田舎にあって、都会にないもの

この前、自分の領域について考えてみたけど、その中の「地域」と「くらし」というテーマで、その2つになんとなく重なるのが「田舎と都会」。ざっくりとではあるけど、田舎は「生産」する場所、都会は「消費」する場所だ、という大きなイメージを持っている。1次産業から3次産業までの流れを意識してみるとそれがよくわかる。

とはいえ、別に田舎でも消費的にくらすことはできるし、都会でもより生産的にくらすことはできる。気持ちの持ち様とか、そのためのツールと関係性をどうやって築いていけるのかが大きいんだろう。だから、「田舎もしくは、都会が絶対的にいい」とかは無いんだよね。それは、ほんとに。自分という人間とその地域との相性でしかないと思う。そこらへんはここで書いた。

「そもそもなんで、いま、そこにいるの?」「何がいいとこ?わるいとこ?」「仕事があるから?」「地元だから?」みたいなことは考えられたらいいよね。惰性でその地域でいるんじゃなくて、積極的にその地域にいられたら、なんか動きもグググッと変わってくるだろうしさ。

と、ウダウダ書いてみたのだけど、今回はタイトルを先につけてみたのを思い出した。「田舎にあって、都会にないもの」。それについて言うと、かなりシンプルなことで「あいさつ」なんじゃないかなーと思う。あいさつなんてのは、気持ちひとつでどこでもだれでもできるもの。

だけど、都会だと、通りすぎる人みんなにはしてられないし、面と向かっても、「おはようございます」とか「こんにちは」とかが瞬時には出てきにくい。心ではつぶやけても、急に、口だけが金縛りに合うような変な空気が都会にはあるような気がする。あと、社交辞令的なあいさつが多いよなぁ。

それに比べると、田舎は、そもそも人が少なくて、町を歩いていると見かける人もあまりいない。という条件は基本的に違うなかではあるけど、たまたま会った人にさりげなくあいさつをする人は、都会に比べたら多い(だろうな)。赤の他人であっても、あいさつの姿勢は変わらないし、ある意味、区別的あいさつをする人は少ないようにも思える。

たかがあいさつ、されどあいさつで、その一言があるだけで、その場所にいる「気持ちよさ」って全然違う。一日まともに口をきかずに過ごすなんて人もいるような社会があるなかで、その一言って大きい。言葉のぬくもりってすごいよね。一言から関係性が生まれることだって大いにあるし。街並としてはパッとしない地域であっても、この一言に触れられるだけで、そこを好きになっちゃう可能性だってある。「また来ようかなぁ」って思うくらいに。

あいさつの存在によってある、密な関係性というか、カジュアルコミュニケーションというか、そういったものは田舎の魅力なんじゃないか。田舎暮らしすると「自然がきれいだ」とか「静かに過ごせるわ」とか「ご飯がおいしいよ」とかいろいろあるんだけど、そういったものをPRしがちなんだけど、意外と「あいさつが気持ちいい」というのはもっと出せるといいかもね。

最近の1週間でも、昨日の1日でも振り返ってみてほしい。家を出てから帰るまでに、どんな人とどんなあいさつをしたのか。最近、地元のいへや島に戻ったときに感じたのだけど、島の小中学生の「おはようございます」が気持ちよかったんだ。いいところで育ったなぁと思いつつも、それが今の自分はできてるのかなぁと考えると、ちょっぴり恥ずかしくもなった。