めんどくさい、は、めんどくさくない。

「生きてるのもめんどくせえ」

漫画『鋼の錬金術師』のなかに登場する、スロウスという怠惰のホムンクルスが、死に際にそんな言葉を残していた。なんか刺さった。

 

生きていくのは、めんどくさい。なんでかっていうと、生きていると、必要以上に、だれかに期待されたり、自分が自分自身に期待しちゃって、がんばろうと意気込んでしまうからで、とはいえ、現実の理想の間にある裏切りはもちろんあるわけで、結果、自分という人間に嫌気が差すことのほうが多いから。

生きる意味なんてないし、だけども、死ぬ理由もないから、どうにか生きながらえていく。もちろん、生きたい、とも、死にたい、とも全く思ってなくて、どんなに足掻いても、死ぬときには死ぬのだから、その時は、そうなる運命だったとスッと受けいれてしまうような体質であり、どうせ生きていくなら、少しでもおもしろがるしかない、ベターな道を探していこう、というノリなのだろう。

ぼく自身もおそらくそういう人間なんだけど、ベターにするためのツールはなんとなく見つかっていて、日々を面白がる術も(生存戦略的に)それなりに身に付けられてはいる気がするーー路面店のカフェで通り過ぎるかわいい女のコを眺めていたり、妖怪について想像してみたり、YouTubeで漫才・コントさえ観ていれば、日々がよくなるわけだから、まあ、ちょろい人間とも言える。とは、会いたくなったときに声をかければ会ってくれる友人がいて、たまに行けば「おかえり」と言ってもらえる場所があるのは、素直にありがたいことだ。だから、下手なことで死ぬことも絶対にないだろう。

 

根暗で人見知りで、ネガティブ発想でしか物事を考えられない”闇”のほうの人間でも、隙間に差し込む光を見つけて、どうにかやってはいけている。

その一方で、自己救済の手立て(ツール、居場所、技術)みたいなものを見つけられてないまま苦しんでいる人もたくさんいる。こうやって文字に起こしながらあらためて思うのは、「なにかしらの拠り所が見つかっている自分はまだ”まし”なほうだ」ということ。

そういう意味では、たとえ同じ闇を抱えているなかであっても、上・中・下でいう「闇の上」あるいは「闇の中」くらいに自分は位置できているのかもしれない。だけど、”ベター”のための手立てを見つけられていない「闇の下」あるいは「闇オブ闇」みたいな人は、どうすれば暗闇しかないその場所から離れられるのか。彼・彼女らはどんなことがきっかけに、自分が暮らしていく環境をどうやって整え、より居心地よくしていけるのか。

闇を捨てろと言いたいわけではない。暗い話が煙たがれるのはわかるけど、反対に、明るすぎる話もまぶしくて聞いちゃいられない。光は闇があるからその明るさが増すわけで、光だけでつくられた世界なんてないし、闇の存在を認めていない人間ほど信用ならない。

だから、つまみをヒネるように、自分にしっくりくる明暗をうまく調整できるかたちをつくる。一切の光を遮断するのでなく、ほんの一閃の光でいいから差し込ませる。闇と光をうまく調合するため(地域や暮らしの)オルタナティブが見つかるといいのではないかと思う。

 

「生きてるのもめんどくせえ」

冒頭のフレーズに戻ると、何をしてても「めんどくさい」のなら、すでに目の前にあるものを面白がるとか、今は届かないけど手を伸ばせば掴めそうなものを探してみるとか、「めんどくさい”から”」ではなく「めんどくさい”からこそ”」という感覚で、闇の部分を活かしながら、物事の捉え方や身のこなし方を変えていけるといいのかもしれない。めんどくささは、意外といい、わりといい。

牛歩の歩みでもいいから、よりよい方向に、昨日よりは”ベター”なかんじで。

裏切りのない人とは付き合えない

いつも何かに驚いていたいし、だれかを驚かせられる人でありたい。

だれが言ったのか、喜怒哀楽みたいな感情は、「驚く」後に起こる反応なんじゃないかという話を聞いたことがある。それは、「笑う」という反応にも通じること。じゃ、驚くときって、どんなときかと言えば、きっと想像をちょっとでも上回ったときで、予定調和にならないとき。笑いが「裏切り」によって生まれる理由もここあるだろう。あと、サプライズラズバースデーとか、ディズニーランドやらレストラン、販売業でのいわゆるWOW体験は、「喜」か「楽」を生むためには好ましい裏切りとも言えるのかも。

ここで思うのは、驚かされ続け、さまざまな驚きの種類に慣れしまえば、どんどん驚きのハードルが上がってしまうということ。大学生が同年代とデートするのと、酸いも甘いも知った大人とデートするのでは、その時間の過ごしときの驚きも違う。ただ、それも“そういうデート”が続けば、マンネリ化し、すぐに飽きてしまうかもしれない。驚きがなくなると、感動もうすくなる。新たな驚きを求めるのが人の性質なんじゃないだろうか(欲張りな気もするけど)。

そういう頭で考えてみると、自分が「裏切り続ける人」を探していることに気づく。その人は、ぼくにとって「おもしろい」人であり、彼/彼女がいさえすれば、どこでだって暮らせる、働ける。そんな価値観だから、熱しやすく冷めやすい、好奇心だけの人間だから、あっちこっちを行ったり来たりしているんだろうなあ。

驚くこと、そして、続くこと、そういう裏切りある人には惹きつけられるし、惚れるし、嘘はつけないし、真剣に向き合いたくなる、付き合いたいと感じる。パターンが読めてしまう、裏切らない人はダメだ、心理戦というか推理戦というかハイコンテクストな関係性を楽しめたらいい。

いつも何かに驚いていたいし、だれかを驚かせられる人でありたい。まあ、一番驚かせられたくて、驚かせたいのは、自分自身でしかないんだけど。

 

レモンサワーの関係経済Ⅰレビュー1222Ⅰアパートメント

「なんのためにカネを使うのか、そのカネを稼ぐのか」

いつも、そんな疑問が頭に浮かび、日々の仕事とたたかっている。

「いや、生活があるから」などと、さらっと人は言うけれど、それは「カネがないと生活ができない」という前提になっている。そりゃ、最低限必要な金額というのはあるだろう。とはいえ、その”最低限”で必要なカネの考え方というのは、もうちょっとグラデーションがあってもいいと思うわけだ。

当然ながら、都会と地方ではそういった価値観も変わってくる。

地方への暮らしに想いがあるものの、「給料が低くなるから移住はしかねる」と口にする人がそこそこいる。だけど、よくよく考えてみたとき、結局、地域に生活コストは相対的に変わるのであって、稼げるカネは減るかもしれないが、家賃やら食費やらをもろもろと引いたとき、手元に残るカネは変わらないなんてことがあったりする。一瞬だけマジックに見えるが、ロジカルな結果でしかない。

もっと言えば、稼げるカネは減るが、その分、はたらき方がゆるやかになり、自分や家族との時間に余裕ができるなどで、時間という生活資源を都会にいるときよりも、より豊かに使うことができるなんてこともある。

それにも関わらず、絶対的な数量として大きいほうが幸福につながるという、カネカネカネという資本主義の”貨幣経済”の価値観を信じ込んでいる人がほとんどではないか。

まあ他人のことでとやかくいう必要はなく、一つの暮らしの選択肢として決して間違ってはいないし、それが自分のスタイルにフィットするのであれば、「それでいいじゃん」と肯定するべきものなのは承知だ。

ただ、そのカネの価値観に囚われてしまっているがために、しんどい想いを繰り返しているのであれば、他のカネの意味合いを見出せたらいいんんじゃないか、と突っかかりたくなるのだ。

日本には、「おすそ分け」という文化がある。

それは、田舎などでご近所さん同士が自分たちでつくった野菜などを配り合うようなものだ。こういった「物々交換」で成立するような経済。場合によっては、「家の屋根の修理を手伝ったから」と「しいたけをもらった」というような「物技交換」が行われることもある。

“経済・・・人間の生活に必要な物を生産・分配・消費する行為についての、一切の社会的関係”

あらためて「経済」の意味を考えたとき、必ずしもカネを介するものだけが経済なのではなく、そういった物や技を介して動く経済があるということだ。そして、それは未だに日本各地に残っているということ。

一点気をつけなければいけないのは、田舎に行けば、おすそ分けをしてもらえるわけじゃなく、地域に限定された文化ではないことだ。

物や技を交換する相互間に信頼関係があるからこそ成立するものであって、そういう意味では、”評価経済”、もっと言えば、”関係経済”が基盤にあるとも言える。

つらつらと書いてしまったけど、みなさん「カネが必要だ、稼がなくちゃ」と当たり前のように言ってるけど、一度立ち止まってみて、「自分はカネでどうしたいのか」を考える機会もたまには必要なのかもしれない、というのを主張してみたかったわけだ。

ここでやっと”悠平さんのカネの話”に戻してみると、「全くの向こう見ずで無計画なモラトリアムみたく見られるが、単なる粗削りで稚拙だったり、内面の煩悶と社会との折り合いの付け方に時間がすごくかかるゆえに、他のみんなほど上手に世渡りできていないだけの子たち」は、カネとの付き合い方を再考しているだけかもしれない。

そして、彼らは”関係経済”によって暮らしが支えられているのかもな、と感じた次第で。

レモンサワーおごってもらえる関係の人がまわりに何人いるのかって、そこそこ大事な話よな。

カネがなかった頃の話

「会社」という「テーブル」Ⅰレビュー1215Ⅰアパートメント

ふと思った、「会社」というのは、テーブルなんじゃないか、と。

なんにもないところにテーブルが置かれる(会社ができる)。テーブルがあるなら、腰掛けられるイスもあるといい。
社員の数だけイスが置かれ、もちろん、その人数によってテーブルの大きさも違う。その机の上にプロジェクトが持ち込まれて、その場にいるみんなで仕事をうまく分配していく。

みんなで話合いながら分配方法から決めるところもあれば、分配者は決まってて振り分ける担当がいるところもある。

それぞれが自分のやることが決まったら、「さあやるぞ」とイスから立ち上がって、各々やることに向かって動きはじめる。そのなかで、少し迷いがあ出てきたら、テーブルに戻りイスに座って相談できる拠りどころになったり、動いた結果を持ち帰ってきて、次の作戦会議をするような場になったりもする。

大事にしたいのは、あくまで、イスから離れて動いていくときの一人ひとりの意思だったり、その動き方そのもの。テーブルは、その精神性も身体性も、すべてをコントロールすることはできない。

だからこそ、その人がイスから離れたとき、一個人として動きやすいように卓を囲んであげるのが、「会社」というプラットホームの役目なんじゃないか。少なくとも、ぼくはそういう「会社」のあり方がいいな、と感じている。

「会社」だと「自由な働き方」ができないわけでもないし、「会社」だからといって必ずしも「束縛される」わけではない。

個人が動きやすいように、その人自身の”あり方”に目を向けている「会社」は少なからずあるわけで、逆に、そういったプラットホームがあるからこそ、安心安全に働けるという人もいる。

「会社で働くこと」の是非を問うよりも、社会のために組織があるのか、組織のために組織があるのか、個人のためにあるのか、その方向性を見定めてあげたほうが、より健全なんじゃないかって思う。

そして、社会人として(いや実はそうじゃなくても)、自分がやれることを広げるとき、自分がやることを閉じるとき、がいつかはやってくる。それが「会社」という枠組みをぜーんぶ取り払ってみて、自分の意思というやつを見つめてみて、自分の立場をはっきりとパブリックに伝えるとき。

なんとなく。今、ぼく(28才)もそれがきた気がする。世の中のアラサーというのは、そういうもんなのだろうか。

根無し草の放蕩息子が「会社」で働いてみて3年

根暗は「内言語」で暮らしがち

言語学とか脳科学の分野には、「外言語」と「内言語」という言葉の分類があるそうだ。頭のなかで考えていることを、音や文字として言葉にするものは外言語、そうしないものが内言語らしい。つまり、今こうやってぼくが頭にあることをつらつらと文字として(他人の目に触れることを意識して)書いているのは、外言語であり、ただこれを考えているだけなら内言語ということになる。

普段、思い浮かぶけど、メモしなかったり、口にしないがために、内言語にとどまらせてしまっている言葉は多いかもしれない。そういう頭にとどまっている言葉や情報というのは、ダイヤの原石みたいなもので、言葉として外に出してみることによって研磨され、価値を次第に高めていくもなんじゃないか、っていつも感じる。ずっと感じていたので、今日は文字にしてみた。

とりあえず、書いてみる、とか、言ってみる、の意味はそこにあるのだろうし、その習慣を持っている人のところに、いい言葉や情報、そして人が集まっているような気もする。だし、言葉に出すことによって、自分の気持ちが保たれたり、あがったりすることもあるから、それは自分の調子をコントロールするためにも、外言語を利用してみるってのはありかもしれないなあ。

ああ、そういえば今日は、大好きな先輩の誕生日だったな、と気づいたので、外言語としてちゃんとメッセージを送ろう。

言葉を紡ぐハムスターⅠレビュー1208Ⅰアパートメント

ほんとうに伝えたい言葉が生まれるとき。

お腹の中なのか、頭の中なのか、そのどちらかはわからないけど、ハムスターが住みついてる。回し車に乗って、くるくる、くるくると走り回っているあいつが、言葉を生んでいると思うのだ。

暮らしていると自然と生まれてくるモヤモヤ、違和感など、それらを見つけて、あいつがチョコンと車に乗り込み、言葉にできない感情を原動力に、くるくると走りはじめるイメージ。その回転で発電するかのごとく、言葉を生んでは、整えて、を繰り返し、ちゃんと伝えたい相手のために言葉を編んでいく。

それが、吃って、吃って、やっと言葉が生まれるとき。

気をつけたいのは、体内で飼っているあいつらのくるくると回るときのスピード、あるいは回し車の大きさ(円周)は、人それぞれってこと。性格、趣味嗜好、性別、トラウマ、世代、職業が違えば、ライフサイクルが違うわけで、一回転するまでの時間が異なるのは、当然っちゃ当然だろう。何回転もしなくちゃ、いい言葉は生まれてこない。

だれかのハムスターとその回し車を見て、そのペースについていけないことを憂いていてもしょうがなくて、自分のやつがどう回っていくのか、スピードと回し車の大きさを見定めて、自分のペースで回れたらいいのにな。そのためには、うまく回れるような気分になれる人と一緒に過ごせればいいかもな。

うま〜く、くるくる回していくための手段ってのも人によって違う。筆者もぼくも、おそらくアパートメントの住人さんの何人かも、同じように「書くこと」が一つのツールになっているんじゃないか。そして、他人のためでなく、自分のために書く時間を忘れない、ということを忘れたくないなぁ、そのためのなにかしらの引力が必要だよな、きっと。

吃ってしまうからこそ、青年は言葉を丁寧に編めるし、相手との間にあるゆるやかに流れる時を待つことができる。そして、インターネットという場のなかで表現する技を得てきた、そんな人がアパートメントの管理人でよかったとつくづく思うのだ。

吃ることが「いいこと」だなんて、思えなかったあの頃

自分に期待しないⅠレビュー161201Ⅰアパートメント

「変われるかも」なんて自分に期待はしない、”今”ある姿に腹を括っちまえば、自分とも、他人とも、新たなつきあい方が見えてくる、そんな気がするのだ。

期待があるから裏切りがあるわけで、自分で勝手に期待して、自分に勝手に裏切られる、というMっ気で繰り広げられる、自己嫌悪というのは、もうどうしようもない。

ただ、もう一度言うが、腹を括っちまえば、そのどうしようもない自分が今なんとなくやれているのは、そのどうしようのない弱さをカバーしうるなにかがあって、やじろべえのようにゆらゆらと絶妙なバランスを保っているからなわけで、弱さを支えるものにこそ、その人の人間としての強みがあるのだと思える。

この連載では、”淡白なのに惚れっぽい。他人に期待したくないのに他人の期待には応えたい” タイプAの根暗の人間がつらつらと記事を書いていきまして、

それに対して、”淡白で惚れにくい。自分に期待したくないのについ期待してしまってへばる”タイプBの根暗の人間がレビューを書かせてもらいます(いっしょに、〆切に追われながら)。

2ヶ月間、歩いていく道のりは、すこし”暗がり”かもしれませんが、誠実さを持って”明るみ”に向かってるのは間違いないので、そこにたどり着くまで、提灯を差し伸べるように、お節介もらえるといくらか救われます。

『社交的な根暗がアラサーになっていつの間にか結婚して思うこと』

 

暮らしていく

ガスが溜りに溜まって、身体のなかでぐるぐると動きまわって、出どころはどこなんだ、と、うろうろ、あたふた、と道を探っている。そんな感覚がある。

人間らしい、というか、健康的に暮らしていくためには、身体を守るための最低限の循環というのものがあるはずで、その循環が滞っているわけだから、そりゃ不健康な今を過ごしている、という自覚だけがある。その自覚があるからやっかいで、ボディブローのように執拗に攻撃してきて、毎度毎度「う、う、」と小さくダメージを食らっているような感じで。

「そんじゃ、何をすればいいんじゃ」となれば、ぼくの場合は「書いて、発散する、循環をつくる」というのが一つの手法だと理解はしてて。そうなのだけど、じゃあ、書く時間をつくりきれていると言えば、全くもってこの頃はつくれてないのであり、それが原因なのだ。いや、本当は「卵か鶏か」の話で、書けてないから時間をうまくコントロールできていないという説もある。

すごく乱暴にいってしまえば、ぼくにとって、「仕事」というやつはプライオリティが低いのであって、あくまで自分が健康的に暮らしていくことが頂点にあって、それに合わせた働き方があって、最後にそれを達成する手段としての仕事がある、という捉え方をしている。

それなのに、仕事が先じてきてしまっているがために(さらには、トキメキの少ない「できる」からやっているだけの仕事がゆえに)、自分の暮らしに対する発想がしぼんでいて、自分で自分が「どれだけつまらない人間なのか」を語るための素材探しばかりに目がいってしまう。こんなときに限って、妙なコレクター精神が力を発揮してしまうのだ。

循環していない。

とはいえ、この滞りというのは、ネガティブなものとは全然思ってはいなくて、なにか新しい次を生み出すための違和感/しこりなのであり、その出口が見つかるまではとにかく悩みまくり、ぐるぐると頭のなかで思考実験を繰り返し、手と足を可能な限り動かし続けろ、というサインなのではないかと感じる。

ガスが溜まりに溜まっているということは、自分の中にあるなにかを大爆発させるための準備に入ってるのかもしれなくて、もちろんその爆発のさせ方を間違えると自滅してしまうのだけど、ばくだん岩のようにせつない感じにならないように、ギリギリのラインを狙いながら、よき発散、いわゆる”昇華”をするという方向で一件落着させたいと願う。

ぼくは芸術なんてものにてんで理解もないのだけど、岡本太郎の言葉を都合よく拾っちゃえば、自分のなかにある人間としての負と正のふたつの感情に揺れながら、自分の暮らしにちゃんと向き合うことで、自分らしい爆発のかたちを探すことができたなら、もう、それだけでいい。

暮らしていく、というのは、自分をごまかさないことであり、むやみやたらに他人/社会(構造)に引きずられないことであり、自分を楽しませるためのツボをちゃんと押さえていて、”そうなってしまっている”自分を肯定したうえで表現する場をつくることなのだ、きっと。まとまりもクソもあったもんじゃないけど、そう思えてきた、今この瞬間は(明日になったらわからない)。

くらし心地

「くらし心地がわるい」

思考がどんよりと鈍っているわけでもないけど、なんとなく自分に生気を感じない。感情に大きな振れ幅もないままにここ2ヶ月ほどを過ごしている。

そのなかには、純粋なるしんどさがあるものの、視点をちょいと変えれば、楽しいことは楽しいこととしてちゃんとあり、学びも多く充実はしているのはしている。ただ、どこかまどろみを感じながら、吹っ切れるというか突き抜けるというか、そんなプラスに向かう爆発を感じない自分がいて、「おもしろくねぇな、おまえ」という言葉を自分に浴びせ続けるような日々。

9月は自覚するまでに時間がかかり、10月は自覚したままに、自分なりの答えというか、自分で自分の処方箋探しをずっとしてきたなぁ、という感じ。

そういう気配をどことなく察した友人だったり、ひょんなことから久しぶりに会った先輩との会話があり、地方でくらしはたらく人への取材があったりで、自分の扱う言葉を改めなくてはなあ、と発見があった。

「生気を感じない」というよりは、「くらし心地がわるい」という表現が正しいようで、自分を動かすための歯車がどこか噛み合っていない。そんな感覚と言葉の組み合わせがしっくりとくる。

今の状態を自分なりに言い表せる言葉が見つかり、歯車がおかしくなっていた原因もわかってきた。また、こういう浮き沈みは自分の周期にあるものだとも理解はしているので、後はひたすら書き出す、吐き出す、整理する、まとめるという作業が必要になってくる。

となると、ゆっくりじっくりと考えることは一旦停止で、すばやくすかさず手を動かすことが大事になる。ここからの汗のかき方が、数ヶ月後の流れをつくっていくのだと信じて、やれることをやれるかぎり、がんばんないことをがんばろうと思う。

そういうまどろっこしい感情も含めて、明るいものだけでなく暗いものも扱いながら、くらしの実験は丁寧に続けていきたい。

神輿を間違えるな

だれと暮らすか、はたまた、だれと仕事をするかは、言わずもがな、その日々の積み重ね方は変え、その人の顔つきもどことなく変えるものじゃないか。

それは神輿に似ている気がしてて、どんな神輿をかつごう、どんな人に神輿を一緒にかついでもらおう、という話で、ここ数年ずっと考えている「なにを」するかではなく、「だれと」するかという問題意識に触れるものかもしれない。

自分がどんな神輿をかつぐか(だれと一緒に暮らすか、はたらくか)、はたまた、一人ではかつぎきれない自分の神輿を一緒にだれにかついでもらうのか、ということ。

「いい歳の重ね方」だのなんのって話をよく聞くが、それと同じで「よい日々の積み重ね方」は、その神輿にかかっているんじゃあないか。今、ありがたくも、ぼくがかつがせてもらってる神輿はいくつかあって、そこには自分としては縁と信頼を感じるからこそ、そこに体力と時間を注げるわけでもある。そして、少しずつ、自分の神輿をかついでもらう人を探りはじめるという段階にもきた。

いろいろと悩むことだらけで、葛藤だらけで、すぐこじらせてしまいそうになるけども、まあそれはそれで楽しみながら、賑わいの祭りにできれば、そこで広がる関係性も込みで、伝統行事ばりに長く長く続いていければいいなぁと思う。

神輿を間違えないこと。

若手芸人って、スタートアップみたい

好きな若手芸人に「コマンダンテ」ってのがいて、関西芸人にも関わらず、ゆるいテイストの漫才は関東寄りかもしれない。

最近取り組んでるっぽいのが、「〜(職業)をやってみたい」ではじまるコント漫才がベース。ボケ担当(やすだ)がまじめ過ぎてボケなくて、ツッコミ担当(いしい)が相方が漫才中にボケないことに焦れるというもの。ここまでの型は、ある意味、他の芸人もやってる気はするのだけど、ここからがコマンダンテのやり口。

ボケない相方にシビレを切らしたいしいが、代わりにボケてみたり、ボケてもないところにツッコみ(勝手にボケを想定してツッコみ)はじめる。すると、まじめを貫きたおそうとするやすだが、そっちがふざけるならこっちもふざけるよ、と言い、そのボケの前兆に、いしきがふざけてくれとうれしそうに促す。そうやって、ボケ担当が正しくボケて、ツッコミ担当が正しくツッコむ、という道筋ができて、やればできるやんけと、いしいがやすだをほめてネタが終わる。

普通は「ここでボケるよね?」という漫才の構造を逆手にとって、「ボケない」という手段を選んだコマンダンテ。ボケないという姿勢が、やすだのひょうひょうとしたキャラに合ってるというのもポイントな気がする。そして、やすだが、ボケずにコントをまじめにやって、「(その役をやらせてくれて)ありがとうな」という言葉を放った瞬間に笑いが起きるというのはその証拠だろう。

“ボケないボケ”をちゃんと漫才の構造で成立させてるというのがすごい。というのと、この類のネタに関しては、“やすだがボケるまでのプロセス”を観客は楽しんでもらうものであり、その途中で、同じように漫才に対してはまじめないしいが相方がボケてほしいがために軽く発狂する姿こそがおもしろいのかもしれない。

やすだは、漫才の始めから終わりまで、あくまでずっとやすだであり、アプローチを変えようと一生懸命なのはいしいだけ。という風に、ボケ担当のやすだが一般常識的な“まじめ”に立ち、ツッコミ担当のいしいが芸人としての”まじめ”に立つからこその矛盾が、このネタの肝なのかもしれない。

若手芸人は売れるまでに、まずはネタを磨く。他のコンビじゃできない、自分たちにしかできない笑いを、とデビューしたての頃とは違うネタをやるようにもなる。それは、ネタをつくって、お客さんで反応見て、時代の流れもちょっと様子見て、少しずつ自分たちらしいものに変えていく。変化し続けている。いや、変化し続けていかないといけないのだろう。

その姿は、プロトタイプをつくって、早い段階で反応をみて、よりスピーディに改良を加えて、サービス向上へとつなげていく、スタートアップに似ているのかもしれない。エグジットするかどうかも似ている部分で、会社を売却するかどうかというのは、芸人を止めて(ネタをやる機会を止めて)タレントに転向するという流れのように感じる。

というのを、メモしておきたかったのです。えらく時間かかった、寄り道しすぎた。

確信より勇気を

なにか行動を起こしてみようと思うとき、「確信」と「勇気」のどちらが大切だろうか。すでに動き回っている人、これから動こうとする人を、遠目・近目で見たり、実際にその想いの変遷について話を聞いてみると、ぼくなりの答えがでた。勇気、だ。

その「勇気」とは、こわいと思ってても、しっかりと足を踏み入れる(まずはスタートしてみる)勇気。また、自分の知識・経験・技術的に、できるかできないかわからないけど、試してみる勇気。もしかしたら、それは、自分でもできるかもしれない、という可能性への時間とエネルギーの投資とも言える。

反対に、これは100%できる、という想定内・案パイの「確信」だけで動こうとしている人は、どこか動きが鈍い。あれができたらこれをする、というような順序ばかりを気にしてて、その100%の確信がくるのを待っている間に時間だけが過ぎていくことは少なくない。一歩踏み出せとは言わないから、半歩でも踏み出して、背伸びしてみる勇気がこういった類の人には必要なのではないか。

そもそもの話、人間がなにか物事をやれるかどうかは「慣れ」の部分に起因していることが多い、とぼくは思っている。それにも関わらず、手を出してみたこともなく、その感覚も分からない状態で、他人からもらった理論だけで確信に迫ろうとするもんだから、たちが悪いの。精神論のように聞こえるかもしれないけど、「やってみないとわからないことばかりだから、まずはやってみろ」という一言は的を得ているはずなのだ。

例えば、よくいるタイプで「ライターになりたい」という人が「何も書いていない」という状態だったらどうだろうか。作文用紙でも、ブログであっても、SNSでも、なにかしら書く鍛錬をしている、そうして、他人に見せられるかたちがある人とない人では、段階に雲泥の差があることは明白だ。童貞のセックス論ほど、聞き耳を持たない(いや、視点を変えて、ほじくりはじめると、これはこれはおもしろいのだけど)。

ぼくのまわりにも「ライティングをやってみたい」と口にする輩が何人もいた。その言葉を放ったほとんどが、一年以上経ったいまになっても、何もやっていない。理由を聞くと「もうちょい人に見せられるようになるまでこそこそとやるんだ」とか「他のことが忙しくて」とか、「そうか、ここは無心を心得よう」と感じる返答ばかり。

そして、そうではない、ごく一部の人たちが、なにかしらをなにかしらの媒体で書きはじめた。その一人は、自分でブログをはじめて、自分の文章の気持ち悪さに気付いて、おえつしそうになりながらも、定期的に、少しずつ少しずつ更新していた。そのなかで、Webの性質もあって、わりと反応のもらえる記事を書くことがあったようだ。

そこで、はじめて、自分のつくったものに対しての、他人の反応・声を肌感覚で得ることができた。ここで大事なことは、“肌感覚”で掴めたことであり、やっている人にしかわからいことをやり続けることで、自分の手でつかみ取ったことである。童貞を卒業したからこそ、少し、あか抜けたというか、一皮むけたというか、表情がひとつ変わったというか、そんなところだ。

その彼を見ていて、ぼくが思ったのは、最初にものべたように、これは確信でなく、彼の「やってみる」という勇気の勝利であるな、ということ。自分にできるかできないか分からないけど、やってみることで「なにができるのかできないのか/なにが得意で、なにが苦手か/輪郭のある課題や感想」がごっそりと出てきたようだ。

そんな偉そうにいえる立場ではないけど(これから彼がライバルになるかもしれないし)、素直に彼を賞賛したい、やるじゃん、と思った。そして、同じように「やろうと思ってるのに、なかなかはじめられない人」は、確信を待つのではなく、ただすでにあるはずだけど隠れている勇気を振りしぼってみるといいのではないかとも思った。

半年後、一年後くらいに、その勇気が、いま自分の周辺にある物・事・場所、あるいは、すぐ近くにいる人に対する目線を変えてくれるかもしれない。

 

re:set 2016

年の瀬は、甦りを感じる。今年はどないだったか、来年はどうしたもんだ、とあっちこっちに頭の中で動きまわってると、その途中に、ふと、ぼうーっと朧げに浮かび上がってくる光景がある。「大学のときに部活が一緒だったあいつ、今どうしてんだろう、というか、そういうやつと出会ってたんだな」とか「むかし日帰りのバイトで一緒だったあの人、仕事帰りにいろいろとよくしてくれたけど、なんだか印象薄かったな」とか。

それは、なんの脈絡もないままに、突然ふっと思考に入り込んでくる。断言はしちゃいけないけど、おそらくこの先の自分と彼らの人生で重なる部分はないだろう、と思うような人ばかりがぼくの脳みそに訪れては、しれっと出ていく。そんな「あの時、あの場所で、あれをしたこと、あの人に会ったことが、今の自分をつくっている」からはほど遠いような人々の甦りがよくあるみたいです。

その話とはちょっと違うけど、12月になると、心がそわそわしてしまう。年末になると、忘年会をする、という文化をつくった日本人は発明家だなぁと。なかなか普段だと会えないような人とも、この時期になると不思議と引き寄せられる。それと同時に、本当に会いたい人がだれなのか?とか考えたりできて、想いの深さをこのときに図ることもできる。

はて、なぜ忘年会なのか?と考えた。漢文のように読み進めてみれば、「年を忘れるための会」となる。ただ実際には、その「年を忘られないための会」だそうだ。なんだか、ややこしいぞ。だったら「年を覚えるための会」で覚年会とか、「年を思い出すための会」の思年会とかでもいいんじゃないか。

さらに偏屈を言わせてもらうと、忘れないことが大事なのだろうか? 最近よく思うのは、「忘れる」ことが大事なのではないかということ。過去をそのままにだらだらと引きずって、新しい年に向かっていくのは女々しさを感じてしまうからだ。良かったことも良くなかったことも思い出して、少しだけ次につながるエッセンスを見つけて、軽量化できるといい。本当に必要なことは、きっと、ごく一部でしかない。だから、どちらかというと、その年を振り返ってみると、「忘れる」ことのほうが大部分じゃないかと思える。

いや、振り返りはその都度その都度しているだろうから、本当はすべてを忘れるほうがいいのかもしれない。ぼくが幼いときからずっと憧れている野球選手、イチローは打席に立つだびに気持ちを「リセット」するのだそうだ。前の打席でヒットが出ようが、三振だろうが、良いイメージも悪いイメージも関係なしに、新鮮な気持ちで打席に立ち、ピッチャーと対峙していく。2015年がひとつの打席だったとしたら、ちゃんとリセットして2016年をはじめていく。れがいいな。だから、ぼくは忘年会を「その年を忘れるための会」として、今後付き合っていきたい。

そうやって、うだうだ考えながら、12月の間わりかしごねていたら、いつの間にか年も明けてしまった。温泉からあがって、テレビを付けてみて、ほわ〜っといろいろ考えていたら、いつの間にか寝落ちしていた。カウントダウンすることもなく、起きたら2016年というナイフを突きつけられたような気分。ちょっとした恐怖からはじまったけど、よし、がんばるぞ。

今年の一字としては、「居」を念頭におきたい。実は、「離」という字にしようと最初思ったのだけど、やめた。今年の4月からまた東京のほうに拠点を移すつもりだ。それは去年くらいからずっと計画していたこと。そのために、この1年間ほどを沖縄(那覇)で拠点を構え、場づくりに関わらせてもらった。離れるということは、捨てるということではない。近くにいた彼女と少し離れ、遠距離恋愛になるようなもので、東京にいるからこその沖縄との関係性を築いていきたいし、そこにいるからこそできることを進めていこうと思っている。

沖縄を離れるよりも、東京に「居」るに重きをおく。どこかに居るということは、どこから離れることの裏返しでもあるので、同じことと言えば同じこと。「いつもどこにいるの、いま?」と聞かれることが多いので、「いつも、ここにいる」という安心感をつくっていければと思っている。東京という場所に(なぜ東京なのか、という点については、今度あらためて書かなきゃだな)。

それともう一つ、「居」には意味があって、京都移住計画の考え方に「衣・食・住」ならぬ「居・職・住」というのがある。「居」はコミュニティであり、だれかにとっての居場所をつくることでもある。そういった場づくりと、その場までにつなぐための情報発信がされるメディアづくりを腰を据えてやっていきたい、という気持ちは去年よりもさらにつよく、ちゃんと形にし、より大きく育てていける年にしたい。

さて、抱負的なものを述べたけれども、「別に意気込まなくてもちゃんとやっとけよな」というツッコミ心を自分に対して持ちながら、座右の銘でもある「まじめに、なまける」を大切に、ふらふら〜っとしてるようには見えるかもしれないが、着実に前に前に、去年よりかは大きな一歩二歩を踏めるように進みたい。あ、あと、毎年のように一字だけでなく、一色も決めるのだけど、それは「水」色にしようかと。調べたところ、「変化」や「変革」「流れ」を表わすのだそう。補色は、赤。なんとなく、しっくりもくる。暮らしのなかで、ちょいちょい水色を意識して取り入れよう。Twitter率あがるかな?

ということで、みなさま、2016年もよろしくお願いします(はやく初詣に行きたい、浅草寺あたりにでも)。

眼を貸してくれる人

南国気質は根本的には、苦手だ。島は、よいことばかりではない。沖縄で、離島で育ってしまったがために感じる、あの島にあるドロドロとしたもの。

出身”だからこそ”見えるものと言えばそうなんだけど、出身“のせいで”見えていないものもたくさんある。東京を経てUターンしたばかりはわりとクリアに見えたものも、1年以上もいるとピントがずれ、少しずつボケていく。慣れの怖さだ。それが怖くて、定期的に沖縄の外に出て、遠くの山をじっとみて視力回復をのぞむようなことをしているのだけど、やはり限界はあるようだ。

過去は変えることができない。「〇〇出身」というのは、だれもが持てる過去の遺産であって、辿りに辿れば、個性の源とも言える。その個性一つでは成し得ないものはあって、いくつかの個性が重なるからこそつくれるものがある。地域において言えるのは、地元、Uターン、Iターンという属性があって、その3つの立場の(個性を持った)人たちが結集して生まれるものに、新たな価値がある。

もう一度言うと、ぼくはUターンという立場だからこそ、見えるものがあるが、見えないもの、見えなくなってきたものがある。そこを補完してくれるように、時折、Iターンの人の声をもらうと、ハッとすることがある。耳に入ってくるこの声をもっと増やしていければと思う。

その眼を貸してもらえると、ありがたいのだ。

田舎者はどこでもいるぞ

ぼくは田舎生まれの田舎育ちなので、やっぱり田舎者なのかな? とふと考えたことがある。大学進学に合わせて沖縄から上京し、いわゆる大都会、東京砂漠に迷い混んだわけだけど、言うほどには田舎者ではなかったかもしれない。

ずっと田舎にいたもんだから、当時、本を読んだりテレビを観てたりしてると、「うわー、ほんと狭いところにいるんだな、おれ」と心のつぶやきが漏れそう日々だったのを覚えている。もっと上がいるし、もっと知らないことがあるんだ、と18そこいらの鼻っタレのぼくはそう信じてやまなかった。足掻いて足掻いて上京ができたタイプだ。

あの時は、ちょっとした東京信者だったかもしれない。あそこに行けば、すべてがある、と思い込んでたし、田舎はダサいとそっちに向かって嫌な顔をしながら暮らしていた。しかし、それは間違ってたんだよな、間違ってた。

東京に住んでみて、大学、アルバイト、社会人と人に揉まれてみて、見えてきたこと、いや、学生を始めたてのときにすぐ察してしまったけど、田舎者は東京にもたくさんいるってこと。それは地方出身者が多いとかそういうことではなく、東京生まれ東京育ちであっても同じで。

東京生まれが本当は田舎者だって

BEGINが歌う曲に『防波堤で見た景色』ってのがあって、その歌詞ではそう書かれている。確かにそうだよな、とついつい頷いてしまう。そして、いつ聴いてもしっとりいい曲だ。

じゃあ、なんで「東京のような都会にも田舎者がいるか」って話だけど、東京しか知らないのに、東京が一番と思っていたり、東京だけで日本を語ろうとしたり、国内よりもすぐに海外に目を向けようとしたり、「井の中の蛙」臭がすごい人は、田舎者なんだ。

つまり、「うわー、ほんと狭いところにいるんだな、おれ/わたし」と思える気持ちがあるかどうか。無知の知じゃないけども、知らないということをちゃんと知っている人。ぼくはそこらへん臆病なところがあるから、そういう意味で、自分は田舎者ではないかもしれない、と事実的に感じたわけで。

ってなると、田舎者はどこにでもいるわけで、田舎にも都会にも、一定数いる。未知のものをなかなか受け入れられない、そっちへ踏み出す勇気も謙虚さもない人ね。何か革新的なことをする人ってのは、きっと田舎者から脱皮している人だろう。

逆に言えば、田舎にも田舎者じゃない人はたくさんいるわけだけど、そこに当てはまる、田舎者の反対の言葉が「都会っ子」とは到底思えないし、なんかちょうどいい言葉が見つからないのは困ったな。これ考えるの宿題にしよ。そういえば「舎人ライナー」って言葉の安心感パない。

整理するの助として生きるのだ

パソコンの待受画面を眺めると、フォルダがぐっちゃぐっちゃになってたりする – イエス。Dropboxの写真が分類されることなく取り貯められている – イエス。ボイスレコーダーの中にある音源が日付で保存されたままになっている – イエス。こりゃあかんわ。

ということで、もろもろのデータを整理してみました。よく言われることかもしれないけど、「物を整理できていないのは、頭の整理もできていない」というやつにギクリときたのもあって。えっと、3年以上も前だったかに読んだ佐藤可士和さんの『超整理術』の内容が痛烈にぼくをつついてきた気がしたので。

じゃ、どうやって整理するかという話だけど、絶対にこれだ!っていうルールは無い。自分が使いやすいように、分かりやすいように整えるべし、だろう。となると、ぼくの場合、パソコンの中のデータというのは、基本は「書く」ためにあるので、記事を作成するためにちゃんと分類しておく必要がある。

書く媒体毎にフォルダを分けたり、取材毎の音源、写真とをしっかりと表記しておく。たくさん写真撮ったとしても、使うのは数枚のはずなので、厳選したものをそこだけ色分けするとか、フォルダ名にテキストを打ち込んでおくとか、いろんな工夫はできる。

そういう作業を後からまとめてやろうとすると、すんごい大変だし、大事なポイントを忘れていたりで抜かしちゃったりと、苦労するのは自分でしかないからなぁ。とほほ。情報(データ)がたくさんあり過ぎると、選び上げるのにエネルギーがいる。削ぐのって、ほんと大変だもんね。無駄な情報に労力を奪われるのはカッチョ悪いしな。

Gmailなんかも毎回フォルダ内はメール0件にするのを心がけてるのも、そういう後から見直したときの疲れを避けたいってのが一番かも。

整理するときに大切にしたいのは、「つかまえた情報を鮮度を落とさずなるべく早い段階で、すぐ使えるように最低限の下調理(編集)しておくこと」であって、それ以外の「どっかで使うかも…」というのは、結局は使われることのない腐った情報と化してしまうのかもなぁ。まあ、豆腐とかクサヤとかそういう類になるまで、寝かせるものもあるとは思うけどもさ。いつ死ぬかわからんでな。

かつてのお侍さんは、死と隣合わせで毎日を過ごしめたんだろうなーと思いを馳せつつも、現代においては、“整理するの助”として大往生しようではないか。

移住イベントは、だいたい二パターンに分かれる

ぼくの夏休みは終わらない。プライベートの自由研究としての『バケモノの子』を前に挙げたけど、ちゃんとした、いや、ちゃんとしたって言うのも変だけども、ライフワーク的な自由研究を挙げるなら「移住」や「商店街」というテーマがある。

「移住」だけについて触れると、土地から土地へ動くってエネルギーむっちゃいることだから、その人が移り住む理由が気になっちゃう。というのと、ぼく自身が同じところに留まれずにあちこち行きたくなるタイプなので、どうやったら自分が根ざせる場所が見つかるのか?という自己対話も含めて、公私ともに還元できるレベルで掘り下げていければと思っている。

振り返ると、「京都移住計画」のメンバーと知り合ったのが、そもそも「移住」という言葉を真面目に考えるきっかけだったなぁ。そこからプロジェクトに関わらせてもらったり、彼らが発信する情報を拾っては、自分なりに掘り下げ、他の地域に行ったときには移住にまつわる話を聞いてみたり、沖縄において移住における取り組みをはじめたり、いろいろな方法で「移住ってなんだろう?」と向きあってきた。

そう、そうやって考えてみると、移住イベントをやるときには、ふたつの段階(場)を意識しなきゃいけない気がしてきたぞ。

ひとつは、「そもそも移住ってなんだろう?」を考える場をつくること。ぶっちゃけると、「移住」ってとても大きくて重い言葉だと思ってしまう。そういうことに興味ない人からすれば、超無縁のような単語に聴こえるに違いない。だけど、移住について考えることは「自分の暮らし/働き方を考えること」だから、実はほとんどの人が参加できる理由がある。とぼくは思う。

ある意味、就活を考える学生だって移住イベントに参加することで、移住しなかったとしても、生き方のヒントを得るかもしれない。その場に参加する人たちのさまざまストーリーを共有してもらえば、それだけでもいい勉強になるだろうし。ということで、「移住」ってのを切口を変えてみて、その敷居を下げるような「そもそも移住ってなに?」を考える場づくりがまずひとつ。

で、ふたつめは、その次の段階とも言えて、それぞれが自分たちなりの「移住」をかみ砕いた上で、次のステップとして、移住する地域の選択肢を広げたり閉じたりするための場づくり。それは「全国各地のどっか」という幅広い選択肢から選びたい人もいるかもしれないし、「この県にする」と決めていて、そこからさらに地域を定めようとしている人だっている。

またそこに付随するように、どんな暮らしができるのか、どんな仕事があるのか、という疑問を掘り下げられるシカケも必要だ。それがより具体的になっていると、求人や住まいがありまっせ、マッチング情報を用意しておくことになったりね。もちろん、この段階でも「移住ってなに?」についての考えを揺さぶられつつではあるけど、実際に移住するための選択肢と、それを絞っていくための(相手に合わせた)基準を共有できる場の質があがればあがるほど、移住のアクションには繋がりやすい。

実は「移住した後に〇〇をしたい」というところを汲み取ると、「ただ移住したい」というのと「移住して地域を盛上げたい」というのは層が明らかに違うので、これらの属性の人たちをまとめちゃうとダメで、そこはセグメントして、移住イベントは打たないといけない。移住して地域を盛上げたい、と考えている人なんかは「地域仕掛け人市」とかが合ってるのかもね。

と、長々と書いてきたけど、再度まとめると、潜在的ニーズを掬う「移住ってなに?」と顕在的ニーズを拾う「どこに/どうやって移住できるの?」という二種類の移住イベントがあるといいのかも。その中で、参加者が自分たちでも考え、具体的なアクションに繋がるシカケをつくっていく。(あくまでこれは“移住検討者向け”の話であって、“移住受入者向け”だと各地域プレーヤーが集まってケーススタディできる「移住フェス」みたいなパターンもある)

最近の移住イベントを眺めていると、「どこに/どうやって?」の部分ばかりが協調され過ぎていて、そもそも論の大事なベースがないがしろにされているケースも見てとれる。地方創世ブームでお金も動きやすいからって、そういう雑な取り組みはホント止めてほしい。ゆっても、移住って大きな決断だからさ(そこに骨を埋めるとかそんな気負わなくても全然いいと思うけど)。

だからこそ、ちゃんと選ぶための前置きはしっかりと丁寧につくっていくこと。それは移住に携わる人なら大切にしてほしい意識だよなぁ。まあ、こうやってずけずけと書きながら、自分自身にもプレッシャーがずんずんのしかかってるくる感じが、M気質だな、と自分を再確認中でございます。

いとうせいこうの肯定する脳みそ

意見が食い違うときのコミュニケーションって難しい。初対面の人と話すときには、必ず意識することがある。それは、否定型の人間なのか、はたまた肯定型の人間なのか、という話をする相手の性質だ。そのどちらかによって、伝え方は変えてかなくちゃと思うので、その判断は慎重にしていきたい。

何を言おうが、自分の意見と違っているとすぐに否定にかかるがいて、そういう人は別に死ぬほど嫌ではないけど、聞く耳をあまり持っていないのはもったいない、とつくづく思う。何か言う度に「でもさ」と反射的Butをバシッと振りかざしてきて、自分の意見の優れている点を主張しようとする。これってバランスよくないんだよなぁ。

反対に、肯定型の人ってのは、例え自分の意見と食い違っていたとしても、まずは相手の話を呑み込むように聞き耳を立ててくれる。その上で違っている点を伝えたいなら、「うんうん、そうだよね。たださ・・・」とYesで受け止めてからのButなので、ちゃんと認めるところは認めつつ、違いを話してくれるので、会話の気持ち良さが全然違ってくる。

否定型の人は、その「一度受け止める」ためのYesを持合わせてなくて、自分の意見以外は間違ってる、という概念に囚われているから大変だよな、と思うし、そういう人と話をするときこそ、肯定の姿勢で相手の価値観に耳を傾けて、言葉を選んで、話を進めていけたらいいなぁ、とも思う。別に相手をやり込めたいとかではなく、「自分と相手でなにが違っていて、そう考えるようになった理由はなんだろう?」を知るために。

肯定型の人間ってのは、どんなことがあっても物事をおもしろがれる人だよなぁーと、人としての強さを感じる。目の前に現れる予期せぬ出来事をいったん受け止めてみることで、その対象との距離感を探りつつ、自分なりの楽しみ方を考えていく。ここで思い浮かんでくるのが「いとうせいこう」という人物像だ。

以前『ボクらの時代』という対談式のテレビ番組に、バカリズム、いとうせいこう、小林賢太郎という珍しいメンバーで出演した回があった。そのときに、趣味の話からの流れで、バカリズムがいとうせいこうの人柄をこう語っていた。

せいこうさんは、肯定する脳みそなんですよ

それを笑いも交えつつ語るエピソードとして、いとうせいこうが「野犬の霊」に憑かれたときの話が出ていた。そのせいで体調も悪くなっていって、普通であれば、憑かれたら祓ってみる、という手段をとるのだろうけど、いとうせいこうは「(霊を)飼う」という決断をした。悪霊との共生をしようと試みて、今では忠犬まで飼いならしたけど、体調はよくなったわけではない、というオチ付きの話。

受入れて、おもしろがる、の究極はここにあるよなぁ、とクスクス笑いながら、ぼくは番組を観ていた。単純にそっちのほうが、世の中が楽しくなるだろうし、否定するものがあったとしても、肯定と否定、ふたつの視点で物事を見れるわけだから、得だよね、とも思う。

すぐに否定したくなる人は、とりあえずまずは相手の言うことを聞いてみて、ツッコミポイントを見つけつつも、うんうんと飲み込み、それから自分が思うことをどう伝えるかを考えてみる。Butの前のYesを呼び込む、ほんの数秒を我慢できたら、世界はちょっとは開けて(拓けて)くるじゃないかってね。

もっとおもしろがろうよ、楽しもうよ、だって自分のところに本当に来てほしいものってなかなか来てくれないから。むしろ呼び込まなくちゃ。

“有る”時代に生まれてきた子どもたち

ぼくが育った場所は、沖縄の端っこにある離島だった。島には集落が5つあって、人口は1300人ほど、ほとんどが高齢者で、それでも当時の同級生は20人はいた。島の面積の半分以上が山と畑で、そのまわりは透明度の高く、青のグラデーションをこれでもかってくらいに見せてつけてくる海、海、海。そんな場所で、ぼくが島から出るまでに触ったパソコンは、中学校の情報かなんかの授業くらいなもんだった。

高校は那覇だった。進学校と呼ばれるようなところだったけど、ただやはりここでも情報うんぬんの授業でパソコンは触れる程度で、その頃は、ほとんどの近い学生がケータイは持っていたけど、ガラケーだった。家にパソコンがあって、当たり前のようにネットに繋げるような家庭環境になかったぼくがインターネットというのを日常的に使える段になるまでは、まだ時間がかかった。

大学から上京した。いや、その前にあった大学受験の話をしておこうかな。英文読解のテーマが「Wikipedia」だったのを覚えている。よくパソコンをいじっているような学生からすれば(同じく受験していたぼくの友達はそうだった)、身近な内容だったのだろうけど、ぼくからすればトンチンカンな言葉が並んでいて、イメージなど到底できない内容であって、目に見えないようなヒエラルキーを大学受験で感じた経験だったのをよく覚えている。

そのこともあってか、まんまと不合格となったぼくは、懲りずに後期もその大学を受け、どうにか入学できることになった。あれは意地だったな。ほんとに。話を戻すと、入学後は、大学図書館に行き、興味持ったものをひたすらパソコンを使って調べるというのが毎日のように続いた。こんな便利なものがあったのか、と乾ききったスポンジがぎゅいぎゅいと水を吸うかのように、調べまくった。本なんててんで読まずに……。

スマホが出てきたのは、ぼくが大学3回生くらいのときだったか。いやちょうどiPhoneがどこのキャリアから出るんだ?という時期が過ぎたばかりで、それがSoftBankになったもんだからdocomoユーザーのぼくはえらくガッカリして、だけどちょっと待っていたら「Xperia」が出るぞとなって、国内初のiPhone以外のスマホにぼくはすぐに飛びついた。今考えると、びっくりするほどモッサリとした画面で、タッチ反応も遅かったけど、当時からすれば、あれはほとんど神器だった。

いつでもどこでもインターネットを持ち運べる、調べたいことを調べられる。元々、超田舎で育った、超アナログだったぼくが、その環境を得るというのは、まさに人類の進化の過程をたどるかのようで、やっと現代人らしくなれた瞬間ではなかったか、と大袈裟かもしれないけど、そう思うのだ。ちょっと前に遡ると、ずっと紙の辞書を使って英単語調べていたのが、電子辞書を使いはじめ、驚愕したような体験があったけど、それのもっともっと上を行くような衝撃、とでも言っておこうか。

こんだけ自分の過去を並べてみて、何が言いたいのかというと、ぼくは27年という短い人生の中で、インターネット環境が“無い”ときから“有る”時代を体感してきた。ぼくの上の世代もきっとそうだろうし、それがぼくのようなあまり裕福でない家だったり、田舎出身だとすれば余計だろうな、とも思う。だからこそ、その“有る”ありがたみは沁みるように感じてる。

だけど、デジタルネイティブという言葉あるように、生まれてきて自我が芽生えてきた頃には、既に“有る”環境に放り投げられた子どもは、“無い”ことを知らないし、それを知るための機会すら得にくいだろう。彼らにとっては、不足があって得たツールではなく、それが不足もないままに当然のようにあるツールなのだ。その構造によって奪われている想像力はどれだけあるだろう?

今の子どもたちも成長し、いずれは、アナログ時代を知っているぼくら以上の世代とも一緒に仕事をすることになるだろう。そのときに、“無かった”世代への想像力が働きにくいのはもったいない。「分からないなら、調べればいいじゃん」という今風の発想とは別に、「まずは自分で体験してみろ」という非効率にも聴こえるが実は的を得ているような発想を、妙に賢くなってしまった頭では、すぐに、素直には受け取れないだろうから。

「便利に時代に生まれたよね」とある人は言うかもしれないけど、もしかしたら、今の子どもたちは、昔の子どもたちよりもずっと不幸なのかもしれない。それは文明利器に頼りすぎて、思考力や生命力が低下してきた人間の最たるは現代人だろうし、その最たるは時代が過ぎていくとともに更新され続けるに違いない。現代人は、原始人よりも、ずっとずっと弱い生き物だよな、とふと感じてしまう瞬間すらある。

“無い”時代を経験してきたぼくらが、“有る“時代に生まれてきた子どもたちにできることは、きっと“不足”を与える機会をつくること。押しつけるかたちでなく、一緒に楽しむようなかたちで。“無い”なら無いなりにできるやり方を考える、その過程と実践を楽しむことはできるはずだ。チャッカマンを忘れたキャンプでも、きっと生き残る術も楽しむ術も残っている。

不足が足りない今だからこそ、不足への意識を持って、大人は責任を持って子どもと接していかなければとならない。そして、ぼくが思うのは、インターネットとは違ったぼくの知らない不足を、上の世代から聞き、体験できることは体験し、次の世代へと繋げていくこと。“足りない”概念こそ、人を逞しくするものだと信じて。

東西のファシリテーションの違い(水上学舎を終えてみて)

いま、ぼくは「商店街」に熱狂していて、これをテーマにしたメディアづくりと場づくりを進めている。場づくりでいうと、那覇・牧志公設市場のある商店街のなかで、「水上家」というスペースを運営している。なぜこの名前なのかというと、ガープ川の上に建った「水上店舗」に入っていて、家のようにだれでも来れて、県内外のどんな人もくつろげる場所にしたいとの想いからだった。

そんな場所で、定期的に「水上学舎」というイベントをやっている。商店街のなかに学び舎を、子どもから大人まで、学び続けたい人、新しく始めたいなにかを持つ人が集まる場所をつくりたいとはじめた取り組み。カフェやしまくとぅば、エネルギーに写真をテーマに、これまでに9授業を行ってきた。

最近やったばかりの授業が「ファシグラ(ファシリテーション・グラフィック)」をテーマにしたもの。京都からはるばるハルくんに来てもらって、ファシグラの実演、座学、実践を3時間に込めて「情報整理」のコツを参加者のみんなで共有しましょう、という趣旨のもと今回は進めてみた。その会の前後も含めて感じたことを取りまとめておくことにする。

 

ハルくんと一緒に打合せをしていたときに、思わず聞いてしまったのは「どの地域がファシグラ盛り上がってるの?」という質問。関東と関西はやはりその地域に当てはまるのだけど、驚いたのが「新潟」という単語も聞こえたこと。学校教育のなかにファシグラを取り入れていれようとしてるのってのは楽しそうだな、と単純に思った。

少しツッコんで、元々違和感に思っていたことをハル君に再び訊ねてみる。「関東と関西のファシリテーションの色って違う気がするんだけど、どう思う?」ぼくは、ざっくりと言葉を選ばずに言えば、強者に重きをおいたファシリテーションをするのが東、弱者に重きをおいたファシリテーションをするのが西、という印象を持っていた。そのあたりについての確認の意味を込めての質問だった。

これまた簡単に省略させてもらうけども、ハルくんは「西、というか京都のほうが、掬い上げるような場づくりをする傾向がある」と答えてくれた。感度が高くて何かを自ら進んでやっていくタイプは積極的に場に参加してくれるからいいのだけど、そうでない、ある種、すぐにそういったギラギラタイプについていけないような人が居心地よく、そして、参加しやすい場をつくっていくのが京都式なんだ、とぼくの頭では納得したし、勝手に確信を得た気持ちになった。

だから余計に、ぼくみたいな弱者、ポンコツのような人間は、京都の場に参加すると心地よいのだと思うし、そういった体験があるからこそ、動きたいけど動けていない人たちへよく目がいくみたい。バーテンダーとしてカウンターを立っていたとき、飲み慣れて楽しそうに過ごしている人よりも、初めてかのように、ぽつんと一人でそわそわとグラスを手にとる人のほうが気になっていたのはそれだった。きっとそうだ。

沖縄における場づくり、そして、ファシリテーションのあり方は、きっと京都から学びを得たほうがいい気がするし、相性がよいとぼくは思う。なぜなら、いろいろな理由で抑圧され、自己肯定感の少ない人が多いように感じるから、(ぼくも含めて)その人たちを掬い上げる、というか、(言葉はおかしいけども)一緒に掬い上がっていくような場が必要だからだ。

 

まあ、そんなことを事前に感じながら、開催したファシグラの授業だったんだけど、うれしかったことは、「ファシグラ」という言葉を知らずに場に参加してくれた人が大半であったこと。未知との遭遇ではないけど、未知ってこわいものにも関わらず、思い切ってこの場に参加してくれた人たちには、本当にありがたいなぁ、と思ったし、運営側としては驚くばかりだった。

ハルくんが授業を進めていくと、これまた勉強になったのが、その会の進め方だ。アイスブレイクから、参加者が手を動かしてアウトプットするときのテーマの設定の仕方、話題の振り方が絶妙だなぁ、とただただ進行に関心させられた。沖縄全体的に言うと、偉い人が一方的に話して、インプットだけで終える形になりがちだから、インプットとアウトプットが交差し、ゲストと参加者が双方向にやり取りできる安心・安全の場づくりはさすがだったなぁ、と。

ファシグラの技術的な話をしてくれたときに、「ペンの持ち方」から教えてくれたんだけど、そこからこだわるのか!とその説明が入らないと気付きにくいけど実は大切なことが、ハルくんの口からポンポンと出てきてなるほどの連続で楽しかった。

会の最後に、参加者みんなから感想をもったんだけど、「字に個性が滲み出るかんじがいいですよね」と言ってくれた人がいて、その“お手製”感そのものが、場をあたたかくするなぁ、と共感させてもらったよ。

 

人と人、人ともの、人と場所、いろんな繋がりがあるけど、その関係性を整理して、ちゃんと可視化することによって、その場の議論をよりよい方向に持っていくためのファシグラ。

ライターとしても情報整理の仕方は似ているなぁ、とも思ったのと、どっかのイベントレポートを書くときに、ファシグラもやりつつ、その場で描きあげた成果物を使って記事を書くような“ファシグラ的ライター”がいてもいいのかもしれない、これは重宝されるぞ、と一瞬思ったので、少しずつファシグラについて学び、実践する場をつくっていこうと熱く思った。水上学舎のファシグラ部ができる予感……。

(や、このエントリ、実は1000字以内でまとめようと思ったのに、その倍以上も書いてしまい、本当にファシグラから情報整理のコツを学んだのかおまえは、というツッコミがありそうなのだけど、そこはソッと伏せておいてください、ね)

 

熱狂するものはあるか?

1988年生まれは、ゆとり世代と言われてて、諸先輩方は「考えてることが、よくわからない」と感じる人も多いかもしれない。そんな年に生まれたぼくでもさらに「よくわからない」があって、それは、今のU–25の世代に対してだ。大きく括っちゃえば、平成生まれにあたる彼ら。現役学生さんとよく話をさせてもらう機会があるんだけど、彼らのなかに「熱狂」を感じることが少ない。それは大きな疑問なのだ。

熱狂するのはなんでもいい。スポーツでも音楽でもマンガでも、バイトでもフィギュア集めでも、DIYでも山登りでも、ファッションでも寺巡りでも、研究でもインターンでも、描くことでも書くことでも、だれかと飲むことであっても、YouTubeを徘徊しまくっていたって、ブログであってもいいし、〇〇の追っかけ(ファン)だとか、もはやAV観賞でもいいし、単純に彼氏彼女にお熱すぎてもいい。

そういう一辺倒になれる対象がある下の世代と会う機会がなかなかないな、というのが言いたいことで、言い方をちょっと変えると、“中途半端”な人が多いよなーさえ感じてしまう。彼らと「これ好きなんです」「これ興味あるんですよ」という話になったときに、話を掘り下げてきこうとすると、スコップがすぐにカキンと底をついてしまう。

おそらく、その「好き」とか「興味」がもはやファッション的な感覚なのかもしれない。そう言っておくとウケがよい、という世間体を気にする視点が根底にある。だから、それに対して造詣を深めようともしないし、しようとしても結局は、周りへの承認欲求がはじまりというか。そして、だれかが教えてくれる、という条件がなければ、学ぶ姿勢も薄い、そんな気がしてならない。

だれの目も気にせずに、だれに言われなくても、反応もらえようがもらえまいが、勝手にやっていくし、どんどんどんどん掘り下げていけるもの。それが「熱狂」とぼくは思っている。そういった、オタク気質がない。だれのためでもなく、自分のために没頭できるようなものを持つ、「我」がほとばしってくるような人が減ってきたのだろうか。

TV番組『アウトデラックス』を見ていると、ああ、こういう人が熱狂のある人だよな、と笑いながら感じるんだけど、そんな人が身近な世代に少ない事実には、ちょっと寂しくなったりもする。アウトデラックスに出演する人たちは、とびきりの偏愛を持っている。もう熱狂というか「狂気」とも言えるほどに。それがいいのだ。

最近の2ヶ月間、「アパートメント」というウェブマガジンで、加藤志異さんの書くコラムのレビューを担当させてもらった。彼は「妖怪になるのが夢」というぶっとんだ発想を持っているのだけど、その「妖怪」への熱狂ぶりがとてつもなくおもしろい。ぼくも妖怪が好きということはあるのだけど、それをさっ引いても、おもしろい。もう、くだらない、と通り越してしまったような、突抜け感がある。

 

もう一度、ずけずけと言っておく。どんな熱狂を持ったっていいのだ。他の人の関心と重なるような熱狂でなくてもいい。そんなことを気にしてるようじゃ、そもそも自分に嘘をついている。熱狂する「対象」ではなくて、熱狂している「その姿そのもの」が人を奮いたたせ、あ、おもしろいな、と思わせてくれるし、感動が生まれるエネルギーはそこに眠っている。

ー 熱狂するものはあるか?

どんなものでもいい。おそろしいほどに狂気を感じるような人たちに触れてみたい、話してみたい、一緒にやってみたい、そんな気持ちで、平成生まれの、これからの新しい世代の子たちが熱を帯びまくる雰囲気が日常に醸されれば、世の中はもっとおもしろくなる。ついつい、そう思ってしまうし、そうあることを願ってもしまう。

狂え、尖れ、貫け、の時代だ。

ぼくが「試住」をはじめたわけ

明日まで、宮古島(沖縄)にいます。というのを今更書いておこうかと思う。9月4日からの約3週間を宮古島に滞在している。初めての宮古島だ。なんでここに来たのか?というと、観光のかの字もなくて、ただいつもの仕事を場所を変えてやるため、もっというと、宮古島でくらす感覚を知りたかったのがある。

以前にも触れたように「地域」「移住」なんてのは、ぼくの領域にある言葉で、そのふたつが重なるところに「試住」という単語がある。英訳したトライアルステイのほうが意味は通りやすいかな。移住のお試し期間としての「試住」を自分の体験として積み重ねることを、最近「〇〇試住計画」というプロジェクトとして取り組み始めた。

ということで、宮古島に今いるわけなんですよ。ただ「なぜ試住をやるのか?」という話に触れてなかったので、(ひとつの理由として)7月にしばらくお世話になった長崎の話をまとめておこう。

27歳になった次の日から、長崎の平戸島ってところにいたんだけど、それはぼくの生まれがここって聞いてたこともあり、ルーツ巡りで足を運んでいた。そしたら何の縁なのか、たまたま漁師のおっちゃんに拾ってもらって、そのご家族にお世話になることに。

で、その一緒に過ごした時間というか、生活っぷりってのが、個人的には印象的だったんですよ。朝3時くらいから仕事して、違ったタイプの漁で2回くらい海に出て、お昼頃には切り上げる。午後は、ちょっと昼寝してから、事務関連の仕事したり、休んだり、遊んだりっていうあんばい。夕食は、5時半くらいには食べてしまう。

だから、夜はむちゃくちゃ長い。都内にいると、まあ18時くらいってまだまだこれからって時間で、街は明るくて、なんか落ち着かないけど、平戸島ではほんとしーんと静かで、ゆるやかな気持ちになる。(付き合いで飲んだり、結局その後、個人的に仕事はあるんだけど)。こういう1日のあり方が違う、ってのは頭の中だけにあるよりは、ちゃんと体験してみたほうがいい。どっちが絶対いいということはないけれど、自分にフィットするくらしの循環を考えることができるから。

「試住」と「定住」の間に「移住」があって、新しく移り住み、そこに根を張ってくらしをつくるにもやっぱり段階は必要だ。ということで、「試住」はもっとできたらいいし、ぼく自身、実際に試住してみて、その地域のレポートができればと思う。それによって、ぼく自身が移住するというよりは、その地域に移住するのがマッチしそうな人をつなげていきたい。自分のできることとして。

ひとつの場所にいても、ちょっとするとどっかに行きたくなる性格(地域の行き来の公私ともにバランスをとるタイプ)との相性も良さげで、移住という概念に関われるとも思うので。そうやってつなげることのできる地域を広げていきたい。実は、長崎の前後で、熊本-宇城と、岐阜-奥飛騨にも行ってきた。

来年3月までには、後2、3ヶ所お邪魔させてもらえればと思うので、そのための情報発信の体制も整えなくちゃなぁ。もっと地域毎の特色も(それによって、地域への入り方も変わってくるので)勉強しなくちゃだし。なので、試住とかトライアルステイ関連の情報があったら、教えてもらえるとうれしいな。もちろん、地域から直接声をかけてもらえるが一番ありがたいのだけど(欲張り)。

もの書きが『バケモノの子』から学べること

7月11日に公開された映画『バケモノの子』を、その3日後の7月14日に観た。その日であったことには、たいした意味はない。九州滞在中で、仕事が一段落して、移動までの時間を埋めたいなぁと思っていたら、映画館が近くにあったので、前々から気になっていた作品を観ることにした。 劇場での観賞中にもグッときたし、その後もしばらくまとわりつくような言葉があったので、それについてメモしておく。

なりきる。なったつもりで

そんな、やさしい女性の声が作品中に響いた。バケモノの熊鉄の弟子になった九太が、強くなる方法がわからずに苦心しているときに得たこの言葉。ぼくは文章を書く仕事をさせてもらっているのだけど、そこに通じるような考え方だなと、釣り針に掛かった魚のように、その言葉に強く引っ張られた。

 

「なるきる。なったつもりで」を、ぼくは、「真似することから学ぶことが始まる」という意味で捉えることにしたんだけど、もの書きにとって、この行為はとても大切なこと。文章がうまくなりたいなら、やはり文章がうまい人の真似をするとよい。じゃあ実際に何をするかというと、「書き写し」をやってみる。一字一句真似てみて、その文章を手書きかタイピングで白紙を埋めていくのだ。

小説やエッセイなどでは、作者ごとの表現方法を見つけられるし、そこで自分の書き癖も見えてくる。メディアの記事であれば、文章構成なども意味のかたまりを持って、分析することもできるから、やってみて損はない。

「なぜ書き写すのか?」という理由を考えるよりも前にまずは、やってみる。そして、やりながら、なぜこんな文章になっているのか、作者の気持ちと技術を追いながら、自分で意味を見いだすことがここでは重要かもしれない。

 

本や記事を読んでて偶然にも気になったフレーズを見つけたとき、思いがけず時間ができたとき、というサイクルではあるけど、ぼくは書写をするように心がけているのは、やっぱりそれも、先輩のもの書きがそうしていることを知ったからだった。

とはいえ、バーテンダー時代を振り返ってみると、業界的にはやはり職人気質の人たちが集まるところだったので、「見て盗め」という学び方を学べた経験を、文章に活かせばという発想とも言える。

バーテンダー見習いは、師匠が動きやすくなるように、カクテル作りをアシストする。お酒のオーダーが入った瞬間から、師匠が何をしようとしているのか、そのためには、どんなボトルやグラスが必要で、どのタイミングで氷を用意をすればいいのか、などを憶測しながら、見習いは手早く準備していく。

そのとき、ちょっとやそっとじゃ捌ききれないほどの注文が入る状況がある。となると、師匠になりきり、なったつもりで動かないと、どんぴしゃのタイミングを生むのは難しく、師匠とのシンクロも起こりえない。見習いはそういう経験を糧にしながら、師匠に近づいていく。

 

また、ぼくはお笑いが狂おしいほどに好きなのだけど、芸人も人によっては、他の芸人のネタを書起こしてみて、どこで笑いが起きるポイントなのかを研究する人もいるという。どんなジャンルであっても、「なりきる。なったつもりで」論は有効なんだろう。

当事者として、もの書きに必要な考え方だなぁーというのがひとつと、なにか学び始めたいことがある人は、同じ手法をとってみればいい。と思う。逆に言えば、「誰も教えてくれないから学べない」というのは多少の甘えがあって、なりたい像があるなら、まずは真似てみろ。とも思う。

 

そんなことを考えた『バケモノの子』だった。作品を通して感じたことはそれだけに留まらず、いろいろと彷彿とさせてくれる印象的な作品だった。実は、映画を観た後には文庫本も読んでみたけど、これがまた映像とテキストの違いを感じておもしろかったのだ。

ぼくの「なりきる」対象でもあるオバケの松倉さんが「同じ映画を3回くらい観るといい」と言っていたが、今まさにそれを実験している最中でもあり、ある意味、夏休みの自由研究として、細田守のものづくりを学ぶつもりでいる。残り2回、とりあえず後1回は劇場に足を運ぼう。よければ、みなさんもぜひ。

 

「前置き」をすっとばす大人にだけはなりたくない

街を歩いていると、ひっきりなしに見える広告の看板。東京・新宿で働いていたときなんかは、広告だらけで、あの光景はいつ振り返ってみても、あの異常なまでの量には笑えてくる。さらに広告のキャッチコピーを見ていると、短く伝える、って大事だよぁーと思い知らさせる。

ただその「短く伝える」とは反対に、「長く伝える」という話に触れてみようかと思う。伝えたいことから逸れている内容をだらだらと時間をかけるのは、最初から除外して、ちゃんと伝えたいから、長く伝えるという行為について、さらには、話を長くできちゃう「前置き」について整理してみたい。

 

話の前置きが長くなっちゃう人っているんですよね(それぼくなんですけど汗)。本題に入る前の話、落語で言えら「枕」に当たるようなところ。本題じゃないんだから、そんなの早よ済ませよ、と思う人は結構いるかもしれない。でも、これこそ力を入れて大切にしたいこと。

例えばだけど、「いいデザインってなんだろうね?」という話になったとき、本題としては「いい」デザインについて話を進めたいのだけど、その前提として「デザインとは?」という共有意識がその場の全員にないと、議論は進みにくい。

もっと言うと、「そもそも、なぜ、いいデザインについて話をする必要があるのか?」という場の発生理由について押さえなければいけない。その文脈をしっかりと把握してもらうことで、その場のルールを理解してもらって、説明もないまま闇雲に「それ違うよ」という否定的な言葉を減らすことができる。

日差しを浴びさせ、とことん乾燥させて、スポンジをカラっからにしてみて、水の吸水率をグッと上げるためのプロセスが、この「前置き」にはあると思っていて、ここを怠っていると、小さなストレスに敏感な人は、当然のように不快になってしまう。そういった人たちの反応を見逃さずに、さらに敏感でありたい。

 

話をちょっと飛躍させると、「人についての前置き」も可能な限りは丁寧に行っていきたい。人についての前置きというは、目の前にいる人がどんな人物なのかを知るための情報のこと。どんな場所で生まれ育ち、どんな環境で学び、どんな人と付き合ってきて、どんな仕事をしてきて、どんな性格なのか、という前提に敬意と注意を払いたい。

その人の行動や発言というのは、必ずといっていいほどに、過去の経験に引きずられている。だからこそ、その人のその場の姿・言動だけでなはく、背景を掴んでおきたい。その彼/彼女の真の意図まで辿りつくには、その人の「前置き」部分を大切にしたいよね、というのと、それによって、いい時間が過ごしやすくなるよなーと。

 

ここまで話した「前置き」のショートVer.として、「クッション言葉」があるとも感じている。例えば、相手が知らなさそうな記事を紹介したいときに、「これ読んでみてくださいね」という言うよりも、「もしかしたらもう知ってるかもしれませんが、これ読んでみてくださいね」と言えるほうが、言葉自体に丸みがでるし、すでに知っていた場合の予防線にもなり、相手への思慮深さを読み取れる。

サービス業に従事している人とか、よい編集者というのは、しゃべるにしろ、文字にするにしろ、このクッション言葉の使い方が巧いよなー、といつもやり取りのなかで思い知らされるのよね。本題はわかった上で、その前後の脈絡にまで目が届く人は、相手のための言葉の装飾が鮮やかで、一緒になにかをやっていても心地よく、ワッと明るい気分で取り組むことができる。

 

ということで、短く伝えることも大事だけど、あえて長く伝えることも大事なのだ。その「前置き」をおたがいに確認できるような関係性とか場があると、それは本当にすてきなことだと思う。伝えたい相手がいたときの、相手(複数の可能性もある)への想像力はちゃんと持っていたいね。どんなときも。

このように、ぼくが間置きが長くなったときの言い訳をまとめておきました。

 

バランスのいい人がいい

世間の騒がしさを見ていたり、地域の動きについて観察をしていると、なんだか寂しい気持ちになるときがある。それは、偏った意見ばかりが主張されてて、たがいに衝突を繰り返してばっかりで、バランスのいい人ってほんと少ないよな、という現状に出くわすからだ。

バランスがいい、とはどういうことか。例えば、ある問題についてAとBという意見(考え方、領域)があるとしよう。そのとき、Aだけとか、Bだけのような一つの意見に縛られて、その主張しかしない人は、バランスがいいとは思いにくい。Aの考え方は〇〇の理由で分かるし、Bの考え方も△△の理由も分かる、というように、どちらにも歩み寄れて、“視点を切り替えるスイッチを持っている”人が、バランスのいい人。

だからこそ、AとBの真ん中になって、調和させるかのように、つなぐ役目を買えるのもこういった類の人になる。大事なことは、ただ真ん中にいれば良いわけでなくて、いったんAにも限りなくグググと寄れて、同じようにBにもいけること。その上で、真ん中がどこなんだろう?と探りながら、2つの間の架け橋になれること。AとBを越境でき、共通項を抱えることのできる“間的存在”になれる人こそ、バランスのいい人。

少しだけ、地域おこし的な話をすると、その地域を賑わせていくためには、やっぱり人の力が必要で、バランスのいい人材が求められる。根本的には、都会(A)と田舎(B)の感覚を持ち合わせているバランス性はあるに越したことはない。

また、地域の情報発信だったり、新たなことに挑戦するときには、あくまで地域にあるアナログな素材が大切とはいえ、Webなどのテクノロジーを道具として使いこなせることは、ますます求められる。その上で、地域づくり(A)とテクノロジー(B)に対する見識を両方持っていると、バランスのよさを感じる。地元の人はその部分が欠けてることが多いからこそ、テクノロジーを伝播するための架け橋になれる。

ちょっと他の領域にも触れておくと、「農業(A)とIT(B)」とか、編集における「紙(A)とウェブ(B)」とか、基地問題における「県内(A)と県外(B)の声」など、さまざまな場面において、越境できる人の存在は求められているように思える。そして、これから、どんどんその存在価値は高まっていくと、ぼくは思う。

今まで橋渡しされることなく、混ざり合うことのなかったふたつが、おたがいの領域を行き来できるようになる。これって、とてつもないクリエイティブだ。驚くアイデアがひょっこり顔を出す瞬間はこれ。そうやって新しい価値を生まれるには、そういった“間”に入って、つなげるバランスのいい人が必要不可欠だろうな。

だから、(みんながみんなバランスがいい必要はなくて、尖った人もいてしかりだとは思うけども)、世代、職業、国、地域、地位、性、に囚われることなく、その間を行き来できるバランスのいい人をもっと増やせる教育的な仕組みって必要なんじゃないかな。そもそも、それをつくれる人は、超絶にバランスいい人ではなかろうか。

まあ、なんでこんなことを書き留めたかと言うと、バランスのいい人っていいなぁ、とぼくは思うし、そういう人が好きだし、そういう人と一緒にものづくりをしていきたい、という単純な気持ちだけだったんだけど、自分なりの「バランスのいい」を文字化できて一先ずOKということにしておこう。一生、バランス主義でゆきたいところです。