田舎者はどこでもいるぞ

ぼくは田舎生まれの田舎育ちなので、やっぱり田舎者なのかな? とふと考えたことがある。大学進学に合わせて沖縄から上京し、いわゆる大都会、東京砂漠に迷い混んだわけだけど、言うほどには田舎者ではなかったかもしれない。

ずっと田舎にいたもんだから、当時、本を読んだりテレビを観てたりしてると、「うわー、ほんと狭いところにいるんだな、おれ」と心のつぶやきが漏れそう日々だったのを覚えている。もっと上がいるし、もっと知らないことがあるんだ、と18そこいらの鼻っタレのぼくはそう信じてやまなかった。足掻いて足掻いて上京ができたタイプだ。

あの時は、ちょっとした東京信者だったかもしれない。あそこに行けば、すべてがある、と思い込んでたし、田舎はダサいとそっちに向かって嫌な顔をしながら暮らしていた。しかし、それは間違ってたんだよな、間違ってた。

東京に住んでみて、大学、アルバイト、社会人と人に揉まれてみて、見えてきたこと、いや、学生を始めたてのときにすぐ察してしまったけど、田舎者は東京にもたくさんいるってこと。それは地方出身者が多いとかそういうことではなく、東京生まれ東京育ちであっても同じで。

東京生まれが本当は田舎者だって

BEGINが歌う曲に『防波堤で見た景色』ってのがあって、その歌詞ではそう書かれている。確かにそうだよな、とついつい頷いてしまう。そして、いつ聴いてもしっとりいい曲だ。

じゃあ、なんで「東京のような都会にも田舎者がいるか」って話だけど、東京しか知らないのに、東京が一番と思っていたり、東京だけで日本を語ろうとしたり、国内よりもすぐに海外に目を向けようとしたり、「井の中の蛙」臭がすごい人は、田舎者なんだ。

つまり、「うわー、ほんと狭いところにいるんだな、おれ/わたし」と思える気持ちがあるかどうか。無知の知じゃないけども、知らないということをちゃんと知っている人。ぼくはそこらへん臆病なところがあるから、そういう意味で、自分は田舎者ではないかもしれない、と事実的に感じたわけで。

ってなると、田舎者はどこにでもいるわけで、田舎にも都会にも、一定数いる。未知のものをなかなか受け入れられない、そっちへ踏み出す勇気も謙虚さもない人ね。何か革新的なことをする人ってのは、きっと田舎者から脱皮している人だろう。

逆に言えば、田舎にも田舎者じゃない人はたくさんいるわけだけど、そこに当てはまる、田舎者の反対の言葉が「都会っ子」とは到底思えないし、なんかちょうどいい言葉が見つからないのは困ったな。これ考えるの宿題にしよ。そういえば「舎人ライナー」って言葉の安心感パない。