神輿を間違えるな

だれと暮らすか、はたまた、だれと仕事をするかは、言わずもがな、その日々の積み重ね方は変え、その人の顔つきもどことなく変えるものじゃないか。

それは神輿に似ている気がしてて、どんな神輿をかつごう、どんな人に神輿を一緒にかついでもらおう、という話で、ここ数年ずっと考えている「なにを」するかではなく、「だれと」するかという問題意識に触れるものかもしれない。

自分がどんな神輿をかつぐか(だれと一緒に暮らすか、はたらくか)、はたまた、一人ではかつぎきれない自分の神輿を一緒にだれにかついでもらうのか、ということ。

「いい歳の重ね方」だのなんのって話をよく聞くが、それと同じで「よい日々の積み重ね方」は、その神輿にかかっているんじゃあないか。今、ありがたくも、ぼくがかつがせてもらってる神輿はいくつかあって、そこには自分としては縁と信頼を感じるからこそ、そこに体力と時間を注げるわけでもある。そして、少しずつ、自分の神輿をかついでもらう人を探りはじめるという段階にもきた。

いろいろと悩むことだらけで、葛藤だらけで、すぐこじらせてしまいそうになるけども、まあそれはそれで楽しみながら、賑わいの祭りにできれば、そこで広がる関係性も込みで、伝統行事ばりに長く長く続いていければいいなぁと思う。

神輿を間違えないこと。