初心忘るべからず、的な

10月前半を駆け抜け、大小はあるけど、仕掛けた&登壇させてもらったイベントが5つくらいあって、それが終えたもんで、一瞬ちょっとだけ緩んでいる。反省点だらけで、やればやるほど、自分のポンコツ性とか、へたれであることに気づけて、ほんといい機会にはなった。

巻き込んでしまった人、巻き込まれてくれた人にはまず感謝。ありがとうございます。

というのと、地域や暮らしにまつまる内容を扱いつづけるなかで、参加者に問いを投げていたようで、一番ぶつけたかった相手は自分自身だったみたい。ってことにも気づく。

なんとなく、”東京”のあまりよくない磁場に引っ張られ、やろうとしていた方向を見失うまではいかないけど、ちょっとブレかけてたから、ふわっと浮きかけてたから、足場の再確認ができて、ちゃんと着地はできたのかなぁという感じ。

結局、他人に向けてやってることは自分に返ってきてるし、根本を言えば、自分のためにやってる感はあるわけで、その自己中心性からはじまってるのだとある程度の自覚もしている。自分が弱っちいタイプの人間だからこそ、精神性/身体性を保つために、なにかしらをアウトプット/表現しているということ。

「初心忘るべからず」

とはよく言ったもんで、「忘れる」とかのレベルでなく(「忘れた」という意識はあるのはまだまし)、自分のなかで大切にしていることをそもそも考える暇を与えずに、意識することすらできない、隙間のない暮らしというのはこわい。

この「初心〜」の文句が名句としてあり続けるのは、きっと「そんなもんわかっとるわ」と一個人の頭(内部)では拾えるものの、社会のなかで活動するとき環境(外部要因)に邪魔されることがほとんどで、「頭ではわかるのに実践は難しい」てのと、「自分一人だけでどうにかしてうんぬん、ということでもない」ジレンマで苦しむ人が多いからなんだろう。ようは、分類すれば「あるある(つらい編)」の名句というか。

なにはともあれ、「自分の居心地のよいサイズ感で、動く、あそぶ、ふざける」というのが、ぼくのなかで初心のようなので、ここをなるべく見つめておきたい。そのための目印としても、「カクテル」「妖怪」、そして「ブログ」というのはあるのだなあ(と勝手に納得したわけです)。

あと、初心とはべつの心をもうちょっと持ってみようかな。下心も忘るべからず、で。