ライター以外の人が、ライティングする意味

ライターという仕事を関わらせてもらってて、やっぱりこの仕事っていいよな、とか、ここらへんはしんどいよな、とかつねに両面を感じながらやっている。

 

記事を書くことで、誰かと誰かがつながる瞬間に出くわしたり、普段の自分なら関わることのない領域の人に会ったり、その知識を深めたりできるのは、素直にうれしい。身になる。幅が広がっている感覚がある。

その反面、ネタ選定のためのリサーチや、構成をがちっと決めることだったり、依頼主さんから好み/NGポイントを深読みしたり、入稿までのスピード感だったりは、ぼくは苦手なので、大変だなぁと感じることはしばしば。

 

「文章が好きだから」という理由でライターはじめた人は大変なんだろうなぁ、とも、そういう人はどれくらいいるんだろう、とも不思議に思う。それくらい、ぼくは文章自体への愛着はないのだろう。残念ながら。

 

そんなふうに良し悪しはあるけど、良いほうに魅力を感じているから、いまだにこの仕事に関わらせてもらっているし、まだまだ未熟なので、力もつけたいとも思う。自分のライティング領域もちょっとずつ定まってきた。

ただ、その領域のことを考えると、「“ライターとして”ライティングしなくてもいいのではないか?」という疑問がちらつく時がある。むしろ、その領域にどっぷり浸かったうえで、ライティングもできればいいんじゃないかって。

 

例えば、ぼくは「カクテル」について書きたいのだけど、ライターが記事が書くのと、バーテンダーが書くのでは、まったく違った質のものになるはずだ。

そりゃそうだろう。酒を飲む側なのか、つくる側なのかの視点で大きく変わってくる。そして、バーテンダーでライティングができる人は少ない(あまり表に出てこないという意味でも)。

 

だから、元バーテンダーのぼくは、ライティングを関わらせてもらってはいるけど、現在休業中のバーテンダーに戻って、修業し直して、その上で書けるものを増やしていくつもりだ。

がっつりとライターやりたいから、ライティングしているわけじゃない。だからこそ余計に、本業としてライターをやっている人はすごいなぁと思うし、中途半端に「ライターやりたいんです」という言葉を放つ人にはちょっと冷めがちだ。

 

プロレスラー、芸人、セクシー女優、板前、バリスタ、漁師、いろんな領域の人が、その中で動き回っている人が、その世界のことをつぶさに書けたほうが、情報のリアリティもある。

書かれる立場にもある人が、自分で筆をとって、書く立場になる。そういった人が増えることが、その領域を広く知らしめる手段になる。その世界のリアルを共有したり、盛り上がるためのきっかけとなりうる。

 

だから、ぼく一個人としては、ライター以外の人こそ、ライティングに対して興味を持ってもらえたらいいな、と勝手ながら思っている。その入口として、ブログっていいよね。

やるかやらないか、続けるか続けないか、気持ちがあるかないか、それだけのこと。ライター以外の人でも書いていいし、そっちのほうが世の中おもしろくなるよ(編集者も、そういう人を探してるんじゃないかなぁ)。