仏教に紐づく移住観はあるのか

「妖怪」という現象ついて調べものをしていると、仏教の考え方にたどり着いてしまう。「輪廻転生」「六道」「閻魔」など、死後の世界について語るときには、さまざまな言葉が出てくるが、日本人にはわりと馴染みのあるものは多い。

『往生要集』に関する文を読んでて思ったのは、五戒(不殺生、不妄語、不偸盗、不邪婬、不飲酒)を破るように、人間の社会はつくられているな、ということ。そして、それは自分が望む/望まないの選択に関係なく、否応がなしに破らされているような感じ。

一つ気づいたのだけど、五戒と地域の関係性を考えてみるとおもしろい。都市部に行けば行くほど、五戒を破りやすい構造があるように感じる。自分の意思でくらし方を選び、五戒を極力犯さないように過ごそうとなれば、都市よりは地方、さらには田舎に行くという考えになるのは当然なのかもしれない(五戒を意識して生活している人なんてほぼほぼいないとは思うが)。

生物を殺すことなく、自分で作り育てる。自分を誤魔化すことなく、くらしたいかたちを模索する。当然ながら、盗むことは一切なく、そんな状況にならない治安が地域にはある。消費的に、身を滅ぼすような享楽からは遠ざかり、くらしにおける生産的な遊びをつくり、取り入れる。お酒は飲まないと決めたら飲まないような誘惑もない(田舎のコミュニケーションを考えると、実はこれが難易度が高い気はする)。

一個人の考えとしては、「五戒を破らずにくらすことは、果たして、ゆたかなのか」「それは、どうおもしろいのか」と甚だ疑問だが、クリスチャンが結婚前に肉体関係を持ってしまう様をあるように、時代が変わったことで軸となる価値観も変動していくわけであって、今の時代に生きるぼくたちが先代たちのくらしのなかに根付いていた考えをどのように辿り、学びとして抽出していくのかが、おそらく大切なのだろう。

民俗学からの歩み寄りから、人が移動することついて、または、昔も今も変わらないくらしにおけるエッセンスとは一体なんなのかについて、もうちょい考えてみたい。