「気分」をデザインできる大人になれたらいいのに

びっくりするほどに、気分が、テンションが、上がらない。なので、手をつけなくては、と思っていることになかなか手をつけられなくて、困っている。そうやって困りはじめると、へんに緊張感が出てきちゃって、尚さらに、手が止まってしまう。悪循環だ。

そのときの自分を記録しておく、という意味で、去年もこういうテイストの文章を書いていたと思うのが、さらに顕著になってきていて、どんどん弱体化しているような気さえする。

そのなかでも気力を持ってやれるのが、リアルな場でのやり取りだったりするので(実際、適材適所的に、そのほうが力を発揮できるのもあるので)、ある種、そもそも進もうとしていた道に向けて、身体が反応しはじめているだけなのかもしれない。

すべてが手をつけられないわけじゃなく、できるものとできないものが明確化されてきているあたりが、自分で言うのもなんだけど、おもしろい(それでメール等々返信できていない人も多くて申し訳ない気持ちは重々あるんですが)。

以前、Squareブログで、久遠チョコレート記事の編集で関わらせてもらったので、取材同行するなか、マネジメントに関する話が興味深かった。

「刻む・溶かすなど、チョコレート作りの作業行程を細分化したとき、一般的にそれぞれの作業に集中できる時間はほんの数十分程度。でも彼らは数時間ずっと集中できるので、私たちではとても敵いません。一人ひとりの仕事力と個性をどこでどう生かしていくか。それを考えた全体のデザインが大切です」(吉野さん)http://www.square-blog.jp/stores/new-standard-chocolate-kyoto-by-quon

 

この文脈でいうと、沖縄もわりと「福祉✕デザイン」の動きがちょっと盛んな気がするんだけど、とある作業所のマネジメントをしている人の話を聞いてみると、精神的障がいを持っている人と一緒に仕事をしなくていけないとき、シフトの組み方にコツがいるという。

当日の体調が大きく作用することもあり、組んだシフト通りに、スタッフが来てくれないことはしばしばなので、その人数調整などをうまくできるように組むそうだ。そういう見た目の話ではない、働き方も含めた”広義のデザイン”が、より多様な人たちを、口だけなく、ビジネス/社会的に寛容するためには必要なのだろう。

そう言えば、フラクタルモブのメンバーと一緒に展示をしたことがあった。一回そのメンバーのMTGに参加させてもらったことがあったが、参加するよ、前日までは言っていたけど、やはり当日になって来ないということはある。6人でのMTGが3人になることはザラで、そういうちょっとしたアクシデントも気にならなくなってきたという代表の話は印象的だった。むしろ、その「何が起こるかわかなんないのがおもしろいよね」という姿勢には感服した。

ついでに言えば、フラクタルモブの場合、健常者と障がい者が一緒になって、一つのテーマで作品をつくって展示をやるのだけど、〆切の作り方も大変だと教えてくれた。描くつもりだったけど、描けなかったも完全に許容してしまう。だけど、障がいを持っていることは一つの特性であり、やはり彼らの感性でしか描けない作品はあると、ぼく自身が作品を見て激しく感じたし、それは本当に、その人のやれること可視化するための環境整備が足りてないだけだなぁと反省した。

どれだけ世の中に対して、配慮がなかったのか、と気づけたからこそ、許容できる範囲が少しは広がったんじゃないだろうか。

さて、冒頭の気分あがらない問題はおそらく周期的なことなので、(環境づくりも含めて)今できるかぎりのエネルギーで今できることをやればいいから、後半の部分とは違った話だけど、また、自分ではなく他人の「気分」をどう扱うかはもうちょい繊細になっていきたいということだ。

気分屋は、気分屋の気持ちがわかるぶん、どうやって相手の気分をつくるのかに気を遣えるはずだ。「広告は、気分をつくる」と言った人がいたけど、ああ、ほんとそれな、すげえな、とあらためて思った。身近にいる人の気分をヨイショできるようにならたらいいし、そのカラクリを自分の気分にもあてがえるように器用になりたいっす。

全速力で走りたいなら書くしかない

モヤモヤしてるときは、結局、自分の頭のなかにあることが整理できていないとき。そんなときは、動きが非常に鈍る。気持ち的には、1歩進んでいるつもりが、0.1歩も進めていないことが多い。

ドロッとした重い感情を引きずって進むくらいなら、一度立ち止まってみて、それを振り払って、スッキリとした状態で走り出したほうが効率がいいし、パフォーマンスも上がる。と、自分と28年間を付き合ってみると感じる。

「一度立ち止まる」ためのやり方は人それぞれだとは思うけど、自分にとっては「書くこと」がそれに当たる。ぼくにとって、書くということは、だれかになにかを「伝える」ことでなく、散らかしてしまっている物事をしっかりと「整理する」という意味合いが強い。

複雑な感情を溜め込んで、なにか滞りを感じ、一向に進む気配がないときは、自分のために書くことをしなくちゃ、と思う。ライターとして記事を書くのではなく、一個人としてしてブログを書くことの価値はそこにある。

自分のテンションを保つ/上げる、そして、吹っ切って、”猛烈”と形容できるほどの全速力で走り出すためにも、書くという習慣を自分の暮らしのなかに組み込んでいきたい。

「書く=ライティング」というのは、ウォーミングアップのように、自分の心身を温めるものみたい。あと、あれだな、自分の「今」と、向かっていきたい「これから」をつなぐための間にある接着剤みたいなものかもしれない。

初心忘るべからず、的な

10月前半を駆け抜け、大小はあるけど、仕掛けた&登壇させてもらったイベントが5つくらいあって、それが終えたもんで、一瞬ちょっとだけ緩んでいる。反省点だらけで、やればやるほど、自分のポンコツ性とか、へたれであることに気づけて、ほんといい機会にはなった。

巻き込んでしまった人、巻き込まれてくれた人にはまず感謝。ありがとうございます。

というのと、地域や暮らしにまつまる内容を扱いつづけるなかで、参加者に問いを投げていたようで、一番ぶつけたかった相手は自分自身だったみたい。ってことにも気づく。

なんとなく、”東京”のあまりよくない磁場に引っ張られ、やろうとしていた方向を見失うまではいかないけど、ちょっとブレかけてたから、ふわっと浮きかけてたから、足場の再確認ができて、ちゃんと着地はできたのかなぁという感じ。

結局、他人に向けてやってることは自分に返ってきてるし、根本を言えば、自分のためにやってる感はあるわけで、その自己中心性からはじまってるのだとある程度の自覚もしている。自分が弱っちいタイプの人間だからこそ、精神性/身体性を保つために、なにかしらをアウトプット/表現しているということ。

「初心忘るべからず」

とはよく言ったもんで、「忘れる」とかのレベルでなく(「忘れた」という意識はあるのはまだまし)、自分のなかで大切にしていることをそもそも考える暇を与えずに、意識することすらできない、隙間のない暮らしというのはこわい。

この「初心〜」の文句が名句としてあり続けるのは、きっと「そんなもんわかっとるわ」と一個人の頭(内部)では拾えるものの、社会のなかで活動するとき環境(外部要因)に邪魔されることがほとんどで、「頭ではわかるのに実践は難しい」てのと、「自分一人だけでどうにかしてうんぬん、ということでもない」ジレンマで苦しむ人が多いからなんだろう。ようは、分類すれば「あるある(つらい編)」の名句というか。

なにはともあれ、「自分の居心地のよいサイズ感で、動く、あそぶ、ふざける」というのが、ぼくのなかで初心のようなので、ここをなるべく見つめておきたい。そのための目印としても、「カクテル」「妖怪」、そして「ブログ」というのはあるのだなあ(と勝手に納得したわけです)。

あと、初心とはべつの心をもうちょっと持ってみようかな。下心も忘るべからず、で。

苦しさと苦さと心苦しさと

10月がはじまった。ということは、’16上半期が終え、下半期に入った。この半年間でなにを得て、なにを捨てることができたのだろう。

8月9月は心境の変化も著しく、自分のへたれっぷりを付き付きられ、「悔しい」「やるせない」の連続だった。それもこれも自分の実力不足であることが原因であって、これまでにどれだけ他人に自分が甘えていたのかいうことに気がつく。

振り返れば、進行管理、編集、執筆、どれをとっても、思い通りに自分と他人の手を動かすことのできないことが続いた。一緒に仕事を進める人の”頭を借りる”ための想像力も欠けていた。視野がかなり狭まっており、目先のことで、”そもそも何でそれやるんだっけ “という視点を忘れがちだった。と数え上げたら切りがなく、褒めらることではないが、いくらでも反省文が書けそうである。

自分で考え、動いていたはずが、いつの間にか思考力が低下し、一部「依存」のような状況に陥っていて、その状態にも自分で気づかないような危うさが漂う半年だったわけだ。頰を何べんも強く引っ叩かれたような気持ちで過ごしたし、時間の経過とともに自分の「できない」が浮き彫りになってくる場面を見るというのは、むずがゆく、心苦しいものだった。

ただ、それが良かったのかもしれない。基本的に、人は苦しんでいたほうがいい、と思うからだ。どんなときにも苦しみを味わい、葛藤があることで、自分の中、あるいは自分の外で新たなものを生み出せるのではないか。ずっと同じ種類の苦しみ(失敗など)を持ち続けるのは、決して賢いとは言えないが、一つの苦しみを超えたあとに、また毛色の違う苦しみがやってくることで、新たな課題に向き合うことができる。

今までとは違った苦しみを得ることで、その苦しみが頭のなかで暴れまわることで、それを鎮めたいがために、新たな頭の使い方を覚えることができる。どれだけ自分に「苦しい」という感情を注入できるかは大切なようだ。そういった過程を通じて、自分のなかにある必要のないプライドを捨て去り、自分が進もうとする道を切り開いていける、という感覚をつかめた。

ということで、頭のなかは汗たらたらで過ごす半年ではあったが、そのおかげで、自分のなかにあるいくつかの思い込みがスゥっと消え、思考の選択肢が増えたことは、大きな変化だった。できれば、ゆるやかに変化し続けたい、という気持ちがある。が、時間はそうも待ってくれなさそうなので、連続的にすばやく変化するためにも、同時多発的に多種多様な苦しみに向き合える残り6ヶ月を過ごしていきたい。

(まじめか)

 

振り幅はあるか、緩急はあるか

「振り幅ある人がいいよね」

最近は、お酒を飲むときには、そんな話をすることが多い。ぼくがよく口にする「振り幅」というのは、「バランスがとれているか」という意味を含むし、特には「都会と田舎(の価値観)の振り幅」という文脈で使うことが多いかもしれない。

全国各地を見渡してみれば、都会の仕事を軸にしたオンタイムで動くような価値観もあるし、田舎のように時間がゆったりとすぎ口約束でだらだらっと物事が進んでいくような価値観もある。個人のパーソナリティと進んでいきたい方向性との相性でしかないはずなので、どっちが絶対的に良いというのはない。

ただ片一方の価値観しか知らずに過ごしていくのと、両方を知って(どちらかを選択しているという感覚で)過ごしていくのでは雲泥の差はあると思う。(もちろん、その価値観が「頭でわかる」というのと「体に馴染んでいる」というのも雲泥の差でもある)。

それは自分の暮らしに対する見方が変わるだけじゃなく、他人に対する寛容さにも影響していくだろう。一つの価値観に縛られて、それでしか他人を評価できない人はたくさんいるけど、そういう人を見ていると、少し寂しくなるときが正直ある。

これは「都会〜田舎」の振り幅で考えるだけでなく、仕事の分野の振り幅として考えてもいいはずだ。例えば、IT畑だけにしかいない人の価値観は、若干偏ってるなぁと感じるときもある。それは、デザイン、法律、バーテンダー、農業、役人、ライターなど、どの分野にいたとしても、一つの畑のなかだけにしかいない人は「振り幅がない人かも」と感じられてもしょうがない。

他の分野の人はどんなことを考えているのか、目の前に同じ現象が起こったときにどんな視点で捉えるのか、その振り幅が多ければ多いほど、多角的に物事を見ることができるはずだ。だから、業種における振り幅がある人(例えば、哲学科出身のデザイナーとか農家出身のライター、エンジニア兼広報)というのは、ある意味、頭の中に2人分の人格が入っているような感じがする。

最近では「H型人材」や「越境者」がこれからのイノベーションを起こす、という話はあるが、これらは”思考(立場)の振れ幅”に通ずることだと思う。「あっちにも行けて、こっちに行ける、だけど中立も保てる」というコーディネーター的な存在は大きく、そういった立場の人が絡まないと、生み出せないものはきっとある。

(都会であれば余計にだが)専門性を掘り下げることに価値が生まれやすいからこそ、その二つ(以上)の専門性を重ねる技術は好まれるのではないだろうか。

ぼくは昔野球をやっていて、マウンドに立たせてもらうこともあったのだが、「ピッチングフォームが硬い」と言われることがよくあった。ボールを握って、投げ切る最後まで、全身に力が入りすぎていた。「力を入れるところ、抜くところ、この二つがバランスよくあるからこそ、いい球が投げられる」ということをここで学んだ。配球においても、ストレートだけじゃなくスローボールや変化球を混ぜることも含めて、「緩急」が必要ということだろう。

都会だけ、一つの職業だけ、というのは「力が入りすぎている」状態に近いとぼくは感じていて、そこの田舎や他の職業の価値観を取り入れ「力を抜くこと」で、伸びのある暮らし、明日に向かってのよい球が投げられるのではないか。そういう、振り幅、緩急というのは、いつもいつも社会(そして自分)の課題でもあるかもなぁー。

“知らない”仕事につくことはできない→“知ってる”仕事だけでぼくらは生きていくのか

田舎でも、都会でも、よく耳にするなぁ、SNSでもよく議論されてるなぁ、と思ったので、それについて。

「仕事がない」と口にする人は多いけど、実際はそんことなくて、「知っているもののなかで選びすぎている」か、そもそも「“ある”ことを知らない」かのどちらかのケースは多そう。前者はもう個人レベルでどうにかしてよ、と思うばかりだけど、後者はその情報が入ってくる環境(メディアとの付き合い方、まわりにいる大人、そういった情報を得る場所など含めて)自体が問題なこともある。仕事の選択肢という話でいれば、実は、「ない仕事をつくる」という発想というか選択も本当はあるわけだ。

日本でも近代化にともなって、畑を追い出された、あるいは、出ざるを得なかった農民が、街に繰り出していったあのときは、別にいまのような「やったるで起業」みたいな仰々しいものでもなく、今風にいうと「小商い」というかんじに捉えたのか、自分の仕事をつくっていって、(サラリーマンだけじゃなくて)自営業の人も増えていった。その過程のなかで商店街も発展したときがあったんだろうな。

本題が逸れてしまったけど、「ない仕事をつくる」よりかは「“ある”ことを知る」ほうが大多数向きだろうから、まずは“ある”の届く範囲を広げられるようにしていけるといいのかもね。もしかしたら「“あることを知る」を体験すれば、「ない仕事をつくる」という方向に、段階的に進むかもしれない。知らないことを知ることは、おそらく自分の暮らしや仕事の価値観を大きく覆しちゃうこともあるわけで、そういう機会はもうちょい増えたほうがいいと個人的には思っている。

2016年、ますます「移住」という言葉のファッション化が進んでいくはずだけど、自分の暮らしやはたらき方を考え、その実践をしていくなかで、「移住」という選択肢がでてくるわけで、あくまでそれは“ひとつの選択肢”でしかない。にも関わらず、それ自体が目的になってしまう、あるいは、それを達成すれば苦から逃れられる、というような妄信的救済となっている事実も少なからずある。実際には、そんなことないのに。

東京にもローカルはたくさんあるし、近郊でも田舎暮らしっぽいはそれなりにできる。コミュニティを求めて、都会を出ようとしてるなら、実は探してみれば、居心地のよいコミュニティの一個や二個は見つかるはずだ。「移住したい、って言ってるけど、本当にそれって移住しないとだめなの?そこじゃできないの?」といやらしい問掛けは大事にしていきたいな。

そこらへんについて思い老けたときに、「抜け道をつくるメディア」とか「想像税を、払う東京」とか「地域おこし協力隊になって、自分探しをしようとする若者の風潮について」「田舎者はどこでもいるぞ」「移住イベントは、だいたい二パターンに分かれる」とか、をまとめた。

バーテンダーが自分のオリジナルカクテルをつくりたい、ってときは、まずは世界中にあるカクテルについて知らないといけない。いろいろと知って、吟味してみて、悩んでみて、それから自分らしい一杯が生まれる。井の中の蛙のように、狭い見聞のなかだけで広げられるものには限界がある。その中で自分がハマるものがあればいいけど、ハマれないものがでてきたときは、多少しんどくなる。そのとき、“知らない”から“知ってる”への変化をつくれる人は、得するよな、といつもいつもぼくは思う。

多様性を認められた社会といいつつも、その多様性をのぞけていない人の生き方と、好奇心をもってのぞけている人の生き方は、どこか違ってみるのだけど、おそらく、それは知ってるがゆえの“ゆとり”にあるのかもしれない。今ある自分の“知ってる”から、ちょっと抜け出してみる勇気、ただそれだけの違い。

re:set 2016

年の瀬は、甦りを感じる。今年はどないだったか、来年はどうしたもんだ、とあっちこっちに頭の中で動きまわってると、その途中に、ふと、ぼうーっと朧げに浮かび上がってくる光景がある。「大学のときに部活が一緒だったあいつ、今どうしてんだろう、というか、そういうやつと出会ってたんだな」とか「むかし日帰りのバイトで一緒だったあの人、仕事帰りにいろいろとよくしてくれたけど、なんだか印象薄かったな」とか。

それは、なんの脈絡もないままに、突然ふっと思考に入り込んでくる。断言はしちゃいけないけど、おそらくこの先の自分と彼らの人生で重なる部分はないだろう、と思うような人ばかりがぼくの脳みそに訪れては、しれっと出ていく。そんな「あの時、あの場所で、あれをしたこと、あの人に会ったことが、今の自分をつくっている」からはほど遠いような人々の甦りがよくあるみたいです。

その話とはちょっと違うけど、12月になると、心がそわそわしてしまう。年末になると、忘年会をする、という文化をつくった日本人は発明家だなぁと。なかなか普段だと会えないような人とも、この時期になると不思議と引き寄せられる。それと同時に、本当に会いたい人がだれなのか?とか考えたりできて、想いの深さをこのときに図ることもできる。

はて、なぜ忘年会なのか?と考えた。漢文のように読み進めてみれば、「年を忘れるための会」となる。ただ実際には、その「年を忘られないための会」だそうだ。なんだか、ややこしいぞ。だったら「年を覚えるための会」で覚年会とか、「年を思い出すための会」の思年会とかでもいいんじゃないか。

さらに偏屈を言わせてもらうと、忘れないことが大事なのだろうか? 最近よく思うのは、「忘れる」ことが大事なのではないかということ。過去をそのままにだらだらと引きずって、新しい年に向かっていくのは女々しさを感じてしまうからだ。良かったことも良くなかったことも思い出して、少しだけ次につながるエッセンスを見つけて、軽量化できるといい。本当に必要なことは、きっと、ごく一部でしかない。だから、どちらかというと、その年を振り返ってみると、「忘れる」ことのほうが大部分じゃないかと思える。

いや、振り返りはその都度その都度しているだろうから、本当はすべてを忘れるほうがいいのかもしれない。ぼくが幼いときからずっと憧れている野球選手、イチローは打席に立つだびに気持ちを「リセット」するのだそうだ。前の打席でヒットが出ようが、三振だろうが、良いイメージも悪いイメージも関係なしに、新鮮な気持ちで打席に立ち、ピッチャーと対峙していく。2015年がひとつの打席だったとしたら、ちゃんとリセットして2016年をはじめていく。れがいいな。だから、ぼくは忘年会を「その年を忘れるための会」として、今後付き合っていきたい。

そうやって、うだうだ考えながら、12月の間わりかしごねていたら、いつの間にか年も明けてしまった。温泉からあがって、テレビを付けてみて、ほわ〜っといろいろ考えていたら、いつの間にか寝落ちしていた。カウントダウンすることもなく、起きたら2016年というナイフを突きつけられたような気分。ちょっとした恐怖からはじまったけど、よし、がんばるぞ。

今年の一字としては、「居」を念頭におきたい。実は、「離」という字にしようと最初思ったのだけど、やめた。今年の4月からまた東京のほうに拠点を移すつもりだ。それは去年くらいからずっと計画していたこと。そのために、この1年間ほどを沖縄(那覇)で拠点を構え、場づくりに関わらせてもらった。離れるということは、捨てるということではない。近くにいた彼女と少し離れ、遠距離恋愛になるようなもので、東京にいるからこその沖縄との関係性を築いていきたいし、そこにいるからこそできることを進めていこうと思っている。

沖縄を離れるよりも、東京に「居」るに重きをおく。どこかに居るということは、どこから離れることの裏返しでもあるので、同じことと言えば同じこと。「いつもどこにいるの、いま?」と聞かれることが多いので、「いつも、ここにいる」という安心感をつくっていければと思っている。東京という場所に(なぜ東京なのか、という点については、今度あらためて書かなきゃだな)。

それともう一つ、「居」には意味があって、京都移住計画の考え方に「衣・食・住」ならぬ「居・職・住」というのがある。「居」はコミュニティであり、だれかにとっての居場所をつくることでもある。そういった場づくりと、その場までにつなぐための情報発信がされるメディアづくりを腰を据えてやっていきたい、という気持ちは去年よりもさらにつよく、ちゃんと形にし、より大きく育てていける年にしたい。

さて、抱負的なものを述べたけれども、「別に意気込まなくてもちゃんとやっとけよな」というツッコミ心を自分に対して持ちながら、座右の銘でもある「まじめに、なまける」を大切に、ふらふら〜っとしてるようには見えるかもしれないが、着実に前に前に、去年よりかは大きな一歩二歩を踏めるように進みたい。あ、あと、毎年のように一字だけでなく、一色も決めるのだけど、それは「水」色にしようかと。調べたところ、「変化」や「変革」「流れ」を表わすのだそう。補色は、赤。なんとなく、しっくりもくる。暮らしのなかで、ちょいちょい水色を意識して取り入れよう。Twitter率あがるかな?

ということで、みなさま、2016年もよろしくお願いします(はやく初詣に行きたい、浅草寺あたりにでも)。

「すべてが興味ないわたし」と「すべてが興味あるわたし」

腹が減ったら飯をくう。そりゃ当たりまえかもしれんけどさ。仕事と仕事の合間を縫って、食べものを求めて、街中をさまよう。いつもいつも、いろいろと動きまわってはみるものの、結局口にするのは、カツキッチンのポーク玉子おにぎりか、田舎そばのソーキそば、あるいは、赤とんぼのタコライス、もう最悪の場合は、ドンキで買い込んだ大量のカップラーメンである。

そう、基本的に、そういうご飯のことで何を食べようかと悩んでるのがもったいないし、なんかその時間無駄だよなーと思ってしまう自分がいる。ざっくばらんに言えば、腹を満たせば何でもいいのだ、そのくらいぼくは食に興味がない、と一度思うのだ……が、全くそうでもないらしい。

一応は、元々飲食業界にいたわけで、それなりに美味しいものがあるということは舌が覚えてくれてるし、美味しいものを見つけたときには、それを誰かと共有したくなる気持ちがあったりする。じゃあ、「興味がない」と思える自分はなんなのか? それは、自分事か他人事かの違いでしかない、と気付く。

自分ひとりで食べるものであれば、何でもいいわけで、気にすることなく、とにかく腹に詰められればいい。つまりは、死ななきゃいい、という価値観でご飯を食べる。しかし、誰かと食べるということを意識し始めると、自分の五感が一気に奮い立って、一緒に食べる人に合いそうなものはなんだったか、と自分の脳の片隅にある記憶を必死で辿ろうとする。それなりに知識的なものも勉強する。美味しいものを食べたときも、こういう味、〇〇さん好きかもな、と一瞬考えるような繊細さもそれなりにあるわけだ。

その「自分事として考えると全く興味を持てないことが、他人事として考えると一変してすさまじく興味を持てるようになる」現象、実は「食」に限ったことではない。自分がいま仕事として掘り下げている「地域」「移住」「テクノロジー」なども、そのおもしろさ・可能性にひれ伏してはいるけども、個人的には言うほど興味はないみたいだ。それらについて情報を欲している人がいると思うから、その人たちに向けて情報を集め、自分なりに編集し、共有するための準備をしていく。

興味のない自分のための自分と、興味のある他人のための自分、言葉としてはややこしいが、そういう二つの人格を持てている。少し飛躍する話にはなるが、相手に「やりたいことはなんですか?」と聞かれたとき、ぼくはいつも答えにつまる。それは自分事の領域だけで考えると、ほとんどやりたいことがないからだ。物事に対する関心というのがないままに27年間を生きてきた。むしろ「やりたくないことはなんですか?」と聞かれたほうが、死ぬほど答えられる。

だけど、唯一ポジティブに答えられることがあるとすれば、「やりたいことがある人のやりたいを応援する」「やりたいことがない人のやりたいを見つける」ってことは、あながち嘘ではないだろう。自分の動きよりも、人の動きのほうが気になるのだ。その人の動きがつくられていく様子を見れることが嬉しいのだ。

かつてバーテンダーとしてカウンターの中にいたときも、自分が話すよりも、お客さんが話をしてくたほうがいいし、知らないお客さん同士をつなげてその二人で話が盛り上がってくれたほうが、断然うれしかった。そもそも、そういうタイプの人間なのだ。自分については、わりと何でもいい。

自分には必要のない情報でも、どこかでだれかにとっての必要な情報になる、それが彼ら彼女らの新たな変化の起爆剤になりえるかも、と思うと、どんなことにも興味は持ててしまう。どこかに「自分用」スイッチと、「他人用」スイッチがある。プライベートでは、他人用スイッチは押したくもないから、基本的には全ての情報を遮断したくなるし、もう情報を入れすらしたくないから、人に会いたくないってことも多い。

一匹のマグロは、解体師によって、見事にさまざまに部位にさばかれていく。それは、だれがなにを調理したいのか、というひとつのゴールに向けて、丁寧に切り分けられているのだろう。同様に、ひとつの領域/情報の塊に出くわしたとき、自分は調理する気はひとつもないけど、こういう人にはこれ、ああいう人にはあれ、というような振り分けができる。きっとそれがあって、自分はいろんな情報を頭にストックする癖がついてる、それをしかるべきに引き出せるように揃えることができているのだと思う。

「すべてに興味ないわたし」と「すべてに興味あるわたし」の違いについて、ずっと自分で自分に理解できていなかったが、こうやって書き留めてみることで、だいぶ整理できたかもしれない。とりあえずは、自分についてはそう解釈ができたので、お節介かもしれながい、ついでに他人に対して思うことも記しておこう。

自分には無関心・無価値でも、立場や視点を変えてみれば、今目の前にある情報が、ある人にとってはお宝になるよね。それと、「編集」という作為は、そこらへんを常に悶悶と考えながらやっているものではないのか、っていうことを。そんなこんなを思いつつ、この記事は一体だれに響くのかしら(ハマる人なんているのか?)、と思い悩むのです。

いつまでもそこに居(れ)るとは思うなよ

始まりがあれば、終わりがある。よく聞く言葉だ。新しい一歩のために、物事をどうやって始めるのか。それは多くの人の関心事らしく、「〜の始め方」という切口の議論を、最近ではよく耳にするようになった。

ただ、その「始め方」は「終わり方」に対する意識が若干薄いのではないかとも感じる。始まりがあるなら、その先の終わりのことも一緒に考えてみるのはどうだろう。それをどうやって終わらせるかということを。

それは、「人が流動的な存在で、いつまでも同じ場所にはいられない」からこそだ。自分がずっとそこに居続けると思い込むのも危ういし、他人がずっとそこに居続けると思い込むのも、いささか横暴なのかもしれない。

人は変化し続け、ステップを踏んで、新しい場所へと進もうとする。そのときに、同じ場所にいられなくなる理由ができる。

あるひとつのことを、一緒に始めたとしても、終わるときは一緒ではないかもしれない。人の人生は摩訶不思議で、予定調和に全てが動いているわけじゃない。だから、始め方を考えると同時に、終わり方も考えていく。では、なにがよい終わり方なのだろうか。

終わり方は、各々が持つシチュエーションによって勿論異なるだろう。だが、終わり方には「捨てる」と「離れる」というふたつの終わり方があるように思える。捨てると、もう二度と戻れないが、離れるのは、また戻ってくることができる。

つまり、今までその場所で築いてきた関係性をぶち切って、その場を去っていくのが「捨てる」終わり方。反対に、関係性を継続して、やり取りは続きながら、なにかの際に立ち寄れたり、あるいは戻ってこれる可能性を残して、その場を去るのが「離れる」終わり方。

例えば、これを「移住」の話で考えてみる。とある地域に移住してはみたものの、文化が違うためか、地域の人とうまくコミュニケーション取れず、自分からもアプローチせず、馴染めず、2〜3年でそこを後にするAタイプ。もう一人は、移住後、地域の人とのやり取りに苦労しながらも、少しずつ馴染み、お互いに信頼できる関係性を築けたが、実家や仕事(キャリア)の都合でどうしてもその地域を出ざる得なくて、そこを後にするBタイプ。

すぐに察してもらえるだろうが、Aタイプの人は「捨てた」人、Bタイプの人は「離れた」人である。Bの人は、おそらく定期的に、その地域に遊びに行ったりして、宿泊もさせてもらえるだろう。ある意味、「さようなら」ー「さようなら」でなはく、「いってきます」ー「いってらっしゃい」と地域の人とお互いに言えるような関係性がある。

移住の話に限らずに、子はいつまでも親の元にはいられないし、チームだったけど個人としてやりたくなることもあれば、いつまでも部下は同じ上司の元にいるわけでなく、教師は次へと進もうとする生徒を留まらせることはできない。

すべて始まりは一緒だろうが、いつしかは(物理的な)終わりが確実にくる。だからこそ、再三言わせてもらうが、「どのように終わるのか」そして欲をいえば「どのように離れるのか」までを頭の片隅に置きつつ、物事を始めていけるといい。

話は飛んでしまうかもしれないが、自分が、あるいは、その人が、離れたとしても成り立つ「関係性」と「仕組み」をつくれる人こそ、よいリーダーなのだとも思う。いつまでも自分がそこに居れると、他人がそこに居てくれると甘んじるのはダメだ。人は絶え間なく変化し続ける。その変化を見抜けず、認めず、見送ることのできない人は、上に立つのはきっと向いてない。

こんな居場所が理想的だ ー その場所に足を踏み入れたからこそ、あらゆる挑戦でき、得るものがあり、次へとステップを進められる、登竜門的な存在としてそこから飛び立てるような、そんな人が“離れる”ことを好しとした場所。

みんな、行きたい場所があるなら、見つけたなら、そこへ行けばいい。人が行きたい方向を邪魔するほど、そんな野暮ったいことはない。それはしたくない。

温もりのある「離れる」をデザインできるよう、もっともっと経験を積まなきゃだなぁ。

売れる(任される)準備ができているか

好きな劇作家として、小林賢太郎がいる。彼の著書『僕がコントや演劇のために考えていること』を読んでみると、「つくり方をつくる」など舞台に関わることのない人にも参考になるフレーズが散りばめられている。その中でもわりと気になったフレーズが次のもの。

売れる準備ができているか

芸人として売れたときに、いまだかつて挑戦したことのないような新しいチャンスが増える。その段になってから挑戦するのではなく、売れる前から準備をしていれば、慌てることもない。だからこそ、売れる準備を意識したうえ日頃を過ごしている人は強いのだ。

下積みは、売れるための蓄積だけでなく、売れたあとまでの貯金をつくっておくためにあるものだと言えるかもしれない。

とはいえ、ぼくらは芸人ではないので、「売れる」という感覚はなかなか親しみを持ちにくい。そこで少し言葉を変換してみて、「売れる」を「任される」として考えると、一般化できるのではないかと思う。

「任される」はいろんな受け取り方ができる。今までやれなかった仕事を任される、先輩として後輩の指導を任される、子守りを任される、あるい、会社を任される、など、(信頼ありきで)人から人へと任すようなやり取りは日常茶飯事でないだろうか。

ここで小林賢太郎の「売れる準備」をぼくなりに転用してみると、「なにかを任されてから、そのやり方を考える」のではなく、「それを任されることを見据えたうえで、イメージトレーニングしておくこと、今まさにそれをやっている人のやり方を観察すること・盗むこと」をやっておけるとよいことになる。

センスの塊でないかぎりは、時間がかかる。例えば、会社の中で(役職として)上司になったとしても、いきなり上司になりきれるわけでない。立場が変わることによって、どのように振る舞うかどうかは変わる。言ってみれば、最初は上司見習いから始めるわけだ。そうなったときに、その見習い期間を早めるためにも、部下時代からしっかりとよい上司の振る舞いを観察しておくことはよい準備なのだろう。

つねに“当事者意識”を持って、「あの立場・状況になったら自分ならこうする」というケーススタディができている人は、今でなく未来を見ている。実は、スタートを切る前の準備で、ある程度の結果は見えちゃうのかもなぁ。目先のことばかりに捕われてしまうのではなく、ちょっと先を見据えて、虎視眈々と、せっせと準備をしていくこと、それこそ必要なんじゃあないか。

バーテンダー時代に「準備8割」と師匠にこっぴどく言われていたことが脳内に響きわたる、今日この頃です。

いとうせいこうの肯定する脳みそ

意見が食い違うときのコミュニケーションって難しい。初対面の人と話すときには、必ず意識することがある。それは、否定型の人間なのか、はたまた肯定型の人間なのか、という話をする相手の性質だ。そのどちらかによって、伝え方は変えてかなくちゃと思うので、その判断は慎重にしていきたい。

何を言おうが、自分の意見と違っているとすぐに否定にかかるがいて、そういう人は別に死ぬほど嫌ではないけど、聞く耳をあまり持っていないのはもったいない、とつくづく思う。何か言う度に「でもさ」と反射的Butをバシッと振りかざしてきて、自分の意見の優れている点を主張しようとする。これってバランスよくないんだよなぁ。

反対に、肯定型の人ってのは、例え自分の意見と食い違っていたとしても、まずは相手の話を呑み込むように聞き耳を立ててくれる。その上で違っている点を伝えたいなら、「うんうん、そうだよね。たださ・・・」とYesで受け止めてからのButなので、ちゃんと認めるところは認めつつ、違いを話してくれるので、会話の気持ち良さが全然違ってくる。

否定型の人は、その「一度受け止める」ためのYesを持合わせてなくて、自分の意見以外は間違ってる、という概念に囚われているから大変だよな、と思うし、そういう人と話をするときこそ、肯定の姿勢で相手の価値観に耳を傾けて、言葉を選んで、話を進めていけたらいいなぁ、とも思う。別に相手をやり込めたいとかではなく、「自分と相手でなにが違っていて、そう考えるようになった理由はなんだろう?」を知るために。

肯定型の人間ってのは、どんなことがあっても物事をおもしろがれる人だよなぁーと、人としての強さを感じる。目の前に現れる予期せぬ出来事をいったん受け止めてみることで、その対象との距離感を探りつつ、自分なりの楽しみ方を考えていく。ここで思い浮かんでくるのが「いとうせいこう」という人物像だ。

以前『ボクらの時代』という対談式のテレビ番組に、バカリズム、いとうせいこう、小林賢太郎という珍しいメンバーで出演した回があった。そのときに、趣味の話からの流れで、バカリズムがいとうせいこうの人柄をこう語っていた。

せいこうさんは、肯定する脳みそなんですよ

それを笑いも交えつつ語るエピソードとして、いとうせいこうが「野犬の霊」に憑かれたときの話が出ていた。そのせいで体調も悪くなっていって、普通であれば、憑かれたら祓ってみる、という手段をとるのだろうけど、いとうせいこうは「(霊を)飼う」という決断をした。悪霊との共生をしようと試みて、今では忠犬まで飼いならしたけど、体調はよくなったわけではない、というオチ付きの話。

受入れて、おもしろがる、の究極はここにあるよなぁ、とクスクス笑いながら、ぼくは番組を観ていた。単純にそっちのほうが、世の中が楽しくなるだろうし、否定するものがあったとしても、肯定と否定、ふたつの視点で物事を見れるわけだから、得だよね、とも思う。

すぐに否定したくなる人は、とりあえずまずは相手の言うことを聞いてみて、ツッコミポイントを見つけつつも、うんうんと飲み込み、それから自分が思うことをどう伝えるかを考えてみる。Butの前のYesを呼び込む、ほんの数秒を我慢できたら、世界はちょっとは開けて(拓けて)くるじゃないかってね。

もっとおもしろがろうよ、楽しもうよ、だって自分のところに本当に来てほしいものってなかなか来てくれないから。むしろ呼び込まなくちゃ。

“有る”時代に生まれてきた子どもたち

ぼくが育った場所は、沖縄の端っこにある離島だった。島には集落が5つあって、人口は1300人ほど、ほとんどが高齢者で、それでも当時の同級生は20人はいた。島の面積の半分以上が山と畑で、そのまわりは透明度の高く、青のグラデーションをこれでもかってくらいに見せてつけてくる海、海、海。そんな場所で、ぼくが島から出るまでに触ったパソコンは、中学校の情報かなんかの授業くらいなもんだった。

高校は那覇だった。進学校と呼ばれるようなところだったけど、ただやはりここでも情報うんぬんの授業でパソコンは触れる程度で、その頃は、ほとんどの近い学生がケータイは持っていたけど、ガラケーだった。家にパソコンがあって、当たり前のようにネットに繋げるような家庭環境になかったぼくがインターネットというのを日常的に使える段になるまでは、まだ時間がかかった。

大学から上京した。いや、その前にあった大学受験の話をしておこうかな。英文読解のテーマが「Wikipedia」だったのを覚えている。よくパソコンをいじっているような学生からすれば(同じく受験していたぼくの友達はそうだった)、身近な内容だったのだろうけど、ぼくからすればトンチンカンな言葉が並んでいて、イメージなど到底できない内容であって、目に見えないようなヒエラルキーを大学受験で感じた経験だったのをよく覚えている。

そのこともあってか、まんまと不合格となったぼくは、懲りずに後期もその大学を受け、どうにか入学できることになった。あれは意地だったな。ほんとに。話を戻すと、入学後は、大学図書館に行き、興味持ったものをひたすらパソコンを使って調べるというのが毎日のように続いた。こんな便利なものがあったのか、と乾ききったスポンジがぎゅいぎゅいと水を吸うかのように、調べまくった。本なんててんで読まずに……。

スマホが出てきたのは、ぼくが大学3回生くらいのときだったか。いやちょうどiPhoneがどこのキャリアから出るんだ?という時期が過ぎたばかりで、それがSoftBankになったもんだからdocomoユーザーのぼくはえらくガッカリして、だけどちょっと待っていたら「Xperia」が出るぞとなって、国内初のiPhone以外のスマホにぼくはすぐに飛びついた。今考えると、びっくりするほどモッサリとした画面で、タッチ反応も遅かったけど、当時からすれば、あれはほとんど神器だった。

いつでもどこでもインターネットを持ち運べる、調べたいことを調べられる。元々、超田舎で育った、超アナログだったぼくが、その環境を得るというのは、まさに人類の進化の過程をたどるかのようで、やっと現代人らしくなれた瞬間ではなかったか、と大袈裟かもしれないけど、そう思うのだ。ちょっと前に遡ると、ずっと紙の辞書を使って英単語調べていたのが、電子辞書を使いはじめ、驚愕したような体験があったけど、それのもっともっと上を行くような衝撃、とでも言っておこうか。

こんだけ自分の過去を並べてみて、何が言いたいのかというと、ぼくは27年という短い人生の中で、インターネット環境が“無い”ときから“有る”時代を体感してきた。ぼくの上の世代もきっとそうだろうし、それがぼくのようなあまり裕福でない家だったり、田舎出身だとすれば余計だろうな、とも思う。だからこそ、その“有る”ありがたみは沁みるように感じてる。

だけど、デジタルネイティブという言葉あるように、生まれてきて自我が芽生えてきた頃には、既に“有る”環境に放り投げられた子どもは、“無い”ことを知らないし、それを知るための機会すら得にくいだろう。彼らにとっては、不足があって得たツールではなく、それが不足もないままに当然のようにあるツールなのだ。その構造によって奪われている想像力はどれだけあるだろう?

今の子どもたちも成長し、いずれは、アナログ時代を知っているぼくら以上の世代とも一緒に仕事をすることになるだろう。そのときに、“無かった”世代への想像力が働きにくいのはもったいない。「分からないなら、調べればいいじゃん」という今風の発想とは別に、「まずは自分で体験してみろ」という非効率にも聴こえるが実は的を得ているような発想を、妙に賢くなってしまった頭では、すぐに、素直には受け取れないだろうから。

「便利に時代に生まれたよね」とある人は言うかもしれないけど、もしかしたら、今の子どもたちは、昔の子どもたちよりもずっと不幸なのかもしれない。それは文明利器に頼りすぎて、思考力や生命力が低下してきた人間の最たるは現代人だろうし、その最たるは時代が過ぎていくとともに更新され続けるに違いない。現代人は、原始人よりも、ずっとずっと弱い生き物だよな、とふと感じてしまう瞬間すらある。

“無い”時代を経験してきたぼくらが、“有る“時代に生まれてきた子どもたちにできることは、きっと“不足”を与える機会をつくること。押しつけるかたちでなく、一緒に楽しむようなかたちで。“無い”なら無いなりにできるやり方を考える、その過程と実践を楽しむことはできるはずだ。チャッカマンを忘れたキャンプでも、きっと生き残る術も楽しむ術も残っている。

不足が足りない今だからこそ、不足への意識を持って、大人は責任を持って子どもと接していかなければとならない。そして、ぼくが思うのは、インターネットとは違ったぼくの知らない不足を、上の世代から聞き、体験できることは体験し、次の世代へと繋げていくこと。“足りない”概念こそ、人を逞しくするものだと信じて。

もの書きが『バケモノの子』から学べること

7月11日に公開された映画『バケモノの子』を、その3日後の7月14日に観た。その日であったことには、たいした意味はない。九州滞在中で、仕事が一段落して、移動までの時間を埋めたいなぁと思っていたら、映画館が近くにあったので、前々から気になっていた作品を観ることにした。 劇場での観賞中にもグッときたし、その後もしばらくまとわりつくような言葉があったので、それについてメモしておく。

なりきる。なったつもりで

そんな、やさしい女性の声が作品中に響いた。バケモノの熊鉄の弟子になった九太が、強くなる方法がわからずに苦心しているときに得たこの言葉。ぼくは文章を書く仕事をさせてもらっているのだけど、そこに通じるような考え方だなと、釣り針に掛かった魚のように、その言葉に強く引っ張られた。

 

「なるきる。なったつもりで」を、ぼくは、「真似することから学ぶことが始まる」という意味で捉えることにしたんだけど、もの書きにとって、この行為はとても大切なこと。文章がうまくなりたいなら、やはり文章がうまい人の真似をするとよい。じゃあ実際に何をするかというと、「書き写し」をやってみる。一字一句真似てみて、その文章を手書きかタイピングで白紙を埋めていくのだ。

小説やエッセイなどでは、作者ごとの表現方法を見つけられるし、そこで自分の書き癖も見えてくる。メディアの記事であれば、文章構成なども意味のかたまりを持って、分析することもできるから、やってみて損はない。

「なぜ書き写すのか?」という理由を考えるよりも前にまずは、やってみる。そして、やりながら、なぜこんな文章になっているのか、作者の気持ちと技術を追いながら、自分で意味を見いだすことがここでは重要かもしれない。

 

本や記事を読んでて偶然にも気になったフレーズを見つけたとき、思いがけず時間ができたとき、というサイクルではあるけど、ぼくは書写をするように心がけているのは、やっぱりそれも、先輩のもの書きがそうしていることを知ったからだった。

とはいえ、バーテンダー時代を振り返ってみると、業界的にはやはり職人気質の人たちが集まるところだったので、「見て盗め」という学び方を学べた経験を、文章に活かせばという発想とも言える。

バーテンダー見習いは、師匠が動きやすくなるように、カクテル作りをアシストする。お酒のオーダーが入った瞬間から、師匠が何をしようとしているのか、そのためには、どんなボトルやグラスが必要で、どのタイミングで氷を用意をすればいいのか、などを憶測しながら、見習いは手早く準備していく。

そのとき、ちょっとやそっとじゃ捌ききれないほどの注文が入る状況がある。となると、師匠になりきり、なったつもりで動かないと、どんぴしゃのタイミングを生むのは難しく、師匠とのシンクロも起こりえない。見習いはそういう経験を糧にしながら、師匠に近づいていく。

 

また、ぼくはお笑いが狂おしいほどに好きなのだけど、芸人も人によっては、他の芸人のネタを書起こしてみて、どこで笑いが起きるポイントなのかを研究する人もいるという。どんなジャンルであっても、「なりきる。なったつもりで」論は有効なんだろう。

当事者として、もの書きに必要な考え方だなぁーというのがひとつと、なにか学び始めたいことがある人は、同じ手法をとってみればいい。と思う。逆に言えば、「誰も教えてくれないから学べない」というのは多少の甘えがあって、なりたい像があるなら、まずは真似てみろ。とも思う。

 

そんなことを考えた『バケモノの子』だった。作品を通して感じたことはそれだけに留まらず、いろいろと彷彿とさせてくれる印象的な作品だった。実は、映画を観た後には文庫本も読んでみたけど、これがまた映像とテキストの違いを感じておもしろかったのだ。

ぼくの「なりきる」対象でもあるオバケの松倉さんが「同じ映画を3回くらい観るといい」と言っていたが、今まさにそれを実験している最中でもあり、ある意味、夏休みの自由研究として、細田守のものづくりを学ぶつもりでいる。残り2回、とりあえず後1回は劇場に足を運ぼう。よければ、みなさんもぜひ。

 

「前置き」をすっとばす大人にだけはなりたくない

街を歩いていると、ひっきりなしに見える広告の看板。東京・新宿で働いていたときなんかは、広告だらけで、あの光景はいつ振り返ってみても、あの異常なまでの量には笑えてくる。さらに広告のキャッチコピーを見ていると、短く伝える、って大事だよぁーと思い知らさせる。

ただその「短く伝える」とは反対に、「長く伝える」という話に触れてみようかと思う。伝えたいことから逸れている内容をだらだらと時間をかけるのは、最初から除外して、ちゃんと伝えたいから、長く伝えるという行為について、さらには、話を長くできちゃう「前置き」について整理してみたい。

 

話の前置きが長くなっちゃう人っているんですよね(それぼくなんですけど汗)。本題に入る前の話、落語で言えら「枕」に当たるようなところ。本題じゃないんだから、そんなの早よ済ませよ、と思う人は結構いるかもしれない。でも、これこそ力を入れて大切にしたいこと。

例えばだけど、「いいデザインってなんだろうね?」という話になったとき、本題としては「いい」デザインについて話を進めたいのだけど、その前提として「デザインとは?」という共有意識がその場の全員にないと、議論は進みにくい。

もっと言うと、「そもそも、なぜ、いいデザインについて話をする必要があるのか?」という場の発生理由について押さえなければいけない。その文脈をしっかりと把握してもらうことで、その場のルールを理解してもらって、説明もないまま闇雲に「それ違うよ」という否定的な言葉を減らすことができる。

日差しを浴びさせ、とことん乾燥させて、スポンジをカラっからにしてみて、水の吸水率をグッと上げるためのプロセスが、この「前置き」にはあると思っていて、ここを怠っていると、小さなストレスに敏感な人は、当然のように不快になってしまう。そういった人たちの反応を見逃さずに、さらに敏感でありたい。

 

話をちょっと飛躍させると、「人についての前置き」も可能な限りは丁寧に行っていきたい。人についての前置きというは、目の前にいる人がどんな人物なのかを知るための情報のこと。どんな場所で生まれ育ち、どんな環境で学び、どんな人と付き合ってきて、どんな仕事をしてきて、どんな性格なのか、という前提に敬意と注意を払いたい。

その人の行動や発言というのは、必ずといっていいほどに、過去の経験に引きずられている。だからこそ、その人のその場の姿・言動だけでなはく、背景を掴んでおきたい。その彼/彼女の真の意図まで辿りつくには、その人の「前置き」部分を大切にしたいよね、というのと、それによって、いい時間が過ごしやすくなるよなーと。

 

ここまで話した「前置き」のショートVer.として、「クッション言葉」があるとも感じている。例えば、相手が知らなさそうな記事を紹介したいときに、「これ読んでみてくださいね」という言うよりも、「もしかしたらもう知ってるかもしれませんが、これ読んでみてくださいね」と言えるほうが、言葉自体に丸みがでるし、すでに知っていた場合の予防線にもなり、相手への思慮深さを読み取れる。

サービス業に従事している人とか、よい編集者というのは、しゃべるにしろ、文字にするにしろ、このクッション言葉の使い方が巧いよなー、といつもやり取りのなかで思い知らされるのよね。本題はわかった上で、その前後の脈絡にまで目が届く人は、相手のための言葉の装飾が鮮やかで、一緒になにかをやっていても心地よく、ワッと明るい気分で取り組むことができる。

 

ということで、短く伝えることも大事だけど、あえて長く伝えることも大事なのだ。その「前置き」をおたがいに確認できるような関係性とか場があると、それは本当にすてきなことだと思う。伝えたい相手がいたときの、相手(複数の可能性もある)への想像力はちゃんと持っていたいね。どんなときも。

このように、ぼくが間置きが長くなったときの言い訳をまとめておきました。

 

バランスのいい人がいい

世間の騒がしさを見ていたり、地域の動きについて観察をしていると、なんだか寂しい気持ちになるときがある。それは、偏った意見ばかりが主張されてて、たがいに衝突を繰り返してばっかりで、バランスのいい人ってほんと少ないよな、という現状に出くわすからだ。

バランスがいい、とはどういうことか。例えば、ある問題についてAとBという意見(考え方、領域)があるとしよう。そのとき、Aだけとか、Bだけのような一つの意見に縛られて、その主張しかしない人は、バランスがいいとは思いにくい。Aの考え方は〇〇の理由で分かるし、Bの考え方も△△の理由も分かる、というように、どちらにも歩み寄れて、“視点を切り替えるスイッチを持っている”人が、バランスのいい人。

だからこそ、AとBの真ん中になって、調和させるかのように、つなぐ役目を買えるのもこういった類の人になる。大事なことは、ただ真ん中にいれば良いわけでなくて、いったんAにも限りなくグググと寄れて、同じようにBにもいけること。その上で、真ん中がどこなんだろう?と探りながら、2つの間の架け橋になれること。AとBを越境でき、共通項を抱えることのできる“間的存在”になれる人こそ、バランスのいい人。

少しだけ、地域おこし的な話をすると、その地域を賑わせていくためには、やっぱり人の力が必要で、バランスのいい人材が求められる。根本的には、都会(A)と田舎(B)の感覚を持ち合わせているバランス性はあるに越したことはない。

また、地域の情報発信だったり、新たなことに挑戦するときには、あくまで地域にあるアナログな素材が大切とはいえ、Webなどのテクノロジーを道具として使いこなせることは、ますます求められる。その上で、地域づくり(A)とテクノロジー(B)に対する見識を両方持っていると、バランスのよさを感じる。地元の人はその部分が欠けてることが多いからこそ、テクノロジーを伝播するための架け橋になれる。

ちょっと他の領域にも触れておくと、「農業(A)とIT(B)」とか、編集における「紙(A)とウェブ(B)」とか、基地問題における「県内(A)と県外(B)の声」など、さまざまな場面において、越境できる人の存在は求められているように思える。そして、これから、どんどんその存在価値は高まっていくと、ぼくは思う。

今まで橋渡しされることなく、混ざり合うことのなかったふたつが、おたがいの領域を行き来できるようになる。これって、とてつもないクリエイティブだ。驚くアイデアがひょっこり顔を出す瞬間はこれ。そうやって新しい価値を生まれるには、そういった“間”に入って、つなげるバランスのいい人が必要不可欠だろうな。

だから、(みんながみんなバランスがいい必要はなくて、尖った人もいてしかりだとは思うけども)、世代、職業、国、地域、地位、性、に囚われることなく、その間を行き来できるバランスのいい人をもっと増やせる教育的な仕組みって必要なんじゃないかな。そもそも、それをつくれる人は、超絶にバランスいい人ではなかろうか。

まあ、なんでこんなことを書き留めたかと言うと、バランスのいい人っていいなぁ、とぼくは思うし、そういう人が好きだし、そういう人と一緒にものづくりをしていきたい、という単純な気持ちだけだったんだけど、自分なりの「バランスのいい」を文字化できて一先ずOKということにしておこう。一生、バランス主義でゆきたいところです。

だれにとっての「新しい」なのか?

時代の流れのなかで、「地方創世」と大きな言葉が持ち上げられ、一極集中型の東京からの解放されたいと願う人が増えてきたように思う。都会で仕事に消費され、忙殺され、自分の思いのままのくらしが実現できていない人たちは、ライフスタイルや働き方をより見つめるようになった。その中でよく耳にするようになったのは「新しい働き方」。

「TokyoWorkDesignWeek」というイベントが近年出てきたのもその流れあってだろうし、「働き方」に関する書籍も頻繁に目にするようになった。が、そういう話題になったときに、疑問に思うことがぼくにはある。よく「新しい働き方」という言葉を口にする人が増えたのだけど、それって、一体だれにとっての「新しい」なのだろうか?

まず「今までなかったのだから、新しいから、良いやり方に違いない」という先入観がきてしまっていて、その言葉に感化されまくっている人たちを見たときに、少しばかり胸焼けがしちゃう。そしてこれが肝心なことだけど、「新しい働き方」とされるものは、実は昔からあるじゃん、というものもあったりする。

例えば、副業ではなく「複業」として考える「パラレルキャリア」という概念も、とうの昔から「百姓」という人たちが形にしてきたこと。農家のイメージがあるかもしれないけど、彼らは農業だけでなく、家をつくったり、物を売ったり、と現代で言うさまざまな職業を同時にこなしていたそうだ。百の性を持つから、百姓なわけで、パラレルキャリアの根っことも言えるのでないだろうか。

というのもあって、系譜を辿れば「新しい」とされるものが新しくはなかった、と考えると、言葉に対して疑り深くなってしまう。もちろん、リネームされることで認知が広がることは大事だし、それによって選択肢が増えることはいいことに違いないだろうけど。

つくづく思うのは、「そのやり方/考え方が自分にとって新しいかどうか、そして、自分が進もうとする道のために必要なものか」を意識しながら、「新しい」と名の付いたものを咀嚼するクセがないと、その言葉にいちいち反応して、むやみやたらに踊らされ続けるのじゃないかということ。心の隙につけいってくる人もわんさかいるわけだしね。

世の中にとって新しいことなのか、自分にとって新しいことなのか、混同しないように、注意して観察してみる。「新しい」と表現される言葉に出会ったら、一歩引いてみて、ちょっと疑ってみて、自分と言葉の関係性を探るくらいがいいのかよいのかもしれない。どうでもいいことですが、今、ぼくが欲しいのは作業専門の「新しい」パソコンで、ChromeBookを検討中でございます。

試行錯誤してる?

生まれながらにしてインターネットの恩恵を受けられる時代だ。教科書の問題にあるような、(形式的な)不明点はググってしまえば、たいてい解を求めることができる。そうなってくると、その解を調べるための力と、調べあげた解を用いて自分はなにをするのか、ということに焦点が当たり易くなったのではないか。

そういった時代背景のなか、ネットで調べられることがあまりにも増えてしまったから、それが“世界のすべて”だと思い込んでしまう人がいる。デジタルネイティブと言われる若者はその類だろう。自分が実際に体験したことでないのに、体験したかのように信じ込む。その純粋すぎるがゆえの信仰は、ある種、インタネーット教ともGoogle教とも呼べるかもしれない。

それは、自分の身体で感じたこと、頭の中で捻り出したことよりも、先人が体験し体系化してきたことのみに重きをおき、その枠組みからは一歩を出ようともせずに、自分という存在を放棄していることと同じだ。かつて、幼少時代、世の中のすべてが真新しく、自分の手触りだけを信じてやまず、「なんで?」の連続だったあの頃を忘却しちゃってる。

「なんでだろう?」「こういうことなのかなぁ?」「試してみよう」「やっぱそうだった/違うや」「もっかいやってみるか」というような自分の奥底から湧き出てくる疑問を「仮説→実験→検証」という流れにごくごく自然に変えていた頃の自分がいなくなっている。

自分で考えるというのは、うんと悩むし、答えがすぐに見つからずいらいらするし、失敗もいっぱいいるし、当然だけど、お腹も減る。大変なことだから、逆に言っちゃえば、考えることをやめたら、すっごく楽になるんだよね。だけど、その楽は“苦の種”であって、考えることを止めるということは、これまでの体系化された知識とルールのしもべになることを意味する。本当の意味で、どっちのほうが苦しいんだろう?

自分の頭で考え、手足をしっかりと動かして、五感で記憶していく。その体験を糧に、先人の知恵(解)を手法として用いて、自分だけの、自分だけしかできない、新たな答え探しをしていく。そりゃ、きついよ。あーでもない、こーでもない、と日々分からないことだらけだから。手探りだから。だけど、そうやって試行錯誤しながら、出会えたものは、きっと自分のこれからをパッと照らしてくれる。

頭の中で汗をかき、実際にもあくせく動き回って汗をかく。仮説、実験、検証を繰り返す。試行錯誤している人を目の当たりにすると、なんだかうれしくなるし、ぼくはそういう人が好きみたいだ。きっと同じ方向、同じような灯りを目指しているのだな、と思えるし、自分がそこから逸れかけているときに、ハッとさせられることもあるから。

試行錯誤していないなんて、もうつまんないよ。このブログは、殴り書いたようにタイピングした文章は、その自分のもがいた証そのもの。1年後、3年後、5年後、10年後、どんなタイミングになるか分からないけどさ、振り返ってみて、「おうおう、ちゃんと苦しんでるな、よくやった」と自分で自分で思わず褒めれるかんじになれたらいいな。実験しよう。

恩をだだをこねて返す

チョンと立ち止ってみて、自分の足跡を一歩一歩たどってみる。そうやったときに、恩をひとつも感じずに歩んできた人なんているのか?

これまでの27年間を振り返ってみると、「あのときに、あの人の、あの言葉、あのやり取りがなかったら」と思うようなシーンは何個もあって、パァ〜っと目の前に浮かび上がってくる人たち一人ひとりにどんな恩返しができるのだろうと考えるときがある。もちろん、たまにだけど。強烈に燃え上がるようなかたちで。

親をはじめとして、先生、友人、先輩、上司、など恩を感じざるえない人はたくさんいて、どうやって自分はその人たちに恩返しできるのかと頭を抱えてしまう。頭を抱えている暇があれば、手を動かして仕事して、それなりに出世しろ、という話はあるかもしれないけど、それはちょっと待った、でそのままこの話題を進めていきたい。

仕事で返す、一緒にいる時間で返す、場合によっては、お金で返す、いろんな形の恩返しがある。例えば、親にフォーカスしてみて、どうやって親孝行をするのか、というのは20代後半で真剣に考えはじめる人は多いと思う。

一応ぼくもその一人で、4人兄弟のうち、すぐ近くにいながらすでに孫の顔をみせている姉、側におらずとも海外で活躍しはじめている兄、男兄弟でいち早く婚約して落ち着きはじめた弟、などを見ていると、そんな風にぼくは親孝行できないや、とちょっとした孝行コンプレックスを感じていたときがあった。

結局迷いに迷ったあげく、自分が思ったことは、十人十色ではないけど、兄弟にもそれぞれ親孝行の仕方は違うんじゃないかってこと。ぼくはぼくなりの恩返しができればと思えるようになったし、それができるように自分も動きはじめた。

残り数十年で一緒にいれる時間はごくごく限られているし、会う回数にしてみたら、ほんと少ない。だから、母と会話する時間、一緒に散歩する時間を増やせすことは大事なことは、痛いほどに分かっている。ただ、うちの母はよく「やりたいことをやりなさい」と口にする。それを小さな頃からずっと耳にしていることに気付くと、ぼくは「やりたいことをかたちにすること」こそが自分なりの親孝行だと思った。当たり前なんだけどさ、それがむつかしいわけよ。

フリーランスとして仕事をさせてもらってから、自分が今やっていることって、やろうと進めていることって、ぶっちゃけ説明しにくい。会社員のように簡単に説明できるものじゃないから。だからこそ、それをちゃんと“目に見える”かたちにすることが必要なわけで、分かりやすいのは、なんかしらのメディアに載っかるとか、賞をもらうとか、その仕事で人並み以上に稼ぐ、とかいろんな要素があるとは思う。

それ以上には、おそらくだけど、やっぱり、自分が生き生きと過ごしている姿を見せ続けれること(他人に迷惑をかけないかたちで)だろう。それは、親だけの話だけじゃなくて、(一方的にでも)自分に深く関わってもらった人たちに対するご恩は、自分のこれからのくらしを通して、その姿が目に耳に届くように、じたばたと、もがき続けることでしかしか返せないのかもしれない。死ぬまで、ずっと抱え続けるもの。

ここまでを読み返すと「で、お前さ、なにが言いたいの?」 と、自分でも思わずつっこんでしまう。てことで、ふらりとばらついた考えを整理してみると「恩をちゃんと感じている、ちゃんと恩返しがしたい」ということを、ただただ書きたかったみたいだ。記録したかったみたい。自分で自分の気持ちを確認するためにも。

とにかく返そうとは思ってはいるのだけど、性格が天邪鬼で、いやもう天邪鬼の化身なんじゃないかと思うくらいの、まっすぐなものでさえふにゃっと曲がった形に見えてしまう、他人がもっとも面倒と思うタイプの人間だろうし、なかなかに不器用なもんだから、返すまでに時間がかかる。困ったもんだ。自分でもそう思う。

一度もらったご恩は、しばらくぼくの腹の中にしまわせてもらって(ドラえもんの四次元ポケットのようなところにしまっておきます)、時間をかけて、駄駄をこねるように、ちょっとそっとわがままも言わせてもらいつつも、じっくりとどこかで返していければと思うております。そういう人間ではありますが、今後ともよろしくお願いいたします。

ブログを悪用してしまった感あるな……。

 

自己本位からはじまるブログが読みたい

なにも書くことが思い浮かばない。ってくらい、ぼーっとしてしまっているので、久しぶりに「ブログ」について考えてみようかな。なんのためにぼくはブログを更新し続けるのか、そしてそれは将来的に何に繋がっていくのか、について。

基本的には、ブログというのは“自分のため”にあるものだと認識している。自分の頭の中にある情報と、心の中にある感情を整理するため。そうやって、自分の今や過去をまとめておくことで、未来の自分に対する“手紙”を残しておける。10年後、20年後と考えてみると、今読めば、しょーもない文章も、宝もののように価値が生まれ、感慨深いものになるだろう。

ちなみに、「書く」ことは「しゃべる」ことと同じアウトプットではあるけれど、「書く=考える」で「しゃべる=動きながら考える」という感覚がある。しゃべるのは、口のほうが早く動くので、後から自分で自分にハッとすることが多い。書くほうがじっくりと言葉を選べる分、ピシャリと頭と心にはまる言葉が見つかるまで考えることができる。

そうやってできた一本の記事は、自分の引き出しにストックでき、しゃべるときのネタにもなる。話の引き合いに出してみて、自分の考えや想いをブラッシュアップもできる。それをまた書いてみてもいい。つまり、しゃべるために書く、書くためにしゃべる、という循環がそれで生まれてくる。ぼくの場合は、しゃべりたいから書く、という意識が強いかもしれない。〇〇についてしゃべれる人を体現するために、ウェブに履歴書的ななにかを蓄積している感覚に近い。

さっき、ブログは“自分のため”にあると書いたけど、それが“他人のため”になるときがある。自分のために書いていたり、限りなくごく一部の人に向けた“手紙”は、全くの赤の他人を巻き込むときがある。ぼくたちは、他人の見て「自分を見ているような気がする」という気持ちになれる。投影するのよね。逆に、初っ端から他人を意識して書かかれているものは、ブログというよりは「メディア」の性質を帯びているかもしれない。

“自分のため”にというある種、“自己本位”なところから始まる文章のほうが持つエネルギーは大きい。とぼくは思う。そこからはじまじって、公共性を身に纏い、他人を巻き込んでいく記事にこそ魅力がある。いきなり他人を意識してはじまったブログは、なぜか続きにくいし、途中で飽きてしまうことが多い。ぼく自身何度もブログを辞めては始めを繰り返してきたけど、結局は、自分のために更新できていなかったことが原因だったなぁ。

先日書いた「嫌い」の話にも通ずるかもしれないけど、自分を貫いて、するりと他人のいる場所までとどき、受け入れてもらえたほうがいい。その練習としても、ブログっていいもんだなぁ、と思う。だから、だらだらと5年近くもブログをぼくは続けているのだろう。ウェブの中にあるブログから生まれた、リアルなご縁が年々増えてきたし、今後もっと広がりが出てくる気もする。

まとまりはないけど、誰かのためじゃなくて、自分のためにブログをはじめたほうがいいよ、って話にしておこう。自分を掘り下げれば下げるほど、きっと他人との接点が見えてくるし、リアルな場でつながり始めるから。あと、昔の自分に、未来の自分が励まされることもあるから。まあそれは続けた人だけにわかるご褒美だろうし、とにかく続けなさい。と、ちょっぴり喝を自分に入れておきます。

躊躇なくFacebookでフォローを外すようになったら、タイムラインに残ったのは、結局、リアルで会いたい人たちだった

“切っても切れない”というほどに、ぼくたちとSNSとの関係性は熟してきた。SNSが日常に馴染みはじめたというべきか、SNSが日常を浸食しはじめたというべきか、は悩みどころだけど。朝目覚めたとき、電車を待っているとき、お昼ご飯を食べるとき、何気ない瞬間にそのアプリを立ち上げてしまっている人も少なくないだろう。

「Facebook」「Twitter」「LINE」「Instagram」「Google+」「Path」という複数のSNSを使い分ける人もいれば、1つのSNSに傾倒する人もいる。コミュニケーションツールとして、うまく活用すれば、便利なものであることをみんな皮膚感覚で分かっている。

もちろん、表があれば裏があるように、SNSにも悪い面もある。特にそれを感じるのはFacebook。どうでもいい人(と言ったら失礼かもしれなけど)なのに、友達としてつながってしまうと、タイムラインに上がってくる投稿にイライラしてしまう。子ども写真ばっかとか、オシャレカフェの写真とか、恋人と別れたうんぬんとか、基地や安倍さんに対する激しく偏った主張とか、そういうのすべてが目に入るとストレスになる。

だから、そういう投稿をする人がいたら、ぼくはすぐにフォローを外すようにしている。根本的に「SNSは悪」ということではなく、どう「うまく付き合っていくか」というツールとしての関わりを考えると、自分にとってよい機能を活かして必要な情報を残しながら、不要な情報を削っていくのはごくごく自然なことだ。

またSNSのようなウェブではなく、リアルにおいて考えてみると、そういうフォローを外してしまう人はそもそも「会いたいと思わない人」がほとんどだ。ぼくたちは、無意識的に人を選んでしまう。「この人と話したい」、逆に「この人の話は聞きたくない」とかね。そうやって情報を取捨選択しているわけで。SNSだからといって、無理くり、自ら嫌なものに触れることはしなくてもいいわけで。

そうなると、Facebookはリアルな関係性を可視化しはじめているかもしれない。リアルで会って、話してておもしろいなー、と思う人はフォローし続けるけど、そうでもない人はフォローを外す。つまり、Facebook上の“友達”と“フォロー相手“をしっかりと区別することで、ウェブのなかでも関係性を整理しているのだ。(たまに、むっちゃ嫌いなんだけど、ルサンチマン的に昇華できるネガティブエネルギーをくれるから、あえてフォローし続ける人も例外にいるけどね)

そうやって、居心地のよい(ある意味、閉じた)場をFacebookに求めてしまう。どこまでも届くSNSを自分の興味関心だけで閉じてしまうのは「外界の新しいことを遮断するようでもったいないよね」という声もあるけど、ぼくの場合は、広がりはTwitterで担保しているので、そこらへんは他SNSとの使い分けだと思っている。むしろ、全方位的なTwitterのほうが好きだしな。ほんと、便利な時代だ。

まあ、この感覚や変化については、ぼく自身のものなので、「他の人もそうなってきてる」とか「世の中の動きがこう」とかまで触れてる気はないけど、いろんなSNSとの付き合い方があるんだろう。依存しないレベルで、自分がリアルのなかで形にしたいことへ到達するためのひとつの手法として、“道具”として、ほどよい距離感を保てればいいよね。ほんと。

オバケの松倉さんが「monologue」というSNSを開発にむけて動いているけど、ぼくは絶対に使うなぁこれ、というような哲学を持っている。SNSとの関係性を考え直したい人にとって、待ちきれないやつだ。

何はともあれ、付き合う相手と、付き合い方は、たまには振り返って、もうちょいだけ考えてみましょう。というメッセージを、日々ウェブ漬けの自分に送りたいだけの備忘録でした。リアルのほうがむっちゃ大事よ。まじで。

(情報の“受信”について書いてたみたいだけど、“発信”についてはここに書いてたや:facebookをmixiにします

欠けがえのない人をみつけたら

「かけがえのない」という言葉をちゃんと使ったことがない。正確には、使えたことがない。自分にとって、本当にかけがえのない人に出会ってなかったからかもしれない。

先日「COMINCA TIMES」の水口さんの話を聞かせてもらえる機会があった。ウェブサイトを介して“古民家の使用保全“に取り組む今のチームについて、水口さんは「これまでは、(家族とは別に)かけがえのない人、ひとりでも欠けたらつらいな、と感じるような人はいなかったが、今のメンバーはそう感じる人たち」という言葉をくれた。

そう思えるだけの関係性ができていることが、そもそも羨ましかったし、その関係性を保つためのコミュニケーション(量)も気にしている水口さんは、嘘偽りなく、素敵だった。言葉にひとつも濁りはなかった。そのように「かけがえのない」人が、ぼくにはいるのだろうか。考えてみた。はて……。

今、そういう人は、すぐ側にいない。これまで「この人と一緒にやりたい」と思える人はいたのだけど、なかなか誘えきれていなかった。今やっていることを脇に置いてもらってまで、誘えるだけのものを自分でつくりきれていなかったから。ただ水口さんの話を聞いて、ちゃんと動かなきゃな、と揺り動かされたし、一緒にできる体制をつくるための努力を自分が怠っていたことにも気付かされた。は、恥ずかしい。

来年から、しっかりと動き出せるように、その人をちゃんと口説けるように、想いを伝え、かたちをつくっていきたい。いや、つくる。一緒にやっていきたいと思う人は、何人かいて、その一人ひとりと自分が組むことでの広がりを想像するだけでアドレナリンが出てきちゃう。

「何をするか、ということよりも、誰とするか、を大切にしたい。自分とその人が一緒にやることでつくれるものをつくりたい。性格と特技と趣味嗜好のかけ算と、たがいの不得手のカバーをどうするか、を考えたい」

そう思うからこそ、なおさら、かけがえのない人たちの存在は、ぼくの中でとてつもなく大きく膨れ上がってくる。ただただその人たちと一緒に楽しみたいし、楽しみがなければやる意味だってない。その楽しみと仕事をどうつなげていくのか、創っていけるのか。

ちなみに、「かけがえのない」の漢字については「掛け替えのない」が正しいようだ。ただ「欠けがえない」というような表現のほうが妙にしっくりとくる。パズルは1ピースでも欠けてしまったら完成することはなく、ただただ憂うばかり。自分が描いたパズル絵で絶対欠けてほしくない人は、もう見つかっているのだから、快くすっぽりはまってもらえるような体制をつくれるように(それから新たなパズル絵を一緒につくってもらえるように)、自分自身がたくましくなっていくしかないのだなぁ、とひさしぶりに気合いが入ったよ。

 

とりあえずビールより、とりあえずペン、か、ブログ

お店に行ったりすると、もう条件反射なのか、気遣いなのか、一種の法律なのかわからないけど、「とりあえずビール」という慣例がある。あれって、バカらしいと言えばバカらしいんだけど、楽っちゃ楽なんだよな。

と、別にそのことを愚痴愚痴言いたいわけじゃなくて、記すことについてメモりたかったので、こうやって“とりあえず”フォームを開いて、カタカタやっているわけなんだ。そうだ。「とりあえずビール」の要領で、「とりあえずペン(メモ帳にでも書き留める)」もしくは「とりあえずブログ」と、まずは手を動かしたらいい。

そっちのほうが、頭の中のことも、情報も整理できるし、インプットしたことをインプットできたつもりにもならない。そういう、文字に対して、止まらない姿勢は、今の自分には大切だよなぁ。と、こうやって書きながら思うわけで。書きながらのよきアクシデントを楽しまなくちゃいけない。

気持ち「60%」くらいのつもりで、「楽に楽しく」続けてみて、「自分>他人」にとって有益なものをつくっていく。そういえば、メモ帳の意味ってそもそもそうだったんじゃないかなぁ、とかなんとか思いながら、今日も明日も明後日も、言語化に挑む。

文章で食っていくかどうかはさて置いて、自分の中のモヤモヤをちゃんと整理できない大人になるのは、嫌なので(いい歳こいて、整理できていない大人を見るのもやっぱりつらいので)、ちょっとずつ積み重ねていく。この文字の層が、きっと後々の、だれかとの差を生んでくれることを願いながら。とりあえずペン、か、ブログを。それが終わったら、とりあえずビールで。

400字執筆は、ジョギングみたいなもん

ブログをいつものごとくサボっていました。ですが、手書きは変わらずに続けています。月末までに、400字原稿用紙×50枚をぜんぶ埋めると決めてから、25枚ほどを書けた。といっても、1万字ほどなので、数字だけでみれば、いたって、大したことはない。

1枚1テーマと決めているので、記すなかで、25個ほどのネタの卵が見つかったかんじかな。ただ埋めるだけでは筋トレにもならないので、以前書いたように文章構成にルールを置いている。5段構成の設計図。それなりに制限つけなきゃ、意識はどっかに必要だよね。

もっかいルールを確認しとく。【段落の数は、だいたい5個か6個くらい】【最初の段落には「導入」】【2段落目がとても重要で、なにか「おもしろいこと」】【3段落目は、その説明】【4段落目は、さらにハードルが高くて、なにか「新しい視点」】【5段落目に、さわやかにさらっとまとめ】。

それを400字詰めで考えてみると、文字のバランスとして、ぼくが考えのは【1段目:60字】【2段目:100字】【3段目:100字】【4段目:100字】【5段目:40字】というひとつの指標。単純計算で、各段落80字だと書きたいことが書きにくいと気付いたので。

懲りずにずっと思ってることは、文章はトレーニング次第で、ある程度の力量までは上達できるってこと。そのためには、量をこなすことだと思う。絶対的な量(時間)が圧倒的な質を生む、と信じながら。津田大介さんもそんなこと言ってたしなぁ。だけど、ただ量をこなすだけだと、伸びるスピードは遅いと思うので、その中でも意識が大切だと思う。ぼくは、そこに、文章構成を今のフェーズで取り入れてみてる。

きれいに整った升目を、滑稽な字で、黒く書き染める。実は、残り20枚分は「2枚、3枚、5枚、10枚でひとテーマについて書く」決めていて、ちょっとずつ筆の走行距離を増やしてみようと思っている。いきなり42.195キロは無理でも、数キロであれば、どうにかなる。その積み重ねってことなんじゃないか。それを試したい。

とにもかくも、時期が時期なので、夏バテには気をつけようっと。へばるなよ、おれ(心配すぎる)。

 

400字詰の原稿用紙、はじめました

もろもろのブログを再開するにあたって、最近から、手書きの作業にも力を入れはじめた。何をはじめたかといえば、400字の原稿用紙に、ひとつの切口で1枚をまとめてみること。サラサラッと、後から、自分でも、読めるか読めないかわからないような文字を書きなぐって、400字を埋めていく。

意外にもこの作業が楽しい。むちゃくちゃ楽しい。中学校とか高校のときに、読書感想文だとか、意見発表文だとかを書けと言われていたあの頃は、どうしても原稿用紙というのが、ただの白い、だけども大きな大きな壁であったのを覚えている。特に、書き出しが苦手だったけなぁ。

それが今となると、楽しくなるのは、なんぞこれ。多分だけど、手書きという昔の感覚を思い出せているノスタルジーと、どんなに不格好とはいえども、自分にしか生めないような、統一感のない文字に対する生々しさが、要因なんじゃないかってね。それと、過去のトラウマというか、壁を乗り越えたという、技術の変化に自分自身がときめく。

「とにかく、筋トレなのよ」と誰かが言った気がするし、いつからか、呪文のように、ぼく自身もそう自分に言い聞かせている。整った文章を書くのは、メディアという神聖な場所で、ライターとして書かせてもらっているのだから、裏舞台として、手書きとブログはどろんこまみれの遊びのある文章を書けたらいいな。

そんなこんなで、原稿用紙は「400字×50枚」ある。現在、10枚ほどを黒く汚した。7月中、ちょうど沖縄を離れての、九州遠征中にでも、この50枚にすべて吐き出せるように、手を動かしてみようかと思う。とにかく、立ち止らず、まずは量を、書く。ペンの握り方が変なもんだから、インクでむちゃくちゃ手が汚れることよ。

言いわけからの、場づくりの余白など

「ほぼ日で、書きます」宣言から、はや数日で、更新が止まるというのが、いつもと同じだよな、と反省しつつも、ここ数日を振り返ってみると、確かに書き留める時間はなかったかも、と言い訳の余地もちょっと探してみる。

4日は「水上学舎」で、5日は「すいすい市」、6日〜7日は伊平屋(いへや)島までのアテンド。ご無沙汰の人も、初めての人も、たくさんの人と会える機会となり、濃密で、次の動き方も見えた気がするし、ギュッと詰めてやったことへの意味も感じてはいる。誰かと一緒にいると、目の前の人に全部気持ちを持っていかれるから、作業をやろうなんて気持ちになれないのは、飲食(サービス)経験で詰み重ねてしまった感覚なのかも、と気付いた。

この数日、同じ「ぺとぺと」として活動するコバヤシさんをはじめ、ナースじゃないけど病院勤めのツバサさん、まちライブラリーの館長のゴウくん、そして、その奥さんのミシオさん、神主のゴリさん、大宜味のミゾくん、いつもお手伝いもらってる学生のナオユキには、(日頃からお世話になってるけど)いろんなサポートをもらい、ほんとに、感謝、感謝です。

ぼくはレス下手なので、あまりちゃんと言葉にできていない部分もあるけど、一緒に進めさせてもらう上で「自分のできないこと」「一人じゃできないこと」を、まざまざと痛感させられる。とういうか「おれ、できないこと多過ぎでしょ」と思うことばっかだったなぁ(苦笑)

「場づくり」については、毎度毎度どうなるかわからない、むしろ、「どうなるかわからない余白をどう残しておくのか」ということは考えるんだけど、こうやって自分以外の人が、ある意味、勝手にやってくれるから、安心できるから余白づくりをやろうと思えるのだろう。

どうやって人が集まったのかは、振り返ってみると、計算できたものは一つももなく、どっちかというと“偶然”に近いものばかりだったし、なにかしらの波長が合ったから、なにか大きな取り決めをしたわけでもなく、自然とまた来てもらえるようになったのかな、としみじみ感じるわけで。

今回の件で、ぼくのズボラさとか、弱みとかは、かなり公開された気はするので、できないところをどう乗り越えるのかとか、できることをより尖らせるためにどうしようとか、今後の動くときの規模を狭めるとか広げるとか、はもっかい考え直したいし、次どうしたいかは他の人たちに委ねられたらとも思う。

今ぼくのすぐ側にある場は、“プライベート”から“パブリック”の領域へ変わってきている。プライベートだからできることは自己完結で終わらせられるようにちっちゃく仕掛けながら、パブリックだからこそできることは、この場に集まってくれる人の意志に委ね、その意志が混ざり合うことの化学反応を楽しみにしながら、しばらくは、そのまま進んでいこうと思う。

大事なことは、続くこと。その場があり続けることで、だれかが(ちょっとした背伸びではなく)ひどく無理するような場は続かないし、そういうのは、おもしろくも、楽しくもないので、場の空気、温度には過敏なくらい敏感でありたいです。

すいすい市、打ち上げのホルモン焼きは楽しかったし、うれしかったので、あれがまたできたらいいなぁ。それとかも、続くように。