妖怪はエモい(暮しと妖怪の手帖、はじめました)

科学/化学で説明される、理論立てたものだけで、世界を捉えて暮していくなんて、窮屈でしかない。いつからか、そんなことを思いながら、今まで這いつくばってきている。感情的というか、神秘的というか、そういうものが人を動かしていることもあるな、と思うんですよ。もちろん、それも「絶対」ではないけど(偏ると、オカルトチックになりすぎるので注意)。

人は、そういった見えるもの(理論っぽいもの)と見えないもの(感情的ななにか)のバランスをとりながら暮しているように思える。昔の人は、おそらく、見えないものを信じながら、暮しをつくり、だからこそ慎ましげに、自然やその日々に感謝をしながら過ごせたのかもしれない。それに対して、(ぼくも含め)今の人は、見えるものに依存しがちで、「そんなものはない」と一蹴するかのように、見えないからこその曖昧さゆえに培えた謙虚さ/健気さを失いつつあるのではないか、とも思う。

ざっくりと、今風に言ってしまえば、「エモさ」が現代人に不足してるのかもしれない。そういった欠けたものを取り戻す方法は、いくらでもある。自然に身を投じてみるなど、多種多様なやり方のなかで、歴史を振り返るというのがある。今のようなデジタルで便利になった時代ではなく、もっとアナログで不便を知恵で補って暮していた頃を考えてみる。すると、「エモさ」は今も昔も変わらずにあったこと、その根源には、“アナログ的ななにか”があることに気づく。

その“アナログ的ななにか”は、現代の頭を持って考えると、もしかしたら非効率で、決して賢いものではないかもしれない。ただそれゆえに、感情に訴えかけるものも生まれやすいのだろう。そうやって過去/歴史を振り返るときには、いろんな切り口があるはずだ。古道具でも文学でも音楽でもスポーツでも着物でも、それは各々自分の好きなテーマで掘り下げていけばいい。入り口は違えど、出口は同じだろうから。

そんなこんなで、ぼくは「妖怪」をもとに、現代人が失いつつあるエモさについて考えてみたいと思った。ので、「アパートメント」というウェブマガジンで「暮しと妖怪の手帖」の連載を持たせてもらうことに。「妖怪=8日(ようか)い」という惰のつく駄洒落をもとに、毎月8日掲載。そう、妖怪はエモいし、そういう居ても居なくてもいい存在を、ぼくたちは忘れがちなんだよきっと。

「妖怪をのぞけば、暮しと人がみえる、自分がみえてくる」を仮説に置きながら、勝手気侭な独自の研究を進めていくのが、超プライベート空想冊子『暮しと妖怪の手帖』

妖怪を考え、社会を考え、人を考え、自分を考え、現代における“妖怪と人の共存”のあり方を模索していけるようなダイナミズムを持ちたいと思っています(嘘)

よろしくお願いします。

暮しと妖怪の手帖