「前置き」をすっとばす大人にだけはなりたくない

街を歩いていると、ひっきりなしに見える広告の看板。東京・新宿で働いていたときなんかは、広告だらけで、あの光景はいつ振り返ってみても、あの異常なまでの量には笑えてくる。さらに広告のキャッチコピーを見ていると、短く伝える、って大事だよぁーと思い知らさせる。

ただその「短く伝える」とは反対に、「長く伝える」という話に触れてみようかと思う。伝えたいことから逸れている内容をだらだらと時間をかけるのは、最初から除外して、ちゃんと伝えたいから、長く伝えるという行為について、さらには、話を長くできちゃう「前置き」について整理してみたい。

 

話の前置きが長くなっちゃう人っているんですよね(それぼくなんですけど汗)。本題に入る前の話、落語で言えら「枕」に当たるようなところ。本題じゃないんだから、そんなの早よ済ませよ、と思う人は結構いるかもしれない。でも、これこそ力を入れて大切にしたいこと。

例えばだけど、「いいデザインってなんだろうね?」という話になったとき、本題としては「いい」デザインについて話を進めたいのだけど、その前提として「デザインとは?」という共有意識がその場の全員にないと、議論は進みにくい。

もっと言うと、「そもそも、なぜ、いいデザインについて話をする必要があるのか?」という場の発生理由について押さえなければいけない。その文脈をしっかりと把握してもらうことで、その場のルールを理解してもらって、説明もないまま闇雲に「それ違うよ」という否定的な言葉を減らすことができる。

日差しを浴びさせ、とことん乾燥させて、スポンジをカラっからにしてみて、水の吸水率をグッと上げるためのプロセスが、この「前置き」にはあると思っていて、ここを怠っていると、小さなストレスに敏感な人は、当然のように不快になってしまう。そういった人たちの反応を見逃さずに、さらに敏感でありたい。

 

話をちょっと飛躍させると、「人についての前置き」も可能な限りは丁寧に行っていきたい。人についての前置きというは、目の前にいる人がどんな人物なのかを知るための情報のこと。どんな場所で生まれ育ち、どんな環境で学び、どんな人と付き合ってきて、どんな仕事をしてきて、どんな性格なのか、という前提に敬意と注意を払いたい。

その人の行動や発言というのは、必ずといっていいほどに、過去の経験に引きずられている。だからこそ、その人のその場の姿・言動だけでなはく、背景を掴んでおきたい。その彼/彼女の真の意図まで辿りつくには、その人の「前置き」部分を大切にしたいよね、というのと、それによって、いい時間が過ごしやすくなるよなーと。

 

ここまで話した「前置き」のショートVer.として、「クッション言葉」があるとも感じている。例えば、相手が知らなさそうな記事を紹介したいときに、「これ読んでみてくださいね」という言うよりも、「もしかしたらもう知ってるかもしれませんが、これ読んでみてくださいね」と言えるほうが、言葉自体に丸みがでるし、すでに知っていた場合の予防線にもなり、相手への思慮深さを読み取れる。

サービス業に従事している人とか、よい編集者というのは、しゃべるにしろ、文字にするにしろ、このクッション言葉の使い方が巧いよなー、といつもやり取りのなかで思い知らされるのよね。本題はわかった上で、その前後の脈絡にまで目が届く人は、相手のための言葉の装飾が鮮やかで、一緒になにかをやっていても心地よく、ワッと明るい気分で取り組むことができる。

 

ということで、短く伝えることも大事だけど、あえて長く伝えることも大事なのだ。その「前置き」をおたがいに確認できるような関係性とか場があると、それは本当にすてきなことだと思う。伝えたい相手がいたときの、相手(複数の可能性もある)への想像力はちゃんと持っていたいね。どんなときも。

このように、ぼくが間置きが長くなったときの言い訳をまとめておきました。