眼を貸してくれる人

南国気質は根本的には、苦手だ。島は、よいことばかりではない。沖縄で、離島で育ってしまったがために感じる、あの島にあるドロドロとしたもの。

出身”だからこそ”見えるものと言えばそうなんだけど、出身“のせいで”見えていないものもたくさんある。東京を経てUターンしたばかりはわりとクリアに見えたものも、1年以上もいるとピントがずれ、少しずつボケていく。慣れの怖さだ。それが怖くて、定期的に沖縄の外に出て、遠くの山をじっとみて視力回復をのぞむようなことをしているのだけど、やはり限界はあるようだ。

過去は変えることができない。「〇〇出身」というのは、だれもが持てる過去の遺産であって、辿りに辿れば、個性の源とも言える。その個性一つでは成し得ないものはあって、いくつかの個性が重なるからこそつくれるものがある。地域において言えるのは、地元、Uターン、Iターンという属性があって、その3つの立場の(個性を持った)人たちが結集して生まれるものに、新たな価値がある。

もう一度言うと、ぼくはUターンという立場だからこそ、見えるものがあるが、見えないもの、見えなくなってきたものがある。そこを補完してくれるように、時折、Iターンの人の声をもらうと、ハッとすることがある。耳に入ってくるこの声をもっと増やしていければと思う。

その眼を貸してもらえると、ありがたいのだ。

移住イベントは、だいたい二パターンに分かれる

ぼくの夏休みは終わらない。プライベートの自由研究としての『バケモノの子』を前に挙げたけど、ちゃんとした、いや、ちゃんとしたって言うのも変だけども、ライフワーク的な自由研究を挙げるなら「移住」や「商店街」というテーマがある。

「移住」だけについて触れると、土地から土地へ動くってエネルギーむっちゃいることだから、その人が移り住む理由が気になっちゃう。というのと、ぼく自身が同じところに留まれずにあちこち行きたくなるタイプなので、どうやったら自分が根ざせる場所が見つかるのか?という自己対話も含めて、公私ともに還元できるレベルで掘り下げていければと思っている。

振り返ると、「京都移住計画」のメンバーと知り合ったのが、そもそも「移住」という言葉を真面目に考えるきっかけだったなぁ。そこからプロジェクトに関わらせてもらったり、彼らが発信する情報を拾っては、自分なりに掘り下げ、他の地域に行ったときには移住にまつわる話を聞いてみたり、沖縄において移住における取り組みをはじめたり、いろいろな方法で「移住ってなんだろう?」と向きあってきた。

そう、そうやって考えてみると、移住イベントをやるときには、ふたつの段階(場)を意識しなきゃいけない気がしてきたぞ。

ひとつは、「そもそも移住ってなんだろう?」を考える場をつくること。ぶっちゃけると、「移住」ってとても大きくて重い言葉だと思ってしまう。そういうことに興味ない人からすれば、超無縁のような単語に聴こえるに違いない。だけど、移住について考えることは「自分の暮らし/働き方を考えること」だから、実はほとんどの人が参加できる理由がある。とぼくは思う。

ある意味、就活を考える学生だって移住イベントに参加することで、移住しなかったとしても、生き方のヒントを得るかもしれない。その場に参加する人たちのさまざまストーリーを共有してもらえば、それだけでもいい勉強になるだろうし。ということで、「移住」ってのを切口を変えてみて、その敷居を下げるような「そもそも移住ってなに?」を考える場づくりがまずひとつ。

で、ふたつめは、その次の段階とも言えて、それぞれが自分たちなりの「移住」をかみ砕いた上で、次のステップとして、移住する地域の選択肢を広げたり閉じたりするための場づくり。それは「全国各地のどっか」という幅広い選択肢から選びたい人もいるかもしれないし、「この県にする」と決めていて、そこからさらに地域を定めようとしている人だっている。

またそこに付随するように、どんな暮らしができるのか、どんな仕事があるのか、という疑問を掘り下げられるシカケも必要だ。それがより具体的になっていると、求人や住まいがありまっせ、マッチング情報を用意しておくことになったりね。もちろん、この段階でも「移住ってなに?」についての考えを揺さぶられつつではあるけど、実際に移住するための選択肢と、それを絞っていくための(相手に合わせた)基準を共有できる場の質があがればあがるほど、移住のアクションには繋がりやすい。

実は「移住した後に〇〇をしたい」というところを汲み取ると、「ただ移住したい」というのと「移住して地域を盛上げたい」というのは層が明らかに違うので、これらの属性の人たちをまとめちゃうとダメで、そこはセグメントして、移住イベントは打たないといけない。移住して地域を盛上げたい、と考えている人なんかは「地域仕掛け人市」とかが合ってるのかもね。

と、長々と書いてきたけど、再度まとめると、潜在的ニーズを掬う「移住ってなに?」と顕在的ニーズを拾う「どこに/どうやって移住できるの?」という二種類の移住イベントがあるといいのかも。その中で、参加者が自分たちでも考え、具体的なアクションに繋がるシカケをつくっていく。(あくまでこれは“移住検討者向け”の話であって、“移住受入者向け”だと各地域プレーヤーが集まってケーススタディできる「移住フェス」みたいなパターンもある)

最近の移住イベントを眺めていると、「どこに/どうやって?」の部分ばかりが協調され過ぎていて、そもそも論の大事なベースがないがしろにされているケースも見てとれる。地方創世ブームでお金も動きやすいからって、そういう雑な取り組みはホント止めてほしい。ゆっても、移住って大きな決断だからさ(そこに骨を埋めるとかそんな気負わなくても全然いいと思うけど)。

だからこそ、ちゃんと選ぶための前置きはしっかりと丁寧につくっていくこと。それは移住に携わる人なら大切にしてほしい意識だよなぁ。まあ、こうやってずけずけと書きながら、自分自身にもプレッシャーがずんずんのしかかってるくる感じが、M気質だな、と自分を再確認中でございます。

名桜大学のあたらしい奨学金制度は、どうなっていくのか

11日の夜から福岡にはいり、やがて5日目。いつまで九州にいるかわからないけど、とりあえず今は久留米にいる。河童が有名なんだってね。仕事の合間を縫って、ミイラかなんかを見れたらと思う。

そんなことを思いながら、福岡から沖縄の話をすこし。沖縄には、いくつか大学があるのだけど、奨学制度もいくつかある。そりゃ、各大学に奨学金があるのは、あたり前なんだけど、違和感を覚えたものついて。最近、新しい奨学制度がはじまったらしい。

「学生・教育支援等プロジェクト経費」というもので、学生が個人・団体でやりたいプロジェクトに対して、最大100万円が支援されるというもの。返済は不要だとか。いや、表向きで言えば、「こりゃいいねー、学生、いろいろとやれるね」とか思うんだけど、やっぱりこれは違和感がある。

そこらへんに触れるには、このFB投稿を見てもらわなくちゃ。この投稿者曰く、「何かをやりたい!」と思っていて、想いは持ってるけどお金が原因で何もできない学生は多いとか。そんな壁にぶつかっている(自分以外の)学生にぜひ使ってもらいたいそう。

そこそこシェアされてて、いいねも付いて、なんかイキってる感じがするのだけど、これ「ちょっとおかしくないか?」と、ぼくは感じる。だって、本当にやりたいことがあるなら、お金がなくても、できることからまず始めるよね。お金がなくちゃできないよ、という甘えの強い学生を、さらに甘やかすきっかえを与えちゃっていいもんだろうか。

そんな学生がポンポン承認されるようなら、あまりやらない方がいい気がする。すでに何かをやっていて、その活動を広げるために資金が必要ならわかるのよね。すでにアイデアのβ版が見えていて「そこが足りないんです、、」と理由が明確だから。「お金がないなら知恵を絞って」タイプの応援をまずできたらいいじゃん。

「なんでこんな奨学金ができたのか?」と思想の潮流的なものを自分なりに追ってみると、やっぱり大人がわるい。沖縄は、他県に比べると、かなり公費だの補助金だののお金が動いてて、それありきで物事をはじめようとする大人が多いから、そりゃそれ見てる若者まで、そういう考え方にはなるわな。スモールスタートでいいじゃんね。想いがあるなら余計にね。

そもそも、この奨学金をつくりたいと思って、実際に動かしたFB投稿者はすごいし、すでに形になっちゃってるものだから、あとは考え方、選び方、使い方次第。なにかを「やろうとしている」じゃなくて、すでに「やっている」学生を応援できるように、せっかくの制度だからなるといいな。ちっちゃく動き出してる人にみんな目を向けてあげてよ。

(まあ、ぼくは学生のときはバイト三昧で、特になにかを意識高く「やっていた」タイプでなかったから大口は叩けないけど・・・)

 

南城 × しごと × トライアルステイ

今朝のこと、家からバス停に向かっていると、目の前を先行くおばあちゃん。小さくまるっとした後ろ姿が、ほのほのとした雰囲気があった。杖をついてて、ゆっくりゆっくりと歩いてるので、当たりまえだけど、すたすたと歩くぼくが途中で抜いてしまう。追い抜いたあたりで、おばあちゃんの顔を見る。そしたら、目が合い、にっこりとした表情で「おはようございます」と声かけてくれた。ぼくも「おはようございます」とできるかぎりの、だけど不自然かもしれない笑顔で返す。

これって、ちょうど昨日まとめてみた「あいさつ」の話だよなぁ、と思って、こうやって作業場所についてからメモしている。知らないおばあちゃんだし、言っても、それほど近所なわけでもなく、今後会うのかわからないよね、っていう関係性であったとしても、こんな感じで「おはようございます」の一言がある地域というか、コミュニティに住めているのは、正直うれしいことです。

というのが、ひとつあっての今。ついでに、一昨日足を運んだ南城市のメモをしておこうかな。「なんじょう地域デザインセンター」で活動する秋本さんと、「沖縄移住ライフハック」のご夫婦と一緒にお茶をしてきた。南城という場所で「コミュニティスペース、コワーキングスペースづくりができないもんかなぁ?」と話に出たのがあって、それについて。個人的に「移住」に関する話も聞きたかったもあったかな。

南城は、沖縄本島の南部にあって、那覇よりもずっと下、自然に恵まれていて、ゆったりとした地域だ。「斎場御嶽」とか世界遺産もあったりするけど、あまり観光に特化してるわけでないので、というか、「そもそも観光系のプレーヤーがいない」という話を聞いてて驚いた。交通網も、バスなども通ってなくて、裏技的に乗り合いバスが南城市内なら300円で乗れるというのがあるくらいで、車がないとしんどい場所。

となると、観光客も南城市でゆっくりして〜というのは考えにくいわけかぁ。「浜辺の茶屋」のような絶景のロケーションにあるカフェも多くて、ちょっと立ち寄るくらいはできても、そこで1泊するって選択肢はやりにくて(数と価格の宿泊先問題で)レンタカーを借りた人なら、たいてい那覇に戻って、そこで夜を過ごすことになるのは分かりやすい。

夜の話をすると、やっぱり遅くまでやってるお店は少なく、特に、地元の高校生や大学生などの若者が集まるようなスペースがないとのこと。クリエーターンのような作業場所が欲しい人からしても、やっぱり電源あってWi-Fiあって、みたいな場所は皆無みたい。個人的には、観光という視点ではなく、ゆったりとした環境のなかで仕事できる場所としての開拓&提案ができないかなぁと想いを馳せた。

千葉の「KANAYA BASE」とか福岡の「SALT」のような、海辺あるいは海が見える場所で、作業をする。それによって、生産性が上がればいいだろうし、どこでも仕事ができるようなタイプの人にとっては、いつもとは違う場所で作業ができるのは、結構いい気分転換にもなるし、新しいアイデアが生まれるきっかけにもなりやすい。

関西、関東、九州あたりのクリエーターが一定期間、南城に滞在しながら、ゆったりしつつも仕事もするという環境づくりの可能性を感じた。だけども、そこで作業場所だけじゃなくて、同時に宿泊施設をどうするかという問題も出てくるよなぁ。それは、ワークスペースと宿泊スペースが併設タイプなのか、あるいは、提携できすスペースを見つけるのか。やっぱり問題はある。

とはいえね、なんとなくではあるけど、それをやれる土壌はあるんじゃないかと具体的な話は聞けたので、なんだかよい南城でのひと時でしたよ。カフェの名前は忘れちゃったけど、ちょっと高台にあって、海を見下ろせるお店があったんだよね。あの景色は、沖縄でもなかなか見れない気がしてて、内湾と山と雲がふぁーっと広がる海は、南城らしさなのかなと思った。

ぼくの個人テーマに「移住」があって、そのなかでも「試住」というトライアルステイがあるんだけど、仕事という入口で、きっかけで、移住ということを考えるフィールドが増えたらおもろいよな。あくまで大切なのは「くらし」なんだけど、その一部としての仕事を切りとって、自分のあり方を考えるかどうかはさー。ちょっと長くなったけど、メモはここらへんで終了。

あ、南城市はよく「♡」を使っているけどこれなんなの? と思っていたんだけど、南城市のかたちがハートに近いとのことらしい。やっと腹オチしました。ただ「♡」の記号が苦手である。これを多用する女性とか超苦手なんだよなあ…トラウマが……ね。

田舎にあって、都会にないもの

この前、自分の領域について考えてみたけど、その中の「地域」と「くらし」というテーマで、その2つになんとなく重なるのが「田舎と都会」。ざっくりとではあるけど、田舎は「生産」する場所、都会は「消費」する場所だ、という大きなイメージを持っている。1次産業から3次産業までの流れを意識してみるとそれがよくわかる。

とはいえ、別に田舎でも消費的にくらすことはできるし、都会でもより生産的にくらすことはできる。気持ちの持ち様とか、そのためのツールと関係性をどうやって築いていけるのかが大きいんだろう。だから、「田舎もしくは、都会が絶対的にいい」とかは無いんだよね。それは、ほんとに。自分という人間とその地域との相性でしかないと思う。そこらへんはここで書いた。

「そもそもなんで、いま、そこにいるの?」「何がいいとこ?わるいとこ?」「仕事があるから?」「地元だから?」みたいなことは考えられたらいいよね。惰性でその地域でいるんじゃなくて、積極的にその地域にいられたら、なんか動きもグググッと変わってくるだろうしさ。

と、ウダウダ書いてみたのだけど、今回はタイトルを先につけてみたのを思い出した。「田舎にあって、都会にないもの」。それについて言うと、かなりシンプルなことで「あいさつ」なんじゃないかなーと思う。あいさつなんてのは、気持ちひとつでどこでもだれでもできるもの。

だけど、都会だと、通りすぎる人みんなにはしてられないし、面と向かっても、「おはようございます」とか「こんにちは」とかが瞬時には出てきにくい。心ではつぶやけても、急に、口だけが金縛りに合うような変な空気が都会にはあるような気がする。あと、社交辞令的なあいさつが多いよなぁ。

それに比べると、田舎は、そもそも人が少なくて、町を歩いていると見かける人もあまりいない。という条件は基本的に違うなかではあるけど、たまたま会った人にさりげなくあいさつをする人は、都会に比べたら多い(だろうな)。赤の他人であっても、あいさつの姿勢は変わらないし、ある意味、区別的あいさつをする人は少ないようにも思える。

たかがあいさつ、されどあいさつで、その一言があるだけで、その場所にいる「気持ちよさ」って全然違う。一日まともに口をきかずに過ごすなんて人もいるような社会があるなかで、その一言って大きい。言葉のぬくもりってすごいよね。一言から関係性が生まれることだって大いにあるし。街並としてはパッとしない地域であっても、この一言に触れられるだけで、そこを好きになっちゃう可能性だってある。「また来ようかなぁ」って思うくらいに。

あいさつの存在によってある、密な関係性というか、カジュアルコミュニケーションというか、そういったものは田舎の魅力なんじゃないか。田舎暮らしすると「自然がきれいだ」とか「静かに過ごせるわ」とか「ご飯がおいしいよ」とかいろいろあるんだけど、そういったものをPRしがちなんだけど、意外と「あいさつが気持ちいい」というのはもっと出せるといいかもね。

最近の1週間でも、昨日の1日でも振り返ってみてほしい。家を出てから帰るまでに、どんな人とどんなあいさつをしたのか。最近、地元のいへや島に戻ったときに感じたのだけど、島の小中学生の「おはようございます」が気持ちよかったんだ。いいところで育ったなぁと思いつつも、それが今の自分はできてるのかなぁと考えると、ちょっぴり恥ずかしくもなった。

「いじめだ」「それは間違っている」「侮辱だ」「民意がまるでない」ー「で、なにやるの?」

ある物事について、議論されることは好ましいことだ。良いことでも、悪いことでも、話題にならなければ、広く知ってもらうことも、改善されることもないだろうから。

そして、議論になっていれば、必ずといっていいほど「批判」を耳にする。注意深く言わせてもらうけど、批判自体は悪いことではない。その“姿勢”が問われる。

 

なにか批判するときには、ルールを設けたい。批判したいことに対する物事の「よい(とされる)面」はまず押さえておくこと。だれかの短所を言うなら、長所も言えるようにしておこうよ、みたいな。

 

そのルールに、もうひとつ付け加えるとしよう。批判したうえで「じゃあなにやるの?」という次のアクションを考えること。それを考えるためのヒントを共有すること。

批判するだけで、口だけで終わるのってなんか寂しい。ダサい。そんな気がしてしまうのは、ぼくだけではないだろう。批判するってことは、変えたいこと、変わってほしいことが根底にはあるはずだよね。

それに対して、だれかが変えてくれるのを待つのじゃなくて、自分から(自分のできる範囲で)アプロ—チしているのかが重要じゃあないか。地に足がつくような形で、できることをやる。言葉よりも行動として。

 

基地批判、原発批判、安倍首相批判、数えあげたらキリがないってくらい、批判の声があがっている今日この頃。とっても偏っているなぁ、とも、言いたい放題言ってるよなぁ(しかも匿名かよ)とも、思うことばかり。

特に、沖縄にいる身としては、辺野古のことが知人のFacebookにもすんげーあがってくる。その賛否はおいといて、とりあえず批判が偏り過ぎてて、気持ちがわるい。ほんとフォロー外すこと増えたよ最近。

 

言いたいことはわかるし、事実もあるのだろうけど、被害者意識ばかりを主張してたら、主張したいことの質が下がるということに気付いていない。あちらとこちらの立場を理解したうえで、批判するというバランス感覚がない。

そして、いろいろとSNSやメディアでは論じてはいるけども、実際に行動として「なにをしてるんだ?」という話だとも思える。言いたいことだけ投げ捨てて、なにもしないって相手に響くわけがないよ。

 

沖縄についての注意点を言えば、あーやって、人がわんさか集まってデモやって、抗議すればいいってもんじゃない。あれは行動(アクション)のうちに、ぼくは入れていない。あんなのその日だけの“祭り”でしかない。洗脳めいたものにも見える。

「〜万人集まって抗議した」とかそんなことはどうでもいいのよ。もっと身近なことで、小さく、ポジティブに変えていける行動がなんなのか考えたほうがいい。そういった思考を拒否してるってことが、そもそも問題なんだよ。と同時に、そういうことを“考えない”ですぐに他人にのっかる恐さもある。

 

一応、自分の立場を言っておくと、基地とか原発とか安倍さんのこととかをね、すんなり許容してるわけでもなんでもない。なければないほうがいいに決まっている。

そういった問題に対する意見はたくさんあっていい。あったほうがいい。さまざま視点が考える材料にもなるから。ただ、その主張の仕方をもっと考えたほうがいいんじゃないの、と思うわけ。偏りすぎないように。

それと、言うだけじゃなくて、なにやるの、という話で。みんなで集まって、声を大きくしただけじゃ、行動したことにならないでしょ、とぼくは言いたい。

 

うんうん、君が言いたいことも、熱意もわかった。それができたら、世の中変わるよね。おもしろくなるよね。でも、最後にひとつだけ質問してもいいだろうか。

「で、なにやるの?」「なにやってるの?」これらは自分に対して、いつなんどきでも問うべきことだ。口だけでなく、手足を動かせ、きれいな汗をかけ。どんなに小さくても、形をつくれよ。“個”として。

 

Okinawaだけは別の国と考えたほうがいいんじゃないか仮説

Tokyoだけは別の国と考えたほうがいいんじゃないか仮説という記事を読んで、タイトルからビビビと来たものがあったので、このタイトルで書いてみようかと思う。ただ内容に関しては、数値などのデータを用意した丁寧なものではなく、どちらかと言えば“雑感”に近いだろう。先に謝っておきたい、あしからず。

沖縄出身のぼくがUターンしてきてはや数ヶ月、というのは以前書いたが、さらにぼくの沖縄観というのを掘り下げていきたいので、今タイピングを進めている。先に、ズバリ言わせて思うと「沖縄は日本である」という概念を沖縄の人は捨てたほうがいいのではないか、と感じている。

その経緯を話そう。沖縄の若者と話をする機会がよくある。沖縄の若者は外へ出たがらないという点にも以前触れたが、やはりそうなのだ。ただ、例外はあって「県外には出ないけど海外には出る」という選択肢を考える若者は多い。国内を見ずに、すぐに「世界へ」「グローバルに」という言葉を掲げたがる。

アメリカがすぐ側にあることは大きな影響なのかもしれない。しかし、それは違うのではないかとぼくは思うのだ。それは半径5m内の自分の身の回りの社会に目を向けることに価値を感じるからである。身近な問題に気が付けないのであれば、世界に出たところで果たしてどうなのだろうか。

と、ここで指摘した問題は「沖縄の人は(特に若者は)県外には出ようとしないが、海外には行きたがる」ということ。このひとつの事実をひっくり返してみると、「日本という場所を、沖縄という立場でしかしらない人が多い」のが沖縄なわけである。

沖縄以外の46都道府県のことも、多くはマスメディアや学校で学んだ範囲、あるいはWebから流れてくる情報でしか知らない。そして、そもそも沖縄の人は“学ばない”性質を持っている。それは「ほぼ日本を知らないにに等しい」とぼくは考える。そこに知りうる日本はあくまで、超×1000くらいの、ごく一部でしかないから。沖縄だけで日本を語ろうなんてできるわけがない。

そして、海で囲まれた島国の中の島国である沖縄は、やはり日本の一般的なそれとは違いが大きすぎる。言語体系にはじまり、食文化、さらには身近にある教育や労働における問題。もっと突き詰めていくと、つらい戦争を体験した歴史、そして今も戦争を終わらせない基地の存在は他県にはない唯一のものだろう。

この構造の中から生まれた沖縄のくらし、そこから見える「日本」というのは、やはり特殊なものであって、違うものだろう。この中で唯一見える日本のほとんどはテレビやラジオと言った、偏りのあるもの。これで日本を知った気になってはいけない。絶対に。

そこで、ぼくは考えた。日本を知らない状態で、そんなに世界に出たいというのであれば、もう沖縄を日本と考えない方がいいのではないかということ。タイトルにもあるように「Okinawaを別の国と考えたほうがいいんじゃないか」という仮説を持ち、ぼくは沖縄の人に提案したい。日本という国にぜひ、はばたいてくれ。と思うわけだ。

 

そうすることで起きること、起きてほしいことを最後に書いておく。ぼくは沖縄の大きな問題の一つとして挙げたいのは、沖縄にある動きがまったくオープンになっていないことだと思う。それはインターネットの普及とリテラシーの問題もあるだろうし、沖縄という土地をよりよくしていこうと考え、沖縄と県外を行き来する人が極端に少ないからだと思う。

だから、情報が県外へ流れない。例えば、基地問題も沖縄の人だけの問題であって、日本にとっては関係性が薄いように見える理由はそれだろう。全国的なメディアも一部報道をするが、そこに届くまでに情報は水で割ったように薄くなっている。飲んでも味がしないほどに。

こうやって、沖縄に根深くある基地問題を日本国民にとっては関係のないようにして、国(政治家)の問題をひた隠しにしている。というのが、ぼくの見解だ。基地に限らず、他に存在する深い問題や課題は県内から溢れだすことなく、ただただ県内で迷子かのようにうろちょろしているのが実際だろう。

こういった問題について、本当は日本人の多くが参加して考えたほうがいいのに、そうさせないため、情報が流れない流さない、目には見えない仕組みが沖縄にはあるのだろう。問題の解決には、たくさんの人が参加した方がいいに決まっている。だからこそ、問題をオープンにして、共有していくべきだろう。

沖縄の人が、日本へ留学やら出張することの意味は大きい。人と情報はセットである。そうやって、沖縄の抱えるなにかをオープンにしながら、少しでも前へと歩んでいくための策を考えなければいけない。沖縄の人だけでは、解決はできない。解決できないようになっている問題が山積みだから。

沖縄を日本だと思ってはいけない。「Okinawa」と考えてみよう。すると、日本という海外から得られるもの、そして共有すべきものが見えてくるだろうから。誤解がないように付け加えると、あくまで精神的な話をここではしている。決して沖縄独立論をうたっているわけではない。独立できたほうがいいのだろうけど、独立できる状態ではないのは一目瞭然だから。

沖縄でなにか動きをつくりたいなら、まずは日本に目を向けないとね。

 

 

職業ライター、26歳で東京から沖縄にUターンしてみて、かんじた憤りや、学生への心からのお願いなど

東京から沖縄へUターンしてから早2ヶ月が過ぎた。那覇・浦添・宜野湾エリアを中心にうろちょろと動きまわっては、家にこもりながら作業をする、という生活をしている。そういうふうに動いてるなかで、縁もあってか引き合わせてもらえる県内の学生さんは多い。

ぼくは東京で学生生活を送ってきたので、余計に感じるのだけど、沖縄の学生はすこし違う。ほんと、純粋すぎる。そして、純粋すぎるうえに恐いよなと思うわけだ。穢れのない白いキャンバスには、どんなことも描き入れることができる。そこに付け込むわるい大人もいるわけで。

端的に言うと、沖縄では、きれいごとをいう大人が、しごとを通じて、学生を囲い込むという現象が起こっている。そう、彼らが言ってることは、ほんときれいごとなのだ。言葉がきれいでも、実際にやってることはきたない。中身がない。「マルチに引っ掛かってるなぁ」「アフィ系だ、こいつは」と、正直言わせてもらえば、イケてない大人のフォロワーになっている学生が多すぎる。

「すばらしい人生」「カッコいい生き方」「新しい働き方」だの、きれいごと(多用するとクソださい言葉だと思うんだけど)で、しょーもない内容に学生が引っ張られるのには、理由がある。それは、良くも悪くも沖縄が狭いからだろう。そして、狭いゆえに”いろんな”大人が少なく、そういう大人との接点が少ないのだ。出会った大人がひとつの社会規範になってしまう。ほんと恐いよ。

東京から沖縄にIターン移住した知人と話していたときに、ぼくはハッとした。「沖縄の女の子は、ほんと純粋だ」ということ。その理由を彼なりに分析すると、東京はいろんな男性との接点が多すぎて、悪知恵がつくのか、いろんな男性のなかから選りすぐって、彼氏なのか愛人なのかを決める。選択肢が多いからだ。

その話を聞いて思ったのが、やはりモデルにできる大人の種類が少ない、選択肢が少ないのが沖縄の学生が、わるい大人にはまる原因だな。残念だなぁと。ただでさえ、物理的に他県からの情報が入りにくいのにね。Webから情報を得るというリテラシーも全くないのにね。

だから、学生を食ってかかろうとする狼的な大人に、スッと食われてしまう。純粋すぎるがために、赤ずきんちゃんのように疑うことをせずに、悪い流れに巻きこまれてゆく。一生はそれなりに長いので、そこでバッドエンディングではないけど、時間も体力もあって、なにものにも染まりやすいその時期をわるい大人にそそのかされてる学生をみてると心がチクチク痛む。

その反面で、きれいごとばかりの、ダサい大人をなにも疑わずにスゴイスゴイとすぐに付いていっちゃう学生は、ほんとアホだよなぁ、とも思うわけで。ぼくもアホな学生代表だったと思うけど、それ以上にアホだと思っちゃうのよね。彼らはスゴくないから。そんなんすぐに追い越せるから。知らないだろうけど、クオリティは実際めっちゃ低いよ。

ちゃんとフォローする大人を考えようよ。そんで、フォローする相手の信者になっちゃだめだよ、どんなことがあっても。半信半疑が絶対に大切。そして、おもしろい大人はもっといるから。君たちが見えてないだけで、見ていないだけで。井の中の蛙じゃないけど、今いるところから飛び出してみればいいじゃん。

それと、もうひとつ。沖縄がずっとながらく患っている病気を治療していけるのは、若い人たちなんだよね。権力と金にがめつい、勉強すらしない老いぼれという“ガン”を取り除くには、やっぱり若い人のエネルギーが必要不可欠。今、そういう嫌ぁ〜な、きたない大人の思惑と戦っている、数少ないおっちゃんおばちゃんたちもいて、そこに協力してまともに加勢できるのは若い人。だから、どこに自分のエネルギーを注ぐのかは選んだ方がいいよ、まじで。

ぶわぁーーっとつらつらと書いたけども、発散させるかのように書いたけども、これは沖縄の大きな大きな問題なんだと思う。お金にくらんだわるい大人が沖縄を行き来させちゃいけない。沖縄にいる&沖縄の外にいる、もっとおもしろい大人との接点をつくれないか、と頭で汗をたらたら(それなりに)かいてるわけです。

近況報告と、なにかアイデアがないものか、学生ちゃんと読んどけよ、とみっつの想いを込めて書いておいたよ。何度も言うけど、ぼくのエネルギーは(&このブログは)、基本「ずるい」「いらいら」「おもしろい」という感情だから、そこんとこ、よろしくお願いいたします。

 

親を越えられない人たち

沖縄というところは、とことん特殊な場所だなぁと思う。わりと若い人でもずっとずっと沖縄にいて、外に出ない、という人がいるから。それはもちろん、他県のように土地続きで県をまたげる地理ではなく、海を越えなくてはならないという物理的な理由があるから。

沖縄を出られるタイミングは、ほとんどが高校を卒業するときだ。専門学校や大学から県外に出るという選択(ぼくはここで上京した)。もうひとつは就職を機に。人によっては転職や転勤がきっかけでいうこともある。ただここで、気になることがひとつ。

なぜかしら、県外に出ない人の理由として「親が許してくれないから」というのがある。これってほんとなに?なんなの? こればっかりは理解しにくいなぁ、と思うわけですよ。

もちろん、金銭的に負担も大きくなるし、身内の体調の問題など深い深い理由はそれなりにあるはず。だけど、親が許してくれないということを大きな理由にするのは少し話をすり替えてないか?と。自分が出たい、外を見たい、外で学びたい遊びたいという気持ちがあるなら、それをさ、「親」で言い訳にしちゃいけないよね。

高校のときの担任が、進学を決めるタイミングでこんな話をしてくれた。やっぱり沖縄の場合(わりと、田舎はそうなのかもしれないけど)親が県外に出るのを反対することは多いから「ほんとに出たいと思ったら、まずは親をちゃんと説得しなさい」と。つよく言われたのを鮮明に覚えている。勉強よりもなによりも、人生で一番最初の壁ってじつは親で、そこを越えられないと突き破れないものをある、と考えさせられた高校2年生。

で、やっぱり進学のときに親の壁を越えられない人って、数年経ってからの就職のときもまったく同じで、仕事での命令がないかぎりは外にでない。いや、出れないんだろう。尻込みして。親を言い訳にして。

実家を離れてみて、県外でいろんなものひとことに触れて、沖縄を外から眺めてみて、見えてくるものめちゃくちゃあると思うんだ。無理強いして「出ろ」とは口が裂けても言えないけど、外に出たいなら“親を説得すらできない”という情けない理由で動かないのはほんとにやめていただきたい。井の中の蛙状態の若者が増えると、沖縄はもっとバカになるから。

親は肉親なんだけど、実は他人だよ。その他人に応援されるようにしないと。親と子という関係は変わらずに、他人というひとりの人間としての付き合い方もできなければ、親を越えることはできないと思うわけ。どこで他人として、彼/彼女といい関係性を築けるのか、きっと試されてるよ。

さいごに、話それるけど、沖縄の外に出ない理由として「地元が好きだから」というの、ほんとのほんに止めて。地元が好きなら、余計に外でてみて比較したほういいし、外から何か持ち帰ってきたほうが、その「好き」の思いをかたちにしやすいだろうから。できない理由より、まずはできる理由考えようよ。なんくるないなさぁなんくるないさぁばっか言ってないで。観光街に並んだシーサー達の表情もゆがんでる気がするさ。

 

ないちゃーという言葉がきえる日

ぼくは、違和感というのを大切にしようと心に決めている。違和感がなくなったときは、自分が死ぬときだな、というくらい呼吸にずーっと付きまとう、いや、もうむしろ可愛がってやりたいくらいの感覚が、違和感。よいものわるいもの、いろんなタイプの違和感があるんだけど、ぼくは特に言葉に対するそれが多い。沖縄には「ないちゃー」という言葉がある。

沖縄の人は「うちなーんちゅ」で、本土の人は「ないちゃー」。そう、ないちゃーは「沖縄の外の人」のことを指す。沖縄の人は、沖縄の外を「ないち / 内地」と呼ぶんだけど、それを英語みたく(fishに-erがついてfisherとなるように)人のかたちに変えたもの。ぼくは思うんだけど、ずっと思い続けてきたんだけど、この言葉がまちに溢れているうちは、沖縄の未来はあかるくないなぁと。

初対面で、沖縄の人はすぐに「あんた、ないちゃーね?」と聞く。いったいなんの確認なんだろう。外からきてたらなんなのか、なにが変わるのか? そうは思うものの、移住者はおろか、観光客まで聞かれるくえすちょん。実際に、沖縄のひとは、ないちゃーと知るとすこし身構えるふしがある。実際に、なにかが変わっている。

ウチの人、ソトの人と分けることで壁をつくる。大げさかもしれないけど、まるで西と東を隔てたベルリンの壁のよう。これは、みえない壁なんだけど、うまくコミュニティ(くらしとしごとのテリトリー)を分断している。そして、壁をつくってる側なのにその存在に気づいていなかったり、それがあることが問題だと考えるひとも少ない。

「ちゃんぷるー」という言葉も沖縄にはある。これは「混ぜること」。よくゴーヤちゃんぷるーとかソーメンちゃんぷるーとかご当地グルメにあるけど、そこにも使われてるから、わりとメジャーなのかな。こういう言葉があるわりには、沖縄はあまりちゃんぷるーされていない、地元の人と外からきた人が。だから、なんか、味にかたよりがあるんだよなぁ。

この島にずっと根ざしていたから知りうる文化と価値観が、外からやってきた知恵や技術とちゃんとタッグを組めれば、新しいものを、なによりも新しい関係性をつくれると思う、せつに思う。

歴史をながめれば、なぜ外からくる人を恐れるのか、けむたがるのか、というのはその時代を生きていないぼくでもちょっとは察しがつく。けども、沖縄に昔っからある本当にいいものを残したいなら、そのために変化をつくりたいなら、受け入れる姿勢はあったほうがいいよねと。でないと、お金にきたない、ほんとに嫌なタイプのないちゃーに島を侵略されちゃうよ。

言葉がもつ無意識的なちからはとても大きい。ぼくらの想像以上に。「ないちゃー」という言葉が、壁をひっそりとつくっているなら、その言葉がなくなる日はいつやってくるんだろうな。ほんとの意味で、ちゃんぷるーされるのはさ。きれいな海、リゾート、南国、などと、うかれてるだけ(うかれさせてるだけ)ではだめなのですよ。沖縄は。あーモヤっときたから、タコライスたべたい。

沖縄についてぼくが学ぶべき3つのこと

那覇観光スポットでもやたら人が集まる国際通り周辺には、大型書店のジュンク堂がある。ぼくは書店のなかでもジュンク堂が好きだ。だから新宿店が閉店してビックロに変わるとなった時には、すこし哀しい思いをしたのを覚えている。池袋は遠いしなぁ……とビックロ後はジュンク堂に全然行けてなかった。

前置きが毎度のように長くなっちゃたけど、その愛すべきジュンク堂に最近はちょくちょく足を運んでいる。それはどうしても吸収したいことが本棚にあるから。沖縄に約7年振りに戻ってきて、素直に思ったのは「あれ? おれ、沖縄のこと全然しらねぇぞ」ということ。そう、今は沖縄について学びたいことだらけ。さいわい、沖縄カテゴリ棚がどどんとジュンク堂には設置されている。

あ、「沖縄について」と言っても、それだけだとテーマがざっくりしてて広すぎるので、言葉をみっつ補う。「沖縄の歴史」「沖縄の野草」「沖縄の離島」について特に学ぼうかと思う。沖縄で自分で動き始めようと思ったとき、松浦さん(すみだ青空市ヤッチャバ事務局長)に「歴史の“縦軸”は何をするのにも抑えておいたほうがいいよ」と言われたのをふと思い出した。あとは、沖縄の生活には欠かせない薬草はご当地カクテルのために把握したいし、離島出身としては他の島色も知っておきたい。

歴史と野草と離島、このみっつを深めていくことで沖縄にある「くらし」を見つめてゆく。歴史上のイベントがどのように今残る(あるいは廃れてしまった)くらしに影響があったのか、くらしのなかで薬草はどのような存在として食卓に並べられたのか、島にあるくらしは都会のそれとは何が決定的に違うのか。くらしこそ、ぼくの大きな大きな関心事だ。

ということで、沖縄について無知すぎるぼくは、沖縄についてもっともっと学びたい。気になった情報は、自分の五感で確かめるべく、なるべく足軽に現場にすっ飛んでいこうと思う。新しいことをこんなにも一気に頭に詰め込むのはいつ以来だろう……。大学受験のとき? とにかくフレッシュな気持ちでいこう。いやいや、気持ちはいつもフレッシュで! 何歳になっても若造気分で学びたい。

あ、そういえば、モノレールの牧志駅すぐ近くに図書館も見つけた。さすが沖縄にある図書館だなぁ、と思わんばかりの史料もある。沖縄の食や手しごとに関する本も予想以上にあった。これは、いやはや楽しみだ。余裕できたら、沖縄の妖怪についても漁ってみようかな。

ぼくが未来のわが子に残せるもの

当たり前と言えば当たり前だけど、沖縄に戻ってきてからは母親と祖母と過ごす時間が増えた。すると、数ヶ月前に会ったばかりだけど、この間にも体調は変わってるんだなぁ、とかを細かい所い気付いてしまう。それとは別に、やっぱり血が争えないなぁ、と似てるとこにハッとしたり。

家族と話せば話すほどに、自分の一族について発見がある。例えば、大見謝(ぼくの姓)家にはちゃんと家系図が残っていたこと。これは3月に6年半振りくらいに帰省したときに知ったことだけど、正直驚いた。だって、大見謝は農民漁民の末裔だと思ってたから。首里城に家系図が保存されているらしく、そのコピーを親兄妹がそれぞれ持っていた。

ぼくは長崎に生まれて、横浜で8年程過ごし、それから親の出身である沖縄-伊平屋島で住み始めた。大学からは東京で、生きた年数を合計すると本土のほうが長い。だから、なんというか、沖縄にルーツを感じきれないでいた。姓は大見謝だから沖縄なんだろうけど、証拠がないし。だけど、家系図の事実は沖縄への親近感をグッと寄せられる話だった。

家系図のなかで、ぼくは、大見謝家でいえば分家で14世にあたると知った。その上に、母親がいて、もっと辿っていくと祖父がいて……と枝葉から根っこに向かっていく。大見謝家が長い長い間くらしてきた「脈」を感じるわけ。そうやって考えたとき、親がどんなくらしを体験してきたか、祖父は何を考えて過ごしていたか、どんな馴れ初めがあったとか(恥ずかしいけどね)、もっと上はどうだったんだろうか?と好奇心に火がつく。燃え上がる。

だって、自分のことだから。母親や祖父に祖母、家族を知ることが自分にすべて返ってくる。だから、もっと家族とは話をする時間を持ちたい。大見謝家の話に限らず、沖縄の昔の風景だったり、当時は何が常識で、どんな人が沖縄に行き来してたのかも。あと何回くらい、自分の顔を見せれるのか、そして話を聞けるのかと考えると正直ゾッとしてしまう。だけど、それは仕方の無いこと。いなくなってから、無い、と気付くよりも、ずっと残るものを胸にしまい込む。

ぼくに子どもができたときに、伝えられるものをひとつでも多く、と願って。

国際通り、おもしろすぎるよ。#沖縄

ここ数日、毎日のように那覇の国際通り(周辺含む)に行って、歩いて回って、見て聞いて食べて撮って、どんな人がここでくらしていて、どんな人がはたらいていて、どんな人がどんな目的で訪れているのかを考えてた。

そこで感じたのが「観光地としての国際通り」よりも「地元として国際通り」の楽しみ方がもっとあるんじゃないか、ということ。観光向けの煽りばかりの商売も情報発信も、ぼくとしては正直つまらない。消費的な気がしちゃって。

昨日いったタコライス屋さんは、プレイルームを設置してて子どもも遊べるし、親子で時間を過ごす人が多かった。地元に根ざしているかんじで、観光臭はなくて、あったかい空気感。心地よかった。そういうくらしの一部となっている場所は注意しながら探せばかなりありそう。路地裏とかディープな匂いするし、ほんとおもしろいよ。

昔からここに残るもの、少しずつ変わるものを届けるローカルメディアをつくろうと半年程前から考えてたけど、ひとつヒントを掴めたなぁ。

ちょうど今から拠点にしようと準備してるのが、渡嘉敷島や久米島などの離島とむすぶフェリー乗場「とまりん」近辺(モノレールでいうと最寄りは美栄橋駅かな)。距離もほどよく近いし、「たそかれ珈琲」さんや「RENEMIA」さんなど、何度も通いたい場所も見つけたし、うまく条件が整ってきている気がする。

とりあえず、文字か写真かでかたちにしていく。それが、曲がりなりにもぼくができることだから。ひとりじゃ大変だから、チームを組もう。探さなきゃな。