ちょっと大都会を離れてみて、価値に振れ幅がある場所に行ってみる。

ネットで調べて、知った気分になるのはダメだよ。知ったかぶっちゃさ。

 

と、何かじぶんにモヤモヤを感じる人は、思い切って、新たらしい境界線をまたいじゃえと思います。

もちろん、困っているとは反対に、地方だから満たされてるもの、あるものを見つけにいくのもいい。

 

今までの世界観、変わるだろうから。

ちっぽけだな、おれ、って、

接点になる(知人⇆自分⇆土地)

顔が見えるかたちで身近にいるかどうか、

は大きな問題だ。と思う。

 

例えばのはなし、

沖縄人が身近にいれば、沖縄との接点が増えて、沖縄に考えることがちょっとは増える。

それが友人なのか、恋人なのか、同僚なのかはそれぞれだけど。

 

ぼくは去年の12月から今年の2月までの3ヶ月、小豆島滞在(居候)をした。

小豆島で活動している人に出会って、この島との接点ができた。

小豆島の人がほんと急に身近になった。

 

興味が湧いた。

そのおかげで、小豆島ではどんなくらしがあって、小豆島はどんな場所で、どういった課題があって、みたいなことを考える機会が増えた。

もっと知りたくなって「居候させてもらってもいいですか?」と聞いた。了承もらった。

住み始めると、どれだけ知らない土地に対しての想像力が欠けていたのかと気付かされた。

こんなにいい場所があるんだ、都会には無いものがたくさん散らばっていた。

日本の地方の多様性を知らなかったな、って恥ずかしくもなった。

知らないのはもったいないな、と思った。

 

ぐだぐだ書いてるけど言いたいことは、

その土地との接点って、「人」だなってこと。

小豆島の人に会えなかったら、もしかしたらぼくはずーーっと接点がなく足を運ぶことがなかったかもしれない。

雑誌やwebなどメディアの情報で知っていたとしても、そこを訪れるにはどうしてもエネルギーが弱すぎる。

“顔が見えるかたちで身近にいる” ことの意味はこれ。

 

知り合いに「アクアポニックス」という魚と作物を一緒に育てる農業にかかわる人がいる。

その人がアクアポニックスとの接点をつくってくれたし、内容も知れば知るほどおもしろかった。

土地でなくても、何かとの接点となりつなげてくれる人が身近にいるといい。

話を少し逸れたけど。

 

 

身近にいる、

それがきっかけとなって、

一緒にその土地をおもうことができれば、

いわゆる「地域参加」にもなる。

 

新しい接点のはなし。

南西で生まれ育ったぼくにとって、ずっと縁が遠かったのが東北。

東北を考えるきっかけとなる人が身近にいなかった。

 

ただ最近できた。

はじめてのぼくと東北との接点。それが『TOHOK(とーほく)』。運営スタッフの方が顔がみえるかたちで身近になった。

TOHOKは「東北のくらしの中で生まれた、ずっと使えるいいものを大切な人への贈りものに」というギフトサイト。

 

ECサイトではあるけど、東北のくらしを一緒に考えるひとつのコミュニティでもある、

とぼくは勝手ながらに思っている。

 

TOHOK運営スタッフとの接点は、東北に対する気持ちを高めてくれるから。

まだ現地に足を運べてないけど、必ず行きたいと掻き立てられる。

タイミングが合えば、一緒に金魚のふんのように付いてってやろうと企てている。。

 

東北との接点をもらったばかりのぼくが、接点をどれだけ広げられるかはわからない。

けど、巡り巡ってほしい。知らないだけで、いいものは。その土地を何かの選択肢として増やしてほしい。

 

自分の地元である伊平屋島についても、

ぼくが多くの人との接点になれればなぁと改めて思う。

関係性が人と土地をつなげていく、そういうのが好きだ。

 

 

25年9ヶ月を生きてきて。しごとづくりとはたらき方。

 

 

沖縄のへき地、離島でカクテルとメディアで海外と戦えるとなれば、カッコいいことができそうだぞ、

なんてことを考えている。

 

独、仏、米、英らへん。

世界的に見ればちっちゃなちっちゃな離島から情報を放って、

海外から人や物、情報が集まってくるイメージ。引き寄せるイメージ。

 

遠くまで届けることのできるwebの存在は大きい。

けど、簡単に「届ける」と言ってみたものの、

どこの誰に、何を、どうやって届けるかを絞るのは難しいこと。

しかも、届いたとしても伝わらなければ、人は動かない。

だから、届け方をまずちゃんと知らなければいけないし、頭だけでなく体でも覚えなきゃ。

 

webを通して伝えたいものは、結局はリアルな活動にこそある。

どれだけ心揺さぶるようなものがその場で提供できるか。コンテンツが大事。

それがwebに乗っかるだけの話。目に見えるもの、掴めるものからまずちゃんと整える。

 

-Bar Tram & Trench

-Liqour.com

-Green Valley

-Guesthouse Nui.

-Restaurant Awa

-Iceman

-some writers and editors

etc.

 

いろいろとモデルを調べながら、参考にしながら、応用しながら、

自分のできること、興味や好きずきとかけ合わせながら、準備を進めていく。

準備ははやければはやいほどいい。だって、問題点もすぐ見つかるから。

 

誰かに話すことでもらえる反応を真摯に受け止めて、

解決法を見つけたり、なんらかの協力を得られる可能性も。

 

プロトタイプをつくる、実験を繰り返す、そうやって自分の求めるものをつくる。

それが自分の性分にも合ってる気がする。

最初からガチガチに固めて動くよりは。

 

 

いろいろとやりたいことを整理してみたら、

結局は数年以内には起業するという形をとることになりそう。

自分の中では、まさかまさかの事だけど。

 

そうなったらやりたいこと。

 

離島なんだけど、外から移住してでもやりたいカッコいい雇用を生むことをしたい。

だからといって、一緒にしごとをする人は、全員が全員、別に島にいなくてもいいと思っている。

島に携わるしごとがしたかったとしても、その人がくらしたい場所は島じゃないかもしれないし。

 

会社をつくるとして、ちゃんと考えてみたら、はたらき方を整えられたらいいよな、と思う。

何を会社でするか、じゃなくて、はたらき方から考える。

 

どこにいても一緒にはたらける、

各々が違う場所にいるからこそ、しごとに色を出せる、

ちゃんとそれで利益も出せる、

何より自分たちのくらしを形にできるように。

 

大事なのはくらしの部分。

くらしの一部として、しごとがある。

ここは絶対に曲げたくないこと。

 

すでに一緒にしごとをしたいなぁ、と思う人がいる。

けど、どこでくらしたい、こんなくらしがしたい。はきっと違う考えだろう。

だからチームの一人一人のくらしに沿えるはたらき方を。

くらしに多様性を認めるなら、はたらき方にも多様性をね、と。

 

後はね、コレコレがやりたいからこんな人を集めるとかじゃなくて、

「この人としごとをしたい!」が最初にあって、

自分ができること、その人ができること、会社としてやるべきこと、をうまくかけ算してしごとを生み出したい。

大事なのは、個性を消さないようにする、かけ算。

お酒を混ぜ合わせるカクテルにとても似てると思う。

 

できないことを無理やりに自分はやりたくないし、だから他人にもやらせたくもない。

むやみやたらと、できないこと立ち向かうのは効率が悪いと思うし、

何より精神的に削られるコストが大きい。人を消費したくない。

 

お互いにできることで、できないことを補ってけばいい。

相手が好きなことと自分の好きなことをかけ算して、

ふたりが好きなこと、他の人にも好きになってもらえるようなモノをつくれたらいい。

 

 

僕個人でいうと、自分が好きな人と誰とでもしごとができるような、はたらき方を目指してる。

レゴブロックのようなはたらき方。どんな人とでも作品になれるように。

その人の色や形を個性としてうまく引き出せるように、自分の存在も殺さないように。

 

理想ばかりを言うように聞こえると思う、けど、ちゃんと、かたちにしたい。

25年9ヶ月を生きてきて、考えたことをここにまとめておく。

 

10年後くらいに読み返したとき、どうなっているんだろうか。

わくわくどきどきひやひや。

30で父になる+島

30才で、父親に、島でくらす(きっと東京との半住だろうけど)

 

地元・伊平屋島に数日滞在してみて、ここらへんのイメージが掴めてきた。

自分が今やっていることを島に持ち運んでこれそうだなと、可能性を。

ただ自分だけの話にかぎらず、島でしごとは増やせるつくれる。そうも感じた。

 

色んなとこで、色んなひとに「地元の島には戻る気あるの?」と散々言われてきたわけだけど、今なら「はい」とすんなり言えそう。

ただ島に戻ったとしても、だからといって永住とは思ってないし、同じじっとしていれるタチでもない。

という意味で、そもそもの島ぐらしの入口で”半住”スタイルを取るだろうと考える。

 

島に戻りたいと思う大きな大きな理由は、

自分自身が持つ、

こんなにも自然のある(–透き通った海と、広い空、夜には光で溢れる星空)島で育ったという感覚と、

そこで知らず知らずにつくられてきた自然観や価値観があって、

自分に子でもができたら「島にいること、くらすこと」をただ味わってもらいたい。感想はお任せで。

 

子どもは自分がくらす環境をそうそう選べない。

 

だからこそ、

有るものばかりの、便利なものばかりの都会よりも、

無いものばかりの、不便なものばかりの田舎で島で、

不足を感じながら、じぶんでつくれるものを探すことができる、

そんな環境を子どもに用意してあげられたら、と。

 

ひとつの執着さえ捨てれれば、都会にはいつでもすぐに行ける。

そして、便利なものはすぐに手に入れられる時代だからこそ、

まずは不便の味を知ることがぼくは大切だと思えてならない。

そんな環境で育ててくれた親には感謝もしている。

 

言い方によっては、

「無いもの、がある場所」

が島だとも思うので、

「無いもの、がある」と感じとれる、また”無い”なかで何かを生み出せる、

そんな、遊びごころを持った子を育てられたらいい。

子ども以前の話で、人間像として、ぼくがそうなりたいとも思う。

 

先のことなんてわからない、

そんな中でも「島でくらしをつくる」は、ぼくの今後のライフイベントにぶち込まれるのを確信した。

ということで、まずは嫁さんを探さなきゃ、の結論にいたるわけで。。

 

小豆島おぼえがき5

 

1月も去り、振り返ってみると「時間が流れるのは早いなぁ」と思いつつ、1日1日はゆっくりと流れていく、そんな不思議な感覚で小豆島生活を過ごしています。

ここにきて2ヶ月ほどが過ぎました。小豆島で生活してみて、改めて「これは変化だ」と気付くのは”生活コストが下がったこと”です。

 

◉生活コストが減った(*条件は少しだけ特殊)

具体的な数字の部分は置いておきますが、「生活コストはかなり減ったな」と感じています。その理由をいくつか挙げてみます。

まず特殊なことからお伝えします。僕はポンハウス居候の身なので、家賃は特にありません(ここ一年程ずっと居候/家なし生活しているのでほぼ掛かってません)

また食料に関してですが、主食のお米と素麺やうどんなどの麺類もお米に関しては、ポンさんの実家で作られたお米でして、これがまた美味しいんですっ。

…という条件下で僕は暮らしています。そのため、個人的に島で掛かる生活費は、スーパーやコンビ二で使う[食費]だったり、ボールペン買ったりの[雑費]、たまに行くオリーブ温泉の[レジャー費]くらいです。後はポケットWiFiなどの[通信費]です。

家計簿アプリ「ZAIM( http://zaim.net/ )」でチェックしてるんですけど、よくよく見てみると食費もなんだかアイスやチョコのお菓子部類のほうが高かったり。。胸張って自炊!とまでは言えないレベルで自炊して、ほとんど家でご飯を食べています。

外食代がかかるのは、たまに島にあるカフェで、コーヒー代を払うくらいです。後はこの前たまたま行ったファミレス/ジョイフルくらいです(沖縄もジョイフルはあります!笑)ほほほぼ、僕の島で掛かっているお金は[食費]です。

 

◉島はお金を使わない

お気づきの方も多いかと思いますが…そうなんです、単純に島だとお金を使う場所が少ないです。

遊ぶ場所が少ないとも言いますか。以前過去記事(http://8788.blog.jp/archives/shodoshimaolive )でも触れましたが、島は車社会でお酒を飲みに行ったり、ほとんど外食もしないですし。

反対に、この2ヶ月の間に東京など外に出る機会もありましたが、島の中での生活と比べてしまうと「めちゃくちゃお金使うよなぁ」と感じます。

島内で使う1週間分が、島外では1日分だったり。こうやって考えると面白いもんです。自分が何にお金を消費しているのかに気付きがある小豆島生活です。

おそらく僕ほど特殊でなくても、移住者の話を聞く限りでは、家賃にしろ、食費にしろ、都会と比べれば全体的な生活コストは下がります。田舎暮らしのメリット部分と言えるでしょう。

残りの小豆島生活も1ヶ月を切っております。今回の話も含めて、何を僕自身が島の外に持ち運べるのか、こんつめて考えてみたいと思います。

小豆島おぼえがき4

小豆島も、ポカポカとした陽気が少しずつ現れてきました。海も陽をうけて、キラキラとした表情をしていることが最近は多いです。桜の季節、小豆島はどんな風景が広がっているのか今から楽しみです。

 

◉信号のある島、ない島
僕が島内を移動するときは、自転車(ロードバイク)を使っています。といっても、島の人は車移動が一般的で、学生やたまにおじちゃんが自転車を使うくらいでしょうか。

小豆島は人口約30000人、と数字をあげれば想像つくかもしれませんが、そこそこ大きい島です。それだけの人が住むので、それだけの面積は必要です。

ちなみに、左隣にある豊島(てしま)は900人超、僕の故郷である沖縄・伊平屋島(いへやじま)は1300人程の島でした。つまり小豆島は離島の中でも、かなり広いほうです。

人口とは別の基準をあげるとすると、「信号」があります。さきほど、自転車で島内を移動すると言いましたが、小豆島はあちこちに信号を見かけます。これはうろ覚えですが、豊島では信号はほとんど無かったと思います。伊平屋島は、島に信号が一つだけです。

 

◉伊平屋島の信号の役割
ちなみに、伊平屋島にある一つしかない信号の使いどころについて触れておきます。ボタン式になっているので、基本は使われることなく、車もスイスイと進みます(そもそも車が並ぶなんてこともほぼありません…)

ではどこで使われるかというと、年一回に一度だけ、小学生の交通安全指導として「横断歩道の渡り方」をやるわけです。常識的マナーを知らずに、島の外に出るわけもいかないので、こうやって信号を使ってシュミレーションをします。こうやって、年一度だけ稼働する信号が、伊平屋島の信号です。

あって無いようなもの、と言われればおしまいです(笑)

 

◉”街”がある島か?

と、「信号」の存在と島の規模感はちょっと関係あるなぁと思いました。車が何台も連なって赤信号を待っているのをみると、「あ、街っぽいな」と感じます。小豆島は離島なんですけど、”街がある離島”です。比べて、豊島や伊平屋島に街の要素はありません。

よくよく考えてみれば、小豆島はコンビ二(セブンイレブン)があちらこちらにありますし、「100均」や「ファッションのしまむら」も、民宿ではなく「ホテル」が多く存在します。街を構成するお店も多いです。

ただ、だからといって「都会か?」と言われれば、そうでもなく、すぐ近くには海も山もあって、”ちょうどいい”と島民はいいます。必要なものはだいたい島で揃うし、自然だってある。なければ直ぐに高松市内に船でいけてしまう。確かに移住するにはいい島の規模感だと思います。

“街がある離島”に比べて、豊島や伊平屋島のように”街がない離島”もあり、こっちのほうが一般的な島のイメージに合うかもしれません。どっちが良いか悪いかは決してないと思いますが、「島によって”かなり”雰囲気は違う」ということは知ってもらえたらと思います。

特に小豆島は、いい意味でイメージを覆されるようなものが多いので、一度足を運んでみてほしいです。で、一緒に隣の豊島も寄ってもらえると違いも味わえるのではないかと。

かるく触れておくと、小豆島にある街は、”産業の街”です。島にある各街で、一次産業、二次産業、三次産業とすべてを網羅しています。こんな島少ないのではないでしょうか。産業の街であり、産業の島である小豆島、ここらへんはまた他の機会に触れたいと思います。

小豆島おぼえがき3

以前「寒い…」という感覚について触れましたが、今日自転車をのんびりと漕ぎながら海沿いを移動をしていると、もうもう外はポカポカ陽気で向かってくる浜風も心地よく、あぁ春に少しは近づいてるのだと四季の移り変わりを感じました。

春よ早く来い、と南国沖縄出身のぼくは願うばかりです。笑

 

◉「ぜいたく」とは?

先日、ふとした瞬間に「今のぜいたくって何?」と島の移住者に聞かれドキッとしました。

”はて、何だろう?”とちょっと固まってから「美味しいカクテルが飲めることか、ゆっくりじっくりとブログ記事でも書けることですかね」と僕は答えました。

その時はそう答えたものの、なんだか煮え切らないものもあって、また数人に「ぜいたくとは?」という話を振ってみて、また考え直しました。

すると「自分の五感を解放できる」と「自分のペースでゆっくりと考える時間をもつ」の二つの答えに改めて行着きました。

コトバ自体は、最初に答えた”カクテルやらブログやら”と違うのですが、自分にとって本質は同じだなと感じてます。

「ゆっくりと考えること」は「五感をフルに使うこと」とほぼイコールで、その時間をうまく過ごせる行為が「バーでお酒を飲む」だったり「記事を書く」だったりします。

自分の心地よさのためには、”手耳鼻口目頭をうまく使ってあげる”それだけなんだと発見です。

 

◉島にいるだけで「ぜいたく」だった

振り返ると、実は小豆島で生活を始めてからは、都会で過ごしていた時よりも五感も尖ってきてると気付きます。そのせいか、毎日わりとリッチな気分で過ごせてます。今日自転車で移動したあの時間すらぜいたくだよな、と思えるのです。

だから最初の「今のぜいたくって何?」には「島にいる」それだけの返答でもいいのかもしれません。

”島にこれがあったらいいよね”、はやはり田舎なので欲張ればとことん出てきます。でもそれはベターなだけであって、自分のくらしにとってコアな部分ではないです。無いからこそ、足りないからこそ、埋もれている何かに気付けるのかもしれません。

「今のぜいたくって何?」

シンプルだし、あまり考えることもない質問にこそ、自分の繊細な感情が隠されている気がします。その自分なりの答えを探す作業が、自分の心地いいくらし方やはたらき方を見直す大事な時間なんだなぁ、と思えます。

もっともっと気付けることが増えていく、そんな島くらしも後1ヶ月程なので、五感には丁寧に過ごしていきます。

小豆島おぼえがき2

 

こんばんは。冷え込みが一段とましてきたせいか、外に出るとこたつやストーブの温もりが非常に恋しく感じます。「寒い」と感じれるからこそ「暖かい」と実感できる、めちゃくちゃ当たり前のことなんですけど、最近よくそう感じます。

便利なものが溢れていて、冬は暖がとられ、夏は涼が整いすぎている都会では、その感覚も薄いのかと思います。ポンハウスは昔ながらの日本家屋でして、その整備がある意味ズボラと言えます(笑)

その代わりに「寒いっ!」「暖かいっ!」を敏感に感じながら”当たり前”の感覚を楽しめてると思っています。また、寒いとか暖かいという口から出る言葉を、その場の人で共有できることも、共有できる人がいること自体も、ありがたいことだと思えるのです。

 

◉能登で感じた「囲炉裏(いろり)」の威力
実は先日、石川県/能登のほうに足を運んでいたのですが、似たようなことを感じました。能登半島、中心部にほどよく近いところに位置する[茅葺庵/三井の里(http://colocal.jp/odekake/24862.html )]を訪れて、お昼を食べたときのことです。

茅葺きの家というのも、この地域では今はあまり残っておらず、かなり古い建物でした。そうです、案の定、寒いです。。囲炉裏がある部屋に通されて、ご飯を食べました。

部屋の中心に暖をとれる囲炉裏が設置され、パチパチと音を立てて部屋を暖めていました。手をかざしながら「あったまるわぁ」と思わず口から言葉がポロリとこぼれちゃうくらい、その場は寒かったです。外は雪が積もってました。ご飯はまた体が温まるもので、天にも昇るくらいの気持ちで美味しく頂きました。

そうやってご飯を食べながら、考えたんです。昔は、こういう家では共有が生まれやすかったんだろうなぁと。囲炉裏のある部屋は「ご飯を食べる」「暖をとる」の2つの機能があったと思います。だから寒い時期、お腹が減ったり、寒くなれば、自然と家の者が集まる場所があったわけで、”食”と”暖”をきっかけに会話が生まれていたのだろうと想像できます。

「家の造りが人の関係性を変える」そんな僕なりの答えに行着きました。都会ではそんな場所も少なくなってきているのでは?と疑問も浮かびました。実際はどうなんでしょうかね。ただ会話の生まれる場があるのはいいことだ、と思います。

ちなみにですが、囲炉裏は火の当たる正面はぬくいのですが、火の届かない背中はヒンヤリと寒いです。大袈裟に言えば、体の前と後で”生と死”を同時に感じるのです。。暖かいから寒く感じられるし、寒いから暖かいと感じられる、それは一つの極限状態を体感できる機会とも言えるのではないでしょうか(笑)

そんなことを感じた能登訪問でした。

 

◉「海を越える」というフィルタリング
また先日、小豆島のティーチングツアーに参加しました。この企画では、島の外から学生/社会人が訪れ、島の中学生に勉強を教えます。それだけで終わらず、参加者は勉強を教えた見返りとして、地域おこし協力隊員でもある代表/ポンさんが小豆島は日をまたいで案内するというもの。醤油や佃煮など、島の特産をつくる生産者と結びつけてくれます。これはかなり貴重な体験です。

僕は12月も顔を出させてもらったので2回目の参加。今回は関西圏から3名の学生が参加していました。話を聞いたり、一緒に中学生に教えたり、島を回るなかで「ほんと感度高いし、エネルギー溢れる子たちが小豆島にくるよなぁ〜」と改めて感じました。

「地域活性」や「教育」に興味ある人がこぞって参加すると聞きましたが、なんというか胸に抱えている熱の凄まじいこと… 。実はこのツアー渡航費/宿代は無料なので、いやらしいことを言えば、ただ小豆島に行きたいって軽い気持ちだけでも参加できちゃう訳です。

それでも「島を訪れる人訪れる人、一人一人が本当にいい子たちだ」「熱心に子どもと接してくれる」とポン氏も仰るので、この事実はすごいです。

フェリーに乗って小豆島にくる、ただそれだけの様に見えますが、海を越えるには何かしらの決意が必要で、それが一つのフィルタリングになっているのかなぁと思います。

 

◉さいごに
海を越えるといのは、移住者となれば、もっともっと大きな決断になるんでしょうね。去年だけでも120人が小豆島に移り住み、各々の暮らしをつくっているそうです。

やはり、小豆島には魅力があるのです。僕にもその魅力が少しずつ見えてきましたが、まだまだありそうです。残り滞在期間も貪欲に探したいです。

 

小豆島おぼえがき

 

気が付けば、1月も2週間が過ぎ、あっという間に、冬から春へと時間が駆け抜けていく気します。

以前( http://nurariworks.com/archives/893 )も書きましたが、島の夜は長くほんとに考えることも多いです。そのため、長いスパンでみるとあっという間なんですが、一日一日の短いスパンで考えると、長くとても濃いです。矛盾しているような日々を送っているわけです。。

 

◉人と会話

おそらくその”濃さ”には他にも原因があって、その一つは、*ポンハウスを起点に島でお会いできる方にあるのだと思います。島でくらす人は勿論ですが、小豆島に何かを見いだし島の外からも駆けつける多くの人も含んでいます。

こちらからは一方的に知っているけど、島の外ではなかなかお会いできないような方々が、小豆島では会える…というも何か不思議な感覚に包まれてしまいます。

脱線しかけた話は戻しますと、人と会うことで得られる濃さは「聞く」「話す」のやりとりでの会話にこそあると感じます。その感覚は小豆島を訪れる前にもあったものですが、訪れてから一層その感覚が強くなりました。”会話”が結局は人を形作っているのかなぁと。

会話が持つ「聞く」「話す」ポテンシャルは次のように感じます。聞く:自分にはない新鮮な考え方を、面と向かって、”リアリティ”持ちながらに知ることができる。話す:自分が普段思っていることを、相手との間/空気のなかで、自分の言葉で伝え、表現を磨ける。

そんなインプットとアウトプットを日々繰り返すことが、人と人の間でなら自然にできます。しかも、かなり感度が高い方たちがポンハウスには集まることもあり、なんだか情報の行交うスピードも早く、頭のなかにある自分の考えが破壊と再生が何度も止めどなく繰り替えし、時間が進んでいます。それがぼくの中の”濃さ”であり、それを手助けてくださる人と会話は、ありがたい限りです。

 

◉大人の数とコミュニティ

そういえば先日、小豆島地域おこし協力隊の向井さんとポンハウスにてお話をする機会がありました。まず驚いたのは、同世代/88年生まれだということ。発言の仕方や、その内容に、同じ年でもこんなにも違うのだなぁ、と汗..汗…な訳です。

会話の中で、先日行われたイベント「たこをつくろう(http://mukai-shodoshima.tumblr.com/post/72646339723)」の話題が。凧あげをするために、沢山の子どもが集まったそう。その流れで、”子どもがどれだけ多くの大人と関われるかで育ち方が変わる”という話に。親と学校の先生くらいしか、大人が回りにいない子どもは今増えています。だからこそ”自分を受け入れてくれる大人がいる”、もしくは”こんな大人もいるんだ”、と直接的に大人から教えが有る無いにかかわらず、多くの大人と関われる場が自分の住む地域にあることは大事だなぁと感じます。

子どもを育てるのを、”家族や先生だけ”と一辺倒にするのでなく、地域の大人が一緒に育てていく。変なおっちゃんとの絡みも結構d大事な気はするのです。子どもは小さくても”大人”でもあって、付き合いを制限されてしまうと、自分なりに判断する力が育ちにくくなるとも思いますし。

ということで、子どもに関われる大人の数は大事で、またそれを可能にする場としてのコミュニティを、どうのように地域に作りだせるのか(もしくは編集できるか)を考える良い機会でした。
小豆島ではそんなコミュニティが自然とできている、と同時に感じることもできました。

ちなみに、東京/小竹向原にある「まちの保育園(http://machihoiku.jp/kotake )」はそのコミュニティ例としては素敵だなぁと、昔から主夫志望のぼくは感じています。カフェ併設の保育園なので、地元の人が集まりながら、子どもを見守ることができる場となっています。

 

◉変化を生まれる場づくりを

向井さんとの会話の中で、ぼくは頭の中をかき回してもらって、自分の考えに変化を感じることができました。その会話が小豆島滞在の”濃さ”に繋がっているのです。ただそもそもを考えると、ポンハウスという場が、会話を生む空間となっていることに気付きます。

4月から東京に戻るのですが、会話が生まれ、変化のきっかけとなる場づくりをぼく自身も挑戦していきたいと強く想います。それもこれも、やはり島にこれたからの生まれた想いです。他に何を小豆島から外に持ち出せるか、残り滞在の課題でもあります。楽しみです。

 

*ポンハウス・・・小豆島でぼくが居候させてもらっている古民家/ポンカフェとして今春に併設オープン予定