根暗は「内言語」で暮らしがち

言語学とか脳科学の分野には、「外言語」と「内言語」という言葉の分類があるそうだ。頭のなかで考えていることを、音や文字として言葉にするものは外言語、そうしないものが内言語らしい。つまり、今こうやってぼくが頭にあることをつらつらと文字として(他人の目に触れることを意識して)書いているのは、外言語であり、ただこれを考えているだけなら内言語ということになる。

普段、思い浮かぶけど、メモしなかったり、口にしないがために、内言語にとどまらせてしまっている言葉は多いかもしれない。そういう頭にとどまっている言葉や情報というのは、ダイヤの原石みたいなもので、言葉として外に出してみることによって研磨され、価値を次第に高めていくもなんじゃないか、っていつも感じる。ずっと感じていたので、今日は文字にしてみた。

とりあえず、書いてみる、とか、言ってみる、の意味はそこにあるのだろうし、その習慣を持っている人のところに、いい言葉や情報、そして人が集まっているような気もする。だし、言葉に出すことによって、自分の気持ちが保たれたり、あがったりすることもあるから、それは自分の調子をコントロールするためにも、外言語を利用してみるってのはありかもしれないなあ。

ああ、そういえば今日は、大好きな先輩の誕生日だったな、と気づいたので、外言語としてちゃんとメッセージを送ろう。