おもしろくない人をみつけた

ふと気付いてしまうと、ちょっと哀しくなることがある。それは、「ああ、自分って、おもしろくないよな。」と自分で自分という人間について感じるとき。

あの人はおもしろいなぁ、反対に、あの人はおもしろくないよね、みたいなことを、だれかに対してとやかくは言うけれど(言葉にせずとも思うけれど)、何より自分がおもしろくないって感じると、心底、ビビる。そして、焦る。汗タラタラ。

 

なんで、おもしろくないのか。それは、最近の自分を振り返ってみて、よーく考えてみると、ちょっとわかった気がした。淡々としているから。平たんな道をスーッと進んでいる。

ほんとは、ジェットコースターのようなアップダウンだったり、右往左往するような振れ幅のある進み方をしたいのだろう。それが、ちょっとした冒険もせずにきてるのだから、ああ、こいつはつまらんな、と感じてしまう。

 

そもそもなんだけど、おもしろくない時期というのは、こうやってブログで文章にすることさえも忘れていることが多い。自分に対しての“面白味”というのは、ストレスのない表現にもあるように思える。ブログは、ストレスなく、のびのびとやれているし、ここでの吐き出し感はやっぱり大切みたいね。

ブログがあっての自分で、それがあって、ちょっとは自分に対してワクワクできる。もっとこうしたい、こうできたらいいのに、を普段の仕事や生活のなかで閉じ込めているときは、つらい。つらいのは、そういったブログ(のびのび表現)を禁止してるからで、自分のつまらなさに面と向きあわないといけなくなるから。

 

ぼくは、人にどうこう(超勝手ながら)思うことはあるけど、人にどうこう思われようが言われようが、そんなのは気にしない。気にしたくはない。自分で、自分を、おもしろいと思えるか。そこだけを気にしたい。それができないと、世間一般でいう「おもしろい」物事をつくれないだろうし。一番のお客さんは、自分そのもの。

 

とにもかくも、最近の自分はおもしろくない。つまらない。なんかまとまろうとしている。枠にはまろうとしている。予定調和だ。えらく真面目だ。真面目なのは悪いことではないけど、方向性がズレている。

自分で自分を泣かしてやるくらい、ボロクソに、グサグサ、スパスパと言葉を刺していくこともたやすい。ただ、それをすんなり受け入れるのもシャクなので、抵抗したいわけで。その抵抗は、おもしろくなること、つまること。

 

びっくりするほど、自分で言葉にすると恥ずかしいんだけど、おもしろい人でいたい。「なんか読めない、読めないけどおもしろい、読めないからおもしろい」と自分で、自分に、驚きつづけたい。

 

救いは、超おもしろくない、いまの道の進み方に気付いたからかもしれないな。気を抜くと、淡々と、まっすぐ進んでいこうとする。くねくね行こう。

どんな道を進んでいこうか。どこでどう寄り道しよう。最短距離はもういいや。とりあえず、もう進む進まないとかでなく、恋の落とし穴にはまるとかでもいい。だれかズボリと落としておくれ。